3 会議
稲城警察署の二階にある会議室には、すでに三十人ほどの捜査員が集まっていた。
この会議室には五人がけの長机が五個ずつ二列に配置されており、部屋の正面には、プロジェクターで映像が投影できる大型のスクリーンが用意されている。合計で五十人までなら一度に収容できるので、今日のような大規模の捜査会議や記者会見などに使われることが多い。
保坂夫妻、及び宇木田高雄殺害事件は、その二つが同一犯による連続殺人事件と認定されてから、当初の十五人体勢から五十人体制にまで増員されている。連日メディアで報道されていることもあって、この事件に世間の
これまで捜査の陣頭指揮を執っていたのは徳島と栗橋の上司である宮部警部補だったが、五十人体制という規模となってくるとさすがにそういうわけにもいかず、警視庁捜査一課の柏木課長、同じく捜査一課の飯塚管理官が捜査本部に乗り込んできている。おそらく今日の捜査会議には、稲城警察署の萩原署長も出席することになるが、実際に捜査員が集めてきた情報を精査し、捜査方針を決定するのは飯塚管理官の役目となっていた。
今回の捜査本部の増強には、いま世間で注目を集めているもう一つの事件、爆弾魔ミスターボムの事件も少なからず影響していた。最初に新宿で起きた爆弾騒ぎの事件が、日を追うごとにその様相を変化させ、いまでは日本各所で模倣犯が現れるという事態にまで発展している。いずれの事件も、家庭用ゲーム機の箱が赤い郵便ポストの下にこれ見よがしに置かれるというもので、箱のなかには決まって古いゲームソフトの画面写真が入っていた。箱が発見されるたびに、担当地区の機動隊に所属する爆弾処理班が出動しているが、爆弾らしいものが発見されたのは最初の新宿のケースだけという有様である。警視庁の見解では、とにかく最初の事件を起こした犯人を捕まえない限り、模倣犯の出現はなかなか止まらないだろうということだが、現状ではそれほど成果が挙がっていないらしい。ミスターボムの真犯人も捕まらず、保坂夫妻と宇木田殺害犯の捜査も進展せずというのでは、警察の威信に関わるというわけだ。
徳島と栗橋が、長内圭一の資料を整理して報告の準備をしていると、正面の入り口から柏木課長と荻原署長が入ってきた。二人とも五十代半ばだが、署長に比べて柏木課長の眼光の鋭さが目立つ。長年、捜査の現場に立ってきた者の緊張感が、課長の周囲にみなぎっているようだった。
遅れて飯塚管理官も入ってきた。細身の躰にグレーのスーツを着こなした、いかにもキャリア官僚といった風体だが、宮部警部補は彼のことを相当のやり手だと評している。年は四十の少し手前ぐらいか。
捜査員たちがだいたい集まったのを見計らって、飯塚管理官が話し始めた。
「皆さん、お疲れ様です。それでは捜査会議を始めましょう。まずは、宇木田高雄の身辺調査。ここからいきましょうか」
会議室の一番後方の列にいた捜査員が立ち上がった。
「捜査一課の亀井です。宇木田高雄ですが、町田の居酒屋に勤める前は埼玉の上尾市に住んでいて、ここで高遠親子と出会ったみたいですね。そのときに勤めていたバーに行ってみましたが、同僚だったバーテンから宇木田の話をずいぶんと訊けました。どうやら芸能プロダクションで働いてたことがあるとか云って、客の女をずいぶんと騙してたらしい。このなかの一人が高遠静江だったようです。宇木田は結局この女遊びを店側に注意されて、居づらくなって辞めたみたいです。あとそこで訊いたんですが、上尾の前は実家のある神奈川県相模原市に住んでいたようです。どうやら実家を出て、医大近くにアパートを借りていたみたいですから、このあたりで守が入院したクリニックの院長と交流があったと考えられます」
「そのときの仕事は?」
「八王子にある食品加工メーカーの倉庫管理課で働いてたようです。高校を出てすぐの就職ですね。五年ほど勤めて退職しています」
「保坂夫妻との接点は、ないですか」
「いまのところそれらしい接点はありませんね。宇木田は神奈川出身ですが、保坂夫妻はそれぞれ長野と鹿児島出身で、東京で出会って結婚してますから」
「わかりました。宇木田の身辺調査で、保坂夫妻との繋がりがあるかどうかを続けて捜査してください。次、児童相談所関連をいきましょう」
徳島が立ち上がった。メモと資料に視線を落として話し始める。
「捜査一課の徳島です。まず前回の会議でご報告した児童福祉司、川田美恵ですが、アリバイが確認できました。保坂夫妻殺害時は町田児童相談所内の夜間勤務中で、所長の剣崎氏と同僚の証言が取れています。宇木田殺害時は、千葉県に住んでいる姉のところに行っていたようです。その日は家に泊まったと、姉から直接証言が取れました」
「姉からということは家族証言ですね。君の印象はどうですか?」
「話した感じでは、嘘はついていないと思いました。あと、姉の夫も証言できるそうです」
実際、川田の姉は明るい性格の人で、妹が泊まりに来た日のことを楽しいエピソードを交えて話してくれた。あれが演技だと考えるのは難しい、というのが徳島の印象である。
「わかりました。あと、天使の盾の書き込みの件も君たちの班ですね?」
「はい、児童相談所から教えてもらったNPO法人、天使の盾で、例の書き込みを書いた人物、長内圭一を特定しました。保坂夫妻と宇木田高雄の両方を、天使の盾のホームページを通じて通報しています。長内はクロス貼り職人、つまり室内の壁紙を貼る職人でして、稲城のアパートと町田のマンションの両方で仕事をしていた模様です。その際に、稲城では保坂真一に、町田では宇木田高雄に会ったと話しています」
「では金槌を知っていたのも」
「本人は宇木田から直接訊いたと話しています」
「アリバイはどうですか?」
「一応は確認できています。自宅にいたと云っていて、妻も証言しているんですが、第三者の確実な証言は取れなさそうです」
長内の妻は、いつも怒っているのではと思うぐらい、不機嫌を表に出すタイプの女性だった。徳島の電話にも、夫のアリバイに関する証言だというのに、すごく迷惑そうに答えていた。
「その長内という人物のアリバイ確認、再度徹底してください。いいですね?」
「はい。こちらからは以上です」
「徳島君のところは、報告書を早めにお願いします。できるだけ詳細に」
「承知しました」
飯塚管理官も、やはり長内圭一は気になるらしいと、徳島は思った。確かに、現状でもっとも犯人に近い人物と、捜査本部の誰もが考えているようだ。しかし、直接会った徳島には、決めつけるにはまだ早いという思いもあった。長内の人となりが、殺人とどうしても結びつかない。
「では、次。保坂香織の足取り担当班」
窓側の席に座っていた年配の捜査員が立ち上がった。メモを見ながら話し始める。
「ええと、稲城署の安岡です。まず保坂香織の当日の足取りなんですが、結局駅のビデオでも調布方面までしか追っかけられなかったこともありまして、方針を変えました。保坂香織の携帯電話は犯人に持ち去られたらしく結局発見できませんでしたが、自宅のパソコンやアパートのなかから見つかった葉書を調べて、知人と思われる者を三百名ほどリストアップしました。今日までこのリストをもとに訊き込みを続けてきましたが、ようやくこれはと思われる人物を見つけまして」
安岡は、資料に目を落としてから云った。
「香織には学生時代から仲良しグループってのがあったみたいですね。いま風に云うと、女子会ってやつですか」
会議室の各所で小さな笑い声が聞こえた。この安岡刑事の風体から女子会という言葉が飛び出すと、確かに妙な感じである。
「このグループのなかで、特に香織と仲が良かった女性がいまして、探しに探して、ようやく彼女と話をすることができました。名前は吉川恭子、年は香織と同じで二十六歳です。あ、スクリーンとプロジェクターを使いたいんで、部屋を暗くしてもらっていいですか」
会議室の最後列にいた捜査員が、壁のスイッチを操作する。部屋の照明が落ちて、いきなり暗くなった。安岡の同僚の男が、プロジェクターが接続されているパソコンを操作して、スクリーンに一枚の写真を投影する。生前の保坂香織が、クラブのようなところでもう一人の女性と一緒に写っている写真が写し出された。このもう一人の方が吉川恭子だろう。
「吉川嬢の話によれば、香織は殺される二ヶ月ほど前に、自分が不倫していると云っていたそうです。旦那に内緒でいい男を見つけた、金払いもいいと、話してたみたいですね」
会議室にいた全員が息を呑んだ。保坂香織は、事件当日に誰かと会っていた。それは夫以外である可能性が高く、性交渉の痕跡も残っている。さらに香織は、三百万円もの大金を何者かから受け取っているのだ。
「その男の情報は?」さすがの飯塚管理官も身を乗り出していた。
「残念ながら、男の名前はわかりませんでした。吉岡嬢は、結局この男の詳細を、保坂香織から何一つ訊けなかったそうです。ただし」
安岡は、パソコンを操作していた同僚に合図を送った。同僚の捜査員がもう一枚の画像を写し出す。携帯電話で撮影したらしい縦長の写真。そこには、ホテルのダブルベッドの上で、半裸でじゃれ合っている保坂香織と男の姿が写っていた。片手にはそれぞれシャンパングラスを持っている。
栗橋が徳島の肩に手をおいた。小声で徳島に語りかけてくる。
「おい、徳島、あれって」
「ええ、先輩。わかってます」
安岡が写真について説明していた。
「この写真が、保坂香織から吉川恭子に宛てて携帯電話のメールで送られてきたそうです。メールの本文は、ただいま不倫中、でした。私は、この男の素性を探ることこそ急務だと考えております」
会議室のスクリーンいっぱいに写し出された写真のなかで、保坂香織の腰を抱いて笑っている男に徳島は覚えがあった。もちろん栗橋も知っている。その男こそ、新宿御苑のオフィスビルで会った天使の盾の代表、木崎義人であった。
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