激エモロックフェスティバル
伴坂(ともさか)
青は記号の色
"わたしは私のうちにある世界を、ほんの少しだけ外に出してやれるだけだよ。
全部なんて、到底叶いっこない。"
………………
…………
……
「――好きな色はなんですか?」
勇気とか、喉とか、人間が振り絞れるものすべてを振り絞ったような声は、しかし何てこともない普遍的な問いかけとなった。
それを聞いて何になるの、と返したくもなる。
「私は青が好きですが」
質問に答えると、ほっ、と心からの安堵を見せる彼女。
名を、飯村朱穂といった。
「そうなんですね! わたし、実は赤色が好きなんです」
そんなことは誰も聞いていなかった。目の前の彼女……朱穂は、私に何の断りもなく自身の好みをひたすら語り散らした後、少しして、こう言った。
「ご、ごめんなさいっ。わたしってつい喋りすぎちゃって」
「大丈夫ですが、その」
「?」
「あの……どこかで会ったことでもありましたか?」
「えっ、あぁあっ、わたしっ……飯村朱穂っていいます! 朱色の朱に、稲穂の穂って書いて朱穂です!」
再度だが、そんなことは誰も聞いていなかった。
というか彼女こそ私と初対面だって自覚してるし……なんで話しかけてきたのかな……。
「ふうん……」
別段、彼女に対して関心を向ける要素もない。
あり触れている。
私ほどではない、けど。
「あわわ、ごめんなさいでしたああーーっ!」
「あ」
言い捨てるなり、一目散に教室を飛び出していく飯村朱穂。
「行っちゃった。にしても……おかしな日本語……」
放課後。
彼女と入れ違いに、彼は教室に入ってきた。
「お待たせ。ん……? 何かあった?」
「いいえ、別に何も」
「そっか。じゃ帰ろっか」
西日とはいえ、まだ空は充分に青かった。
「私は青が好き、か……」
青は希望の色だ、と誰かが言っていた。
「なんであんな嘘、吐いたんだろ」
「嘘?」
隣を歩く彼は、緒方孝(まなぶ)という。
「ちょっとね。好きな色は何? って聞かれてつい咄嗟に」
「よくわかんないシチュエーションだな」
「孝のギターがリッケンの青だし、そのせいかも」
「音だけじゃなくて見た目まで魂に響いちゃってた?」
「……あのね、そういうの、寒いから」
「へーへー」
………………
…………
……
薄暗い箱の中が、私の居場所だ。
よく煙草の臭いが充満していたり、歪んだギターの音が防音扉の向こうから聞こえてきたり、提供されるドリンクは氷で嵩増ししているくせにやたらと値が張ったりする。
最悪だな、と思う。
どうして自分がここに身を置いているのか、自分でも正直分からない。
ただ、背負った楽器が、私の存在を肯定してくれているようで。
自我と忘我の境界が、ギリギリ私の立っている世界に繋がっている。
ステージに立つと、どこか心地良ささえ覚えてしまう。
きっと、注目を浴びることに酔い痴れている。そんなポテンシャル。ねえ、将来有望じゃなくって?
孝が私を呼んだ。
時間だ。
一瞬のような、永遠のような、甘美な瞬間。
私はいつまでも、終りと始まりを繰り返す3分55秒に、囚われてしまっているのだと思う。
私はベース。
正直、他はなんだってよかった。
いつからか弾くことを覚えていた。
いつからか鳴らすことを好いていた。
いつからか魅せることを望んでいた。
だから演る。
動機付けもなんだってよかった。
今があれば、それで。
最初は客を煽るなんて無作法でとんでもないと思っていたけど。
気づけば私の方が煽る側になっていた。
そういうものだ。
何かになりたいなんて望まずとも、人は、誰かの何かになっていく。
嵌め込まれていく。
オールスタンディングの客席には、手前側には背の小さい女子高生――おそらく孝とドラマー目当てに来てる子たちだろう――、中央付近には既に出番を終えた対バンの演者、奥の方には背の高い男性客が見受けられた。
やがて左右から焚かれるスモークで客席奥が見えなくなると、私は自分の指先に意識を集中させる。
さんざん弾き慣れてすっかり固くなった指先。
女子らしくない、なんてみんなは言うけど。――でも、ギャップって好きでしょう?
「……ふふ」
ぞくぞくした。
誰も知らない私が、名前も知らないような相手に向けて本性を剝き出しにしているの。
小さな背徳感。
平穏に漬かり切った私の身体を奮い立たすには、充分すぎる熱量。
もっと指を! もっと身体を!
もっと鼓動を! もっと生を!
快感に打ち震えて、そのまま帰れなくったっていい――!
……最後の音を鳴らし終えたのは、そんな昂ぶりの最中だった。
「……物足りない。私、まだなのに」
マイクを通さない声は、誰にも聞こえなかった。
けれど、客席の向こう……人に押しつぶされそうな小さな場所から、目線を感じた。
その声を聞き届けた、と言わんばかりに。
『彼女』は、私の表情をはっきりと見据えていた――
「…………飯村、朱穂」
――なぜ貴女がここにいるの?
守るべきルールはしっかり守る。
週末の金曜日。
私は夜の街を歩く。
ローファーのかかとを、かつ、かつと鳴らしながら、早足で。
演奏が終わると、私以外のメンバーは全員、打ち上げに興じる運びとなった。
背負ったベースがいやに重い。
ぬるく襲う空気も手伝って、密着している背中が汗で濡れている。
早く帰ってシャワーを浴びなきゃ。
「で……どうして貴女は尾いてくるの?」
「だ、だめですか……?」
「駄目以外の理由があるのかな……」
「ひいぃっ」
半分冗談で、半分本気だ。
――飯村朱穂。
放課後に話したときと変わらない恰好で、彼女は横を歩いていた。
肩口で切り揃えられた栗毛色の髪がふわと宙に舞う。
そのまま、ひとつふたつとステップを踏んで、ニコと笑いかけた。
「どうしてあそこにいたの?」
私の中の純粋な好奇心だった。
なぜ貴女のような人が? という疑念。
「――青さんの普段と違うとこ、見てみたかったからっ」
「……青さん?」
「青が好きだから、青さんっ!」
「って……私の名前、忘れてるの」
そもそも覚えられていたかさえ怪しかった。まともに話をしたのは、今日の放課後が初めてだ。
「クラスメイトの名前くらい覚えてるもんじゃないかな……」
とは言ったものの、私だって全員の名前をそらで言えるかと言われると、正直詰まる。
私の記憶のデータベースはお生憎様、学校外の出来事で膨れ上がっているの。
「なんでしたっけ、えへへ」
あっけらかんと笑んでみせる彼女をどうやって撒くかを考えることにした。
「門限とか、ないの」
「ないですよっ」
即答だった。
「そう……私はあるから、それじゃ」
「ちょーっ、ちょっと待って待ってちょっと待って!」
彼女の両手が私の背中のベースをつかむ。ぐい、と身体が後ろに引っ張られた。
「今ここで帰ったら勿体ないですっ! だって、私がこんな夜に外を歩いてるなんて、めったにないチャンスなんですよっ!」
いったい何のチャンスなんだろう。男性だったらオイシイと思うのかもしれないけど、私にはそのケはなかったのだった。
「お、」
「お?」
「おおおお、お茶を! しましょうっっ」
顔、真っ赤。
夜でも分かるくらい、彼女は――放課後のあの時と一緒だ――やはり気持ちを伝えることについて、多分に苦労しているように見える。
「……。いいけど、終電なくなる前に帰るからね?」
「やたあっ」
つい気が乗ったのは、バンド仲間連中が打ち上げに興じているからだろうか。
それとも別の――飯村朱穂に対する好奇心が勝っている――?
……守るべきルールはしっかり守る。
週末の金曜日。
週末だから、帰りが多少遅くったってルール違反ではないのだ。
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