駅向こうの公園

勒野 宇流 (ろくの うる)

駅向こうの公園

 その私鉄の駅は、高架になっていた。


 等間隔に延々と並ぶくすんだコンクリートの橋げたが、一直線に、北から南へと伸びていた。


 各駅停車だけが停まる駅の、小さな商店街。西日が照る夕方ともなれば高架の影に覆われる。チェーン店だけが明かりを派手に灯し、個人商店はどれも朽ち果てそうな店構えだった。高架の影が覆えば商店街は一層不景気な眺めとなり、道行く人々を気だるくさせる。


 駅からほど近い高架沿いに公園があった。二辺を金網に囲まれているのと、生い茂る樹木。それらが、そこそこ広くはあっても圧迫感を生んでいた。遊具は赤錆に侵食されているし、砂場はただコンクリートの囲いがあるだけでサラサラの砂はなかった。


 商店街を抜けてきた熊谷は、公園のベンチにポツンと座っている男に目を留めて自転車のブレーキを掛けた。


 ――あれっ、一条じゃないか。


 熊谷は吹き出る汗を拭いながら男を見つめた。横顔が、勤めていた職場の上司になんとなく似ている。最近目が悪くなったのか、見間違いが多い。声をかけようかどうか金網越しでしばらく逡巡していたが、意を決して公園に入った。ベンチのそばにあるゴミ箱の脇に自転車を止めた熊谷は、ゆっくりとベンチに近付いていった。


「あのぅ……」


 遠慮がちに、横から男に声をかける。しかし男は反応せず、虚空を見つめている。


「あのぅ、すみません」


 もう少し大きな声で言うと、男はようやく反応し、ゆっくりと首を横に向けた。


「あ、よかった。やっぱり一条さんですよね。ご無沙汰してます、熊谷です」


 男は、ドラマでよくあるように、一瞬訝しげに眉間にしわを寄せ、そのあと口をポカンと開けた。


「あ、熊谷君じゃないか。久しぶりだな」


 相手の反応でホッとした熊谷は、小さくお辞儀をしてから同じベンチに座った。


「ホントに久しぶりです。自転車で走ってたら、あれ、一条さんかなって」


 熊谷は公園の入り口を指差しながら説明した。一条はうつろな笑みを浮かべた。


「でも珍しいですね、一条さんがこの駅に。っていうか、外回りなんて」


 熊谷は一条を「さん」付けしていることに、心の中で苦笑した。一条は後輩だった。しかしすぐに熊谷を追い越し、熊谷が退職するときには直属の上司となっていた。


「外回り、か……」


 一条は一言呟くと黙り込んで、前を向いた。なんとなく、単に休憩しているという雰囲気ではなさそうだ。


「会社の方は特にみんな変わりなく、ですか?」


 一条は熊谷の方を向こうともしない。気詰まりが漂っていた。


「いや、分からない」


「えっ、なんですか、分からないって?」


 予期せぬ返答に、熊谷は聞きなおす。しばらく口を閉じていた一条は、ゆっくりと顔を横に向けた。


「分からないんだよ。なにしろ会社に行ってないんだからね」


 今度の「えっ?」という熊谷の言葉は、声にならなかった。一条が会社を辞めるなんて考えられなかったからだ。


「私もね、リストラにあったんだよ。熊谷君と同じで」


「一条さんも……」


「あぁ、三ヶ月前にね。だから今、会社のことは全然分からないんだ」


 それでいつもの雰囲気と違っていたのか、と熊谷は思った。会社での一条は腹から声を出してハキハキ話すタイプで、ため息をついたり肩を落とすようなしぐさは見たことがなかった。


「なんかね、会社を辞めさせられたって家で言えなくて、毎日出社するフリをしてるんだよ」


「そう、なん、ですか……」


 それにしてもあの一条がこれほど変わるなんて、と熊谷はまじまじと見つめた。そんな不躾な視線に構わず、一条は再び前に向き直り、ため息をついている。


 だんだん、熊谷は愉快な気持ちになっていった。あの自信に満ち溢れた出世頭が、自分と同じ立場に転げ落ちているのだ。


「なんか、次のアテはあるんですか?」


 一条は弱々しく首を振って、


「いやぁ、こんなご時勢だからねぇ」


 と消え入りそうな声で呟く。そしてゆっくりと熊谷の方に向き、


「熊谷さん、どっかいいとこないですかね」


 と、これまた弱々しげに言う。


「え、いや、あの、こちらもハローワークで探してるところなんで」


 返答こそ戸惑うように見せているが、熊谷は内心ほくそ笑んでいた。そうだろうそうだろう。頼みごとをする以上は当然「さん」付けだよな。俺の方が年上なんだから。しっかし俺なんかに頼ろうとするんじゃ、よっぽど窮してるんだろうなぁ、この男。


「そうかぁ」


 と独り言のように言い、一条はまた前を向いて肩を落とした。熊谷も一条に合わせ、深刻な表情をしていた。そうやって引き締めていないと、思わず笑いだしかねないからだ。


「それにしても一条さんがねぇ。なにか大きなミスでもやっちゃった、とか?」


 失礼かなという思いがかすめたが、訊いてみる。別に遠慮することはない。どっちにしろもう上司でもなければ部下でもないのだ。


「いや特には。分んないんだよねぇ、理由が。あんなに一生懸命やったっていうのに……」


 それ見たことか。会社なんてそんなものだ。やったってやり損なんだよ、と熊谷は思う。それが分っていたから、俺は本気を出さなかったんだ。みんな寄ってたかって無能呼ばわりしやがったけど、どうだい、結局はこんな寂しい公園で出世頭と肩並べてるじゃないか。会社にヘンな期待をしなかっただけ、こいつより俺の方がまだ利口ってもんだ。


 熊谷は最初、肩を落とす一条に哀れみを感じていたが、次第にそれが怒りに変わってきた。いずれこうなることも分らずに、会社ではずいぶんとコキ使ってくれたものだ。ほっぽり出された途端に被害者ヅラしたってもう遅い。


「一条さん、あんた、仕事はできたかもしれないけど、世間ってものを分ってなかったんだよねぇ。だから俺と違ってさ、会社叩き出されて腑抜けのようになっちゃうんじゃないの」


 思い切ってぞんざいな口調で意地悪な言葉をぶつけてみた。しかしちょっと言葉がすぎたかと、熊谷は体を硬くした。


「そう、なんでしょうね。今さら気付いても遅いんだけど」


 意外にも一条は弱々しく頭を掻くだけだった。一条の丸めた肩に熊谷はホッとし、それならばと、さらに辛らつな言葉を続けた。


「俺なんかいい迷惑だったよ、あんたの出世のためだか知らないけどノルマに追われてさぁ。ホントはできたんだぜ。うん、本気出せばあんたなんかよりできたかもしれないな。でもホラ、会社のやり方なんて見抜いちゃってたからさ、俺。よくもまぁみんなでバカにしてくれたもんだ。あんただって紳士面してみんなをたしなめるフリしてたけどさ、内心バカにしてたんだろ?」


 言葉を吐き出すにつれ胸の中がスッと晴れてゆく。さっき寄った駅前のパン屋ではトレーの汚れを指摘してやったというのに、相手にされないどころか女性店員が全員白い目を向けてきやがった。その一件を見ていたのか知らないが、駅では主婦連中や女子高生が俺の方を見てなにやらヒソヒソやっていた。毎日腹立たしいことばかりだが、特に今日は最悪だと思っていたのだが、けっこう今日はいい日じゃないか。


「熊谷さんの言うとおりだなぁ。自分の方がよっぽど世間に疎い」


「そうだなぁ。だいたいあんたは人を見る目もないよ。なんだいあの瀬口ってヤツ。なんであんなのをかわいがったのよ。俺はあいつにどんだけ意地悪されたもんか」


「そう言われると返す言葉もない。リストラが決まると熊谷さん以上にいじめられたよ」


「だろ。あいつはそんなヤツなんだよ。そんな見る目のなさもリストラの原因になったんじゃないの、え?」


 一条の態度がおとなしいのをいいことに、熊谷は嵩にかかって言葉を浴びせ続けた。



  ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・



「まったくホントに無理難題言うなぁ」


 得意先のわがままな注文に頭を痛めていたので、瀬口は最初、その激高する声に気付かなかった。


 しかし高架をくぐって公園の角まで来ると、いやでも耳に入る。彼は声のする方に目を向けた。


「あれ、なんだありゃ、熊谷じゃないか」


 膨大な顧客の顔をすべて覚えているほどだから、たった半年前まで同じ部署で働いていた男の顔を忘れてしまうはずがない。瀬口は金網越しに男を凝視した。


「本当だ、あれ熊谷君だよ」


 瀬口が立ち止まったので、後ろを歩いていた一条も立ち止まった。


「えぇ……」


「会社辞めてどうしてるのか心配してたんだよ。どうする、ちょっと声かけてみようか」


「え、冗談じゃないッスよ。あんな一人でわめいてるやつ、普通じゃないですから。こっちに気付かれる前に早く離れましょう」


 彼らは公園に背を向け、高架に沿って歩き出した。一条がチラッと振り向くと、背中に西日を浴びながら、熊谷がベンチに向かって言葉を荒げていた。

 

 

                    (おわり)

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