雨の日はオムライスにサラダを添えて

なぎのき

雨の日はオムライスにサラダを添えて

 その日は朝から雨が降っていた。

 時折、風に吹かれた雨粒が、窓ガラスにぶつかり大きな音を立てる。

 どこかに出かけるとか、そんな約束は入れていなかったが、渡すならどこか雰囲気のある場所がいいな、と思ってはいた。

 だが。

「今日は出かけられないねぇ」

 サナがのんびりした口調で、特に残念そうでもなく、そんなことを口にした。

 出かけようと思えば出かけられる。

 でも。

 サナの言う通り、家でのんびり過ごすのも悪くないと思った。

「ねぇ、ユキ」

 笹川ささがわサナは、僕──金堂こんどうユキトを『ユキ』と呼ぶ。女みたいな呼び方なので辞めて欲しいのだが、何度言っても聞き入れてくれない。まぁ、何年も『ユキ』と呼ばれ続けているので、僕はもう諦めている。

「なに? サナ?」

「久し振りに作ってよ」

「えー? か?」

「そそ、

 サナは、悪戯っ子のように、コロコロと笑って見せた。

 ──仕方ない。

 というわけで。

 サナのふとした思いつきで、を作ることになった。


 『シーフードオムライス』を。


 *


「いいかい? を作るからには、サナはお客さんだ。テーブルで大人しくしてなきゃならない」

「はいはい」

 サナはニコニコと笑いながら、テーブルに両肘を付き、頤を乗せ、キッチンに立つ僕を眺めていた。

 シーフードオムライスを作る時はいつもそうだ。

 僕が学生の時、バイト先で覚えた作り方。

 だからサナには手伝わせない。

 ──さて小麦粉は、と。

 ホワイトソースがあれば何の手間もかからないのだが、僕はそこから手を付ける。

 小麦とバターを、ダマにならないようしゃもじで炒める。これが難しいのだ。

 分量と火力、そして炒める速度。

 このどれかをミスれば、もう一回やり直し。

 ──良し、上手くいった。

 フライパンの上には、綺麗な乳白色の玉。

 これに牛乳を少しずつ入れ、さらに煮詰めていく。ついでに塩を少々。愛情も少々。

 ホワイトソースの完成だ。

 さて、次は。

 冷凍されたシーフードミックスの袋を開ける。

 一旦流水でさらし、鍋に火をかけ、ざらざらとエビやらイカやらを投入。

 熱で彼らがその形を取り戻していく。

 ──臭みを消さないとな。

 ここで日本酒の登場だ。

 あまり入れすぎると味が染みついてしまう。あくまで魚介類の臭みを消すのが目的だ。

 さっと振りまき、軽く炒める。

 頃合いを見て、先ほど作ったホワイトソースを投入。

 軽く混ぜ、後はじっくり煮込む。じっくりと言っても数分ほどだ。

 この間で、オムライス側の仕込みをする。

 まずはバターライスだ。

 玉葱、ベーコンを細かく刻み、フライパンでバターと一緒に軽く炒める。炒めすぎると玉葱の食感が失われてしまうので、ほどほどに炒める。

 これはもう勘の世界だ。

 良い香りがし出したら、炊飯ジャーからご飯を投入。二人分なのでそんなに多くはいらない。

 ジャッジャッっという音と共にご飯の水分が抜け、白米の色がバターの色になったら頃合い。

 一旦火を止め、フライパンからバターライスを皿に盛り付けておく。次に控える卵を焼くためだ。

 ──さぁ次は卵だ。

 フライパンをさっと洗い、コンロに乗せる。

 そして二人分、四つの卵をボウルに割る。

 片手で持ち、ボウルの隅にこつんと当て、手を開くようにして卵を割る。

 バイト時代、両手で一〇〇個の卵を次々を割ったその経験は、まだこの手に残っている。

 殻は落とさない。これは僕の特技の一つだ。

「いつ見ても凄いよねー。その割り方」

「んー? まぁ慣れてるから。でも片手で割る必要ってないよな」

「でもなんかプロっぽい」

「そうかな?」

「そうよ」

 褒められれば悪い気はしない。

 バイト時代、この技を叩き込んでくれた店長に感謝だ。

 ボウルに入った四つの卵。

 これに、砂糖少々、塩少々。そして牛乳を少々。

 ふんわりと焼くために必要な材料だ。

 後は菜箸で、空気を入れるようにかき混ぜる。

 そして、フライパンをキッチンペーパーで拭い、油を引く。

 中火くらいがいい。

 油が全体にいき渡る。ちょっとここでかき混ぜた卵を垂らしてみる。

 すぐに火が通る。頃合いだ。

 僕はボウル片手に、レードルで卵を掬い、フライパンに落とす。二人分なので半分だ。

 じゅう、という音と共に、卵が白濁していく。

 ここからは時間との勝負になる。

 全体に火が通る寸前、半熟の状態でさっとかき混ぜる。

 さっとだ。

 半熟の状態で次の行程に進む。

 火から上げ、フライパンの持ち手の向こう側にバターライスを乗せる。

 そしてもう一度火にかけ、菜箸で手前から奥に卵をフライパンから剥がしていく。

 火加減や油の温度、焼け具合で、失敗か成功か、そのどちらかが決まる。

 クライマックスだ。

 幸いにも、すんなりと卵は剥がれた。

 ──良し、今だ!

 僕はちょっと深めの楕円形の皿を用意していた。なぜ深めの皿なのかは、後のお楽しみだ。

 その皿にフライパンを逆手に持って、覆い被せるようにし、オムライスの形を象っていく。

 すっと皿に乗るオムライス。

 綺麗な、絹のような生地。ふっくらした感じもいい。焦げ目もない。

 成功だ。

 なのでこれはサナの分にしよう。

 次に焼くのは僕の分。

 同じ手順で、さっとオムライスを皿に盛り付ける。

 うん。

 いい感じだ。

 この頃には、シーフードソースもいい感じで出来上がっている。

「良い香りねー」

「だろ?」

 部屋の中は、バターの焦げた香りとホワイトソースの香りでいっぱいだ。

「後は、それホワイトソース、かけるだけでしょ?」

「いや?」

「え?」

 サナは言葉通り「え?」といった顔をした。

「今日はちょっとひと工夫する」

「ひと工夫? 何をするの?」

「それは出来てのお楽しみだよ」

 僕はそれだけ言うと、冷蔵庫からピザ用のチーズを取り出した。

「それがひと工夫?」

「まぁね」

 まだ手の内は明かさない。サナには、それなりに驚いて貰わないと困るのだ。

 さて。

 金色の輝く二つのオムライス。

 乳白色のシーフードソース。

 ──上出来だ。

 僕はそれらに満足しつつ、オムライスにシーフードソースを流し込む。

 皿が深いのは、オムライスをソースで浸すためだ。

 そして。

 その上にチーズをたっぷり乗せる。

 そう。

 たっぷりだ。

 そして僕は、レタスを冷蔵庫から取り出し、外側の葉を捨て、一口大の大きさに刻む。

 ついでに見つけたプチトマトも拝借。

「ドレッシング、あったかな?」

「サウザンドアイランドならあるわよ」

「いいね。それにしよう」

 サラダ用の小鉢を用意し、刻んだレタスとへたを取ったプチトマトを乗せる。

 ──さぁ、最終工程だ。

 僕はチーズで盛り上がっているオムライスを電子レンジに入れた。

 二分くらいかな?

 目盛りを合わせスタートボタンを押す。

 もう一つあるので、都合四分だ。

「さぁ出来た」

 僕は二つのオムライスを持ち、キッチンの端にそっと置く。チーズの香りと共に湯気が立ち上る。

「あ、ドリアみたい!」

 サナが嬉しそうに手を合わせる。

 そう。

 これはドリア風シーフードオムライス。

 オムライスにシーフードソースをかけ、その上にチーズを乗せる。

 そしてレンジで温めることでチーズが溶け、とろりとした食感を味わえる。

 エビやイカ、そして大振りなシジミがソースと絡み合い、絶妙なハーモニーを奏でる。後はお好みでタバスコを一振りすると、さらに味が引き立つ。

「はい、完成」

「わー、美味しそう!」

 サナはテーブルから動かない。

 今日はサナはお客さんだ。

 だからテーブルまで運ぶのは僕の役目だ。

「お待たせしました。ドリア風シーフードオムライスです」

 僕が調理している間で、テーブルの上をサナが片付けてくれいた。

 緑系のランチョンマットが二つ。これもサナが置いてくれたものだ。

 ことり。ことり。

 僕はそこにオムライスの皿を置き、その脇にちょっと大きめのスプーンと、レタスとプチトマトの彩り豊かなサラダ入りの小鉢を並べた。

 最後に、サラダにサウザンドアイランド・ドレッシングをかける。

 狭いテーブルの上は様々な色で彩られ、そこだけがまるで別世界の色彩を切り取ったかのようだ。

 都内のアパートは、部屋は狭いが二人で食卓を囲むには充分。

 (多分素敵な)ランチタイムの始まりだ。


「さぁ、召し上がれ」


 *


「いただきまーす」

 サナの嬉しそうな表情。

 僕はたまに、こうして料理の腕を振るう。

 ツナ缶にマヨネーズとピクルスを刻んだものを和え、トーストしたパンにレタスをしいて、それにスライスしたトマトとツナベースを挟み、サンドウィッチを作ったりもする。

 もちろん、パンの耳はカットし、綺麗な三角形に形を揃える。

 本格的な料理とまではいかないが、ランチメニューならバリエーションの自信がある。

「美味しい?」

「美味しい!」

 サナの顔に驚きの表情が浮かんだ。

「ドリアって、ミートソース系が多いと思ってたの。だからシーフードはどうかなーって」

「うん。それで?」

 僕は笑みをたたえ、サナの言葉を待つ。

「口に入れた瞬間、なんか色んな香りが混ざって……。チーズとかイカさんとか……こんなに合うなんて、もうびっくりした!」

「そっか。お口に合いましたでしょうか?」

「もちろん!」

 サナは本当に美味しそうに食べる。作った甲斐があったというものだ。

 僕はそんなサナを眺めつつ、チーズを絡めながら具材とバターライスをスプーンに乗せる。

 口の中に放り込むと、魚介の香り、そしてホワイトソースの滑らかな食感、パターライスのしっかりとした味が主張し合い、ハーモニーを奏でる。

 我ながら、そして久し振りだが上出来だ。

 雨が降ったのは予定外だが、それ以外は予定通りに進みそうだ。

 僕はジャケットのポケットの中を意識した。

「ねぇ、サナ」

「ん? なぁに?」

 オムライスを頬張ったまま、サナが顔を上げた。

「ぷっ」

「あ、笑ったなーっ! なぜだーっ!」

「いや、だって。口元にドレッシングがついてる」

「ええっ?」

 慌てて、テッシュを使い口元を拭うサナ。

 そんなサナを、僕は愛おしいと思う。

 大ざっぱだけど、明るく元気なサナ。

 たまに喧嘩したり、料理の塩を砂糖を間違えたりするけど、そんなことは些末な問題だ。

「三年目なんだよね」

 口元を懸命にテッシュで拭っているサナは、その手を止め、僕を見た。

「え?」

「僕たちが一緒に暮らし始めて、三年経ったんだよ」

「え? 今日で?」

「そう」

 僕は微笑みながら、スプーンを口に運ぶ。

 自分が作ったオムライスを食しながら、ジャケットのポケットの中に手を入れる。

 そこには小さめの小箱が入っている。

 サナの指のサイズは知っている。

 だからきっと似合うはずだ。

「これはさ。僕の決意表明なんだよ」

 僕はそれを、そっとテーブルの上に乗せた。

 誓いの言葉と共に。

「未来永劫、姫様の意向でランチをお作り致します」

「ええっ?」

 サナは目を見開いた。スプーンが空中で止まっている。

 これはサプライズだ。

 僕はサナの驚く顔が見たかった。オムライスをドリア風にしたのは、その伏線だ。

 大成功、かな?

「これを……私に……?」

「開けてみなよ」

 サナはそっと小箱を手に取る。でもきっと、開ける前から中に何が入っているか知っているはずだ。

 スプーンを置き、サナの両手が箱にかかる。

 と──。

「と、ととととりあえず、食べてから、食べてから。せっかくユキが作ったオムライス、冷めちゃ美味しくないし。ね?」

 再びスプーンを手に、オムライスを食す彼女だった。


 了

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