【コーヒーブレイク】良い作品 vs 売れる作品
「良い作品は売れるとは限らない」
「売れるのが良い作品」
web小説に置き換えれば、「売れる」の代わりにPVや★の数の高さが当てはまるでしょうか。どちらもよく聞かれる言説ですが、矛盾しているように見えます。
アニメファンの中には、主に深夜に放送されるアニメのDVDやブルーレイディスクの売り上げの高低にやたら拘る人々がいます。これなどは「売れるのが良い作品」の最も極端な例といって良いでしょう。
ところが、よくよく考えてみると彼らの考えは妙です。そもそも深夜アニメというのがマイナージャンルであり、碌なCMも流れません(謎の白い液体の正体とは)。視聴率1%いけば優秀ですが、もしゴールデンタイムのドラマであれば社長の首が吹っ飛ぶレベルの爆死でしょう。にもかかわらず、特に根拠なく恣意的に設定したカテゴリーの中での相対比較を行うのです。
このように、「売れるのが良い作品」という主張は根本に深刻な矛盾をはらんでいます。そもそも、日本語という時点でオワコンです。そんなに売れるのが大事なら英語か中国語の作品を見ればいいでしょう。
一方で、「良い作品は売れるとは限らない」という主張もこれはこれで怪しいものと言えましょう。これを貫くと自分の主観に基づいて良い作品を勝手に決めるしかないからです。私自身に照らして言えば、人類史上最高の作品は自分が今執筆中の作品です。異論は認めません。ただ、馬鹿正直にそんなことを話したところで、とんだ妄言だと受け止められるのがオチです。もし他人とまっとうに対話したいのなら、ここにおいて、売上のような何らかの客観的指標に基づいた議論を展開せざるを得ません。(2017年5月27日現在★0の拙作はここで脱落します)
売上にこだわる立場というのは、このコミュニケーションのための妥協を突き詰めた結果ではないでしょうか。ですから、冒頭に申し上げた対立など、もとより存在しないのです。双方を動かしているのは結局のところ愛なのです。いずれの言葉からも、何らかの細分化された作品群に対する深い愛が溢れています。
この「何らかの作品群」というところがミソであります。この作品群というのは、「アニメ」みたいな媒体かもしれないし、「ラブコメ」みたいなジャンルかもしれないし、あるいは日本語みたいな言語かもしれません。受け手がそういうまとまりとして認識できるものであれば何でもよいでしょう。
自らの作品を良い作品に仕立て上げるためには、この「何らかの作品群」というのをでっち上げればいいでしょう。例えばニューギニア島の奥地のナントカ語で作品を書いてしまえば、(オンリーワンであると同時に)まごうことなきナンバーワンの良い作品になれるはずです。
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