第8話 激突! 梅雨の体育館争奪戦①

 しとしと雨が降り続ける梅雨の今日この頃、湿気たうっとしい空気に当てられて夕柳高校の職員室前廊下で火花を散らしあう2人組がいた。1人は晴明たちの所属する野球部が誇る鬼部長、丹生谷にぶや凌平。一方は爽やかさ気取るサッカー部部長、国立くにたち拓真たくま

 この2人はことあるごとに衝突しては互いにかみつき合う程険悪な仲である。しかしなぜそんな二人がこともあろうに職員室の前でにらみ合っているのかと言うとこの梅雨のせいである。

 雨が降り続けていることにより放課後グラウンドで練習ができず、広い室内、つまり体育館を利用しようと考えてた。そのための利用申請書を相手よりも早く提出せんと朝早くにやって来たのだが、双方考えることは同じようでバッタリと鉢合わせてしまった。


「何持ってんだよ国立。まさか体育館を使おうとしてんじゃねぇだろうな? 俺のが先に来たんだから大人しく譲れ!」

「待て丹生谷、体育館は俺たちサッカー部が使うんだ! 勝手なことをされちゃ困る」

「うるせぇ、テメェらは武道場でも借りて細々と球蹴りしてろ!」

「バカ言うな、お前らこそ校舎裏の渡り廊下でも使ってキャッチボールしとけ」

「ンだとこの!」

「やんのか? ア?」


 互いにの挑発に互いが乗る。胸ぐらをつかみあい、今にも火がついてしまいそうなほど激しく火花を散らし合う部長2人。その頭に出席簿の角が落ちる。


「「イダーッ!」」


 つむじを押さえながら見上げると鬼の形相をした体育教師の松林(通称:ゴリ松)が仁王立ちしながら2人を睨みつける。職員室を覗くとほとんどの教師たちが冷ややかな白い目線を送ってきていた。


「丹生谷、国立。悪いが今は職員会議中なんだ。喧嘩するならよそでやるか、今ここで俺が決着をつけるか選ばせてやる。」


 ドスの利いた言葉に梅雨の雨にも負けないほど大量の冷や汗を流しながら首を横にブンブンと振る両名。ゴリ松は2人の手に持つ体育館利用申請書を見つけると、ひったくるように取り上げる。おもむろに胸ポケットからボールペンを取り出すと、2つ共にサインを書いてそれぞれに突き返す。


「申請は認めてやるから2人とも体育館を利用するんだぞ。いいな!」


 強調された一文に黙って激しくコクコクとうなずき、用紙を受け取る。ゴリ松は職員室のドアをピシャリと閉め、残された2人は顔を見合わせて口角を引きつらせながらヘラヘラと互いをけん制し合うかのように笑い合う。数秒間変な空気が流れたのち、顔を背けて、左右別方向に歩き去っていく。



 ☆☆☆☆☆



「てなわけでだ、ウチとサッカー部の憎いあんちきしょう共と合同利用になってしまったわけだが」

「はぁ……。まぁ別に仕方ないんじゃないですか? 他の部との兼ね合いもあるし……」


 放課後の部室にて事のあらましを聞いた野球部員たちはさも当然とばかりに合同利用についてを受け止める。その中の1人、晴明も同様だった。

 確かに合同で使用するとなると、ただでさえ手狭な体育館がもうひとつ窮屈になってしまう。だがしょせんは体育館、もともと本格的な練習もできないことは誰だって重々承知の上だ。室内用に練習メニューを変えて励めばいい、とその場にいるみんながそう思っていた。

 だが部長の凌平はそうは考えていない。もはやライバル、国立拓真に対する私怨だけが彼を突き動かしていた。


「いーや、奴に我がもの顔されるのは俺の気が済まん。長く続く梅雨のことだ……。少しでも多くのスペースを活用するためにサッカー部を追い出してやるんだよ」

(超個人的な理由すぎる……)

「なんか言ったか?」

「いえ、何も!」


 晴明が小声で言ったにもかかわらず、部長イヤーは地獄耳。ドキッとして、慌てて訂正する晴明を凌平はそれ以上追及しない。もはや野球部はこの部長の恐怖政治に従うほかなかった。

 こうなってしまった凌平をもうだれも止めることは出来ないのだ。部員たちは互い互いに何やら厄介なことになってしまった……、という空気感を放ち、ため息をつく。


「ところでどうやってサッカー部を追い出すつもりなんじゃろうな?」


 凌平以外で唯一、妙に乗り気な康作はソワソワしながら晴明の脇腹を小突いて聞く。晴明は(知るかよ)と思っていたが、やはり耳ざとい凌平は聞き逃していなかった。


「よくぞ聞いた、康作よ。色々と悩んだんだがな、国立と話し合った結果、野球とサッカーを公平に行あるものにしようと言う結論に至った」


(仲良いじゃねぇか!)、誰もがそうツッコんでしまいそうな所を我慢して言葉をゴクリと飲み込む。凌平は「フフフ……」ともったいつけるようにして笑い、疾風怒濤しっぷうどとうに宣言する。


「そんなわけで競技は『キックベース』に決まった」

「「「キックベース!?」」」


 その競技名を聞いて、全員声が裏返ってしまう。キックベースとはつまるところ、野球のルールにサッカー要素を組み込んだ簡単なスポーツである。簡単ゆえにとっつきやすく、この場にいる者は全員、一度はプレーしている。ただし、小学生の頃の話だが。

 そんな衝撃の競技に、同級生の部員の1人がおずおずと凌平に進言する。


「りょ、凌平……。流石にこの歳でキックベースを本気でやるのハズいだろ……」


 凌平はチッチッチッと指を振り、額に手をあてがって何故か妙にキザッたらしいポーズを取って説明しだす。


「野球をすればあっちから不平が出てくる。かと言ってサッカーをすればボールは常に奴らの方だ。そうなりゃ間をとる他ないだろ」


 みんながぽかんとするのも無理はない。何せ言っていることの意味が一つも分からないのだから。それ以前に、小学生が休み時間に行うような遊びを部活中にやることがどだいおかしな話なのだが。


「せ、せめてこの体育館内でできる他の競技にしましょう」

「部活中なんだから、他のことをやっちゃならんだろ。遊んでるんじゃないんだぞ」


(お前が言うな)、再び誰もがそうツッコんでしまいそうな所を我慢して言葉をゴクリと飲み込む。凌平の中でキックベースは既に遊びのくくりではないらしい。彼にとってそれは己の自尊心をかけた真剣勝負であるのだ。

 隣のサッカー部の部室からも似たような不満げなような、驚いたような声が聞こえてくる。部活対抗キックベースは開催されることが決定してしまった瞬間だった。


 ☆☆☆☆☆


 キックベースの準備を粛々と行う野球部とサッカー部を冷笑的に眺める人影が体育館2階のギャラリーにあった。榎戸水鏡と、エレメント・ジャシーンだ。

 準備の段階でも凌平と拓真はいがみ合っており、時折衝突しては後輩たちが止めにかかる。ジャシーンはそんな様子をメラメラと笑いながら榎戸に語り掛ける。


『人間とは実に愚かな理由で争えるものだな』

「全くだ。少しこちらがつついてやればすぐに燃え上がる。でもそのおかげで今日のこの体育館はきっと憎悪ぞうおの念が集まりやすい。ヘルガイストを使うにはもってこいの日和ひよりだ」


 この戦いをけしかけたのは榎戸であった。偶然にも野球部、サッカー部の両部長が火花を散らし合っている場面に出くわし、それを好機ととらえて勝負を提案したのだ。

 頭に血がのぼっている2人は、それがどこの誰だか分からない者の提案だとしても気にせず、むしろノリノリで賛同した。

 何とも御しやすいことか。ただヘルガイストを活性化させるには絶好の機会である。

 それに晴明をその中に巻き添えにできたことが何よりも喜ばしい榎戸は、自身の野望を果たせると内心、期待に胸を膨らませていた。

 そんな榎戸を見たジャシーンはふと気になって彼に尋ねる。


『ところで貴公はやったことはあるのか? そのキックベースとやらを』


 その瞬間、晴れやかだった榎戸の顔は急に暗いものへと代わり、影を見せる。


「少しだけ……ね。参加したとしても僕は組み分けで最後まで残されてたよ……」

『そ、そうであったか……』


 その一言と彼の運動神経の悪さからですべてを察したジャシーンは少し焦ったようになりながら話題を変える。そうこうしているうちに下では準備が整ったようだ。



 ☆☆☆☆☆



「また随分とアホなことしてるわね……」


 呆れるように話すのはバトミントン部に所属するめぐるだ。同じ部の後輩のサキも「アハハー……」と引き気味に苦笑いしている。

 その感想は晴明も同じだった。体育館を使うのは何も彼らだけではない。バド部、バスケ部、バレー部etc.……。だがどの部も半ば強引に練習場所を奪われ、観戦に回っている。小規模な争いがどうも大きくなりすぎている。中には面白がって見に来る連中もいれば、明日の昼食をめぐってどちらが勝つかの賭けを始める者もいる。両部活の顧問も「たまにはいいだろ」とのんきなことを言いながら放任気味だ。

 審判役を買って出たバスケ部のキャプテンは両チームを整列させて挨拶をさせる。メンチを切り合う凌平と拓真を除き、他のメンバーはそれぞれの守備位置に着く。

 先攻サッカー部、マウンド(?)には凌平本人が立つ。

 ボックスに立つ部員に拓真は耳打ちする。


「いいか? 丹生谷がボールを転がして来たら奴のどてっ腹に一発お見舞いしてやるんだ」

「えぇっ! でもキャプテン、そんなことしたら……」

「いいからやるんだ!」

「わ、わかりました」


 拓真の魂胆こんたんとしては、サッカー部の持つキック力を用いてまずは凌平を再起不能にしてしまおうというものだった。足でボールを自在に操る彼らにとってそんなこと造作もない。

 このキックベース、ルール上は野球とはいえ、ボールを蹴るというアクションがサッカー部に有利に働いている。拓真はそれを加味したうえでこの競技に賛成したのである。

 話の決着がつき、審判は「プレイボール!」と合図をする。凌平は手に持って入るサッカーボールをボウリングの要領で転がす。サッカー部員は口の中で小さく「すいません……!」と謝りながら転がって来るボールを蹴り飛ばす。ボールは凌平めがけてまっすぐ飛んでいく。

 そのスピードと威力に「「「危ない!」」」と声をあげるが、凌平は動じなかった。それどころか両手でがっしりとボールをつかみ、顔をあげてニヤリと笑う。審判の「ア、アウト!」という判定を聞くや否や、拓真の方に顔を向ける。


「ここで俺を潰して、試合を有利に運ぶつもりだったか? 国立、いかにもお前の考えそうなことだな。だがそうはさせねぇ……」

「ぐぅっ……」


 その宣言に、緊張していた体育館中がワァッと歓声に包まれる。いきなり激突しあう両者にその場にいる者たち(主に男共)は痺れる。このやり取りがこれまで乗り気ではなかった野球部・サッカー部員たちにも火が付けた。ただの遊びではない、ここには男と男の意地をかけた熱いぶつかり合いがあったのだ。

 その光景を見ていためぐるは、


「バカバカしすぎる……」


 と、サキを誘ってラケットを握り素振り練習をしに渡り廊下へと向かう。2人が後にした体育館では、ことあるごとに歓声があがる。それはもう梅雨の蒸し暑さではないすさまじいほどの熱気を帯びていた。



 ☆☆☆☆☆



「……チィッ、サッカー部の奴らめ。的確に蹴り込んできやがる」

「そろそろ、こっちも反撃と行くか?」

「そうだな、やられっぱなしってのもシャクだしな」


 攻守が入れ替わり、マウンドには拓真が立つ。やられっぱなしでは気が済まない男たちは小声で相談し合うと、1番としてボックスに立つつもりの康作を呼び戻す。康作は首をかしげながら近づいてくると、作戦を聞いて目を見張る。


「そ、そんなことしてもええんですか!?」

「シッ! 声がデケえんだよ!」

「やっていいも悪いもあるか。そもそも最初に仕向けて来たのはあっちだろうが」


 彼らは拓真に初回の報復球をお見舞いしてやろうと画策していた。康作はそれに関しては同意しかねたが先輩らによる圧がハンパではなかった。気は進まないが、とりあえず打席に立つ。

 康作は相手に当てるうんぬんよりも、サッカー部のようにコントロール良く蹴られるかどうかの不安の方が大きかった。そのとき、なぜか以前に晴明と話していた、実にくだらない話題を思い出していた。


「この間マンガで読んだんだが、人間の弱点としてはアゴか腹が挙げられるらしい。だから誰かが襲いかかってきたらとりあえずそこを狙うんだとよ」

「そうなんか。とは言え普通に生きとったら早々人の弱点なんか狙いやせんて!」

「それもそうだな、あっはっはっ――」


 アゴか腹……その2か所が頭によぎったとき、ボールはすぐ足元にまで転がってきていた。慌てた康作がボールを蹴ると、想像以上に勢いづいて飛んでいく。それも拓真の顔を目がけて。

 予想外の軌道に拓真はとっさに避けることができず、もろに顔面にボールを受けてしまう。バタンと倒れてしまう彼にサッカー部員たちが駆け寄る。康作は口を手で押さえながら(やってしもうた!)と震えるが、仲間やギャラリーたちはヒートアップしていく。

 対するサッカー部は「やってくれたな!」とばかりに康作へ憎悪の視線を向け、アゴをさすりながら立ち上がった拓真もキッと睨んでくる。そんな折、ギャラリーに混じって観戦していた榎戸はこの瞬間をチャンスだとばかりに体育館に忍ばせていたヘルガイストの素体に合図を送る。

 それに応えるように、体育館の床からじわりじわりと浮かび上がってくる素体は過熱し合う両チームの足元に絡みついて身体に侵食していく。ヘルガイストにまとわりつかれた彼らは気性の荒々しさに拍車がかかり、相手に対する敵意をよりむき出しにする。今にもつかみ合いの乱闘が始まらんとするような一触即発の状況の中、審判を引き受けているバスケ部キャプテンは冷静に何とかそれを制する。

 体育館が並々ならぬ空気に満たされていることに凌平たちはおろか、晴明さえ気づいてはいなかった……。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る