第33話

青生しょうき君、そして――フシギ君も聞きたまえ。

 僕の父もおぞましい犯罪者だった。身の毛のよだつ罪を犯した」




「僕の父は医師だった」


 探偵・興梠響こおろぎひびきは告白をこの言葉から始めた。


「明治初頭、ドイツ留学をして最新医療を学んだ祖父の後を継ぎ、自身も留学をした2代目のエリート医師だよ。丘の上の〈興梠医院〉と言えば市内でも最も人気のある医院だった。

 そんな優秀で人望のある医師の父が、何故あのようなおぞましい行いをしたのか、未だにわからない。

 きっと父本人以外理解できないことだろう。

 僕の母は僕を産んですぐ亡くなった。ずっと独身だった父は40代になって婚約したのだが、その結婚予定だった年若い看護かんごふ∥を殺し、自分だけの人形として自室に飾っていた。

 この意味がわかるかい?


 ある日、鍵を掛け忘れたその部屋に偶然入った僕が見つけたのは、この世のものとは思えないほど美しい標本だった。

 硝子の箱に収められた全裸の女の人! 僕も大好きだった父の婚約者、カナさん。

 突然行方が分からなくなったと聞いていたのに、何故こんなところに?


 僕はその時、7歳だった。


 正直に言うが、青生君、君より僕の方が罪深い。君はお父さんの犯罪を恐ろしくて口を噤んでいたと言ったが、僕が黙っていたのは恐怖心からではない。こっそり見つけた父の秘密が僕にとっても大切で、失いたくない宝物だったからだ」

「興梠さん――」

「君は黙っていたまえ、フシギ君」

 ピシリと探偵は助手に言い渡した。それから、凶器を持つ少年をまっすぐに見つめる。

「青生君、僕は父の標本に魅了され、合鍵まで入手して、毎日見に行った。どうだい? 僕の方が悪魔の血は濃い。僕こそ悪魔の父の共犯者だよ」

 ここで探偵は再び助手の名を呼んだ。目は青生に据えたまま、

「フシギ君、長いこと助手をやってくれている君にもこのことを明かすのは初めてだが、今こそ真実を話すよ。僕が医学の道ではなく美学に走ったのは、美しいものを見るためだ。かつて僕を夢中にした〈父の標本〉よりも美しいものが存在すると信じたかった。以来、僕はずっと探しているのさ。父が見せてくれたモノ以上の美を。どうも僕は孤独なだけでなく変態のようだ。


 だが、そんな恥晒しな僕が言うのだ。

 生きてみろ。

 生きてこそ――と」



 興梠は話し続けた。話しながらゆっくりと青生に近づいて行く。


「人生は捨てたものじゃない。僕が証人になろう。生き続けることは悪くない。今はまだわからなくとも、僕の言葉が正しいと君も知る日が必ず来るはずだ。だから、試してみたまえ。

 それに、君はまだマシだよ。君には、今現在、君を愛してくれている人がいるだろう? 

 お母さんや家庭教師、可愛らしい妹さん。その上、多くの学友まで。僕など出だしはゼロ。君の得意なテニスでいうところのラブだった!

 ところでテニスのゼロは皮肉がききすぎじゃないかね? ゼロ――何ももない、孤独な人間を捕まえてLOVEとは! 

 それはともかく――

 そんなどん底の、それこそ愛に見放された孤独な僕ですら―― そして今言った通り、君よりも濃く黒い血を継いだ僕でさえ、今は自信を持って言えるのだ!

 生きてみろ、生きてこそ! 僕は今、幸せだぞ。

 君も絶対、幸せになれる。生きていたことを感謝する日が来る。

 この10年間、君がどんなに辛らかったか、僕はわかる。僕だからこそ分かる。

 だが、迷路は終わりだ! さぁ、ここへ……こちら側へ来い!」

「――」

 

 少年の胸の前に真っ直ぐに差し出された探偵の手。

 

 くぐもった音が響いた。ナイフが分厚い絨毯の中に落ちた音。

 空っぽの手が伸びて――しっかりと探偵の手を掴んだ。その瞬間、力いっぱい興梠は少年を引き寄せた。

「それでいい! もう大丈夫! ――フシギ君!」

 阿吽あうんの呼吸で、すかさず助手はナイフを部屋の隅に蹴り飛ばした。

 興梠は青生を志儀しぎに委ねるとそれまで青生が座っていた窓辺のアンティーク・コファーに駆け寄った。

 クッションを払いのけて蓋を開ける――

 バタン。

 

 コファーの中、詰まった純白の雪の中に片岡瑛士かたおかえいじがいた。


 引き出して、脈を確認している時、荒々しい足音とともに弓部ゆべ警部補が飛び込んで来た。背後には数名の警察官を引き連れている。

「興梠さん! 一体、この邸で何が起こったんだ! 階下で夫人たちが――ややっ、これは……瑛士えいじさん?」

「弓部警部補? 大丈夫、まだ、息はある。とにかく、医師の手配をお願いします! 細かい説明はその後で……」





 片岡家当主・片岡瑛士は救急搬送された。

 睡眠薬により昏睡している夫人以下、邸内の人々は医師の診断後、それぞれのベッドに寝かされた。全員命に別状はなく現在、付き添いの看護婦に見守られている。



「僕は貴方が教えてくれた通り、雪ノ下4丁目5番地へ急行しました」


 一段落した後、書斎で弓部警部補が報告した。

「そこで無事、珪子けいこちゃんと、それからその場にいた家人の身柄を確保しました。

 聞けば、この人が、僕が行方を追っていた曽根武そねたけしの遺族――妹さんの曽根マリさんだというじゃないですか。それから、もう一人の兄にも連絡を取ってそちらへも警官を派遣しました。ところが珪子ちゃんの無事を伝えようと片岡邸へ電話したのですが何度かけても繋がらない。それで、こうして駆けつけた次第です」

 珪子と曽根の妹は精神及び健康状態の確認の為、ひとまず婦人警官をつけて鎌倉の病院へ預けたとのこと。

「それは賢明な処置でした」

 静かな声で興梠は応じた。だが、全て終わったわけではない。まだひとつ、最後の謎が残っている。最も辛い仕事が。

「弓部さん、それをこれから僕たちの手で全て終わらせましょう」

「了解しました」

 興梠は青生を振り返った。少年は毛布を体に巻き、かなり落着きを取り戻したように見える。傍らには同年齢の探偵助手がぴったり寄り添っていた。

「青生君、聞き辛いことを聞くが、君は晶子ちゃんの居場所を知っているのかい?」

 片岡家令息は首を振った。

「いいえ、知りません。それについては考えまいとしていたので。僕が見た姉様の最後の姿はあのコファーに飛び込む場面でした……」

「――」

 英語でコファーとはよく言ったものだ。

 日本の家具の感覚では箪笥の大きさだが。直訳すれば、要するにひつ――衣装などを入れる大型の箱である。

 興梠は源実朝みなもとさねともと暗殺者、甥の公暁くぎょうの首について聞いた際の志儀の屈託のない言葉を思い出した。



 ―― ねぇ? その櫃の中に雪は入ってたのかな?


 あまりにも凄惨な暗合……!

 片岡邸の〈兜上の居間〉の窓際に置かれていた年代物のオーク長櫃コファーは内部をスチール貼りにしてあった。これなら短時間なら雪は溶けない。残酷にも少女は誘われるまま雪の中へ身を投げた。冬に庭でそうしたように。それから?

 父親はんにんの手で封をされ、その後、取りだされて、運ばれた……


「興梠さん、貴方は晶子ちゃんの居場所について薄々わかっているようですね?」

 警部補の問いに興梠は険しい顔で頷いた。

「ええ。状況を考えたら、あそこしかない。それをこれから確認しようと思います」

「僕も!」

 青生が立ちあがる。

「僕も一緒に行きます! 家族の代表として、立ち会います」


「私も、立ち会わせてください!」


 もう一つの声。ドアが開いて、警官に付き添われて入って来たのは――


曽根理そねおさむと申します。連絡をいただいて、今、こちらまで出頭しました」

「あ! 君は……!」


 これでまた一つ謎が解けた。


 そこに立つ青年はあの覚園寺かくおんじの若い僧侶だった!


「そうか、君が――曽根武そねたけしさんの弟さん?」

「え? 興梠さん、お知合いでしたか? 僕が奔走して、漸く見つけ出した曽根家の次男です。彼は福井の寺で出家して修行後こちらの寺に移っていることを調べ上げたんです」

「ああ、だからか!」

 志儀が納得の声を上げる。 

「今朝、弓部さんがあの寺へやって来たのはそのためだったんだね?」

「そう、僕は曽根武さんの弟さんに会いに行ったんですよ」

 だが山門前で興梠たちに出くわし、〈鳥居、ハカ〉の謎が解けたと聞いた。そちらの方が緊急性が高いと判断して曽根理に会うのは後回しにして探偵に同行した――

 ここへ来て全ての糸が解けて行く。

「そうか! では、覚園寺の〈十三仏やぐら〉の中で蝋燭を並びかえたのは貴方?」

 なるほど、案内役の僧侶なら説明などしながら、蝋燭を並べるのは容易だっただろう。

浄光明寺じょうこうみょうじで鳥居の墓の前に手紙を置いたのも私です。寺を出た皆さんを追って行って……皆さんが上の段へ上っている間に置いて帰りました」

「待ってくれ、ひょっとして……」

 ここでまた探偵が小さく声を上げた。

「最初の日、英勝寺えいしょうじの境内にいたね? 竹林にうずくまっていたのは、君か・・!」

 今、思い当った。竹林の中の作務衣姿の〝僧〟を興梠は確かに目にしている。

 あの時は掃除をしているのだろうと気にも留めなかったが、よく考えてみればあそこは尼寺・・、男の僧侶はいるはずがないのだ。

「おっしゃる通りです。あの日は駅から貴方のあとをつけました。何処へ行くのか確かめるためにです。本当に色々だましてしまい申し訳ありません。改めてお詫びいたします」

 深々と頭を下げる剃髪の若い僧。遮って青生も謝罪した。

「いや、それらは全部、僕が頼んだんだ。珪子の命がかかっているからって無理を言いました。おさむさんは、僕の要望通り動いてくれただけです」

「いえ、僕も、妹も、兄の無念を晴らしたい思いがありました。だから、進んで協力したんです」

 曽根武の弟は苦い悲しみに満ちた目を伏せた。

「仏門に帰依した身となっても……未だ煩悩は捨てがたい。恥ずかしい限りです」

「僕が思うに、貴方のお兄さん、曽根武さんが無残にも殺された原因こそ晶子ちゃんの居場所と繋がっている――」

まなじりを決して、興梠は言った。そして一同を、今回の事件の最後の場所へと連れて行った。




☆興梠の父については《阿修羅》の#46に詳細記述があります。 《阿修羅》はR15です。

☆〝看護婦〟は当時の呼称を使用しました。









































































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