夜夢の星々

あおの色

第1話 霧の濃い夜

 薄暗く霧がかった閑散としたホーム。


 冷気が漂い 少し肌寒い。そう思った時、腕に何かが絡まる。ふわりと甘い香りが鼻先をくすぐる。


 ふと視線を隣へ向ける。ウェーブの掛かった長い髪。ぷっくりした赤い唇がセクシーに微笑んだ。反対側の首筋にツツーとソフトに触れられる感触。そちらを見れば、妖艶に微笑む形のいい唇。俺の首に触れたその細く長いしなやかな指先は、自らのミディアムな髪を耳にかけた。


 うすぼんやりと光るヘッドライトがホームへと現れ、その小さな光球はゆっくりと大きくなり視界を真っ白な光で眩ませる。


 ガシャッ……重い鉄がにわかにぶつかる音。プシューと勢いよく蒸気が吹き出す音。


 瞬きをして目の眩みを取ると、霧の向こうには重厚な列車が現れた。深いエンジ色に金のエンブレム。目の前で開く扉。レトロで、でも品のいい格式の高そうな列車だ。


 俺の腕にまとわりつく女たちが、そのまま俺の腕を引き列車に乗り込もうとする。


「お客様」


 背後から低い男の声がした。煙るモヤの中現れたのは黒い制帽を目深に被り、詰襟のカッチリとした黒い制服を着た車掌だった。制帽の縁と制服の肩、袖に入った黄色のライン。ダブルのボタンがピカピカと金色に光っている。


「切符を拝見させていただけますでしょうか?」


「切符? そんなのないわ」


 隣りの女がめんどくさそうにつんけんと言い放つ。


「なければ、ご乗車になれません」


 キッパリと車掌が返した。緩いチャラけた口調の女と、動じない芯の通った口調の車掌。その対比がおかしく、俺はフッと笑っていた。


 むくれっ面で列車から下がる女たちに連れられ、俺もホームを立ち去ろうとした。トンと肩に伸びてきた白い手袋をはめた手。


「なに?」


「お客様。切符を……」


「俺も持ってねぇ……」


「いえ、お持ちです。胸ポケットの内側に……」


 不思議なことを言う車掌だ。俺は切符なんて買った覚えも誰かに貰った覚えも無いのだから。振り返り、車掌を正面に見た。車掌はそっと手を返し胸の内ポケットを見ろと促す。


「お持ちです」


 怪しむ俺に畳み掛けるように言ってきた。車掌の有無を言わさぬ口調にやれやれと半ば呆れながら言われるがまま、ポケットを確認した。


 カサリと手に触れる乾いた紙の感触……。


 上着の襟を開くとそこには、封筒が入っていた。中を確認する。見覚えのない紙切れが一枚入っている。切符なのか? それを見せると、車掌は静かに頷き、扉の方へと招かれる。「行かないで」と俺にすがる女たち。


 車掌は開いた扉の前で、黙ってただ佇むばかりだった。


 なぜだろ……。

 なんとなくだけど乗るべきなんだと、そんな気がする。


 胸ポケットに切符が入っていたせいか、有無を言わせない車掌の存在感のせいか、目の前の豪華な列車に魅力を感じたせいか。それとも薄暗く霧に包まれた冷たい空気のこのホームのせいなのか……。


 ココに留まっていても仕方ないと思えた。他に行く当てがあるわけでもない。


 泣き叫ぶ女たちに、俺は軽く微笑み手を挙げた。彼女たちに何ら未練も感じない。軽い足取りで列車へと近づく。


「出発時刻は二十時です。後十分程で発車になります」


 車掌が手を出してきた。俺はさっきの切符を車掌へ渡す。車掌は背中のベルトホルダーから改札鋏かいさつきょうを出し、鮮やかにそれをクルリと指で回転させ、俺の切符に#入鋏にゅうきょう<専用のパンチで使用済みの印に穴を開ける行為>をした。


 今時決して拝むこともない光景。改札鋏にしろ、白黒の古い映画でしかお目にかかれない車掌の仕草に、元より映画好きな俺はにわかに胸を踊らせ、列車へ乗り込んだ。


 向かい合うボックス席。壁に折りたたまれた引き上げるタイプの小さなテーブル。窓にはプラインド。オリーブ色の座席は座ると軽く沈み、ベルベットの肌触りが気持ちいい。座席のソファを囲む木の縁取りはシンプルだ。外見の華やかさはないけど、落ち着いたデザインのシックな車室。


 俺は適当な席に座り、ブラインドを上げて外を見た。相変わらず窓の向こうは、霧の中に浮かぶ僅かな電灯。月明かり。霞んだホーム。なんとも寒々しい景色だった。やはり列車に乗ってよかったと思えた。ここは温かい。明るさと温度は人の心を落ち着かせる。俺の選択は正解だ。


 ふと俺を引き止めてた女たちを思い出した。


 見ず知らずでいて、知ってるような女たち。彼女らはどうしてあんなにも俺と一緒に居たがったんだろう。疑問を抱いたくせに、その疑問もフワフワしたもので別段それ以上の興味も何も起きなかった。


 それどころか、俺は列車に乗ると決めた時、清々したとでも言うのか、やけに身軽になれたそんな気がした。


 ガタンと小さな揺れの後、列車が走り出す。


 僅かな光で照らされてたホームは霧といっしょに後ろへと流れていく。窓の外は真っ暗な世界になった。外の空気がクリアーになったのか、星明かりだけが存在してるようにキラキラと瞬いてる。


 川のように横たわる細かい星の粒子。そこに見える三角形。白鳥座と……鷲……あとは、なんだっけ? 記憶の中の星座盤に照らし合わせ、それらしき形を探す。


 無数の星ぼし、まじまじと見たところで、俺にはどれがどれかさっぱりだった。有名な三角形を見つけただけでも、御の字だろ。


 俺はベルベットのソファに背を預けた。ふぅと息をつき、胸ポケットの封筒から切符を取り出す。


 切符には駅名も何も書かれていない。それどころかこれが切符かどうかもわからない。見た目はただの長方形の紙切れ。でも車掌が切符と言うから、切符という認識。それだけだ。


 この列車がどこ行きなのか、自分がどこで降りるのかもわからない。


 霞み消えていく記憶。僅かに覚えてるのは、新しくできたバーで合コンして、ウマの合った者同士数名で二次会へ行こうと車に乗ったところまで。そう言えば同乗したのはセクシーな女の子だった気がする。もたれてくる温もりと甘い香り、耳元でくすぐるような声に、アルコールも手伝いちょっと眠くなっていた事を思い出した。


 久々にキツイお酒を飲みすぎたんだ。これはきっと夢の中なんだろ。


 これが夢であれ何であれ、ベタな話。映画やゲーム、物語の好きな俺はこれから始まろうとする冒険のような世界に僅かながらにワクワクと胸を躍らせていた。



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