みつまさん(51~60)

51.

 愛梨ちゃん本人には怪我ひとつ無いって聞いて、僕はほっとした。でも石村さんは続けて、受話器を叩き付けるのを我慢してるみたいに、ちょっと震えながら静かにかちゃんと置いてから、

「釜田くん、矢田くん知ってたっけ。俺も会ったことは無いけど……命は助かったけど、右目と左足、失くしたそうでね。右肩も砕かれて、腕がちゃんと元通り動くようになるかは、分からないそうだよ」

 聞いた瞬間、みつまさんの顔が浮かんできた。彼氏さんの顔は分からないし……でもみつまさん、きっと泣いてるんだろうな。いくらスゴウデでもそこそこイイ歳いってても、みつまさん、泣き虫だし。

 みつまさんが駆けつけたときにはもう、全部終わってたらしい。ヘッドフォンも無しで、本当に鮮やかに、クラゲムシ七匹をあっという間に処理して、その釜田って人の止血とか応急処置まで、全部終わってたって。すごいな。もう一人前っていうか、それ以上かも。本当にすごい。

 ずっと頑張ってたもんね、愛梨ちゃん。ぱっと見はチャラチャラしてるけど、でも意外と努力家で負けず嫌いで、意地っ張りで、それで気配りな良い子なんだって、僕は知っている。

 頑張り屋なんだ、彼女はすごく。

「……? あれ、でも……」

「なんだい」

 机に目を落としたままの石村さんに聞き返されて、けど、あれ? 何でだろう。

「あの、石村さん?」

「うん」

「愛梨ちゃん、何でそこにムシが出るって、分かったんですかね?」

 愛梨ちゃんは念のために今、釜田さんと一緒の病院で検査を受けてるらしい。

「……さあ。俺には、何ともね」

「うーん。何でだろう? 何か……何かそれって」

 そうだ。そうそう。あれに似てる。

「まるで、ハンター? みたいですよね、あれでも、もう死んじゃったんだっけ? あの人って」

 石村さんは何も言わないでただ、ふすー、って鼻から息を吐いた。さすがに空気が重い。

 みつまさんも、愛梨ちゃんも……早く戻ってきてくれたらいいんだけど。




52.

 良いタイミングとは言いがたい。しかし、これも俺の仕事だ。いや……考えようによっては、悪くはないのか?

 受話器を持ったまま、ついついじっと黙って考え込んでいたら、

「おい? 石村? 聞いてるか?」

「ああ、いや悪いね、ちょっとぼーっとね。聞いてるよ」

「……少しゃあ休めよ、たまには」

「分かってるよ、で、二人?」

 電話の向こうから聞こえてくる研修所の賑わいに、俺はあちらの光景を思い浮かべる。相変わらず、研修生たちを手荒くゴリゴリとやっているんだろう。

 剣持は現役時代はパッとしない処理員だったが、教える才能のほうはちょっとしたものだから、とりあえず心配はしていない。ただこんな仕事だから、正直実際会って見なけりゃ、結局はどうにも分からないところではある。

「話すか? 今そこにいるからさ……宮村研修生、瀬古研修生!」

「ああ、いや、いいよ。邪魔しちゃ悪い。訓練中だろう?」

 向こうから、元気な若者たちの声が届く。いいね。こりゃあ元気だ、期待が持てる。

「いや何でもない、ああ分かった、俺が悪かった! 分かったから、さっさと訓練に戻れ!」

「はは……で、いつ頃?」

「二月は見といてくれ。それ以上にはならんよ、こいつらなら」

 剣持へ礼を言って、受話器を置いた。

 きっとタイミングは悪くない。そう思おう。それに、いくらか希望が持てるニュースではある。

「何の電話ですか? 何か、嬉しそうですけど」

「ん? んー」

 ことんとデスクへ置かれたコーヒーに、俺は、少し笑うことができた。

「まだヒミツ」

 さて。間に合うか。




53.

「理一くん、お客様がいらしたわよん」

「なんとまあ」

 おばちゃんに連れられてやってきたジジイは、ベッドに転がってるおれのザマを見るなり、ぽかんと大口を開けて言った。

「大変な有様じゃあないか、こりゃあ、釜田くんよ」

「ほうっとけ」

 客に弱みなんぞ見せるものじゃない……とはいえ、虚勢を張ったところで何にもなりゃしない。

 おばちゃんが気を利かせたらしく、

「サッちゃん、しばらく二人で、ゴハンでも食べにいってこよっか。理一くんには、あの野草定食ってカンジの病院食で我慢してもらってさ」

「余計なこたいいスよ。みつまさんも、ほれ」

 左手でひらひらと追っ払ってやったら、

「ん……ぅん……」

 みつまさんは泣きッ晴らして真っ赤な目でおれを見て、少し躊躇ってからもいっちょ目元をじんわりさせて、それからようやくおばちゃんと一緒に出て行った。おれが目を覚ましてからずっとベッタリだったから、あれで随分とマシになった……また取り乱して、涙目でシビンを振り回されたりしちゃあかなわない。

 まったく。なんてザマだ。

「……えー、何と言ったかな。三井、三谷……」

 それを眺めていたジジイが、妙なことを口走った。

「知ってンのか、みつまさん」

「みつま? そんな名前だったかな。いやなに、もう十年も前にね、石山くんと一緒に尋ねてきてね。処理業立ち上げの構想に、少しばかり講釈を垂れてやったのよ。いや随分と大きくなったもんだが、私ゃ記憶力だけは良いんでね。すぐに分かったよ」

 なんとまあ、だ。妙な因縁があるものだ。

 思えばジイさんも、それなりに名の知れた輩ではある。ジジイジジイと呼んじゃあいるが、なかなかどうして、上客にゃ違いない。

「メーワクかけて悪いね、酒井さん。あんたの担当は、しばらく生形に引き継がせるからよ。払いはあいつにな」

「……他の誰かにならんかね? 怖いんだよね彼、その筋の人みたいで」

「いやいや、あんた大物さ。ペーペーにやらせたんじゃあ申し訳ない」

 イヤな顔をされたが、諦めてもらうとする。

「そうそう、釜田くんよ。返済ついでに、ちょいと良いニュースを聞かせてやろうかね?」

「あァん?」

 何かと思ったら、

「私の研究がね、一段階、いや二段階は進みそうな、画期的な閃きがね。いや、ああ、いや、まだそう期待してもらっても困るんだがね、まだまだではあるんだが。釜田くんよ、今のあんたみたいな人間が、ひょっとしたらこの先少しは減ることになるかも知れん、ちゅうわけでね」

 そういやジイさん、今日はやけに機嫌が良さそうだ。おれとは正反対のようで何よりだ。

 もちろんそれが本当なら、結構なことだ。ジジイのボケが画期的に進行したってんじゃあ無いことを祈っておくとしよう。




54.

 夢を見てた。最近良く見るヘンなやつじゃなくて、昔の夢。すごく気分イイやつ。

 バカなフリョー娘だったあたしが、行くトコもなくてフラフラしてた時の夢。

 繁華街のネオンがチカチカして、目に痛かったのを覚えてる。あれは目に良くない。夜の街はどっちみちあたしには合わなかったんだろうなって、今更ながらにすごく思う。

 フラフラしてたら知らないニイちゃんに声かけられまくって、全部シカトして振り切って、ナケナシのお金で買ったチューハイで酔っ払いながらまたフラフラしてたら、妙なところに入っちゃって。あたし今、そこで働いてるわけだけど。

 どっか知らない会社だなぁ、ああこんなとこで寝てたら怒られるなぁって思いながら、一歩も動けなくなって、壁のとこによっこらせって座り込んで、そのまんまあたし、眠くなっちゃって。

 起きたら朝で、知らない野郎があたしの肩に頭乗っけて、ぐーすか寝てんだもん。そりゃびっくりだよ。

 ぶわー! ってあたしがぶっ飛ばしたら、矢田くん目ーパチパチして、そんであたしの肩からするって毛布が落ちて。矢田くんがかけてくれてたんだよね。でも矢田くんてばヘタレだから、あたしを会社ん中運んでくれようとしたらしいけど、どこ持ったらいいんだか分かんなくて、もーめちゃくちゃオロオロして、でも放っとくのもいかにもマズイからって、そのまま朝まで、あたしの隣座って起きててくれて。で朝方に結局、矢田くんも寝ちゃったんだよね。

 バッカだなぁこいつ、バッカでしょあんたって、あたしそん時言ったけどさ。

 あの毛布、あん時あげるよって言ってくれたあれさ、未だに持ってたりする。だって、スッゲー嬉しかったんだもん。初対面でさ、あたしにそんなことしてくれる人、いなかったもん。

 あたしってチョロイんだなぁって、そん時初めて知ったよ。

 そん時の夢。今、見てたのはさ。

「愛梨ちゃん……謹慎中じゃないの? なんでいるの? ソファで寝てるの?」

「はァァァん? あたしがいちゃ悪いってェの? それってのはさ、邪魔だァって言いたいわけ? あたしのこと?」

「……石村さーん!?」

「ま、いんじゃない? いたってさ、俺はもう言うこと全部言ったし」

「ほーれみろ」

 あー。何か、良い気分だなぁ。良い夢見たからかな。スッゲー良い気分。

 あー。もー、言っちゃおうかなぁ。言っちゃうかぁ。

 今なら何か、言えそうな気がするしなぁ。

「矢田くんよう。明日の予定は、おありかい?」

「みつまさんがお休みで愛梨ちゃんは謹慎中で、僕と石村さんは仕事の予定がおありです。何で?」

「明日さあ、矢田くんもオヤスミしてさあ、二人でどっかいこっか? デートしようぜ、デートォ」

 うはは、ケッサク。コーヒーこぼしてやんの。




55.

 ……これ、デートって言うのかな。公園で二人して、ぼーっとしてるだけだけど。何回もしたことないし、これで良いのか良く分からない。

 見栄張ってた、うん。初めて。初めてのデート。何にも分からない。

「あの……愛梨ちゃん?」

「んー?」

「何か、飲み物とか……いる? 買ってくる?」

「んやー。いいかなぁ」

「そう? ソフトクリームとかは?」

「公園に売ってねーっての、ンなもん」

 まぁ……愛梨ちゃんは何か、まんざらでも無さそうな感じだから、良いのかな。これで。

 僕を誘うくらいだから、よっぽど暇なんだろうなぁ。前は服買ったり、美味しいもの食べに行くのが趣味だったみたいだけど、臭くなったしね。大分。気軽に映画も見に行けないのは、ちょっと気の毒だなぁとは思う。香水作戦もそう長持ちはしないわけで。

 ……会話もあんまり、今、長持ちしてないわけで。

 風がぶわあって吹いて、愛梨ちゃんが気持ち良さそうに、ふわって目、細めて。会社の近くの公園だけど、確かに良い感じかも。そこそこ広くて景色が良いわりに人は多くないし、ぼんやりゆっくりするのにちょうどいい。時々脇道を通る車の音が無ければ、すっごい静か。

「ねー矢田くん」

「はいっ!?」

 愛梨ちゃんはにーって笑って、何が嬉しいのか、幸せそうな顔で僕に聞いた。

「楽しい? こーいうの」

「えっと、その。あの、それなり……かな」

「そっか、あたしと一緒だ。それなり」

 あ、うん。そうだよね。それなりだよね。愛梨ちゃんの本命の誰かなら、もうちょっとマシなことを言ったり笑わせたりできるんだろうけど、僕は何しろ初めてなわけで。こういうの初めてなわけで。

「次はさ、もうちょっと、楽しいトコいこっか」

「あ、うん、そうだね……次?」

「次。イヤ? あたしとだと」

「イヤじゃ……ない、かな、えっと。うん」

 イヤじゃない。それはうん、確かに。こうしてるのだって、本当はそんなに、イヤじゃない。それなりどころじゃなくて、結構、悪くない。

「そっか、良かーった」

 うーん。参ったな。まさか愛梨ちゃんの笑った顔に、どきっとする日が来ようとは。




56.

「TAKIー? 何あんた、今日機嫌良さそうじゃーん。何か良いことあった?」

「わっかるー? 教えてあげないけど、わっかるー?」

「テンションたけーなぁ」

 ふっふっふ。何とでもお言い。

 ストーカー問題が解決……はしてないけど、多分当面は問題無さそうって分かったら、心配事がひとつ無くなったら、私は今、すっごく調子が良い。

「今日もオフ? カラオケどーする?」

「いくいく、歌いまくっちゃう! 今日はサービスしちゃうから」

「おっ、TAKIのプライベートライヴ、レアだぜレアモノ!」

 はっはっは。バッチこい! でも撮影は禁止、録音も禁止よ? 己の目と耳に焼き付けることだけは、許して進ぜようー。

 なーんてね、いくらなんでも、調子に乗りすぎかしら? でも、心がすっごく軽くなったのは確か。

 あの視線はまだ、消えてないけど。今も感じるけど。やっぱり、私に何かヤなことしてやろうっていう感じは、全然しないし。

 私の歌に、何だかちょっと、ゆらゆらしてる感じもしたし……私の曲が分かってくれるなら、きっと良いヤツかも。でもまぁきっと、ヘンなヤツ!

 ああそうそう、ヘンなヤツと言えばー。

「ねー、佐久間ー?」

「……何? 黒滝」

 やーっぱり、まだぶすーってしてる。沈んでる。

「カラオケ、あなたも行く? 行かない?」

「行かない」

「ふーん。そ!」

 ヘーンなヤツ。陽ってば、やっぱり、ヘンなヤツ!

 ふふふ。でも良いの。ちゃーんと分かってるから。男の子だって、キゲン悪いときくらいあるもんね、女の子ほどじゃないにしろ。

 だから、待っててあげる。キゲンが直ったら、またあそこでチーズバーガー食べながら、一緒にたくさんお喋りしようよね。

 そしたら今度こそ、ゆかりって呼んでよね。私、待ってるんだからね。




57.

 ユメだ。またいつものユメ。このユメだ。

 見える。真っ白。ぐるぐる回ってる。熱くてどろどろしてて、流れがあって、ところどころ虹色なのは、きっとあいつらだ。

 あいつらの故郷なんだ。これは。

 あのハンターってのが死んだとき、あのオタク野郎がかじられてるとき、アタマズキンてきてた理由が、今は何となく分かる。

 あたしには今、あいつらのことが分かる。

 ……って気がするだけ、だってあいつらムシだし、全部分かったりはしないもん。少なくともあたしにはね、多分これ、相性ってやつがあるんだ。

 どこかにいるのかもね、あいつらの全部が分かる誰か。あたしじゃない、ハンターでもオタク野郎でも無い、キトクな誰かってのがさ。

 はあ。ユーウツ。あたしは別にキョーミ無いっつーの、こんなもん。テレビの番組終わった後の、深夜のざらざら砂嵐でも眺めてるほうが百倍マシ。

 まぁあんたたちはさ、あたしにモノ申すっていうかさ、言いたいことあんのかもしれないけどさ。さんざんぶっ殺してきたし。殺してはないか、痛めつけてきたしさ。

 けど人間だもん、あたし。生きなきゃさ。生き延びなきゃさ。あんたには悪いけどさ、食べられてやるわけいかないジャン?

 だから悪いけど、あたし、謝んないよ。謝ってなんてやらねーんだ、絶対に。あんたはどうなの? 謝る気あんの? 全部水に流して仲良くやろーよ、ヘイ! ブラザー! なんて気あんの? 無いよね?

 だったらほら、仕方ない。やるしかないジャン? あたしに飽きるかあきらめて放っといてくれるってんなら、許すけどさ。そんなわけないジャン?

 あー……くそぅ。七色だ。光ってる。

 なんなんだろーね、あんたって。何がしたいの? こんだけ付き合ったってさ、あたしあんたのことなんて、結局、全ッ然わからなうぴ。

 ……うぴってナンだ?

 ああ。それってのは、そーいうこと。なるほどね。




58.

 芸能事務所、とかなんとか。タキちゃんがいるんじゃなきゃ、ボクには全く縁遠い場所だ。きらきらしてて、やかましい声がひっきりなしに聞こえてきて、物凄く居心地が悪い。帰りたい。

 何しに来たんだろう。ボクは。タキちゃんに会って、どうしようっていうんだろう。何を相談しようっていうんだろう。

「ええっ? え、うそ? なんで? 何でここに? ええっ、今? 来てるの?」

「そう言ってるじゃないの、何分も時間取れないわよ、先方さん待たせらんないんだから」

 びっくりしたような声が聞こえて、小走りにタキちゃんがロビーへやってきた。私服を見るのは、随分と久しぶりかもしれない。やっぱりタキちゃんは、すごくセンスがいい。垢抜けてるっていうか。

「佐久間ぁ!? えっナニ、どしたの? 会いにきてくれたの?」

「うん。まぁ、ちょっとね」

「ほんと!? 嬉しいなぁ、ふふ、最近全然会えてなかったもんねー、だってあなた電話にもあんまり出てくれないじゃない、忙しいの? まだほら、悩んでる? 例のあれ、なんだったかしらあれ」

 興奮したようにまくしたてるタキちゃんに、少しだけいつものボクらに戻ったような気がした。タキちゃんが喋って、ボクが聞いて、時々口を挟んで、またタキちゃんが喋って。そんないつものボクたちに、ちょっとだけ戻れたような気がした。

 でも、気のせいだったみたいだ。

「由香里ちゃん、まーだー? 早く早く、あそこの担当さんクチウルサイんだからさぁ」

「はーいはいはいはい、今行きまーす! ごめんね陽、私すぐ行かなきゃいけなくて、ほんとはもっと喋りたいけど、あそうだまた電話するから、今度はちゃんと出てよね、悩みがあるんならさ、ちゃんと相談乗ったげるからさ、私彼女だもん! ねっ陽、それじゃまたねー! はーいはいはいはい、お待たせでーす!」

 行っちゃった。嵐のように、とか言うのかな。売れっ子だからね、タキちゃんは。いつだって忙しそうなんだ。ボクと違ってね。

 どうしてこう、差がついちゃったんだろう。タキちゃんはどんどん先へ、すごいスピードで真っ直ぐに、前へ行ってしまう。

 ボクは後ろを振り返りながらもたもた、足踏みして、うろうろ迷って寄り道して、遠ざかってくタキちゃんの背中だけを見てるんだ。

 そしてそれも多分、もうすぐ見えなくなるんだろう。

 ……帰ろう。帰って、寝てしまおう。それがボクには、きっとお似合いだ。

 どうしてこう、彼女と違って、ボクは大人になれないんだろう。




59.

 ザマあない。ああまったく。おれとしたことが。

「りいちくゅん、もっぁいぇ、いぅぉー?」

「はあ。はあ。はあ。おう。ふんぬッ! はあ。はあ。くそ。はあ」

 ムシの野郎に片足持って行かれたモンだから、おれはまともに歩くのにもえらく苦労をしている。腰の曲がったジイさんバアさんに混じって杖突いて、みつまさんに寄っかかってリハビリに精出すなんてのは、ああまったく。ザマあない。

 しかもこれ以上に無いってくらいに、運動不足が祟ってやがる。

「いっ、にっ、いっ、にー、ふぁーい、とぁれー。よしゅよしゅー、よーれぃまぃた!」

「はあ。はあ。ガキか? おれは、はあ。はあ。はあ、くそ。はあ」

 ありがたく手伝ってもらいながら、しかしおれは逆に、みつまさんがやけに張り切ってるのが気になっている。

 しばらく前から、どうにも彼女、無理をしてるように見えるのだ。

「つぃ、いぅぉー、ぁい! いっ、にっ、いっ、にー」

「ふんぬッ、はあ。くそ。はあ。はあ。はあ。はあ」

 まぁおれにも、大体分かっちゃいるわけだが。きっとこの前ぽつりと漏らしてた、高尾ちゃんの件だろう。おれの有様も大概だが、どうもあっちはあっちで調子が悪いらしい。

 そんな中で助けてもらっといて何だが、高尾ちゃんにゃ悪いが、おれにはそのことでこうやって、みつまさんの調子が落ちることのほうが重要だ。おれの足がひとつぶっ飛んだとかそんなのはまだいい、生きてンだ。けどみつまさんが今度ぶっ飛ばされるのは、舌くらいじゃあ済まないかも知れないのだ。

 とはいえそんなのは、高尾ちゃんだって同じ。おれとてもちろん、彼女を心配しないわけじゃない……弁当作ってやったりしたしな。みつまさんの妹分ってんなら、おれにだって可愛いさ。

「はあ。はあ。よお。みつま。はあ。さん。はあ。よお。はあ。はあ。くそ」

「いっにー、しゃんぃー。らぁぃ? りいちくゅん」

「はあ。はあ。こん、はあ、こんど、はあ。たか、はあ。はあ。きゅうけ、はあ、くそ。はあ。はあ」

 休憩。休憩だ、いったん。

 しゃべれやしない。

「ぅん?」

「はあ。はあ。はあ……ああ。ごんど、んがッぐァ! ……はァ。今度な、高尾ちゃんとよ。また三人でよ。どっか、出かけるか」

 思っても見なかったんだろうが、ともかくみつまさんの顔が、きらッきらしだした。どうやら文句は無さそうだ。

 とするとそれまでに、おれの歩きをどうにかこうにか、しとかないとな。

「よォし再開だ、頼むぜみつまさん……ふんぬッ!」




60.

 だからあたしはヘッドフォンを放り捨てたんだ、ぽいってね。前からずーっと思ってたんだよね、これ、ジャマッ臭くて仕方なかった。

「あいりしゃん! あいりしゃん……ッ!!」

 鉄砲もまァ、いらないか。捨てちゃえ。もうちゃんと当てる自信ないし、みつまさんのどっかに当たっちゃったりしたら、たとえばそれが髪の毛一本だって、あたし釜田さんに殺されちゃうよ。

「あいりしゃ、ッ、ぅあゃぁああああああ!!」

 おわァ。やっぱりみつまさんはスゲー。ひとりでこれだもん。

 ずーっと憧れてた。みつまさんに。バッタバッタ、レンチ一本でガスガスぶっ飛ばしてぶっ千切るみつまさんがカッコ良くて、あんな風になりたいって、フリョー娘は思ったさ。やっと目標みたいのが見つかったって思った。臭くなるのはちょっとカンベンだけどね、ま、しゃあないよ。

 石村さんはダンディって言うか、秘めたオトコってやつを感じるよね。イブシギン、シブいぜって感じ。あーいろいろお説教もされたなぁ、半分くらい聞いてなかったけど。ごめん! 石村さん! 眠くなっちゃうんだよね、いっつもさ。

 おじーちゃんにも随分メーワクかけたよねあれ、あたしガサツでさ、雑だからさ。鉄砲いっつもガタガタになっちゃってさ、絶対苦労してたよあれ。ごめん! おじーちゃん! でもまた土まみれにしちゃったよ。

 釜田さんの弁当、うンマかったなー。あのからあげサイコー、チョーサイコー。もちろんデスコかかってないヤツだけどね、いくらみつまさんソンケーしてたって、あれはちょっと絶対ムリ。

 あー。ママ、心配してっかなー。パパはまだブッチギれてるかな、ウリコトカイコトでだーって出てきたまんまだし。ガキだったね、あたしってやつはさ。

 どうしようもなくてさ、本当にさ。

「あいりしゃんッ! めぇさぁしゅてぉッ、あいりしゃん……ッ!」

 あー。何か、いまさらスルスルコトバ出てくるのは、何なんだろうねこれ。

 でも多分、面と向かったら、言えないんだろうなぁ。あたしもおんなしくらい、ヘタレだもんね。

「あいりしゃッ、! !! …………くらぇむひぁァァァ……ッ、らまラあァアアア!! ろォォォえええェェェェェェエエエッッッ!!!!」

 それにしても、壮観ってやつだね。七色だ。光ってる。

 けどさ、あたしは絶対、言ってやんないんだ。あんたが綺麗だなんてさ、死んでだって言ってやんねー。

 代わりにどうしようか。泣くのはダセーし。

 笑ってやるか。そうしとこっか。

「あっはっは! じゃーね」

 大好きだったよ。それってのは、すっごくね。

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