朱に染まっちゃえばいいじゃん
夜も遅いせいか、珈琲店は軒並みシャッターを下ろしていた。
……で、お茶をしようと提案されたものの、訪れた場所は日付が変わるまで営業しているファストフード店。
バンド仲間とたびたび利用する場所だったので、さして抵抗はない。……むしろちょうどよかったり。
時間は遅くとも、人は多い。私と彼女は3階席の窓際に横並びに座った。
「どうだった?」
席に着くなり、私は彼女に問うた。
「最高だったっ」
何のことを指しての問か、彼女は察しが良かった。
演奏を見に来てくれたんだ。感想くらい聞いたってばちは当たらないでしょう?
「どうして私が演ってるって知ってたの?」
少しずつ、自分の言葉が崩れていくのを実感する。
もしかして、心を許している?
分からないけど、ライブの高揚感の名残がそうさせているのかもしれない。
「んー……とね、えっと」
学校の誰にも、バンドをやっているの、なんて言ってはいない。私はパブリックとプライベートは明確に区別したい人間だ。
本当は情熱と葛藤を心の内に秘めつつも無感動無関心を装っている、そんな程度のパブリックと。
紫煙を燻らすことに憧れてはスカートをちょっとだけ折ってみせる、そんな程度のプライベート。
スイッチの切り替えは、気持ちの切り替えだ。
いわゆる、『興』がノるときもあれば、そうでないときもある。
みんなの言葉を借りるなら、私は『気分屋』というカテゴリに属しているのだと思う。
……そんな気分屋な私ですから、目の前の飯村朱穂の挙動や目線の行き先が気になって仕方がないのです。
「初めて会ってから、ずっと気になってたの」
私と朱穂が初めて会ったのは間違いなく今日だ。だとするとこの飯村朱穂、とんでもない気分屋だ。いや、気分屋なんてカテゴリに属さない、もっと異質な何かだ。
――パブリックな私だったら、きっとそのように彼女を形容するのだ。
――プライベートな私だったら……それでも彼女は異質に見えてしまうのだろう。
だって、この人は……
「うん。初めて会ってから、ずっと」
私が思っている以上に『真性』なんだから。
「まるで未来からタイムスリップしてきたような言い方ね?」
「そうだよ?」
「……はいはい」
「わたしと青さんは、遠い未来でバンドを組んでいたのです」
「遠い未来にバンドなんて文化がまだ根付いているのかしらね」
「ロマンだからね!」
「そういうものなのかな……」
「わたしがボーカルでー、青さんがギター」
「あれっ、ベースじゃなくて?」
つい口調が上擦った。
「ベーシストからギタリストに転向してたのです」
「そんな予定ないんだけど。それにね、私、ベースは絶対やめないからっ」
「どうして?」
どこか慈しむような調子で朱穂は言う。もしかして、ばかにされてる?
「カッコいい人たちが多いから」
「そんな理由?」
「理由付けとしては充分。ジョンとかウッテンとかクリフとか、あなたたちどこからそんな音出してるの? って人たちばっかりなんだから。あとベーシストって変態なの。特殊性癖持ってるとかメンヘラが多いとかいわれのない噂があるけど、わりかし間違いじゃないの。この前なんか本物の
「うーん。よくわかんないけど、青さんもヘンタイ?」
「私はっ」
言い淀んだ。
……自覚、あるのかな。
「……う、たぶん」
「青さんかわいいっ」
「あのね、ばかにしてない?」
「しーてなーいよー」
「……知らない」
「えー」
「かまってあげない」
「ええーー」
「語尾を増やすな!」
自分の言葉が崩れている。
きっと、心を許している。
ライブの高揚感の名残とか、全然関係なく。
飯村朱穂という人間を、もっと知りたい、と。
純粋にそう思っている……のかな。
………………
…………
……
改札前にて。
「それじゃ、私こっちだから」
飯村朱穂へ向き直った。
終電間際の駅前は、世間一般で言う華の金曜日であるためか混み合っている。同世代くらいの男女の騒ぐ声や、ネクタイを緩めたスーツ姿の太ましい男の人のしゃがれた怒号などなど、まだまだ寝静まるということを知らないといった様相だ。
私は声が大きい方ではないが、私が何を言ったかを彼女ははっきり聞き取っていた。
「私もこっちだから」
「いや、なんで着いてくるの?」
ちょっとびっくりした。
「私鉄じゃなくてJRなの」
「何線?」
「井の頭線だよっ」
井の頭線は私鉄なんですが。
「終電、逃しちゃって」
「えっ本当に?」
「うん」
最初からそう言いなさいっっっ。
「なんでそんな。気をつけなきゃ、って話してたばっかりじゃない」
「う~……ごめんなさい……」
「……はあ………………」
正直、どうしたものか。
同級生の女の子をひとり置き去りというわけにはいかなかった。それに、相手はこの飯村朱穂。放っておけばどこに行って何をしでかすか、分かったものではない。
……し、誰に何をされるか。
頭の中には、本当にお花畑が広がっていそうだし。
歩く姿は浮ついていて、見ていて危なっかしいし。
なんていうか、心配だ。
そう、心配。
そうに違いないのだ。
無感動無関心を装っている私でも、この飯村朱穂のことはさすがに放っておけない。
だって何をしでかすか分からないから。
きっとそう。
「……ねえ、あの」
そうに違いないのだ。
「うん?」
肩を落としていた朱穂が振り返る。
その無防備な表情はきっと世の男性の男心とか言われる部分をくすぐるに違いない。
そして駅には、充電と言わんばかりにアルコールをチャージしている男性の多いこと多いこと。……顔が赤く、足取りが覚束ない人ばかり。
危なっかしい。
私がいなかったら、どうなっていたことだろう?
というか、私がどうにかしないと駄目なような。
きっとそう。
「あの……えっと」
そうに違いないのだ。
再三言い聞かせたのち、朱穂と目が合った。
思わず顔を背けそうになる自分がいる。
顔が熱い。
……何、考えるんだろ。
ばかじゃないの、私?
違くて。
そういうんじゃなくて、ただ純粋に、心配なだけ。
だって女同士だもの、やましいことなんて、起こりっこない。
だから大丈夫。
「……一緒に帰る?」
……だなんて、不器用な誘い方。
「えっ、いいの!? 帰る帰るっ」
なのにそんな風に笑うものだから、私は。
誰かの笑顔を近くで見たことがなかったな、なんてことを思い出す。
無邪気で愚かしい、子どものような笑み。
私の周囲の人間は、皆ぎらぎらしている眼差しの人が多かったけど。
この人は、何かが違う。
良くも悪くも隔世的。何が好きで何が嫌いなのか、皆目見当もつかない。
だから、今夜だけだ。
今日の夜だけは、この飯村朱穂のことを知るために使おう。
後のことはたぶん神様とかそういうよく分かんない存在が決めてくれるから。
運命をゆだねます――
電車に揺られている。
終電の山手線は思いのほか人が少なかった。
私と朱穂は隣同士で座った。朱穂は眠たげな様子で、時折電車の揺れに合わせては、私の肩に頭をぶつけてくる。
「……大丈夫?」
「うんー……ねむい……」
「あと十分と少しだから」
「んー……」
車窓越しには、まだ眠らぬ街の灯りが別世界のように映っていた。
私と朱穂も、先ほどまでは同じような場所に立っていたのに。
不思議と今は、あれと同じではない所感を抱いた。
電車が密室だからだろうか。
ちょっとだけ、非現実的。
終電で女の子と一緒に帰るなんて初めてだから?
理由付けなんてしようと思えばいくらでもできた。けれど、一番の理由は、よくわからない理由でこの飯村朱穂が私のライブを観に来てしまったからなのだ。
私には彼女の考えることが全く理解できないし、理解しようとしても無駄だということをファストフード店でたった一時間と少しを過ごしただけで感じ取ってしまった。
「……朱穂」
名前を呼ぶ。彼女は安らかな寝息を真横で立てている。
近しい人について。
分からないことは怖いことだと思っていた。
分からなければ、安心できないと思っていた。
それは私の予防線。
私は情報を開示しないけれど、あなたの情報は開示してほしい。
そうすることで、私はあなたを理解できる。あなたは私を理解しない。
私の心には、境界線という名の防護壁が造られる。
いわゆる処世術。
通用しない相手がいるなんて、考えもしなかった。
不思議と心地が良いのはそのせいだと思う。
飯村、朱穂。
私はたぶん、この人と、仲良くやっていける。
……だなんて、早計?
やがて電車は止まり、目的の駅に到着した。
「……」
「…………」
"青さん"と呼ばれる年相応の女子と、飯村朱穂という自称未来人。
彼女らは夢を見る。
道徳と、倫理と、条理と、体裁と、秩序と、安息と、日常――
染まるのはどちらの色?
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