第3話
列車の食堂車に3人はいた。
前述した夢の超特急〈
「これで、明日早朝には、僕たちは横浜です。同行を快諾してくださって、感謝します」
腕時計を見ながら警部補は言う。心から安堵している様子。
列車独特の振動を楽しみながらステーキにナイフを入れる
「10年前とそっくりの事件って――同一犯だろうか? それとも、手口を真似た模倣犯? ねえ、
「うーん、今の段階では何とも言えないなぁ」
興梠の皿はウィンナ-シュニッツェル。探偵は食べるのを止めフォークを置いた。炭酸水のグラスに口をつける。
「じゃあさ、手紙の絵の意味するところは、わかった?」
「いや、それも、今はまだわからない」
その言葉に少年より警部補の方がひどく悲しそうな顔をした。
「……そうですか」
純白のテーブルクロス。窓際の銀の花瓶に挿した薔薇の花も落胆したように項垂れてカタカタ揺れている。
【193X’4月15日(土)】
一夜明けて4月15日早朝、3人は朝靄の横浜駅に降り立った。
駅構内から片岡家へ警部補が電話で連絡を入れた後、タクシーで邸へ向かう。
「事件発生以来、片岡邸には警護の警官を4人ばかり配備しています――ほら、見えて来ました、あそこです」
港の見える丘の上に片岡邸はあった。瀟洒な白亜の洋館で、場所といい風情といい、探偵の自邸に似ている。
そもそも、横浜市と神戸市自体がひどく似ているのだ。日本が近代国家として世界へ扉を開いた明治初頭の開港。以来、極東の帝国の玄関口として発展して来た。両市とも異国情緒溢れる中華街を有することでも有名だ。但し――横浜の方が、都市としての規模に置いて遥かに大きい。こちらに比べれば我が町は箱庭だな、とタクシーの窓を流れる風景を眺めながら探偵は微苦笑した。
「ようこそいらっしゃいました。ご家族の皆様は応接室にてお待ちです」
この種の豪邸になくてはならない、いぶし銀のごとき執事が迎え入れてくれた。
「素晴らしいコレクションですね?」
邸内に足を踏み入れた刹那、思わず漏らした探偵の言葉に、誇らしげにフロックコートの胸を張る老執事だった。
「これは先代様が収集されました。先代様のご趣味です」
玄関を入ってすぐ、吹き抜けのホールの右側に広い階段がある。その壁沿いにずらりと甲冑が飾られているのだ。
「現当主様のご趣味はこちら……」
片や目を転じると、ホールの反対側には様々な原石が置かれている。アメジスト、水晶、翡翠、琥珀……小さいもので60㎝、大きなものは優に2mはある。背後の壁が全面鏡張りなので石たちが写り込んで、宛ら何処までも続く鉱石の森のようだ。
「凄い! エレベーターがあるじゃないか!」
少年は目の付け所が違うようだ。煌めく原石の果て、中庭に抜けるフランス窓があって、その右横――ちょうど階段の裏側――に飴色の硬質の扉が見えた。
「最新のオーチス社製か! いいなー! やっぱこれからは一家に一台エレベーター時代だよね? 僕の家にも欲しいって何度も父様にせがんでるのに、『イラナイ』『不要だ』って言うんだよ。ほんと、頭が固いんだから」
「いやいや、フシギ君、大概の家ではエレベーターは必要ないだろう」
助手は海外でも人気のレース会社〈
「こちらです」
執事が先に立って一同を案内した。エレベーターは勿論、階段も素通りして真直ぐに進む。突き当たった右棟の最奥。その部屋が応接室だった。
執事が開けたドアの向こうにこの邸の主とその家族がいた。
機敏に腰を上げて出迎えたのが
「お待ちしていました。
「はい。電話でお知らせした、神戸より駆けつけてくださった探偵の――興梠氏です」
「はじめまして。興梠です」
名刺を差し出す。貿易会社社長の当主も名刺を取り出し、交換した。
この対応からも伺えるように、片岡瑛士はいかにも現代的なビジネスマンだった。中肉中背、白皙で品の良い顔立ち。髪を真ん中から分けて、
一方、夫人は……
「なにとぞ、よろしくお願いいたします。どうか、どうか、
ハンカチを握りしめてそう言うのが精いっぱいだった。
「奥様――」
庇うようにお付きの女性が言う。
「奥様は、珪子お嬢様の姿が見えなくなって以来、ご心痛のあまりほとんど寝ておられません」
当主が間に入って紹介してくれた。
「こちらは
「
母とは対照的に弾むように立ち上がり会釈をした少年。16歳というから志儀と同学年だ。
本来なら当邸の子供として3人並ぶところ、娘たちがいない。だが、不在の娘たちがどれほど愛らしかったか容易に想像できた。それほど、子息の青生は美しかった!
助手の志儀も美少年なのだが、雰囲気が違う。正直、探偵は戦慄した。作り物めいている。ビスク焼の人形みたいじゃないか!
この世の中で人形くらい興梠が嫌悪するものはない。
とはいえ、それは一瞬のこと。
興梠は平常心を取り戻し、客観的な観察に徹した。
眼前の少年が少女のように見えたのは、両親から受け継いだ雪白の肌と端正な顔立ち、そして、何より、肩まで伸ばしたおかっぱ風の髪型のせいだろう。
その漆黒の髪を揺らして少年・青生は探偵に微笑みかけた。
「探偵さん、どうぞ、何なりとお申しつけください。僕でよければ、お望み通り、どのようなことでも協力いたします。忙しい父や、疲労困憊の母に成り替わって」
目の底からねめつけるような視線。純粋なのか悪辣なのか。
「妹のためなら、僕はなんだってやりますよ」
「お言葉感謝します。だが、今日はご挨拶のみで、ひとまず引き上げることにします。奥様もお疲れのようですし」
「いや、そうはいかないのだよ、興梠さん! そして、弓部警部補! 実は先刻、またしても新しい手紙が届いたのだ」
「え」
「新しい手紙?」
「駅から君の電話をもらった、そのすぐ後で、執事が郵便物の中に先の4通と同じ封書を見つけて持って来た。君が来るというので、警護の警官や署の方へはまだ連絡していない」
そう言うと片岡氏は封書を部屋中央、ちょうど一同の真ん中にあるゲイトレッグテーブルの上に置いた。
「執事は常時手袋を着用している。私も、ハンカチを広げて受け取った」
5通目になる手紙を慎重に取り扱ったことを当主は告げている。無論、まだ未開封だ。
弓部は急いで手袋をつけると封書の表裏を確認した。
「むむ、宛名は、当邸、片岡瑛士氏……消印は鎌倉市……差出人は、無記名か」
過去4回届けられた手紙と全て同じだ。
続いて、封を切り、中にあった紙片を取り出す。
「ウッ」
なんとも奇怪な内容だった。
そこには――
※戦前のこの時代、1等車連結の食堂車は洋風食堂、3等車連結の食堂車は和食食堂でした(^^)/
ちなみに〈燕〉フルコースのメニューをみると、スープ、伊勢エビのゼリーかけ、牛肉の松茸ソース、七面鳥の蒸し焼き温野菜添え、果物、珈琲。料金は1円30銭。公務員の初任給が75円です。
流石に興梠たちは一品料理の様子。
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