2.

 一学期を終えた日の午後、家に帰り着くと祖母が玄関先で落ち着かない様子で待っていた。その姿は私にプレッシャーを与え、これから始まる日々の大変さを想像させた。

 その始まりとして鞄を下ろす間も与えず、祖母は荷造りを急かせる。

 心のどこかでは夏休みが終われば帰ってくると確信していた私の荷造りに、もちろん祖母は納得するわけはなく、やり直しを命じた。

 ため息を零して反論しようとした私を、わざわざ仕事を休んでいた明クンが止める。

「僕たちは離れても家族ですから」

 ママと一緒の頃から祖母には遠慮がちな明クンは何度も躊躇い、言葉を選び、そして悲しげな眼差しで、そう言った。

 いつも言葉が足りないって文句を言う私ですら、その明クンの搾り出した言葉に付け加えるものが見つからなかった。

 そう、私と明クンは家族だ。血縁関係はなくても、ママを挟んで私たちは家族なのだ。


 祖母は明クンのその言葉に少し顔を赤らめ、怒ったような、辱めを受けたような、どちらにも取れる態度で部屋を出て行った。

「毎朝、必ず電話するから。ちゃんと傍に携帯を置いてね」

 私は抱えた荷物を左右に何度も持ち替え、見送る明クンに告げる。

 彼は目を細めて優しく微笑むと、小刻みに顔を何度も動かした。

「三回鳴らしたら出ないと帰ってくるから。おばあちゃんと喧嘩しても帰ってくるから、分かった?」

 先に車に乗ってそっぽを向いている祖母を背に私はそう大声で確認をする。

「じゃ、五回にしてくれよ」

 そう催促した困った顔の明クンが可愛かったから、私は仕方なくOKを出した。

 それに彼は嬉しそうに笑って私の頭を撫で、そして背中を押した。

 走り出した車のサイドミラーを私はずっと凝視した。

 そこに明クンの姿が映らなくなっても、ひたすら彼の残像を忘れないように私は視線を動かさなかった。


 祖母の家は楽だった。いや、楽だと祖母が印象つけたかったようにも思う。

 きっと明クンとの生活を不自由に感じさせたかったのだろう。だから余計に心が軽くなって、頭の中が複雑になったような気もする。

 人間はヒマになると考える生き物だから。

「こっちに来たら部活をやりなさい。友達も増えるでしょ」

 ただし楽な分、明クンと住んでいた家から車で三十分以上かかる祖母の家で、私は毎日のように新しい生活の下準備を促されていた。

 けれど祖母が絵に描いたような話をすればするほど、それは現実味を帯びなかった。何だか自分の生きていく人生には思えなくて、借りてきた誰かの世界のようだった。


 何もかもを私より先に描こうとする祖母の目を盗んで、私は毎朝、約束どおり明クンの携帯を五回鳴らした。

 電話の向こうの明クンの声は毎朝起こしていた時よりしっかりとした口調で、それが毎日私の中で蓄積される小さな不安になっていた。

「で、明クンが元気なことが不満なの?」

 小学校の頃から仲のよい舞子は私の悩みにそう尋ねた。

「だって、それって私がいないほうがいいってことになるじゃん?」

 二週間経って、やっと明クンと暮らしていた家に帰る許可が下りた日、地元のファミレスで待ち合わせた彼女とカキ氷を食べながら額を押さえる。

「そうかもしれないけど、ただ心配させないためじゃない?」

 二通りの答えが出たとき、まだ回答を探しあぐねている私に舞子は笑った。

「私の勝ちだね、ここは絢の奢りだから」

 舞子はそう言うと席を立ち、窓の向こうに頭を下げると鞄を持った。

 私は彼女の視線の先を追って振り返ると、汗だくの明クンが姿を見せていた。

「娘に心配をかけたくない、絢の父親はそういう人じゃないの?」

 舞子の帰り際の一言は、それまでの私の不安を綺麗に除去した。

 だけど、その瞬間、その空間に今までは気付かなかった感情が芽を出したような気もした。

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