役まわり
すりらあ
第1話 序
その日の私は、採用試験に臨んでいた。東証1部上場の機会会社の、社会経験者が対象の、第1次選考である。
やるべきことを完了させた私は、退屈しのぎをはじめた。最前列の席、8つ前のテーブルの左端の席から、すでに頭を起している一人びとりを、順ぐりに眺めていった。
何人目かで、私はハッとした。見覚えのある頭、髪型をした男が、そこにいたからだ。
横幅のない、後頭部が張り出している頭。それを、時代錯誤とも思えるヘアスタイル、マッシュルームカットで覆っている。そうそうはいない。しかし、私と縁のあった男であるのかどうかも、定かではない。同一人物であるのなら、髪型を変えていないことからしても、当時同様、メガネを掛けてもいるはずである。
(ケツカラチガ)
何としても確認したくなった。私の両目は、その男の頭部に固着された。それが左右いずれかに振り向けられる瞬間を待つことのみに、専念しだした。
「正午まではあと……。3分ていどですか。1時間ほどまえまでの能力テスト各種とは異なり、いまのそれは性格検査ですから、多少の時間オーバーであれば構わないんです。けれどもみなさん、ほとんどのかたがもう、終っていらっしゃるようですね」
人事部長が言葉を切った、そのときである。あたりを窺おうとしたのか、きのこ頭が左右に振られた。当時そのままの、茶色のセルフレームの眼鏡が、起伏に富んだ横顔が、私の目に飛び込んできた。まちがいなかった。時計も楽器も扱っている電卓会社に勤務していたころの先輩社員、今野だったのである。
(ケツカラチガ)
入社年に同じく、私より1年早く、今野はそこを退社していた。仕事の引継ぎもせず、誰にも別れを告げず、去っていった。特殊な事情から、そうせざるをえなかったのである。
同じ海外営業部に在籍していた時分、私は今野に、ひとかたならず世話になっていた。冷血漢、偏屈者だと評判だった彼だが、なぜか私にはやさしかった。あちらはアジア課、こちらは欧州課。販売実績を競う間柄でありながら、足りなくなってしまった「弾丸(しょうひん)」を融通してもらったりなど、どれほど助けてもらったかしれない。アルコールが呑めない彼を、下車駅が同じだという理由だけで、何度ハシゴ酒につきあわせたかも、わからない。ともに薄給であった。大学時代に結婚しており、すでに娘もあった彼は、そのたびにどれほどの損害を被っていたことであろうかーー
(ケツカラチガ)
懐かしさから、私の心身は震えていた。
「時間です、一応。お済みでないかたは、ちょっとはお急ぎになってください。……ここは3階ですから、行きにはみなさん、階段をご利用になったほうがよろしいかと存じます。……では、昼休み終了後に、またこちらで」
今野が席を起つのが見えた。私も倣った。試験会場のなかで声をかけるわけにも行くまい。出たあとに備えよう。そう思った私は、彼との距離を縮めておくべく、足を急がせた。
それもまた過去に変わらないことであったが、今野は歩くのがめっぽう速い。跳んでいくかのような1歩ごとである。試験会場を出て数歩のところで、私は早くも焦りを覚えた。あいだにまだ数人を挟んでいる状況で、彼の名を呼んだ。
「今野さんっ」
口ではそう言ったというのに、頭のなかでは別の言葉が。わずか10分ほどのうちに4回目ともなる別の言葉が、私のでも今野のでもない別の男の声で、発されているのだった。
(ケツカラチガ)
ぴたりと、今野は立ち止まった。くるりと、身体の表を向けてきた。怪訝そうな顔をしている。無理もない気がした。こちらは、往年とはかなり変わってしまっている。でっぷりと太っているうえに、前髪をうしろへ撫でつけているのだ。笑顔を偽造し、私は彼に近づいていった。
「お久しぶりです今野さん。遠藤ですよ遠藤。K計算機でお世話になってた」
言い終えた直後である。映像を、いきなり逆回しに切り替えられた。機械的な動きを経て、今野が歩みを再開した。その速度にも、これといった変化は見られなかった。目をまぶたで強く拭ってから、私は彼を追いかけた。同一の外貌で同一の名字。それでいて別人。そんなことがあろうか。いや、絶対にない。「今野さんっ。……今野さんっ」
歩きながら、かたわらにいる人間たちを気にしながらで、私は呼びかけることを続けた。
(ケツカラチガ)
階段の手前で、今野は突然、私のほうへ向き直った。眉根を寄せた顔で、まっすぐに右腕を突き出してきた。手の平を見せている。止まれ。その身ぶりであることが決定的なので、私は足を揃えた。
(ケツカラチガ)
しかし、それでもなお、今野の右腕は下ろされないのであった。私は目を見開いた。彼の口がヘの字に曲げられた。かと思うと、私の前で広げられていた彼の右手の5本が、ピッチリと揃えられた。外へ行け外へ行け。そんなふうに2回、骨張った1枚が虚空を掻いた。外へは、向かっているわけである。自分の前から消えてくれ。もう声をかけてこないでくれ。そう伝えられているとしか思われなかった。私は目を落した。今野のズボンの裾が翻されるのが、ちらとだけ見えた。
(ケツカラチガ)
間もなく、軽快な2拍子が聞えだした。その音が、他の靴音にまぎれてしまうのを待ったうえで、私はみずからの足に動きを与えた。
(ケツカラチガ)
K計算機においての彼の「過去」とは、自分も無関係ではない。つれなくされても仕方があるまい。声はかけたのである。接触を拒んでいるのは、今野のほうなのだ。不義理な男だと思われる筋合は、どこにもない。この、東証1部上場の機械会社が求めている人材の年齢制限からすれば、双方が勝ち残れる確率はきわめて低い。よしんばそういうことが起きたとしても、彼のほうで辞退するのではなかろうか。つまり、この世ではもう、遭うことはないのかもしれない――
そんなことをくどくどと考えながら、私は独りで昼食を摂(と)った。
2年前、会社都合により、私は準大手の総合商社を解雇された。
社長の2号であるとはつゆ知らず、女優を兼業していた総務部の女、当時32歳に手を出し、そういう決着となったのだ。
3ヵ月前までは、無職でも、安楽に暮らすことが叶っていた。失業給付金を1年間もらえたこと、ある程度の貯えを持っていたこと。何よりも、親元にあったことが大きかった。
ところが、1シーズン前のある夜、予期せぬ出来事が発生した。私の女、元グラビアモ
デル26歳が、突然、ボストンバッグ1つのみ携えて、我が家へ転がり込んできたのだ。「押しかけ女房」というやつである。
「あらそう……。でもああた、借りもののマンションのお部屋はともかくとして、家具やお洋服なんかは、どうなさったの? ご実家に預けてきたりとか?」
「いいえ、ぜんぶ捨ててきちゃいました」
「あらあら、それはまた。おほほ。でもねえ。あたくしも息子がこんなのなんで、世間体なんてものはとっくの昔から、気にもしなくなってるんですけどねえ。……息子はこんなのになりさがってしまいましたけど、あたくしはああた、そりゃあもうきびしいですよ」
「覚悟はできてます。なんなりと言いつけてください」
動物ずきの母親は、当初は、大女の無鉄砲を面白がりもし、それを積極的に受け入れようともしていた。だが、日を経るにつれ、衰弱していった。ついには寝込んでしまった。身体が大きいということは。それが、最後の言葉であったらしい。そこまでは見て見ぬふりをしていた父親が、事態の収拾に乗り出してきた。おちょぼ口の楽天家まで背負わされ、私は実家を追われることとなった。
立退き料なのか餞別なのか、いくらかのまとまったカネを、父親が握らせてくれた。そのおかげもあって、入居審査の甘かったおんぼろアパートには、戸籍上は未婚の我々でも落ち着くことができた。
しかし、私が安らかな気持でいられたのも、束の間だけなのであった。
どんなに無遠慮な人間であろうとも、他家にあってはと、本人なりに自重していたようだ。その、傍目(はため)からはとうていあるようには見られなかった手かせ足かせもが、根こそぎ取り除かれたわけである。26歳の頑健な大女が「性欲の軍艦」と化してしまった。人っ子ひとりいない狭い湾内を、昼夜を問わず追い回される日々が、私を待ち受けていた。金銭的な逃げ場どころか、肉体的なそれまでを、奪われかけている。
よって、藁にも縋る思いで、私は避難所、就職先を求めているのだった。
その名門機械会社の募集広告には、「35歳まで」というしばりが設けられていた。それには、私はまだ1年の余裕があった。しかるに、3年ちかい社会的なブランクがあること、前職が異業種であること。2つの大きなハンデが、こちらにはある。即戦力になるかどうかが未知数の男を、高給で迎える馬鹿もなかろう。書類選考の段階でハネられるものと想いながらも、私は応募してみた。
すると、卒業した大学のOBたちの活躍ぶりによってなのか、図らずも受験を許可されたのである。
試験会場は、一時的に模様がえした会議室とは、明らかに趣の異なるものであった。演壇がある。それと向き合う格好で、作り付けのテーブルが2列、あいだに通路を隔てて、並んでいる。講義のためにだけ設(しつら)えられた部屋。そういったものであるようだった。さすがは大会社だと、私は痺れた。
うしろから黄色い声が飛ばされてきた。自分の名札がある席に就くようにと、せっつかれた。まだ誰も来ていないのにと、私はその若い女を睨み返したくなった。だが、雑用係にせよ、相手は制服姿である。笑顔でうなずいておいた。
1つのテーブルには、3席ある。が、真ん中は空けられていた。私の名札は、最後部、9つ目のテーブルに発見された。出入口から見れば、向かって左の、どんづまりである。末席に加えていただけたわけか。そう苦笑はしつつも、私はどっかりと腰を下ろした。
18人分の島が左右に2つ、つまり、定員は36人ということになる。しかし、この日だけが試験日とは限らない。
いずれにせよと、私は思った。バッグのなかから、一般常識試験の対策本を抜き出した。1つでも多く正答できるようにしておこうと、それに目を走らせはじめた。
刻限になると、人事部長だという50年配の男が、ワイヤレスマイクを手にして挨拶に立った。聞くに値する話だけを聞いておけばいい。この段階で目を付けられることもなかろう。私は本を手放さずにおいた。
「今後のみなさんのご予定ですが。本日は、午前に能力テスト。まあ、いわゆる筆記試験。それと性格検査。午後には、1次面接を受けていただきます。次回の2次面接が、最終面接ということになります。なお日当。まあ、お食事代ていどのものですが。それと交通費は、当社で負担させていただきます。これからお配りします用紙の、住所氏名電話番号欄、ならびに交通費欄に、必要事項をご記入ください。……何かご質問は、おありでしょうか?」
そこまでとは別の、ナマの、短い声が噴き上がった。私は耳をそばだてた。
「今回はっ。何人を採用なさるおつもりでしょうかっ?」
「5人前後を予定しております。本日と明日とで15名に、絞らせていただくつもりです」
想ったとおりなのであった。私は顔を上げた。部屋を見渡してみた。本邦の不景気を反映してか、満席である。20代前半にあろう、若そうな顔ぶれが多い。面接では、それらのほうが受けは好いだろう。また同年輩であれば、転職組のほうが、再就職組よりも有利にちがいない。自分にある確固としたものは、話術ぐらいだ。面談中にテープレコーダーでも回してくれるのであれば、顔写真や履歴書のように、後日の証拠ともなるだろう。だが、そんなことはまず期待できない。何としてもこの午前のうちに差をつけておかなければと、私はあわてて対策本に目を戻した。
能力テスト、筆記試験が終った。英語問題が、全体の半分以上を占めていたこともあろう。我ながら、上々の出来であった。喜びによる興奮を冷ましているうちにも、その回収が進められ、性格検査のための一式が配られた。そちらは、専門の業者が作成した、マークシート方式のものである。それと認めるなり、私は寛いだ気分になれた。
「検査を終了されますと、お昼です。早く終えられたかたは、退出されても構いません。昼食は、各自でお願いいたします。お荷物は、貴重品以外、ここに残していかれても結構です。わたくしどものほうで、監視しておりますので。ただし、午後1時までにはこの部屋にお戻りください。交通費と日当は、面接を終了された順に、お渡ししていきます」
カッチリとしたその説明も、まろやかなBGMのようにしか、私の耳には響かなかった。
転職歴も、私にはある。準大手の総合商社で働いていたのは3年にすぎない。そこに移るまでは、東証1部上場のK計算機に勤めていた。したがって、採用試験を突破した実績も、2度ならばある。だが、落された回数は、それを20倍してもきかない。いずれの場合においても、筆記試験でしくじった自覚があった。つまり、先例によれば、私がこの機械会社にフラレる恐れは、なくなったも同然ということになるのだ。惚けていないほうがおかしかった。
「それでは、お始めになってください」
性格検査には、似たような設問が、くりかえし出てくる。答に矛盾があると、好くないらしい。そのことを念頭に置くのみで、ゆったりと、私は筆入れからBの鉛筆を抜き出した。筆記試験がマークシート方式で行われた場合に備え、芯先を丸めたBを2本、用意してあった。○を黒く塗り潰すという作業。それに要する時間も馬鹿にならないからだ。こののちにとりかかるものが試験であるのなら、私はほくそ笑んだに違いない。だが、眼下にあるものは、別物である。きっかりとした制限時間が設けられているものでもなければ、どれが正解というものでもない。軽い脱力感を覚えつつ、私はゆるゆると、手許にある冊子、設問集を広げた。
10分前には、片づいていた。だが、私は席を起たずにおいた。出る杭は打たれる。そういうことに、なるかもしれないからであった。まわりでもそう思っているのか、机から顔を上げている者は多かったが、椅子から腰を上げようとする者は見られなかった。
部屋の左右には白い壁しかない。演壇のイスに座っている人事部長を観ていても、得るところはなさそうである。変な気を起されても困る。必然的に私の目は、自分と同じ境遇にある男たちへと、注がれることとなった。
そうしているなか、今野のものであるらしい頭を、私は発見したのであった。
食後の一服を燻らせているうちには、どうにか踏んぎりがついた。採用試験においては、今野も、敵の1人にちがいない。私は彼を無視することに決めた。
1次面接は、3人を1組にして行う。全員の着席を待ち、人事部長はそう告げた。3組目までに含まれる9人の姓名を、続いて発表した。7つ目に、私のそれが呼ばれた。
列座することになった2人は、いずれもが私よりも若そうだった。試験官の1人から生年月日を言うように求められ、両者とも20代なかばであることが判明した。
しかし、私が彼らに引け目を感じたのは、はじめのうちだけであった。双方とも、別の試験官が投じた英語での質問には、まったく答えられなかったからだ。筆記試験の内容によっても窺われたが、語学力のある人材を、会社は求めているらしい。それにかなった自己アピールを、私は心がけた。女を口説く際にならい、質問者の感情脳、右脳に訴えるべく、その左目を見詰めながらで、返答した。対面する6人全員から、好意的な反応を得られたようだった。
受かったも同然だと思いながら、私は帰路に就いた。乗換駅を見過ごしそうになり、浮かれすぎている自分をたしなめた。隙のある状態でアパートに戻れば、必ずや軍艦の餌食にされてしまう。故意に気分を悪くしようと、私は図った。あっけなく叶えられた。
(ケツカラチガ)
頭の隅へと投げやっておいたことが、その中央へと、ここぞとばかりに転がり出てきたからである。
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