第五章 怒濤の日々

(1)

「……静かなんだよ」

 真剣な顔で言ってくるラウルに、カイトは首を傾げる。

「何がですか?」

「何がって、こいつに決まってるじゃねえか」

 そう言って示すのは、例の如く食卓の上にでーんと置かれた卵である。

「静かって、全然鳴かないんですか?」

 剣の手入れをしながら聞いてくるのはエスタス。明日から久しぶりにルーン遺跡探索に向かう為、装備品の点検に余念がない。あの遺跡には今でも怪物や魔物が生息しているので、武器や防具の手入れを怠れば命にも関わってくる。

「そうなんだよ。考えてみれば、もう半月くらいこの状態なんだよな」

 そう。 夏祭の準備やら何やらでゴタゴタしていたため、卵がいつになく大人しいことに気づかなかったのだ。

 そう考えて思い起こしてみると、祭が始まるちょっと前から、卵の鳴き声を聞かなくなった気がする。忙しい間は静かで楽だな、くらいにしか思わなかったのだが、祭が終わっていつもの生活が戻ってくるにつれ、途端にそのことが気になり出した。

「確かに、ちょっと心配ですねえ」

 腕を組んで首を捻るカイト。その隣ではアイシャが、木で作られた筒のようなものをせっせと布で磨いている。

「最近は忙しくて、ろくに観察してませんでしたしねえ。これは迂闊でした」

 定期的に重量や寸法の計測をしていたカイトだが、余りにも変動がない為に最近は全く計測を行っていなかった。ラウルの方も何かと忙しかったので、別に構わないと思っていたのだが。

「光ったり、揺れたりもしないんですか?」

 剣を鞘に戻しながら、エスタス。

「ああ、昨日の昼頃にふと気づいてからずっと見てるんだが……」

 まるで魔法が切れてしまったかのように、それはただの卵となってしまっている。もっとも、こんなに巨大な「ただの卵」というのもおかしいか。

「『北の塔』のお二人が残していった本には、何か書いてありませんでしたか?」

「隅から隅まで読んでみたけど、そんな記述は全くなかった。というより、卵の孵化に関する情報が一つも載ってないんだよな、あれ」

 全く役に立たないぜ、と愚痴るラウルに、エスタスが肩をすくめてみせる。

「仕方ないですよ、竜の卵自体、世の中に出てくることが稀だっていうんですから」

「まあな」

 数少ない情報を集めて一冊の本にまとめ上げただけでも、彼女達の功績は大きい。

「このまま放っておいてもいいのか、何かしなきゃいけないのか、分からないってのはなあ……」

 大きく溜め息をつくラウル。情報が皆無なだけに、手の打ちようがない。何よりも、下手なことをして卵を台無しにしてしまうことだけは避けなければならない。

「とりあえず、『北の塔』に手紙を送ってみますよ。もしかしたら、新しい情報を得てるかもしれませんからね」

 カイトの申し出に、ラウルは頷いてみせた。

「ああ、頼むよ。あと、何か打てる手はないもんか……」

「竜に直接聞ければ一番なんだけどなあ」

 エスタスがぼそっと呟く。その言葉に、はっとカイトが椅子から立ち上がった。

「そうだ! それですよ! いいこと言いますね、エスタス」

 その勢いに、エスタスが目を白黒させる。

「はぁ?」

「世界各地には竜が住む場所もたくさん知られてるし、竜と交信できる高位の精霊使いも存在します! その人達に頼めばいいんじゃないですか!」

「どうやって」

 アイシャがぼそりと口を開く。その短いが的確な質問に、カイトがぐっと詰まった。

「そうだよなあ、それができればとっくにやってるところだよな」

 むしろその人(もしくは竜)に預けるのが一番手っ取り早い手段なのだ。

「アイシャは知り合いに、竜とか腕の立つ精霊使いはいないんですか?」

「いない」

 即座に答えるアイシャ。カイトがはぁ、と肩を落とす。

「ラウルさんは?」

「いるわけないだろ。いたらとっくに相談してるさ」

「エスタス、あなたは?」

「いたら教えてるよ」

 ごもっともである。カイト自身にもそのような知り合いはいないらしく、がっくりと椅子に沈んで溜め息を漏らす。

「手詰まりですねえ」

「だからそう言ってるだろうが」

「ひとまずカイト、急いで手紙書いて伝令ギルドに頼めよ」

 エスタスの言葉に頷くカイト。その隣で、ラウルはエスタスの言葉の中に突破口を見出した。

(そうか、ギルドって手が……)

 ギルドはギルドでも、盗賊ギルドの方だ。シリンを通じてギルドの情報網を利用すれば、もしかしたら竜の情報や、少なくとも高位の精霊使いの所在くらいは掴めるかもしれない。

(シリンの奴を呼び出してみるか……)

 シリンは母親の容態が安定した後、フォルカに戻って暮らしている。ちょくちょく顔を出せと言っておいたが、最近はとんと姿を見せない。恐らくは盗賊ギルドでこき使われているのだろう。せいぜい腕を磨いてほしいものだ。少なくとも、ラウルと渡り合える程度にはならないと、盗賊としてはちょっと、先行きが不安である。

「カイト、伝令ギルドの受付ってどこでやってるんだ?」

「レオーナさんですよ。十日に一回、あのお店に伝令ギルドの人が来るんです。確か、次の回収日は明日じゃなかったかな」

 そうか、とラウルは呟いて、書斎へと向かう。

「ラウルさん?」

「俺にも多少のつてがあるからな。情報をもらえないかどうか頼んでみる」

 手紙を書くのは苦手だが、シリン相手なら大したことを書かずとも済む。

「今書くなら、あとで一緒に出しておきますよ」

「ああ、頼むよ」

 そう言って、ラウルは書斎に消えていった。

 その後姿をそっと見送りながら、アイシャは手にしていた筒を見つめる。

「あれ? それって笛ですか? 時々吹いてる?」

 目ざとく見つけたカイトの問いに、アイシャは黙って頷いた。

「随分年代ものだよなあ。塗りもはげかかってるし」

 鎧の手入れに取り掛かっていたエスタスが目を見張る。木彫りの笛は、よく見れば見事な彫刻が施されていた。ところどころに鮮やかな色彩が残っていることから、昔はかなりの逸品であったことが想像できる。少なくとも、作られてから百年以上は経過しているであろう笛は、使い込まれて所々が磨り減ってしまっていた。

 三人が知り合ってから二年と少し。その間にこの笛の音を聞いたのは、五、六回といったところか。

 何があった訳でもなく、戦いが終わった後や夜番の折などに、アイシャは笛を吹いていた。いつも同じ曲という訳でもなかったが、どこか物悲しい音色は郷愁を湧き上がらせたものだ。

「……これは、父の笛」

 ぼそりと呟くアイシャに、二人はほぉ、と目を見張る。アイシャが自分のことを問われる前に語るのは、かなり珍しいことだった。

「お父さんの笛ですかあ。大切なものなんですね」

 カイトの言葉にアイシャは頷く。そして、手入れが終わったらしいそれを片手に部屋から出て行った。唐突な行動はいつものことだ。すでに二人は気にもしない。

 しばらくして、窓の外から笛の音が響いてきた。時折かすれるように、あるいは歌い上げるように響く、木管の音色。風と歌うように響く素朴な音色は、まるでアイシャ自身の歌声のように聞こえた。

 その音色に反応するかのように、机の上の卵がかすかに揺れていたことに、二人はこの時気づかなかった。

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