第2章
王都から辺境自治区へ 1
噂が駆け巡るのは驚くほど速いということを、私はこの数日間で身に沁みて実感した。シャイラ・ミランドが正式に王妃候補になったらしい――。それが噂の内容だ。嘘ではない。ただ、はっきりと承諾していないだけで、王妃候補という身分は揺るぎない事実なのだ。
そして、その噂には色んな尾ひれが付いていて、私を魔女だの妖婦だの悪者扱いにするものも少なくなかった。
「やっぱり、女官を辞めることになるんじゃないか」
噂を耳にしたロゼットが、開口一番、厭味ったらしく言う。私とロゼットは外交省のある階の会議室でしゃべっている。残業にも飽きて、ロゼットのいる部署を覗いたら向こうから来てくれて、気兼ねなく話せる会議室に入ったというわけだ。
「お前、バカだな。この話を受けた時に、こうなるってことくらい予想できただろ?」
「そうだけどさぁ」
目下の問題は、娘を王妃の座に送り込もうと目論んでいた貴族たちからの反発をどうやってかわすかということである。でも、サランが言うには、貴族の娘たちではどうしようもなかったから、王宮庁長官と宰相と筆頭侍女であるサランが女官を王妃候補にと決定したことで、私が批判されるいわれはないのだ。
「ていうか、あんたも貴族よね、一応? 何かいい知恵はない?」
「ない。別に俺には関係ないし。父だって、諸手を上げて賛成したわけじゃないだろうよ。だから、俺に期待されてもね」
旧友から冷淡に突き放されて、私は頭を抱えた。ああ、もう、商家の出の私の悩みなんて、生まれつきの貴族にはわからないんだ。
「でさぁ、シャイラ」
椅子の背にぐったりもたれた私に、ロゼッタが遠慮がちに言った。
「さっきから、扉の隙間からこっち見てる奴がいるんだけど。あれ、誰だよ? お前のこと待ってるっぽいよ」
視線を言われた方に向けると、恭しく上半身を屈めて挨拶をしてきたのは騎士団長ではないか。私はロゼッタに手短に説明した後、廊下に出た。廊下は薄暗く、もう残っている人はまばらだ。
「今日も遅かったんですね。そろそろ、お帰りになりますか?」
「ええ、そうする」
私はガイアンに付き添われて自宅に戻った。正門で今日の別れを告げる。
「ではまた明日」
「毎晩どうもありがとう。いくら陛下の命令とは言え、申し訳ないわ」
「いえ、あなたは王妃になるべき御方です」
ガイアンは微笑み、そして驚いたことに、その場に跪いて私を見上げた。
「この命を賭しても、シャイラ様をお守り申し上げます。ご安心を」
こんな言葉を聞いて、平静でいられる女がいると思う? 旧友に冷淡にあしらわれた後だったから尚更、私の頬は恥ずかしさで真っ赤になってしまった。
「騎士だからって、そんな軽々しく言っちゃっていいの? あなたは国王に忠誠を誓ってるんでしょ?」
「その国王の命令で王妃候補を守るようにと言われたのです。命懸けであなたを守ることは、陛下に忠誠を尽くすことと同じです」
なんだか騎士の論理ってすごいなぁ。
でも、カルダーンを護衛する騎士が離れてしまって問題ないのかと尋ねると、本来、国王の身辺護衛は実働部隊である近衛隊の役目だということだ。騎士は名誉職みたいなもので、王宮にはガイアンを長とする二十人からなる騎士団が存在する。
近衛隊は官僚と同じような職業だけど、王宮騎士団は国王個人との関係が重視されていて……あれ、ガイアンは暴君って噂されてたカルダーンに心から尽くしているけど、どうしてだろう。
ふと疑問に思ったことを訊いてみると、なんとガイアンのお母さんが王宮侍女でカルダーンが生まれた時から仕えていたそうだ。
「私と陛下は、兄弟のように育ちました。母がよく私を陛下の遊び相手として王宮に連れていったんですよ。今の騎士団の構成員は、陛下が即位する前から何らかのかたちで陛下と知り合っていた者が多いですよ」
私は温かい気持ちになった。カルダーンはちゃんと子供の時から友達がいて、ガイアンみたいな理解者もいたんだ。
ガイアンはここで深々と頭を下げて、颯爽と去っていった。
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