RB Re-make Ver.1
2032年。
高度に発展進化した科学技術は、ついに神の領域へと到達しようとしていた。
『魂の存在証明』
それはかつて、錬金術から分岐した科学が再び錬金術へと舞い戻った瞬間でもあった。
脳とは別に人が持つもう一つの記憶媒体にして人格形成の核――魂。そしてそれを構成し、世界に内包された霊素子(霊子)の発見。
それらを利用しようと、幾多の大学、企業が軒並み霊魂の研究を始めた。
2038年。
霊子の発見者にして魂の証明者である霊子工学の第一人者、マリア=ウィザーズ女史が更なる快挙を果たすこととなった。
魂魄の人為的分離――いわゆる人為的な幽体離脱技術を擁立したのだった。
それはひとえに、実験段階ながらも人の夢――不老不死への道を切り開こうとするものであった。
そして時代はそこから更に二十年が進むことに――
▽
その鈴の音は乾いた冬の空気に良く響いた。
年の暮れ、雪雲に覆われ寒々とした空の下、僕の目の前には金色の玉を吐き出した八角形の抽選器と、それを見ては激しくもハンドベルを振り回すサンタコスの少女(高校生くらい?)がいた。
白い息を吐いては彼女は告げてきた。
「おめでとうございます。特賞、大当たりです!」
まるで我が身のことの如く嬉しそうな彼女に対し、僕は呆然と受け皿に残る金の玉を見つめるのだった。
「特賞? 僕が?」
「はい♪ 大当たりです! 特賞はな、な、な、なんと!」
いまいちピンとこない僕に対し、
「あの、レンタルボディ利用権なのです!」
言葉にためを入れてみたりと、テンション高めのサンタ女子だ。
「レンタルボディって、あの話題の?」
「はい! 最近話題のヤツです。先週、駅前にできたレンタルボディ屋さんからの提供なんですよ、お兄さん♪」
そう言って差し出してきたのは一通の目録。中を覗けば、レンタルボディ利用権と印刷された紙切れが一つあるだけだ。ありがたみが有るのか無いのか微妙すぎる気が。
そんな僕の表情に気付いたのかサンタ女子は、
「えぇっと、ちょっと待って下さい。確かこちらに……あっ、あった、あった、ありました」
奥の段ボール箱に頭を突っ込んでは一冊の冊子を取り出してきた。
「利用権を提供された際に一緒に渡されたパンフレットです。利用前に一度目を通しておくことをお勧めしますよ」
「はぁ……」
曖昧な返事をしては、僕は利用権と共にパンフレットも受け取った。
レンタルボディとは魂の存在が証明され、人為的に幽体離脱が出来るようになってから始まった心霊工学を用いたサービスの一つで、簡単に要約すれば、身体から抜き取った魂を、仮初めの身体に入れて楽しむサービスだ。
姿に関しては老若男女問わず容姿も自由自在。更に言えば犬猫などの動物は元より既に滅んだ生物から伝説上の架空の生き物の身体まで扱っているレンタル屋もあったりした。
福引きなんて経験したことも無かったから、軽い冷やかしのつもりで引いてみたんだけど……
「まさか、特賞が当たるなんて、夢じゃないよな?」
独り言ちては凍てついた頬を抓ると、じぃーんとした鈍い痛みが伝わってきた。夢幻では無いようだ。
でも、俄に信じられない話だった。
基本、この僕は運が無い方なのだ。さすがに大怪我を負うような不幸とまではいかないが、今まで二十三年間の人生において幸運の女神に微笑まれたことは一度たりとも無い。
実際、このまほろば町へと来たのも、大学の人類学研究室の中で選ばされた実施調査先の中でハズレを引いた結果だったりする。
この町、まほろば町は地球全域を襲った重連災害後も地上に残された僅かな居住区の一つであり、二十世紀を模した街並みを売りにした都市であった。
霊子工学の発展により限りなく魔法に近いほどまでに発展した各種技術。その利便性の幾つかを敢えて封じ、不自由を楽しむ都市――それがまほろば町だ。
最新鋭の月面都市からやってきた人間にとっては正直不自由すぎて大変で、故に大学の研究室で学生に割り振られた実施調査先の中でもハズレそのものだったりする。
そんな町に二ヶ月ほど住み込み、人々の生活を調査するのが僕に課せられた課題だ。
しかし、
「レンタルボディ……か」
何気ない呟きが口を衝いて出た。
頭脳明晰とまではいかないが、そこそこの知性を持っていると思う頭。抜群とまではいかないが、自転車に乗るのに困らない程度の運動神経。顔も体付きも人並み――と、あまりにも平凡すぎるが故に、異性にはもてなかった。
告白したことも何度かあるが、『――って、何か面白みが無くてつまんない』と言われ、断られる。
みんながみんな、同じ様なことを言うのだから、たぶんそれが僕のダメな部分なんだと思う。でも、それが何なのか分からないため、直しようがなかった。
「格好いい身体とか借りられるんだよな……」
もし、もしも。
平凡すぎてつまらない自分とは違った存在――今の僕じゃない身体の『自分』になれたらどうだろうか? 少なくとも突出した個性を持った『自分』ならばもてるかも知れない。
でも、
「それじゃ僕じゃないんだよな……」
ショーウィンドウに映された自分の姿を眺めては深々と溜息を吐く。そんな僕の耳に、
――何、あの男。突然ニヤニヤしだしたと思ったら、いきなり落ち込みだしたよ――
――きっとあれよ、あれ。恋人にでも振られたんだよ――
――えー、違うって。あの顔はもてそうにもないから、恋人もいない自分に気が触れたのよ――
道行く女子高生達の囁き声が届いてきた。
まずいな。
そそくさと、何でも無いような素振りで僕は足早にその場を立ち去っていった。
▽
僕は今、パンフレットにあった住所を頼りに、レンタルボディ屋の前へとやってきていた。
サービスが始まって一年足らずのレンタルボディはまだまだ一般的なサービスではないのか、小半時ほど向かいの喫茶店から店舗を窺っていたんだけど、利用客は誰一人として訪れなかった。
そんなんだから、無料券があるとはいってもつい躊躇してしまう。これが盛況なサービスならば周りの勢いにつられて入店できたんだけど……
「うーん、どうしようかな?」
辛うじて自動ドアのセンサーが反応しない位置で佇むこと暫し。来店客のプライベートを重視しているためかそれともただの飾りなのか、曇りガラスに遮られた店内は外から要すが分からない。
どうもこうも、こういうのは苦手……なんだよな。
対人が行ってくれるサービスはどうにも慣れなくて、まほろば町に来てからは髪一つ切りにいくにも多大な時間が掛かったものだ。
我ながら優柔不断で臆病な性格してると思うよ。
もし、この手のサービスに臆面も無しに利用できるだけの度胸と勇気があったりすれば、もう少し異性にもてたかも知れない。
「ねぇ、入んないの?」
背後からの不意の声に、心拍が大きく跳ねた。
恐る恐る振り返れば、そこにはショートカットの女性が立っていた。
年の頃は僕と同じか少し下の二十歳辺り。パンツスタイルでボーイッシュな感じを受けるが、かなり可愛い。
「あっ、別に僕はその……もてないから格好いい男になってみようとか思っていなくて、無料、そう、無料券貰って、どうせなら使ってみろって教授に言われて……それに、知的好奇心もあって……」
「何、訳分からないこと言ってんのよ」
その冷ややかな言葉に、僕は見も知らない女性に対して必至に弁解していること気付いた。
恥ずかしさのあまり頭に血が上り、全身が熱く赤くなっていくのが分かる。そんな僕の隣をすり抜けるように自動ドアへと向かう女性。
「――もう少し、さらけ出してみれば?――」
微かにだが耳朶を打った囁き声。慌てて振り返れば、丁度自動ドアが閉まるところだった。
「何なんだ、あの娘は?」
頭を捻ってみるが、答えなど出ない。
「あんな可愛い娘でも利用したるするんだ――って、もしかして返却の方?」
ここはレンタル屋だ。何も借りに来る客ばかりじゃない。返しに来た客がいても不思議じゃない。
一瞬、どんなヤツが借りていたのか気になり、待って確認してみようかとも思いはした――が、さすがにその好奇心は悪すぎるなと思い直した。
それよりも、
「僕も入るか」
これ以上、店頭でうじうじと悩んでいても仕方ない。それに、無料券のことは大学の教授にも伝えてあるし、その上で利用してみることを勧められているんだ。人類学を研究してる博士だけあって、面白がっているって気もしたけど……
用意された良い訳を後押しに、僕は前へと進むことにした。
それに、
――もう少し、さらけ出してみれば?――
女性の言葉が気になったし。
本心を偽るのは止めだ。僕自身、レンタルボディって代物には興味があった。だからこそ、その好奇心を少しだけさらけ出すことにした。
「いらっしゃいませ」
立ち入った店内をぐるりと見渡せば先に入った彼女の姿は無く、いるのは来店の挨拶を寄越してきた妖精のような容姿をした一人の受付嬢のみだ。
あれもレンタルボディなんだろうか? それとも、
「ご入会ですか? それとも貸し出しですか?」
「あっ、無料券を持ってるんだけど」
懐から福引きで貰った券を出す。
「まほろば商店街の福引きですね。ご当選、おめでとうございます」
センサーを通して無料券の真偽を確かめる受付嬢。どうやら生身っぽいからレンタルボディのようだ。
「利用に関しては問題ありませんが、まずは入会手続きをしていただく必要があります。入会して貰わないとサービスはご利用できませんが、いかがなさいますか?」
「それって、入会金とか年会費とかは?」
いくらレンタル料が無料でもそちらで金を取られるなら考え物だ。
「無料券ご利用ですので、入会金は必要ありません。また、年会費に関しても初年度は無料とさせていただいております」
それなら問題は無いか。合わなければ直ぐにでも退会すればいいだけだ。
「じゃあ、入会します」
「ご入会手続きはあちらの部屋にて窺っております。お手数ですが、移動をお願いします」
言われた部屋に入ると、先ほどの受付嬢と全く同じ容姿をした女性がいた。
「新規ご入会ですね。こちらの用紙に名前と住所、年齢、職業、緊急時の連絡先――を記入して下さい」
「紙――っぽいけど、少し違うか?」
よくよく用紙を眺めれば、それは紙面形状をした入力デバイスだった。二十世紀を模しているとは言え、細部では普通に現代技術が使われているみたいだ。
「もしかして、お客様はまほろば町の方ではないのでしょか?」
「あっ、はい。仕事って言うか大学の研究で実施調査にまほろば町へ。来て、まだ一ヶ月ほどです。後二ヶ月ほどは滞在する予定です」
三ヶ月もの長期滞在なので、住んでる場所もホテルなどではなく小さなアパートの一室だ。
「何か問題でもあるんですか? あっ、町の住人じゃないとダメとか」
「大丈夫ですよ。また、レンタルボディ使用中の生身の方は霊子変換を行い本社の霊子サーバーの方にて保管されますので、返却はチェーン店の各店舗でしたらどこでも可能です。入管ゲートも抜けられますので、そのまままほろば町を離れても問題有りません」
「そうなんだ」
案内嬢の話を聞きながら、必要項目を埋めていく。
霊子変換って確か転送装置の応用だよな?
どこに身体を保管されるのか疑問だったけど、結構最新の技術が使われているんだ。
感心しつつ、僕は全ての項目の記載を終えた。
「最後に、本人確認を行いますので魂のスキャンを行いますね」
そう断りを入れ、案内嬢は霊魂のスキャニング装置を作動させた。青白い走査線が僕の身体を走ったかと思うと、それは終了する。
「――様ですね。無料券利用とのことですので、入会金年会費は免除。以上、宜しいでしょうか? 問題が無ければ会員登録を済ませますが」
「はい」
僕が頷けば、案内嬢は先ほどスキャンした魂情報に会員情報を付与していた。
「それではレンタルボディはどれにしますか?」
案内嬢がそう言えば、ボディのカタログが目の前に投射された。
バストアップと全身図の3D映像。そしてその身体のデータが事細かに記されている。
「あのー、レンタルボディって前に別の人が借りていたりすることもあるんですよね?」
「いえ、それはありません」
ニコッと営業用スマイルを見せてくれる案内嬢。きっと、よくある質問なんだろうな。
「同業他社ではそのような店もありますが当社は違います。当社では霊子コンピュータで組み上げられたデザインDNAを元に構築された仮想体を最新鋭の霊子変換器で具現化してるのです。希望がありましたら、お客様のDNAからの再現も可能ですが、オプション費用が掛かります」
値段を聞いてみれば、家が一軒建つほどの金額だった。
「なぜ、そんなに?」
「生身と同じDNAですと親和性が高く、長期間の利用が可能なんです。通常のレンタルボディですと、長くて一ヶ月ほどが限界。それ以上の利用は魂の摩耗率が跳ね上がり消滅――死に至ります。それが本人のDNAですとある程度押さえられ、年単位での利用が可能となります」
金額に見合っただけのサービスと言ったところか。
「たっは、僕には縁の無さそうなサービスですね」
それしか言葉が出なかった。
「それで、ボディの方は決まりましたか?」
「えぇっと……格好いい男性を」
言ってはみたものの、羞恥心を感じるのかつい視線を逸らしてしまう。
「格好いいですか。容姿端麗の美形から筋骨隆々のがっしりした感じまで多岐に渡りますが」
確かに、格好いいってだけじゃ主観に左右されすぎる注文か。
「…………うーん」
頭を捻り考えることに。
初めてだからあまり今の自分とはかけ離れた身体を借りるのは不味いかな? いきなり突出した能力のある身体になっても活かせる自信が無いし。
更に悩むこと暫し、
「容姿端麗のを」
そう、僕は答えてみた。
「年齢設定はどれくらいにしますか?」
「二十歳前後を――」
「――――」
「――――」
「――――、――――」
「――――」
その後も幾つかのやり取りを重ね、次第に切り替わっていく映像。やがて希望にそった数体のレンタルボディが表示された。
その中から僕は一体の身体を選びだした。
身長は今よりも少し高めで細身の筋肉質。今流行りの顔立ちのした身体だ。
「お客様。レンタルボディのコード表示位置は何処にしますか?」
「コード?」
「レンタルボディには、それぞれのレンタル会社のデータ及びお客様のデータをコード化し、身体の一部に記しておく決まりがあるのです」
案内嬢は自らの長い髪の毛を掻き上げれば、剥き出しになった白いうなじには場違いなコードが入れ墨のように刻まれていた。
「大抵の方は目立たない場所。女性でしたら太ももの内側、男性でしたらお尻などが大伊です。あとは足の裏など」
確かにそれらは裸にでもならなければ見られない。
「ただ、中にはその身体がレンタルされたものだと誇示するように、腕や手の甲、顔に記したりする人もいます」
少し考えた末、右肩にそれを記してもらうことにした。そこならば、服で隠すこともできるし、また誇示することも簡単だ。
「基本性格設定はどうしますか?」
「基本性格? 何ですか、それ?」
その設定は聞いたことが無い。
「新しい身体に宿るのですから、性格も一新したいと希望するお客様のために用意したサービスです。例えば、お客様が異性の身体をご利用成された場合、性格がそのままですと日常生活に不都合が生じる可能性があります」
あー、確かに。
「無論、基本性格設定を施さないことも可能ですが」
「うーん、別に異性の身体になるわけじゃないし……性格ってどんなのがあるんですか?」
「活発、勇猛……中には、鬼畜や粗暴などもありますが」
僕がもてないのって性格が関係してるのかも知れないからな……
いっそ性格も変えてみるか。その方が面白そうだし。
「明朗活発な好青年な感じで頼みます」
そして僕は幽体離脱を行うべく、装置のある奥の一室へと案内されるのだった。
・
・
・
幽体離脱を行う際に入ったのと同型である円筒形装置の中で僕は目を覚ました。ただし、あまり気持ちの良い目覚めではない。
ちょうど、微睡みの中から強引に現実世界へと引き戻された感覚に近い。
焦点が定まり輪郭がハッキリしてくる視界。そして肌は帯電していたのか少しだけピリピリしていた。
それも直ぐに収まる。
「手……あるよな」
目の前に手をかざしてみた。
五本の指は見覚えのある色形ではなく、腕もまた白く細い。
「頼んだ身体よりもかなり細いような……? ホログラムで見るのと実際に目で見るのとでは違うのかな?」
傾げた首からこぼれた髪が身体に触れた。
「…………」
確か、ここまで長い髪の毛は選んだ記憶は無いんだけど……
髪の先を確かめようと視線を落とした僕は、自分の胸を見て絶句した。
「?!!!??!?!!?」
言葉にならない声を上げる。
そこにあったのは形の整った二つの双丘――
「……胸」
そっと触れてみれば、柔らかくも暖かい感触が伝わってくる。
呆然と弄くってみると、指先の触れた乳首からはくすぐったさにも似たえも言われぬ感覚が伝わってきた。
「――ぁ、っはん」
味わったことのない刺激に、無意識に声が出た。
女性の声!?
そこで初めて、先ほどから発している自らの声が高くなっていることに気が付いた。
「女性の……身体」
現実を直視した時、僕の入っていた装置の前にレンタル屋のスタッフが数人入ってきた。
「お客様! 緊急事態が発生しました!!」
▽
「申し訳ございません!」
レンタル屋が用意してくれた衣装に身を包んだ僕の前で、深々と頭を下げているのはこの店の店長らしい。
見た感じ二十代後半くらいなんだけど、店が店なだけあって実年齢なのかは疑問がある。
平身低頭に平謝りを繰り返してくれるが、その言葉は僕の耳朶を擽ることもなく左から右へと素通りしていく。
そんな僕の思考は別のことへと向いていたのだ。
ズボン……それじゃなくてもロングスカートくらいはなかったのかな?
今の僕の姿は、膝上のプリーツスカート、ブラウスにネクタイ、ブレザーと、いわゆる女子高生な出で立ちだ。
それらは僕の趣味ではなく、案内嬢が用意してくれた代物である。
何でも、全ての体型にあった服は用意されているのだが、たまたまこの身体のサイズに合うのが、それ一着しかなかったそうな。
まずはスカートを穿くことに対しての心の葛藤が。その上スカートの裾から覗く膝に、普段とは違った格好をしていることを強く意識させられ、背徳感と羞恥心で火を噴きそうな想いだ。
自分本来の身体じゃないから恥ずかしさなんて感じないと思っていたんだけど、ついつい膝を揃えて椅子に座っていた。
「…………」
はて?
馴れない少女――鏡を見ていないからハッキリとは言えないけど、どうも今の自分の身体の年齢は女子高生ぐらいだと思う――の身体に無理矢理入れられたためか、何かがおかしい。
微妙に気に触る違和感。
そんな心の負荷の理由を探ろうと深く勘が込んでいる僕の前では、技術スタッフが色々と専門的な説明をしてくれていた。ちなみに先ほどまで平謝りだった店長は、僕と同じように不具合が生じた他の会員の元へと謝罪に向かっている。他にも何人かいるみたいだ。
「外部ネットから進入したウイルスがメインシステムに感染し、システムに狂いが生じ……」
漠然とは分かるが、深い意味は分からない。
ただ、確実に分かることと言えば――
「つまり、そちら様のミスで、僕は……様!?」
普段の僕なら、いくら当たり障りのない性格をしているとはいっても、ミスを犯した相手に『様』などといった敬称を付けるはずもない。
「何か、変……です」
です――だって!?
分かった。
僕は分かった。自分が先程から感じている違和感が……
心で感じる考えと、頭を通して出た身体から出る雰囲気に食い違いがあったのだ。
「もしかして、基本性格が設定されているんですか?」
「いえ、そちらのボディには性格設定は施されてません」
否定はされるんだけど、顔付きが芳しくない。
「ただ、性質設定が施されてまして」
性質設定?
聞いたことがない用語だ。恐る恐る訊ねることに。
「何ですか、それは?」
「簡単に説明しますと、人としての本質――何らかの問題が生じた場合、どの様に行動するかの方向性を決める設定です」
「???」
いまいちよく分からない。
「例えば、迷子がいたとします」
「はぁ」
生返事を返す。話の意図が掴めないのだ。
「その子を見かけた時、声を掛けるか掛けないか――といった人としての基準となる行動の方向性を決める設定です」
「性格設定とは違うんですか? 優しい性格とか冷たい性格とか」
「いえ、同じ助けるにしても、ぶっきらぼうに助ける、親身になって助ける、理知的に助ける、行き当たりばったり的に助ける――等々色々とございます。それが性格設定なのです。そして、助けないから冷たいヤツではなく、冷たい性格のもままでも助ける行動をするって言うのが、性質設定となります」
所謂――
「人の本質ってヤツですか。善人とか悪人とかの」
「はい。その認識で問題無いと思います」
それがこの身体に施されているというのか……
改めてマジマジと自らの身体を見下ろせば、普段では見慣れない膨らみが見えて不思議な気分に陥ることに。
でも、
「何故、それが施されてるんですか?」
「実はそのボディ、別のお客様が借りられるために用意されたものでして――」
つまるところ、同時期にレンタル処理を行った複数の客で用意されたレンタルボディが入れ替わってしまったのだと説明してくれた。
原因は調査中なんだけど、外部からのハッキングが原因では――とのこと。
ただ、前時代の電子ネットワークならまだしも、霊子ネットワークにハッキングを仕掛けるなんて眉唾物ではあるんだけど……それこそ、都市伝説に出てくる謎のハッカー集団とかじゃないと無理じゃ?
――っと、少し現実逃避気味に脱線しかけた思考を戻し、スタッフの説明に耳を傾ける。
「それで、お客様が現在入られているボディなんですが――」
僕の眼前に2D映像が投影された。
そこには、白い肌で黒い髪、鳶色の瞳をした、全体的に華奢な少女の全身図がある。
顔はそこそこ整っているが若干童顔気味で地味な印象を受ける少女だ。
服を着せられた時は、案内の娘達の手によって一方的に着せられたので、こうして今の自分の顔を見るのはこれが始めてであった。
そんな全身図の隣にはびっしりと事細かに設定されている身体の詳細データが。年齢欄を見れば、予想通り16才前後となっていた。きっと、制服姿が似合ってるんだろうな。
そして何より、僕を狼狽させたのは件の性質設定であった。
「従順」
その性質に、僕の目の前は暗くなりかけた。
これじゃあまるで、奴隷向けな性質じゃないか。いったい、この身体を指定した奴は何考えているんだ?
「データは分かりましたが、いつまでこの身体でいなければならないんですか? 今すぐ、僕の本当の身体に戻していただけるのでしたら、別に訴えたりとかはしませんけど……」
「それがあいにく、一度、幽体離脱を行うと装置に耐えられるだけの霊力が回復するまでの間は再度行えないのです。普通でしたら半日もすれば耐えうるだけの分は回復するのですが……お客様は、こちらで調べた結果、間違った身体に入ったために上手くシンクロができず、霊力が必要以上に消耗しておりまして」
「それで……」
「霊力の回復には、だいたい一週間はかかります」
・
・
・
それから後のことはあまり覚えていなかった。
ただ、裁判沙汰にしない代わりに、VIP待遇(半永久的にただ同然の金額でボディをレンタルできる資格)の会員の権利と、多額の謝罪金。そして、霊力が回復するまでの一週間の住む場所の提供を約束して貰った。
今となって、これが犬猫の身体じゃなかったことだけが幸いと思うしかない。
▽
視覚野に直接投影されたナビを頼りに、僕はレンタル屋に提供された住む場所へと向かうべく、裏路地を歩いていた。
何故裏路地を歩いているかと言えば、それは恥ずかしかったからだ。
女の身体というのは別に良い。ただ、その身体があまりにも美少女すぎるのか、周りの人達――主に男性の纏わり付くような視線が嫌だった。それと、プリーツスカートの裾から舞い込む空気が気になって人前を歩く勇気が持てなかったのもある。
それに、この裏路地に入る前に一度ナンパされかけた。心では強く断ろうと思っても、刷り込まれている『従順』な性質が邪魔し、無理矢理付き合わせられそうになった。
幸い、偶然にもナンパ男の付き合っている彼女が現れたため、その場は事なきをえたのだが……
ハッキリ言って、男に言い寄られてゾッとした。
しかも、従順な性質を持つ今の僕は、もし関係を迫られでもしたら何処まで自分の意志を貫き通せれるのか分かったものじゃない。
「ふぅー。ずいぶんと気弱な考えしか浮かばないな……」
口から出るのは愁いを帯びた溜息だけだった。
とぼとぼと路地裏を歩く僕の足――が止まった。
狭い路地の先に、男性が数人にたむろっていたのだ。年の頃は高校生ぐらいだが、雰囲気からいって真っ当な学生には見られない。
やばい感じがするな……
嫌な予感を胸に抱きながら、僕は彼らを無視するように先を急いだ。
何もなく、彼らの横をすり抜けた――
「きゃぁっ!」
思わず飛び出た悲鳴が女の子のそれに変わっていたことに、その時の僕には気付くゆとりがなかった。
「いきなり、何するんですか」
背後から僕の腕を掴んできた男が一人。
僕はそいつを睨み付けたのだが、如何せん、視線に迫力が無い。いや、それ以上に目に涙なんかが浮かんでいるのを感じ取った。
「よう、ねえちゃん。俺達と遊ばない♪」
掴まれた腕を何とか振り解こうと力を込めるが、今の少女の力では男の力にはかなうわけもなく、路地裏の更に人気のない袋小路へと引きずり込まれた。
何度声を上げて助けを呼ぼうかと思ったが、刷り込まれた従順な性質が邪魔をするのか、それともただ単純に恐怖に身が竦んで悲鳴が出ないのか、口から出るのは声にもならない音だけであった。
――――ッ!?
突然の感触に、思考が一瞬止まった。
胸を揉み扱かれたのだ。
本来の僕の男の身体では感じることのない不思議な感覚。快感などあるはずもない。あるのは、男に犯されるという恐怖に彩られた痛みだけ。
「や、やめて……」
「そう脅えるなよ。今、気持ちよくなる薬をやるから」
男が僕の顎を掴み震える唇をこじ開けねじ込むように、妖しげなカプセルを押し込んできた。多分、細胞に宿っているナノマシンを刺激する電脳ドラッグの一種だと思うけど……
「吐かずに飲み込めよ」
舌で何とか押し止めていたカプセルだったが、男の放った命令に従って、無情にも僕はそれを飲み込んでいた。
「後数分もすれば、自分から俺達を欲しくなる」
吐き出そうとしてみるが、一度飲み込んだカプセルは喉の上に上がってくることはなかった。
「おい、こいつコードがプリントされてるぜ」
まくり上げたスカートの中に顔を突っ込んでいた男の一人が、内股に記されているコードを見つけた。
「それって確かレンタルボディの証だろ。ニュースで見たことある」
「じゃあ、こいつって本当は別の人間なのか?」
「僕は男だ。男を犯すなんて気持ち悪いだろ」
多少なりとも躊躇ってくれないものかと思って言ってみたが、
「だけど、身体は女なんだろ?」
その台詞に、僕の顔から血の気が引いた。
それに伴って、身体の奥底が熱くなってきたのを感じる。僕の身体に触れてくる男達の指先に、感じ始めてきているのだ。たぶん、さっき飲まされたドラッグが効いてきたのだろう……けど、まずすぎる!
僕は最後の力を振り絞るようにして、迫ってくる男達の手から逃れようとした。
――――。
いつの間にか下げられたパンツ――この場合、ショーツか――が足首に絡み付き、僕は思いっ切り前のめりに倒れた。
頭を上げて振り返ると、男達が下卑た嘲笑と共ににじり寄ってくる。
ハッキリ言って、男のスケベそうな笑みがここまで不気味だとは、僕は知らなかった。
そして、男達の手が再度、僕に延ばされた時――
「――あんた達! 何してるのよ!!」
そんな叫びを遠くに聞きながら、僕の意識は闇へと落ちた。
▽
カーテンの隙間から射し込む陽射しに、僕は目を覚ました。
「――天井?」
ぼぉーっと辺りを見渡す僕の目に最初に入ったのは見覚えの無い天井だった。そして、何も知らない部屋。
造りからしてホテルって訳でも無さそうだから、多分マンションの一室だと思うんだけど……生活感の無さからしてハッキリ断言できない。これでもし、段ボール箱が積んであれば、引っ越ししてきたばかりか引っ越し前夜の部屋とでも思えただろう。
「?」
何故、僕がここにいるのか思いだせない。どうも、記憶があやふやだ。
「ここは……」
上半身を起こす際、頬に触れた髪――そして、見下げた身体の華奢な作りに、自分が女性の身体に間違って乗り移っていることを思いだした。
一つ認識すれば、後は簡単だった。
だがそれも、襲われてる途中に気を失う寸前までしか覚えていない。
まさか、既に犯された後とか……
自分の今の姿を見てみると、レンタル屋で借りてきた服は無く――案内嬢に付けて貰ったブラジャーまでも外されている――ただ、ショーツと一枚のTシャツを着込んでいた。
服が着替えさせられているってことは……やっぱり犯されたのか!?
最悪の状況が脳裏を過ぎった――が、変だ。
僕を襲おうとした連中が、こんな部屋に連れてくるはずがない。もしあったとしても、それは縛られるなりの監禁を受けているはずだ。
普通にベットに寝かしつけるとは想像しがたい。
考えれば考えるほど自分の現状が分からず、更にいっそう頭を悩ますことに。
「あっ、気付いたわね」
部屋の奥――正確に言えば部屋の入り口の方角から声が聞こえた。
造りからして、キッチンにでも誰かいるのだろう。
「
お盆の上に二つのティーカップを載せ、一人の男性がやってきた。身長は高く、細身の身体。ただ、必要な筋肉はしっかりと付いている。そして、創られたような整った顔立ちの男。年は大体二十歳ぐらいだろう。
「誰? あなた――」
ベットの上で身体を堅くする僕に、
「貞操の危機から助けてやった恩人にそれって無いと思うけど」
苦笑と共に、そいつは持っていたティーカップを差し出してきた。
「これでも飲んで少し落ち着きなさい。レイプされそうになって気持ちが高ぶっているでしょ」
黙ってカップを受け取る。
立ち上る湯気の臭いからして、紅茶なのが分かる。
「助けてくれたって、あの高校生達を倒したんですか?」
「前に殺陣を学んだことがあったんだけど、役に立ったわ」
そう言いながら青年は、僕のいるベットに腰掛けてきた。
「アレくらいの数なら、上手く立ち回れば何ってことないわね」
――わね?
えっ?
女言葉?
まさか……おかま?
そんなことを考えながら、僕は青年が紅茶を飲む様を見つめていた。
その動作、上品とは言い難いが、男性の飲み方にしては何処か繊細さがある――あれ?
僕の顔に浮かんだ怪訝な表情を読み取ったのか、青年はやんわりとした笑みを浮かべた。
その笑顔、
「やっと気付いたみたいね」
身体は男だが、僕には至極コケティッシュなものに見えた。
「この身体は本当なら、貴方が借りる物だったんでしょ。今の貴女の身体が私が借りる予定だったように」
青年は着ているシャツの襟に手を掛け肩をはだけさせる。
露になった筋肉質の右肩には、僕が指定したコードが記されていた。
確かに『彼』は、本来なら僕がなるべく人物だった。
それから『彼』は色々と教えてくれた。
『彼』の正体は、僕がレンタル屋に入る前に出会った女性らしい。希望とは別の身体に入れられた彼女は、僕の場合と同じようにレンタル屋との示談が付き、僕から少し遅れてレンタル屋を出たそうだ。
そして、同じようにレンタル屋が用意してくれた部屋に向かう途中、偶然襲われかけている僕を見つけ、助けに入ったとのこと。
「――ってことで、レンタル屋が用意してくれた部屋まで運んで来たのよ」
今現在いる部屋は、彼女のために用意されたもので、僕の部屋は隣だと教えてくれた。
「それは、ありがとうございます」
素直に頭を下げると、彼女は困ったような笑みを見せた。
「いいって、いいって。あなたが無抵抗のまま襲われた原因の一つに、あたしが従順なんて性質設定を行っていたのがあるんだからさ。
あっ、でも、あなたもこの身体に性格設定を施しているからおあいこね」
…………。
どうも男の姿で少女の言葉遣いされると……おかまにしか見えない。
「どうして従順なんて性質設定を希望したんですか? こんなの百害あって一理無しじゃないか」
「あっ、それ。それについて、あなたに頼みたいことがあるのよ」
「頼み?」
訝る僕を無視し、『彼』は頼みを口にした。
「あなたに、あたし達の舞台に出てほしいのよ」
「舞台って演劇の舞台?」
「そう、それ。今のあなたに施してある性質は、実は主役を演じる上で必要なモノなの。本当は別の娘が演じるはずだったんだけど。その娘、身内の不幸があって、実家に帰っちゃったのよ。おかげで代役を用意しなければならなくなったんだけど……残っている仲間はあたしを含めてみんなアクが強くてね、主役を演じられる人がいなかったの。
それで、誰かが提案したのよ。雰囲気を出せないのなら、レンタルで役の性質設定を施した身体を借りてやればいいって。それで、くじ引きであたしが『その身体』を借りる羽目になったって寸法。
本番も六日後に迫っていて、別の身体に入るにしても、霊力の回復が間に合わないのよ。だから、あなたに出てもらいたいの。どうせ、その身体でいる間は誰とも知人とは連絡取れないでしょ」
「…………」
確かに、友人とは連絡は取れないか。正直なことを話したとしても、あいつらのことだ、何悪戯されるか分かったものじゃない。
「言いたいことは分かりましたけど。僕に演劇なんて無理ですよ。まして主役だなんて……」
助けられた恩があり、設定されている従順な性質のためか強くは断れなかった。
「大丈夫だってば。監督兼脚本、演出担当のあたし――木幡ケイが責任を持って主役を張れるように鍛えてみせるから。
ね♪」
ね――ってね。男の姿でウインクされても嬉しくはないんだけど……
何も応えずにいると、ケイはずいっと顔を近づけてきた。何処か悪戯っ子な微笑みが浮かんでいる。
――ドキッ。
あまりにも迫ってきたケイの顔に、一瞬胸の奥で何かが跳ねた気がした。
何なんだ、今のは?
自分の身体に感じた奇妙な感覚に戸惑っている僕に、ケイは一言言った。
それは、僕の意志の全てを無効にするだけの力のある言葉。
「やってくれるよね」
「……はい」
従順な性質に支配された僕の口から出たのは、承諾の返事。あくまで逆らおうとしている僕の意志は、頭を垂れさせ、視線を落とすことしかできなかった。
▽
舞台に立つことを約束させられた僕は、早速とケイの所属している演劇のサークルへと連れ出されることとなった――んだけど、レンタル屋で借りてきた服は襲われた際に汚れ洗濯中で着替えが無い。
ちなみに今着ているTシャツはクローゼットに用意されていた物らしく、他にもスエットとかもあったんだけどどれもがルームウェアで、出歩ける格好ではない。
それでケイに頼んで服を買いに行って来て貰ったまでは良かった。幸い、身体サイズは詳細なデータが存在したから、僕自身が行かなくても服は選べたから。
「ちょっと、ケイさん」
ケイの買ってきてくれた服を見て、僕は大きく項垂れた。
僕の好みが分からないと言う理由で、裾の短いきわどいマイクロミニから足首まで隠れるロングまでと多種多様なスカートを買ってきてくれたのはいいんだけど……
「僕はズボンを頼んだはずだけど……どうしてスカートしかないわけ?」
「だって、あなたには舞台当日までに完璧な女性を演じて貰いたいんだから、まずは外面から女性らしくなって貰おうと思って」
なるほど。彼女の考えはだいたい分かってきた。
いくら性質設定された女性の身体でいようと性格設定が施されていない身体じゃ、男の僕が宿る以上内面から出る雰囲気が男のそれである。まして、本番までたったの六日間しかないため、演劇素人の僕じゃとても稽古じゃ隠しきれないと危惧しているんだ。
それをケイは、僕の生活全てを女性のそれにし、強引に隠す気でいる。
「たったの六日間だから、お願い。女性になって」
目の前で両手を併せてみせるケイ。
ただ、男の身体でしなを作られても気持ちの良いものじゃない。
「――お願いって、命令はしないのですか?」
そう。命令だ。
先程みたく命令されれば、この身体でいる以上命令を受けてしまう。
「それは駄目よ。あなたには、舞台当日までに完璧な女性を演じてもらうんだから。そのためには、あなたの意志を無視して命令で女物の服を着させても仕方ないから。あなたの意志でそれに着替えてもらわないと、心の底から女の子を演じてもらえないじゃない」
ケイの考えには納得できるが、いざ着てくれと言われても着るには抵抗がある。躊躇い続ける僕に、ケイは最後通牒を投げかけてきた。
「どうしても着たくないって言うなら、その姿のまま街に連れ出して、男性の視線を目一杯浴びさせて羞恥心を抱かせることで、精神の女性化をはかるわよ」
「うっ……」
僕はしぶしぶと、ケイの用意してきた服に着替えることになった。
選んだ服を脇に置き、ベットの上でTシャツを脱ぎにかかる。
――――。
「どうしたの? 着替えないの?」
「バスルームで着替えてくる」
僕は服を片手にケイの前を通り過ぎた。
「ちょっと、別にあたしの視線なんて気にしなくてもいいじゃない」
「気になるものは気になるの」
別に今のケイが男性だからってわけでもない。ただ、他人に今の自分の姿を見られるのが酷く恥ずかしく感じられたのだ。
「…………」
トイレに洗面台の併設のそこには、真正面に鏡があり、否応なく今の自分が女であることを意識させてくる。
「はぁー」
ため息をつくと、僕は着ていたTシャツを脱いだ。
豊満ではないがそれとなく整った形の胸が鏡に映し出される。
うーん。よくよく考えれば、こういう風に自分の姿を見たのは今が初めてなんだっけ。
しばらく鏡とにらめっこした後、僕は一つのことに気が付いた。
「そう言えば、ブラジャー持ってきていなかった……」
ケイの用意してくれた服の中には下着も数点あったが、それを持ってくるのをすっかりと忘れていた。
今更取りに行くのも何だし、まして付け方も分からない代物。
別に無くてもいいか。
そう思いつつ黒のカットソーを着てみた。
「…………」
クッキリと形が現れる乳首に、僕は脱いだTシャツに手をかけた。
ブラジャー……取ってくるか。
Tシャツで胸を隠しつつ外に出ると、不遜な笑みを浮かべたケイが立っていた。
「はい、忘れ物。付け方分からないなら手伝って上げるわよ」
「いいです」
僕はブラジャーだけを受け取り、扉を閉めた。
格闘するようにブラジャーを身に付けると、僕は再度服を手に取った。
着替えながら、まだ扉の向こうにいると思われるケイに問いかけた。
「いったい、どんな劇をやるんです? こんな危なっかしい性質設定を施さなければならない主役って」
この身体に宿った時から考えている最大の疑問だ。
どう考えても召使いのような性質が主役を張れるとは思えない。
「シンデレラよ、シンデレラ。知ってるでしょ」
シンデレラ……ね。それなら納得ができるか。
確かに、継母達に虐められるシンデレラの性質にはもってこいか。
「もっとも、かなりシナリオをいじっているけどね」
「どんな風にいじってあるんです?」
「後でシナリオ見せてあげるから、早く着替えてよ。稽古の時間まで間がないんだから」
ケイに急き立てられ、僕はロングスカートを履いた。
「これって……」
ケイの用意した中で一番落ち着いた露出部分の少ないモノを選んだのだけど……まさかスカートの側面にチャイナドレス並の深いスリットが入っていたとは。
裂け目から見えるスラリと白い脚。
今更服を選び直す気にはならなかった僕は、そのままバスルームを後にした。
▽
連れてこられた目的地の門の前に、僕の足は止まった。
麗淑女子大学――
「女子大?」
「あれ? 言ってなかったかな。あたしの入っている演劇のサークルって大学のよ」
ケイは僕を先導するように、目的地である演劇部の部室へと案内してくれた。
突然部室に入ってきた男性に、ざわめき出す数人の女子大生。
集まっている演劇部員にケイが自分の正体を明かし順を追って説明するに至って、次第に部員達の注目はケイから僕へと移ってきた。
「――っと言うことで、彼――彼女があたしの代わりにシンデレラの役をやってくれるそうよ」
ケイに肘で突っつかれて、僕はペコリと頭を下げた。
余程の人材不足なのか、部外者である僕の参入を彼女達は手放しで喜んでくれた。
「しっかし、ケイが男とはね……」
「不幸中の幸いですよね、部長」
「不幸中の幸い?」
部員達の会話に、ケイが口元に人差し指を添えて小首を傾げた。
女性での仕草なら可愛げもあるんだけど、二十歳の青年にやられると気持ち悪い。
「りっちゃんが舞台の日に結婚式が入ったんだって」
険しい顔でケイが視線を向けた、その先にいる女性がそのりっちゃんなんだろう。
身長は今のケイと比べても遜色のない、女性にしては長身の分類に入る背の高いショートカットの女性だ。
聞けば、何でも王子様の役をやる人だったらしい。
「結婚式って、欠席できないの?」
「それがさ、従姉で何かとお世話になっている人でね。さすがに出ないわけにもいかなくて……ごめん」
と頭を下げるりっちゃん。
「それで、誰かに代役としてまたレンタルボディを借りに行ってきて貰おうかとも考えていたんだけど……ケイがその姿なら問題無いわね」
「あたしにやれってこと……ね」
「そっ。シナリオと演出、監督まで兼ねているあんたなら、セリフ全部頭に入っているでしょ」
「まぁね」
不敵な笑みを浮かべて頷くケイ。
「それなら、早速稽古に入るわよ。練習時間も残り少ない上に、急の代役、しかも一人は女性初経験の男性ときたから、みんなしっかりフォローしてあげてよ」
ケイの号令に、部員達は一斉に動き出した。
一人、取り残されるようにその場に立ち尽くしていると、衣装担当の小柄の女性に衣装合わせしたいと部室の一部を仕切って作られた衣装部屋へと連れて行かれた。
「…………」
講堂のステージの上に作られた舞台に、僕の思考は止まった。
いや、既にこの衣装に着替えさせられた時に止まっていたのかもしれない。
「あっ、やっと来たな」
さわやかな笑顔で講堂に入ってきた僕を出迎えたのは、ケイだった。
「遅いぞ。俺達には無駄な時間は無いんだから」
「?」
「何だよ?」
「言葉遣い……」
そう、ケイの言葉遣いが男のモノに変わっていたのだ。
「ああ、これ。男性の役を演じるからには、言葉遣いを変えないとまずいだろ」
「まぁ、そうだけど……」
今までの女言葉よりかはその姿に合っている。
「それより、この姿っていったい何なんです」
僕は自分の着ている服を指さして、ケイに問いつめた。
着せられた衣装は、とてもシンデレラを連想させるようなものではない――って言うか、何の演劇に使うのかすら悩ませる、ボディラインを露わにさせるレオタードだった。
「ああ、それ。エクトプラズムスーツよ」
ケイの代わりに別の部員が教えてくれた。
「エクトプラズムスーツって、あの?」
それは霊子工学が作り上げた発明の一つで、大気中に存在する霊素子に干渉し仮想体の外観を作り出す服だ。
設定しておけば色々な服装を瞬時に変えることが出来る。
「そっ、そのエクトプラズムスーツ。それを使って、魔法使いによる早き替えとかを表現するんだよ」
説明と共に先端に☆の付いた杖を振るってみせれば、
「きゃっ!?」
僕の姿はお伽噺に出てくるお姫様のドレスへと変じていた。
「エクトプラズムスーツって初めて着たけど、凄いんだ……質感も感じられるし」
素直に感心する。
「最新鋭のを借りたの。ケイの脚本を忠実に表現するにはそれしかなかったのよね。体型まで弄れるのってそれしかなかったから。レンタルボディのレンタル代とエクトプラズムスーツのレンタル代で部費の大半が消えるんだけど……まぁ、レンタルボディ代は無料で済んだのは有り難いかな」
「体型を変えるって?」
その言葉が気になった。
僕の知っているシンデレラにはそんな要素は無かったはずだ。
「シナリオ見せて下さい」
手渡されたシナリオを軽く目を通していく。
お城の舞踏会に参加し、魔法が解ける前にガラスの靴を脱ぎ落としてくるまではの筋は普通のシンデレラと同じだった。
そこから、若干の脚色が加えられていた。
シンデレラのことが忘れない王子は、ガラスの靴を手にその持ち主の女性探しを始めることに。
そんな、王子の硝子の君探しを宜しく思わない者がいた。
それは王子に懸想する隣国の姫君。彼女は悪い魔女から借り受けた呪具にて硝子の君を呪うのだった。
呪いを受けたシンデレラの姿は大きく変貌することに。今までのくすんではいたものの確かな美の存在していた面立ちは大きく崩れ、二目と見られない醜悪なものへと変じてしまった。
更に恐ろしいことに、呪いで変じたシンデレラの姿を家族は元より知人の誰もが疑問に思わなくなっていたのだ。
その間にも、世間では王子による硝子の君探しは続き、ついにはその一行はシンデレラの家へとやってくることに。
まずは義理の姉達が試すも二人ともダメ。ついにシンデレラの番が回ってくるのだが、誰もがその姿を目の当たりにしては馬鹿にするように笑った。
何故ならば、顔立ちだけではなくシンデレラのスレンダーだった体型もまた醜く崩れ、ぶくぶくに太った足はガラスの靴に収まりそうにはなかったのだ。
そして、そのあまりの醜悪さに自分が呪った相手だと気付いた隣国の姫君。彼女は一層激しくシンデレラを一方的に罵るのだった。
周りからの嘲笑に悔し涙を零すシンデレラ。その涙の滴がガラスの靴に落ちた途端、靴が輝きだした。
光り輝くガラスの靴の表面は鏡面の如く周りを映しだす。それはもっとも近くにいたシンデレラの姿もだ。ただし、映し出された姿は元の彼女であり、醜い呪われた姿ではなかった。
その後、王子はシンデレラの呪いを解くべく動き、艱難辛苦の末にキスで解けることが判明。
そして王子はシンデレラにキスを――
「って、キス!?」
自分の口から出た素っ頓狂な叫びに、周りで芝居の準備をしていた部員達が一斉に振り返った。
そんな彼女たちの視線など気にせず、僕は間近にいたケイに問いつめた。
「ケイさん。このラストシーンって……」
「ああ、それ。やっぱり、お姫様の呪いは王子様のキスで解くのが王道じゃないか……ん? 何か問題でも?」
「王道なのは解るけど、僕は嫌だよ。男とキスなんて――ッ!?」
いきなり顎を持ち上げられ、軽く口付けされた。
「なっ、なっ、なっ、なっ、何するんだよ!?」
酷く自分が狼狽しているのが分かるが、今はそれどころではない。
「これで、もうキスシーンも平気だろ」
ニコッと健やかな笑顔を浮かべるケイに、僕は頭を殴ってやろうかと考えたが、おとなしさを宿命付けられた身体は僕の意志を反映することはなかった。ただ、ただ、顔を真っ赤にするのみ。
これじゃあ、本当にうぶな乙女の反応だよ。
心の中の一部が、酷く冷静に自分を見ていたことに、気付いた。
▽
それから四日間、僕はケイの特訓を受けた。
住んでいるところ――レンタル屋に用意された部屋が隣り同士ということもあって、寝る時間を除いた全てを芝居の特訓に費やされていた。
幸い、真っ新な脳味噌は、水を吸い込む綿の如くセリフを覚えていくのだけど……いまだ女性の身体に馴染めきれない僕のセリフは女性のモノになっていないとケイは言う。当たり前だ。精神まで少女になったつもりは無い。
そんな僕とは逆に、演劇で男性の役を演じたこともあるケイにとって、男の身体でいることにはさほど違和感がなかったようで、言葉遣いも男性のものに変えた今、時折浮かべるコケティッシュな悪戯っ子の笑み――どうも、彼女の癖らしい――を除けば、完璧な男である。
舞台の上で稽古をしているケイの姿を見ながら、僕は片隅で一息ついていた。
僕の隣では、衣装係の娘と小道具の娘が二人、いた。
「先輩。ケイ先輩って、完璧に王子様を演じていますね」
「演じているんじゃないって。あの娘ってば、どんな役でも手を抜かず、精一杯頑張るからね。完璧になりきってるのよ。自分の理想としている役柄に」
二人で話していたかと思うと、不意に衣装係の娘が僕の方を見つめてきた。
「その割には、キミはいっこうにシンデレラと同化しないわね」
ケイと同じキャリアを持っているのか、彼女はケイと同じ印象を受けていたようだ。
しばし、僕と見つめ合い、そして彼女は舞台のケイに呼びかけた。
「ねぇ、ケイ。この娘に
この娘ってね……
実年齢は院生である僕の方が上なんだけど、身体の年齢が16才前後のためか、部員達は時折僕のことを子供扱いする。
「メイク? ああ、いいぜ」
すっかり板に付いてしまったケイの男言葉。ただ、浮かべたコケティッシュな笑顔は、僕に彼女が女性なのを思い起こさせた。
「彼女のメイキャップは部内一だから安心していいわよ」
小道具担当の娘を押してはそう言ってくる衣装担当。ちなみに、エクトプラズムスーツがあるのに別にドレスが用意されていることを不思議に思えば、
「エクトプラズムスーツはかなりのエネルギーを使うから長時間使えないのよ。だから、使わなくても済むシーンでは普通の服を使うの」
とのことだった。
控え室へと連れて来られると、早速着替えから始まった。半ば着せ替え人形状態で手作りドレスを着込んでいく。
「サイズは問題無さそうね」
その装着具合を確かめるように周りを回る衣装担当。サイズに関してはレンタル屋から詳細な身体スペックを貰っているので完璧だった。
一通り確認を終えると、衣装担当は小道具担当に場所を譲った。
鏡の前に座らせられ、施されていく化粧。
初めての化粧は擽ったりもし、その度に身動げば叱咤の声が飛んできた。
「こんな感じかな? 我ながら良い出来だと思うよ」
それは、自画自賛――したくなるのも頷ける出来だった。
整った顔立ちながらも地味な印象を受ける僕の顔だったんだけど、化粧一つで思いっ切り化けていたのだ。
元の美人なんだけど幸薄そうな感じと違い、鏡に映っているの姿には華やかさがあった。
それこそ、ドレス姿と相まった僕の姿は別人と言っていいほどに眩い。
「どう? 綺麗でしょ」
話し掛けられるも、今の僕の耳には入っていない。
ただ、ただ、その姿に、自然と感嘆のため息が洩れた。
女性が化粧をし、おしゃれを楽しむ気持ちが少しだけ分かった気がした。
「これ……が僕?」
「『僕』は止めなさいって。舞台と同じで自分のことは『私』と言いなさい。その姿では、その方が自然よ」
「あっ……」
その言葉に、自然と小さな呟きが洩れた。
彼女が悪いわけではない。何も知らなかったのだ。性質設定の一つ、従順な性質が命令されてしまったことを受け入れてしまうことに。
……この『私』が。
歯車を狂わすには十分な些細な命令だったことに。
舞台以外の場で頑なに守っていた『僕』と言う一人称は、私の男としての最後のアイデンティティだった。だけど、それも今はどうでもよかった。
ただ、この鏡に映った自分の姿を見ている間は……
▽
舞台へと戻ってきた私を、感嘆の声で出迎えたのはケイだった。
「ふーん。さすがは俺の選んだ身体だ。見事に化けて見せてくれたものだ」
「宿っている私がいいからです」
「およ?」
私の返答に、キョトンと間の抜けた顔を見せたケイ。すぐにその顔にはコケティッシュな笑顔が浮かぶ。
「どう言った風の吹き回しなんだ?」
「この姿になって、少しだけ吹っ切れたんです。幕が降りるその時まで、薄幸の美少女を演じるものと割り切りましたから。そうでもしないと、王子様とキスする度に、『僕』の精神が砕けそうですからね」
「ふーん。何はともあれ、何とか明日の本番には間に合いそうだな」
彼はそう言うとクルリと身体を舞台に返し、
「さぁ、みんな。休憩は終わりだ! 最後の練習にはいるぞ!」
・
・
・
本番――
ステージ上はライトアップされて明るく、観客席は足下の非常灯のみで真っ暗。でも、多くの人達の気配をヒシヒシと感じる。
そんな舞台上で、シンデレラの演劇は進んでいった。
舞台に上がる前は凄く不安もあったけど、いざ舞台に立ってみれば物語はつつがなく展開していった。
地獄の猛特訓により演技は身体に染みつき、RBの真っ新な脳みそは台詞を完全に記憶していたおかげだ。
でも、
誰もが知る物語故に、飽きが来るのも早かった。
観客席からだらけた空気が伝わってくる。そしてなにより、暗くてよく見えないけど、席を立って出て行く人の気配もちらほらと感じられた。
もっとも、
呪いを受け、私の姿が醜悪なそれへと変じた途端、場の空気が一変した。
誰もが固唾を飲んで、舞台上の
その圧倒的な期待感を肌で感じ、思わず尻込みしてしまう。
それが不味かった。
向けられた無数の視線を感じ、台詞が飛んだのだ。
真っ白に、
そして、真っ新に。
醜く太った足では決して履けることのない硝子の靴を前にして戸惑うと言う、クライマックスで――だ。
小刻みに震え、完全に固まってる私の異常さに気付いたのか、
「大丈夫。俺に併せて」
「キミはシンデレラ。シンデレラなのだから」
その言葉がすぅーっと胸に染み込んでいった。
心が落ち着いていくのが分かる。
そう、
私はシンデレラ。
醜い姿をしているけど、私はシンデレラなのだ。
つーっと、零れ出た涙がぶくぶくに太った頬を伝い、目の前に差し出された硝子の靴へと落ちた――瞬間、
――――!
眩いばかりの光が私を中心に輝きだし、そして私の姿は美しいシンデレラへと変わっていく。
「おお、貴女が硝子の靴の君であったか!」
朗々とした良く通る声で台詞を口にすると、ケイは大きく手を振ってみせた。
「どうか我が嫁となっては貰えな――」
クライマックス真っ只中、
ぐらっ。
唐突にそれは起こった。
始めは小さな揺れ。視界の片隅で緞帳が揺れているのが分かる。
「地震……」
観客の誰かが小さく呟いた瞬間――
激震が舞台を襲った。
「キャッ!」
頭を押さえうずくまる私。
「危ない!」
「えっ!?」
私の腕を掴んだかと思うと、ケイは覆い被さるように抱きついてきた。
そして遅れて感じたのは重い衝撃。
私の意識は、そこで途絶えた。
▽
「う……ん……」
微かな揺れを感じ、私は目を覚ました。
余震でも続いているのかと訝ったが、意識がハッキリしていく内に、自分がケイの背の上にいることに気付いた。おんぶされていたのだ。
「ちょ、ちょっと! 何なんです!?」
「あまり揺らさないでくれ。お前をかばう時に打った身体がそこら中痛むんだよ」
ケイの言葉に、身体を動かすのを止めるが……現状がまったく理解できない。
キョトンとしてる私に、
「やっと気がついわね」
ケイと併走して歩いている部長さんが声をかけてきた。見れば、彼女は私とケイの分の荷物を持っている。
何がなんだか分からない私に、部長さんは今の現状に至るまでの経緯を教えてくれた。
突如舞台を襲った地震。背景が倒れるなどのアクシデントはあったものの、幸いにして地震はすぐに収まり、劇は最後まで行われたとのこと。
信じられない話だが、倒れてきた背景の下敷きにあい一度は気を失った私――ケイが身を挺してかばってくれたが、運悪く倒れてきた背景の一部が突起しており、それに頭を強くぶつけていたらしい――だったが、すぐに目を覚まし、唖然としている周りを後目に、演劇を再開したそうな。
そして、幕が降りると同時に、崩れるように再度気を失ったらしい。
医務室にある診断機での診断結果はただの脳震盪。それで、大事をとって部屋へと送る途中だと言う。
どうりで、今の私の姿はラストシーンで着ていたドレスのままである。
「劇……無事に終わったんだ……」
「ああ、お前のおかげでな。拍手喝采の大成功だったよ」
優しい言葉に、体の中で何かが跳ねた感じがした。
「どうかしたの?」
隣を歩く部長さんが覗き込んできた。
「いえ、別に。ただ、おんぶされたことなんて、小さい頃のことだから……不思議な感じがして」
服越しにケイの体温が感じられる。
そんな彼の体温に、何故か心臓が逸る。
「あっ、降ろして下さい。一人で歩けますから」
「無理言わないの。頭はただの脳震盪で済んだけど、右足挫いているのよ」
言われて首を傾げて右足を見ると、スカートの裾の向こうに包帯が巻かれた右足首が見えた。
「そう言うことだ。それに、少しくらいは恩を返させてくれ」
素っ気ない言葉と共に、ケイはずり落ちかけた私の身体を再び上にあげるように身体を揺らした。
そんな彼に苦笑しながら、部長さんが話しかけてきた。
「ケイってば、照れてるのよ。さすがのこの娘も、あの地震で芝居を諦めかけたんだけどね、あなたが続行することを選び、見事に達成させたことに面を食らっているのよ」
「うるさいぞ、部長」
どこか照れを隠している叫びだが、部長さんは一切気にすることなく会話を続けてきた。
「ねぇ、あなた。この娘と付き合う気ってない?」
「ちょっと、部長!」
「付き合う? 彼と?」
あまりにも自然にケイのことを『彼』と言った私の言葉に、部長さんは小さく苦笑を浮かべた。
「もう、劇は終わったんだから、元に戻ってもいいのよ」
「あっ……はい。でも、まだドレスを着ていますから……上手く精神の切り替えができないので、これを脱ぐまでこのままでいます。それに、ケイさんも男性のままですし」
私の言葉に納得したのか、部長さんは苦笑気味に肩を竦めては話を続けた。
「今まで、何十回と劇をやってきたわ。中には別の大学の演劇部から男性部員を助っ人にまわしてもらったことも何回かあったんだけど、そのほとんどがケイのしごきには付いていけず、劇を降りたの。
でもあなたは違う。最後まで耐えきってみせた」
「それが何だと言うんです?」
彼女の言いたいことが分からない。
「劇にのめり込み、如何なる役でも真剣に演じるているうちに、この娘は本当の自分を見失ってしまったのよ」
「見失う……?」
「時には恋い焦がれる乙女の役、または恋を忘れた老婆の役をやる。恋する側される側はもちろん。男性だって子供から老人まで多数の役を演じた。さらには犬猫の動物から無機質な看板まで何でも本気でこなした」
「それって、俺がまるで芝居バカみたいじゃないか」
「見たいじゃなくて、そうよ。何の予備知識もなく男性の身体に押し込められて平然とそれを演じていられる人を、バカと言わずに何て言うのよ。
――っとまぁ、んなことで、この娘には自分が無いのよ。舞台の上で自分を消せるのはかまわないけど、一般生活にまで自分を消して欲しくないのよ。だからね、恋人でもできれば本当の自分を取り戻すかなっと思って」
「うっ……」
小さな呟きがケイの口から洩れたのを聞き逃さなかった。
どうやら、図星のようね。しかも、自覚はあるみたい。
……でも、それを言ったら今の自分もそうなる。私は本来の自分を見失うことで今の『私』と言う存在を演じているのだから……
そんな私の考えを知ってから知らずか、彼女の話は続く。
「幸い、しごきに耐えきったあなたなら、この娘も気に入っていると思うの。それに、あなたもこの娘のことが気になっているでしょ」
「えっ?」
虚を突かれた言葉に、思考が一瞬停止した。
「ちょっと待って下さい。どうしてそう言う考えが浮かぶんですか」
「どうしてって言われてもね~。ただ漠然とそう思っただけなんだけど……」
「だいたい、私も彼も、こんな身体なんですよ」
「それなら問題ないじゃない。明日には二人とも元の身体に戻れるんだから。それに、今のまま付き合っても男女の健全なカップルなんだから問題もないわね」
そうこう言っているうちに、私達はマンションの部屋へとたどり着いた。
地面に降ろされた右足が床についた時に軽い痛みが走る。確かに挫いているようだ。
「そう言うことで、少しだけでいいから考えてみて」
部屋の扉を開ける私に、そう言い残して去っていく部長さん。
そして、ケイは――
「じゃあ、明日」
それだけ言って、隣の部屋に入っていった。
▽
「おはよう。ケイさん」
マンションの前で僕はケイと待ち合わせをしていた。
無論、レンタル屋へ本来の身体を受け取りに行くためだ。挫いた右足は、貼っていた湿布が良かったのか、一晩寝たら全快していた。
「あっ、おはよ。昨日はぐっすりと眠れた?」
「ヘトヘトに疲れていたからね。夢も見なかったよ」
たわいもない会話が続く。
この一週間、しごきにしごかれ少女を演じてきたのも、もう終わりかとも思えばそれとなく感慨深い。
今でこそミニスカート姿で街を歩くことにも馴れたが――覚めない夢は存在しない。
奇妙な夢はこれで終わる。僕は男に戻り、ケイは女に戻る。全てが自然の男女の形になる。
『この娘と付き合って』
昨日の舞台後に部長さんに言われた言葉が思い浮かんだ。
付き合ってくれと言われても、ハッキリ言って自分がケイのことをどう思っているのか分からない。好意が無いと言えば嘘になるが、それで付き合えるほどにケイという女性の存在を知らない。唯一分かるのは、男としての彼女のみ。
「何? どうかしたの?」
僕の視線に気付き、彼女がかぶりを振った。
ケイの言葉遣いは、僕と同じように舞台が終わり本来のものに変わっていた。そして、その仕草も――
「昨日の舞台で僕を助けたのって、劇を続けるのため? それとも僕のため?」
「うーん」
口元に人差し指を添え、首を傾げるケイ。
「ほとんど無我夢中の行動でよく分かんないけど、しいて言うなら両方ね。あなたとの舞台が未完のまま終わると思ったら、無意識にあなたをかばっていたもの」
どうやら、ケイはケイなりに僕の存在を気にはかけているみたいだ。
「――ねぇ」
不意にケイの顔にコケティッシュな笑みに変わった。
「昨日部長が言っていたこと、覚えてる?」
「そりゃまぁ、覚えているけど……」
自然と顔が赤くなっていくのを感じた。
「恋人として付き合うかは別にして、元の身体に戻った後も、あたしと一緒に舞台に立ってくれないかな。あなたと演劇をやるのって、楽しかったから」
「少し――」
一拍おいて、
「少し、考えさせてくれないかな。この身体でいると、正常な答えが出そうにないんだよ」
僕はそう答えた。
いや、この身体としての答えは出ていたのかもしれない。ただ、それには条件がいる。
そして、会話のないまま二人はレンタル屋の前までやってきた。
真っ直ぐに入り口の扉を見つめていると、
――もう少し、さらけ出してみれば?――
初めてケイとこの場で会った時の言葉が思い出された。
ケイの言ったさらけ出すとは何なのか? それは分からない。ただ、嘘と偽りのこの体の中で、僕の魂は何の隠し立てのないさらけ出した自分だったのかもしれない。
色々と考えながら扉をくぐろうとした僕を、ケイが止めた。
そして、彼女は指差した。自動ドアに張られた一枚の紙を――
『都合により、閉店します』
・
・
・
それから、二人して周りの人に聞き込みをした結果、僕達の事故以降もレンタル屋では事故が勃発し、それが公に公表され、営業権利を無くし閉店したのだと教えられた。ニュースで取り上げられもしたらしいが、演劇の練習で忙しかった僕達の知るところではなかった。
さらに、霊子サーバーに保管してある利用者の身体は、コンピュータウイルスに犯され、形を成さないことを知った。今、ボディレンタルを行っていた会社の親会社が、ウイルス汚染を除去しサルベージしているらしいが、それさえもいつになることやら……
つまり、僕達二人は、今しばらくこの身体でいなければならなかったのだ。
「――ねぇ」
隣で同じように閉店したレンタル屋を見上げているケイに呼びかけた。
「さっきの答えなんだけど……舞台に立つのはかまわないわ。ただし、この身体に性質設定を希望したのはケイさんなんだから、ちゃんと元の身体に戻れる時まで責任もって守ってくれると約束してくれるならね」
上目遣いの視線を向け、僕は笑って見せた。時折見せるケイのコケティッシュな笑みを真似て。
そんな僕――私に、ケイは困ったように微苦笑を浮かべ、私の顎をそっと持ち上げた。
それが、演じている役割としての少女ではなく、まして男でもない――自然な女としてのファーストキスだった……のかもしれない。
- The end -
Rental Body Re-make Series 好風 @air
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