第8話 激突! 梅雨の体育館争奪戦②

「男らしくかかってきやがれ!」

「言われなくったってなぁ! やってやろうじゃなぇか!」

 

 ジメジメ、ムシムシする居心地の悪い体育館での対決は両者一進一退の攻防を繰り広げていた。ただし双方、意図的に直接選手同士を狙う危険球が増え、スポーツと言うよりも抗争のようなたいを成してきた。一人一人が流す汗は青春の爽やかさとはまるでかけ離れている。

 あっちが当てればこっちも当てる、それに怒ってまた反撃。ヘルガイストによる相手への敵意の増幅は想像以上に深刻だった。だがそれを止める者はこの場にいない。時間が経ってヘルガイストの力の範囲が体育館全体に及んでしまったのだ。

 観戦している側も、それまで公平にジャッジしていた審判ももれなくヘルガイストによって闘争心を高められていた。よりによって晴明もこの暑さにやられたのか、ヘルガイストの存在に気づくことなく、彼まで一緒になってこの無茶苦茶な試合に加担している。誰もが目をグルグル回し、正気ではない。

 その様子を見た榎戸はジャシーンと笑う。


「見ろ、ジャシーン! あの阿倍野晴明までもがヘルガイストに操られているぞ。」

『ああなれば奴も骨抜きだな。恐るるに足らぬ』

「Dタイザンも呼べず、無様なままヘルガイストに飲み込まれるがいい!」


 向かうところ敵なしといった榎戸は、最後の仕上げとばかりに成長したヘルガイストを寄生元から開放させようとする。瞬間、となりに立っていた生徒が彼に絡んでくる。それも1人、2人だけでなく複数人が一斉に。急な出来事に怯んだ榎戸は術をかけそびれてしまう。


「おいおい、ナニ陰気くさい顔してんだ! こんな盛り上がる戦い、きょうびテレビでも見られねぇぞ!」

「一緒に盛り上がろうぜ!」

「わっ! 何をするんだ!」


 肩に腕を回し、試合観戦を強要してくる。その絡み方はさしずめ酔っ払いのごとく、面倒なものだった。自分が蒔いた種とはいえこればっかりはたまらない。

 そういった人間の対応に不慣れな榎戸は無理に振り払うこともできなければ、強気に出ることもできず、ジャシーンに助けを求める。だがエレメント体のジャシーンではどうしようもない、自力でどうにかするように促す。

 榎戸にとっての不幸はさらに続く。


(ま、まずい……! あれは日吉めぐるに、その後輩の繁岡サキ……)


 先ほど両チームの対決を「下らない」とバッサリ切り捨てて、自主練をしに行っていためぐるが体育館の騒ぎに妙な引っ掛かりを感じてサキと一緒に戻って来たのだ。

 榎戸は正気を失って盛り上がる生徒たちに体をがっしりと固定されたまま身動きが取れず、めぐるたちの事を眺めることしかできなかった。



 ☆☆☆☆☆



 もみくちゃにされる榎戸がもがき苦しむ中、体育館に戻って来ためぐるたちはカオスな状況に一瞬、言葉を失う。


「な……! どうなってんのコレ!?」

「様子がおかしい、ってレベルじゃないですよね……。みんな目が座ってますし……」

「きっとヘルガイストの仕業に違いないわ!」


 変わり果てた生徒たちを見てそう確信するめぐる。

 その隣に立つサキがおよそ化け物にでも出会ったかのようにおびえていると、目の前に頭のネジが数本飛んだ晴明が見たことも無いようなテンションで現れる。変わり果てた姿に「せ、先輩!?」と困惑の表情を浮かべる。

 晴明は焦点の定まらない目をしたまま、「お前も巻き添えをくらいたいのかーッ」などと叫んだかと思うとバッと両腕をあげて彼女に襲い掛かろうとする。めぐるは手を出させまいと、素早くサキの前に彼女をかばうようにして立ち、晴明の頬に往復ビンタをお見舞いする。


「このアホ! あんたが理性を失ってどうするの!」


 頬を打たれた晴明は一瞬フッと意識をどこかへ飛ばすかのように目を閉じてふらつくものの、次の瞬間には目をパチクリと開いて、あたりを確認するように見回す。強引な方法だが効果はあったようだ。めぐるとサキは両手を合わせて彼が正気に戻ったことを喜ぶ。


「あれ……、俺はいったい何してたんだ? ってか何だこの状況!」

(しまった! 阿倍野晴明の奴が我に返ってしまった……)


 晴明の回復に榎戸は不景気そうに眉間にしわを寄せる。それはジャシーンも同じだった。せっかく晴明を倒すことのできるチャンスであったにもかかわらず、思わぬ邪魔が入ったことで計算が狂い、討ち損じてしまった。


「晴明! あんた気づかないうちにヘルガイストに操られてたのよ!」

「何っ、ヘルガイストだと……!? 言われてみれば、なんて強烈な邪気なんだ。体育館全体にまで染み渡ってるぞ」


 晴明の体はヘルガイストによって増幅された悪念によって押される。榎戸は仕方ないとばかりに周りの人間に聞かれることも構わず術式を唱えてヘルガイストを強制的に実体化させる。

 凌平や拓真たちの体の中から染み出し、狂乱状態だった彼らは、糸の切れた操り人形のように動きが止まり、バタバタと倒れていく。やっと解放された榎戸はヘルガイストを操りながら、ジャシーンの水晶を拾い上げて体育館2階の放送室に身を潜める。生徒たちから出て来たゲル状のドス黒い液体は榎戸の指示通り、まるで生きているかのようにビチビチと動き回って、雨降る体育館の外へと出ていく。晴明たちもそれを追って外へ向かうと、広い場所は出たからか、液体たちはひとまとまりに集まって大きなシルエットを形作る。

 そして出来上がったヘルガイストは『オォォォン!』と咆哮ほうこうすると、まだ人の残る校舎に向かってズシン、ズシンと向かっていく。職員室の窓から近づいてくるヘルガイストを見たゴリ松は驚きのあまり口にしたコーヒーを思わず噴き出した。ほか教員や生徒たちも慌てて逃げ出すものの、スライムの化け物はすでに建物の目前にまで迫って来ていた。

 ヘルガイストは自由自在に形を変えることができるようで、体内から2本の腕を出現させる。なにをするのかと思いきや、その腕で校舎をつかむと、口を大きく開け、校舎を丸ごと捕食しようとする。

 そんなことはさせまいと、晴明は急ぎユニフォームのポケットからお札を取り出してそれを高くかざして叫ぶ。


召喚サモン! Dタイザン!」


 お札から伸びた光が天を突き、亜空の彼方から姿を現したDフライヤーは今まさに校舎を襲わんとするヘルガイストに体当たりを食らわさせ、跳ね飛ばす。ヘルガイストが倒れている隙に、Dフライヤーはクルリと宙返りすると晴明を吸い上げ、「Dタイザン、ディフォーム!」の掛け声とともにロボットモードへと変形する。

 ブニブニと身体をうねらせ、やっと立ち上がった化け物に対して上空から蹴りをお見舞いする。再びひっくり返った相手に対して、Dタイザンは人差し指を突きつける。


「争い事に乗じて、人の闘争心をいたずらに膨らませるヘルガイストめ、このDタイザンが胸の五芒星に代わって成仏させてくれる! ショルダ・ブラスター!」


 Dタイザンの肩部から伸びるキャノン砲が火を吹く。撃ち込まれた弾丸はヘルガイストが口を開けて飲み込み、体内でボンッと破裂する。だが驚くべきことに、スライムヘルガイストはその爆発を吸収してしまい、傷一つつかなかった。


「なっ! コイツ、ショルダ・ブラスターが効かないのか……!」


 攻撃が効かないと分かると思うが早いか、態勢を立て直したヘルガイストはDタイザンに向けて腕を伸ばし、機体にぐるぐると巻きつける。拘束されたDタイザンはランバス・ミサイルを撃ち込んで抵抗するが、甲斐なくほどくことは出来ない。

 それどころかヘルガイストは大口を開けてDタイザンにジリジリとにじり寄ってくる。バクリとかぶりつかれた機体は化物の体内へと飲み込まれる。

 ジタバタと暴れてみせるが、まるで底なし沼にでも捕まったかのように張り合いなく、脱出できない。タイザン・ファルクスで内側から切り刻んで脱出を試みるが、そもそも表面まで届かない。


「「晴明(先輩)ッ!」」


 Dタイザンの状態を外から見ていためぐるとサキが同時に絶叫する。コクピットにいる晴明にも分かるほどに機体の装甲がヘルガイストの体液によって溶かされていたからだ。また溶解にともなう発熱により機体温度まで上昇し始め、まるで蒸し風呂に入れられたかのごとく熱気がこもり、晴明の体力はじわりじわりと削られていく。


(あ、暑い……! チクショー、目まで霞んできやがった……!)


 異常なほど吹き出す汗が彼を脱水症状におちいらせる。だが、もがけどもがけどDタイザンは虚しくもヘルガイストの体内に捕らえられたまま逃げ出すこともできない。

 全てはこの柔らかい身体が原因である。


(……せめて、せめてコイツの体が少しでも硬ければ)


 薄れ行く意識の底で、晴明はあることを思い出していた。


(まてよ、Dフライヤーの体当たりと、Dタイザンのキックは奴に効果があった……)


 最初に繰り出した攻撃は間違いなく通っていた。そこで気づく。晴明は勘違いをしていたのだ。

 このヘルガイストはスライム状ではなく、水風船のように外皮が水分を包んだつくりになっていたのだった。巨大化になるまでの過程と自由自在に伸びる外皮に騙されていた。

 ならば脱出する手立ては一つしかない、ファルクスが効かぬと思い試すのを諦めてしまった方法。チェーン・シャクジョウで突き破る手段をとる。


「頼むぞ……チェーン・シャクジョウ!」


 Dタイザンはシャクジョウを手に取って、両腕で構えると、槍を使うかのように刺突しとつする。シャクジョウの尖った先がヘルガイストの表面に触れると、グッと押し込まれる。

 手応えがあった。

 だが、貫くにはあと少しばかり長さが足りない。しかしその程度のこと、チェーン・シャクジョウには問題ではなかった。


「貫けぇぇぇ!」


 Dタイザンがシャクジョウのスイッチを押すと、ジェット噴射により勢いよくチェーンが伸び、ヘルガイストの外皮を内側から思いっきり引っ張る。シャクジョウの伸びる勢いもいつまで持つかは分からない。そのままチェーンが下手ってしまう恐れもあるからだ。

 だがそれも杞憂であった。ヘルガイストの外皮は存外薄く、シャクジョウでついに突き破る。

 Dタイザンのあけた穴から化物の体液が溢れ出す。液が抜けてヘロヘロになったヘルガイストの皮を破って這い出たDタイザンはタイザン・アミュレットを取り出す。


「散々な目に合わせやがって、もうおしまいだ! ドーマンセーマン、現世の恨みごとヘルガイストを燃やし尽くしてしまえ! 必殺、エクスペル・バーン!」


 雨ぐらいでは簡単に消えそうもないような業火は一瞬にしてヘルガイストに巻きつくと、いとも簡単に消滅させた。様子をうかがっていた榎戸は、またもDタイザンに敗れてしまった悔しさに舌打ちする。だがすぐに切り替えて、今度は巻き添えを食う前に、足早とその場を後にする。

 化物が消え去るとしだいに雨が上がり、雲の隙間から夕陽が差し込む。後光のような天然のスポットライトが幻想的な雰囲気を醸し出しながら、Dタイザンを照らした。



 ☆☆☆☆☆



「で、今回の発端はいったい誰なんだ?」


 意識を取り戻した野球部・サッカー部をはじめとしたキックベースの関係者はゴリ松に正座させられていた。一番先頭には両部活の部長がおり、彼らはそれぞれに責任をなすりつけあっていた。

 事実、榎戸の術によって、彼が仕掛け人だという記憶をすっぽり抜き取られていたからだ。そんなことは知らないゴリ松はいつまでも言い争いを繰り広げる2人に対して鉄拳制裁を加え、今度の騒ぎに加担した者全員に対して1週間、校内美化を徹底的に行うようにとの沙汰さたを下す。

 晴明は内心ヘルガイストを倒したのに、と不服であったがここで盾ついて余計に重い処罰を喰らわさせられるよりかはマシだと思い、静かに受け入れた。



 ☆☆☆☆☆



 後日、晴明たちが校内を清掃しているとめぐるがサキを連れて冷やかしに来た。


「ちゃんと掃除しとるかね? 学校をきれいにしてもらわにゃ困るよぉ〜?」

「見りゃ分かるだろ、毎日真面目に掃除しとるわ!」

「せっかくヘルガイストを倒したのに大変ですね、晴明先輩。頑張ってくださいね」

「ありがとうサキちゃん。そんなことを言ってくれるのは君だけだ……」


 煽ってくるめぐるに対して、優しい言葉をかけてくれるサキに晴明はついうっかり手に持っている雑巾でホロリと流す涙を拭きかける。紙一重のところで気づいて顔から離すと、廊下の向こうで言い争いが聞こえてくる。


「待てや国立! ここは俺が掃除してる場所だぞ、テメェは便所掃除でもしてろ!」

「なにィ!? 誰がそんなこと決めた! そんな口の悪いお前こそトイレ掃除がお似合いだ!」

「ンだとこの!」

「やんのか? ア?」


 陵平と拓真は掃除中にお互いのテリトリーを巡って火花を散らしあっていた。晴明たちはまたか、と呆れて、喧嘩を見届ける。


「アレが俺たちの部長で、あの風紀委員の兄とは到底思えないな……」

「確かにね……。部長たちの方がよっぽど似た者同士なんじゃない?」

「アハハ……。あ、薫子ちゃんが来ましたね」


 陵平の妹で風紀委員の薫子がやってきて仲裁に入る。それでもなお言い争いは止まず、薫子はどこかへと立ち去ってしまう。

 簡単に身を引くなんて意外だなと思っていると、遠くの方からドドドド……という音とともに床が振動する。

 音の鳴る方へ目をやると鬼の形相をしたゴリ松が凄まじいスピードで廊下を走り迫ってきていた。晴明らはとっさに端へよけると、ゴリ松は目の前を猛牛の如く横切る。


「ぅお前らぁぁぁぁ!! いい加減にしろぉぉぉぉ!!」


 ゴリ松の怒りの声に気づいた部長らは顔を白くして、2人仲良く逃げ出す。


「待ぁてぇぇぇぇ!!」


 それでもなお追いかける体育教師の背中を見た晴明は、ヘルガイスト以上の恐怖を感じ、熱心に床を磨き始めた。

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