天使の迷宮(興梠探偵社file)

sanpo=二上圓

第1話


      ❄



 舞い落ちる雪……

 あとから、あとから……


 世界を真白に塗りつぶして行く。


 『 出ておいで! 一緒に遊ぼう!

   天使の作り方を教えてあげるよ! 』

 『 天使? まぁ、すてき!

   どうやって作るの?  』



 しんしんと降り積もる雪の苑に笑い声が木魂こだまする。



 そして。


 雪が溶ける春が来て、少女は消えてしまった。

 雪のように消えてしまった……



   でておいで! いっしょに あそぼう……!

    

       てんしのつくりかたを……

       


          おしえてあげるよ……


 




     ❄ ❄ ❄









【193X'4月14日(金)】


「今までどこへ行ってたんだよ、興梠こおろぎさん!」


 風光る4月。夕方とはいえ、眩い陽光は衰える兆しがない。

 港町の丘の洋館。

 その、元大医院のコケ色の扉を開けたとたん少年助手の声が飛んだ。

「僕が早めに来てたからいいようなものの――」

 中学生の助手・海府志儀かいふしぎは学校の帰りに探偵社へ寄るのを日課としている。

「やあ、失敬、失敬。三ノ宮のロゴス書店を覗いたら、つい時間の経つのを忘れてね。お土産にユーハイムのバウムクーヘンを買って来たよ。これで許してくれたまえ」

「わあ! やったぁ! バウムクーヘンは大好物――って、それどころじゃないよ! 大変だよ! 今、誰が来てると思う?」

「ほう? 依頼人かい。そりゃ、珍しい」

「それもタダの依頼人じゃない、これ!」

 少年が差し出した名刺を見て、流石に探偵も目を瞠った。


「神奈川県警察部・横浜山手署。警部補 弓部一騎ゆべかずき……?」



 弓部警部補は、赤、青、黄、緑……古風なステンドグラスの光が踊る興梠探偵社の事務室で、チューダー様式の黒い革張りソファにピンと背筋を伸ばして座っていた。

 出された紅茶に口すらつけていない。

「お待たせして申し訳ありません。弓部さんですね?」

 助手に渡された名刺を持ったまま自己紹介をする。

「僕が当探偵社の探偵、興梠響こおろぎひびきです」

「弓部と申します。――はじめまして」

 警部補は立ちあがって頭を下げた。年の頃は30代前半。長身でがっしりした体躯。広い肩幅は学生時代、ラグビーか水泳でならしたに違いない。浅黒い肌だが、面貌は優し気だ。

「突然の訪問をお許しください。内容が内容なので、直接お会いしてお話ししたほうが良いと考えたのです」

 弓部は今朝9:27発の〈つばめ〉でやって来たと告げた。1934年に丹那トンネルが開通して東京―神戸を9時間で走破できるようになった。この列車は〝超特急〟と呼ばれている。

「時間がないので、単刀直入に言います。我々横浜山手署は現在とても面妖な事件に頭を悩ませています」

「?」

「貴方はこの種の案件にお強いとお聞きして、ぜひともお力をお借りしたいとやってきました」

「へえ! 凄いや! 興梠さんも名を上げたもんだね! 警察直々の協力要請なんて……!」

 新しいお茶を運んできた助手が声を上げる。

「フシギ君、君は黙っていなさい」

 たしなめた後で興梠は助手を紹介した。

「こちらは海府志儀君と言って、僕を手伝ってくれている……アシスタントです」

 少々戸惑いながら警部補は少年にも挨拶した。

「よろしく、海府君」

「こちらこそ、よろしく! 警部補さん!」

「それで、面妖な事件とは?」

「これをご覧ください」

 弓部はブリーフケースを開けマニラ紙の書類袋を取り出した。中の紙片をテーブルに並べて行く。きびきびした動作から1秒でも無駄にしたくないという若い警部補の思いが伝わって来た。

 眼前に置かれたのは、4枚の封筒と4枚の紙片。

 封筒は何処にでもある白い、定型の縦長だ。問題は紙片の方。



そこには、水彩で描かれた――

人の仮面/耳のある仮面/アイマスク/人の仮面




確かに面妖だ。

 

 弓部警部補が説明した。

「5日前の4月9日のことです。横浜市の貿易商・片岡瑛士かたおかえいじ氏の6歳になるお嬢さんの姿が見えなくなりました。その翌日から毎日、連続で片岡氏の自宅にこのような不可解な手紙が郵送されて来るのです。宛名は片岡氏宛て。差出人は記されていません。消印はいずれも鎌倉市となっています」

 静かに息を吸って、吐く。

「描かれた絵柄については、片岡氏とそのご家族も全く意味が分からないそうです。いなくなったお嬢さんも未だ戻って来ていない。何処にいるのか、その消息もつかめていません」

「つまり、ソレって、誘拐事件ってことダヨネ?」

 少年助手の問いにそちらへ顔を向けて警部補は頷いた。それから視線を探偵に戻す。悲痛に満ちた眼差しで再び口を開いた。

「実は、この片岡氏の上のお嬢さんも、10年前の7歳の春――ちょうど今くらいの時節に行方がわからなくなっています。現在に至るまで消息は不明です」

「!」

「ええええ!?」

 流石に探偵と助手は同時に声を上げた。

 これは、ただ事ではない……!

 身を乗り出す興梠。

「弓部さん、できるだけ詳しく話していただけませんか? まずはその、上のお嬢さんの件から」

「わかりました」


 弓部警部補は険しい表情で語り始めた――




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