【短編】一途な幼馴染みと塩ラーメン

上下左右

人生やり直してみた

人生をやり直したい。


誰しも一度は願う言葉だ。過去に戻って失敗を帳消しにしたい。掴み損ねたチャンスを手にしたい。願う理由は人の数だけあるが、現状に不満が多い者ほど、この祈りはきっと強くなる。


僕の人生も幸せとはほど遠い。


会社に向かうだけの毎日。消費していく時間。何が楽しくて生きているのか。

金がなければ、友人もいない。浮いた話もありはしない。


思えば人生が充実していたのは子供の頃だけだった。その頃の僕はクラスで一番の人気者で、スポーツもできて、テストではいつも満点だった。


さらには子供ながらに恋人もいた。今となっては顔も名前も思い出せない幼馴染みの恋人は、クラスで一番可愛い女の子だった。毎日外が暗くなるまで二人だけで遊び、手を繋いで家路につく。大人から見れば微笑ましい関係性を築いていた僕は、将来彼女と結婚するのだと漠然と思っていた。


だがそんな幸せな日々も突然崩れ去った。彼女が親の都合で引っ越してしまったのだ。それからというもの、学問もスポーツも上手くこなせなくなった。なんてことはない。僕は彼女の前で格好を付けるために、努力をしていただけなのだ。だから努力する理由がなくなれば、堕落するのは必然だった。


人生をやり直したい。ため息を吐く僕の眼の前に一軒のラーメン屋が飛び込んできた。幸福亭。昔ながらの店構えに興味を惹かれ、僕は店の中に入った。


「いらっしゃい」


狸顔のおじさんが笑顔を浮かべながらカウンター席へと僕を案内する。店内には誰もいない。流行っていないのか、それとも偶々誰もいないのか。結果はラーメンを食べてみればすぐに分かる。


「この店にはどんなラーメンがあるんですか?」

「お兄さんは塩ラーメンだね」

「僕だから塩ラーメンですか? この店だからではなく?」

「そう。お兄さんは塩ラーメン。一杯500円ね」

「まぁ、500円なら良いか・・・・・・」


おじさんの回答に釈然としないままも、僕は塩ラーメンを注文する。数分後には、白い湯気が立ち昇る塩ラーメンが僕の眼の前に現われた。


透明なスープと、具材のチャーシューが僕の食欲をそそる。早く食べたい。僕は無意識の内に、ラーメンを啜っていた。


「このラーメンを食べた人はね、皆人生をやりなおせるんだ」

「幸福を呼ぶラーメンということですか?」

「幸せになれるかどうかはお兄さん次第さ」

「それなら僕は幸せだ。500円でこんな旨いラーメンが食べられるんだから」


気づくとラーメンを完食していた。こんなに満足した食事は久しぶりだった。


次の日、再びラーメン屋に行くと、今度は店内に人がいた。黒髪の女性だ。後ろ姿でも美人と分かる女性の隣に僕は案内される。


「ラーメンください」

「あいよっ」


僕がラーメンを注文すると、続くように隣の女性もラーメンを注文した。横目で女性の顔を盗み見る。整った目鼻立ち、優しそうな表情は、僕が今まで見てきたどんな女性よりも魅力的だった。


「ラーメン、お待ち。お兄さんが塩ラーメンで、お姉さんが味噌ラーメンだ」

「え、味噌ラーメンがあるんですか?」


僕はてっきり塩ラーメン専門の店かと思っていた。だが隣の女性の眼の前には美味しそうな味噌ラーメンが置かれている。


「お兄さんは塩ラーメンだけだ。逆にお姉さんも味噌ラーメンだけ。それがあんたたちにとっては一番良い」


妙に説得力のある言葉に、僕は何も言い返せなくなる。一流の料理人は客を見れば何を望んでいるか分かると云う。そのようなものかと、無理矢理納得することにした。


「お兄さん、お兄さん」


誰かが僕の服の裾を引く。それが隣に座る美女だと気づいたのは、数瞬後のことだった。


「あ、はい。なんでしょうか」

「もし良ければ私の味噌ラーメンと、お兄さんの塩ラーメン。食べ比べしませんか?」

「いいんですか?」

「私も塩ラーメンを食べてみたいんです。ぜひとも私の方からお願いします」

「ならお言葉に甘えて」


僕らはお互いのラーメンを交換し、味噌ラーメンを啜った。店主の云うとおり、塩ラーメンの方が美味しく感じる。だが味噌ラーメンも、今まで食べたラーメンの中では格段に旨かった。


それからの僕は毎日このラーメン屋に通った。そして隣には名前も知らない美人の女性が座り、お互いにラーメンを交換した。


名前や連絡先を知りたいとは思わなかった。僕は、友人ではなく他人でもない彼女との距離感が気に入っていた。


だがそんな毎日が続いたある日のことだ。僕の人生は唐突に変化した。


「今日はお姉さんはいないんですね?」

「さっき帰ったところだ。タイミングが悪かったな」

「残念ですが仕方ないですね。まぁ、明日には会えるので我慢します」

「お兄さんには悪いが、それは無理だ。お姉さんはもうこの店にはこないからな」

「え?」


おじさんが発した言葉で、僕の心臓は早鐘を打ち、足は震え始めた。


「どうして来ないんですか?」

「お姉さんは人生をやりなおしたんだ」


おじさんの言葉に、僕は彼女が結婚でもしたのではないかと推測した。彼女の美貌なら、相手には事足りないだろう。


「彼女は幸せになったんですか?」

「分からん。それはお姉さん次第さ」

「・・・・・・・・・・・・」

「お姉さんには好きな男がいたんだよ。子供の頃からずっと慕い続けてきた男がな。けれど好きな気持ちは忘れられないのに、名前も顔も忘れてしまったらしくてな。彼女は夢の相手に恋するように生きてきたのさ」

「・・・・・・・・・・・・」

「一方的な片思いは辛いもんだ。特に名前も顔も分からないんだ。心が張り裂けそうな気持ちだろう。だから彼女は人生をやり直すため、その男のことを忘れることにしたそうだ。人生をやりなおしたんだ」

「そうですか・・・・・・」


振り絞った言葉をかき消すように、店主はラーメンをテーブルの上に置く。いつもの塩ラーメンを前にして、気づくと僕の目からは涙が流れていた。


「・・・・・・今日のラーメンは一段としょっぱいですね」


塩ラーメンを啜る僕は走馬燈のように、忘れていた幼馴染みの少女の顔を思い出す。笑った顔や怒った顔は昨日まで僕の隣にあった顔と同じ顔だった。


「どうした。全部食べないのか?」


箸を置いた僕を見て、店主は訊ねる。


「おじさん、僕、人生をやり直してきます」


お代をテーブルの上に置くと、僕は店を勢い良く飛び出した。幼馴染みの少女と二人でラーメンを食べる。そうすればきっと、僕は人生をやりなおせるはずだから。


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