アヴァロンには帰れない - HARMONIA ONLINE -
彩葉陽文
プロローグ
蒼い空の只中、白い雲の上に浮かんでいる。
風を受けて、大気のゆりかごに揺られ、ふわふわと浮かんでいる。
天に在す太陽は、すべてを平等に照らし、世界を明るく色づけている。
見下ろせば、広がる緑の丘陵。
丘を下った先には薄茶けた荒野が広がっていて、さらにその先にぼんやりと海が浮かんで見える
――わたしは、大気に沈み込むように体を落とす。
丘の緑が真下に大きく広がり、その中に隊列を成して進む多くの人々を見出す。
長い年月を掛けて人の足や馬車の車輪によって踏み固められた街道を、足音までもそろえて人の行進が行く。
一切の乱れなく整然と進む様からは規範と練度の高さが窺われて、さすが天下に名高い【剣の国】ファーザスの軍隊だと、感心の思いが湧き出てくる。
真っ直ぐに少しも遅れることなく、一定のテンポで丘を目指して進んでいる。
足音までもが一揃えにしか聞こえないのは、高い練度どうこうのレベルを通り越して、一種異常な状況のようにも思える。
脆弱なる人の身にて強力なる魔獣や魔物と渡り合ってきたからだろうか。その背景に見える想像を絶するまでの修練の影には畏怖すら覚えるような気がした。
先頭を進む、一際立派な馬に乗り豪奢な鎧を着込んでいる体格の良い男が、人類最強の剣士と称されし【獅子将軍】カイッツォだろうか。
彼の持つ強力な存在感が、遙か上空から見下ろしているわたしの元まで波動となり届いてくるようで、わずかに身震いする。
なるほど、噂に違わぬ強者のようだ。
エリン島の伝説の〝騎士〟たちのように超人じみた力を持っているとは思えないが、少なくとも常人離れした実力を持っているのは間違いないようだった。
軍列はあと一刻もすれば、予定地であろうリゴラの丘へと辿り着く。
わたしの視点は、軍列より一足先に、リゴラの丘へと向かう。
丘の上の平地に、幾つもの人影が見える。
その地には、すでに他の四王国の軍隊が集結していた。
――新暦五四三年。
この時代、【聖王国】レジーナを中心とした新大陸ヴィンダリア西部の五国は、五大国と呼ばれ、他の国々に勝る繁栄を見せていた。
【聖王国】レジーナ。
【竜王国】ラーダニア。
【剣の国】ファーザス。
【魔法王国】リガイザラン。
【森の国】フォレステカ。
新暦二六四年頃に起きた〝魔女動乱〟に於いて【最果に座する魔王】ファーと戦い、これを滅ぼして世界を救ったとされる英雄たちの血を継ぐ五つの国だ。
同じ英雄たちの血脈を受け継ぐとはいえ、この五国は決して仲が良くはなかった。
かつての動乱より三〇〇年近く経ち、英雄の威光も遠い過去のこととなろうとしている時代。
現実に蔓延る様々な権利主張資源人材蠢く社会の中では、国家間の友情など紙くずも同然。
小競り合いは常に絶えず、大きな戦争も数えられるほどではあるが、存在した。
しかし五大国の間では、決して違えることのできない盟約が存在していた。
――〝魔女盟約〟。
正式には〝対魔女特別同盟条約〟。
かつての〝魔女動乱〟終結時に『魔界へ接触し【魔王】をも召喚せしめる力を持った魔女が世界に対して災厄をもたらす時、如何なることがあろうとも力を結集し、此に当たるべし』とされ、結ばれた条約だ。
魔女とは、【影の国】――【魔界】へ意識を侵入し、その奥にあるという七つの座に在る意識――すなわち【魔王】と意識を接続することを可能とする強力な魔法使いの総称だ。
人の枠を遙かに逸脱した強大な魔力を持つ彼らは、しばし歴史に姿を現しては様々な災厄をもたらした。
神話の時代まで遡った記録によると、かつて魔女たちは三度、
先の〝魔女動乱〟も、そのうちの一つだ。
大陸中央部の小国が企てた、一つの愚かな実験の末に地表へ召喚された〝最果に座する魔王〟は、空間を歪め、多くの命を飲み込みながら巨大化しようとしていた。
結果的にはまた別の魔女一人と異界より来た勇者、神託を得た二人の聖女、そして幾人かの英雄たちによって〝最果に座する魔王〟ファーは滅され、その魂は〝影の国〟奥深くへと送り返された。
だが地表には空間の歪みが残り――三〇〇年近く経った今でも、大陸の東方とは行き来ができないようになっている。
伝説と呼ぶにはまだ若い、その歴史は今でも古い教訓として人々の間で流布されている。
そうしてこの度〝魔王〟の召喚を可能にしかねない〝魔女〟に対するため、数百年ぶりに五大国の軍隊が一堂に介そうとしていた。
しかし――わたしは集まりつつある彼らを見下ろしながら思う。
〝獅子将軍〟は確かに強いが、彼では魔女に敵わない。
彼は人の中では抜きん出た力を持っているが、その器は人の域を出ない。
彼が伝説にある魔女の天敵とされた〝騎士〟としての能力を持っているのならば、もっと過分に喧伝されているべきだろう。
そんな話は聞いたことがない。ということは彼は〝騎士〟ではない。ゆえに魔女には勝てない。
ひょっとすると、わたしでも知らないような裏技を持っていたりするのかもしれないが、単純に個人の持つ戦力のみで測れば、そうなる。
証明にもならない、単純な三段論法。
〝魔法王国〟リガイザランの兵士たちは、誰もが優秀な魔法士ではあるが、それ故に魔女にとっては最も対処しやすい相手になるだろう。
〝森の国〟フォレステカは何やら見慣れない武具らしきものを色々と持ち込んでいるようだが、残念ながらそのどれにも脅威と呼べるほどの殺傷力は感じられない。
〝竜王国〟ラーダニアは――正直の所落胆を禁じ得ない。他の国々の兵と比べてもレベルは劣り、練度は低いようだった。どうしてそんなことになっているのかと考えるとすぐに答えは浮かぶ。竜王国の兵はどの軍も頂点に王族を据えている。本来だったらこの軍も王族の誰かが率いるべきだったのだろうが、他国は誰も王族を寄越していない。バランスを考えたのかどうなのか、他国に習って竜王国も王族は送らなかったのだろう。すると当然の所、兵の練度は数段ランクの落ちるものとなる。
今回の戦いでは、魔女を倒せないかもしれない。
それどころか、魔女へ至ることすらできないかもしれない。
魔女や、その脇を固める側近の魔物たち。
それらとまともに戦えそうなのが〝獅子将軍〟一人しかいないのだ。
魔物たちも馬鹿ではない。特に、魔女の側近を自任している
部下の強い魔物を五匹ほど当てて集中的に狙わせれば、如何に〝獅子将軍〟といえども一溜まりもないだろう。
残念だが、しかたがない。
わたしは次の戦いに備えて、少しでも彼らの犠牲が少なくて済むように立ち回ろう。
――最悪、〝獅子将軍〟だけでも助けなくては。
決意と共に意識を丘の上に向けた。
風の駆ける、リゴラの丘の上。
集まる軍隊の中心に、大きく円陣を組んでいる一派があった。
白地に赤で彩られた聖王国レジーナの軍服の只中に、碧のドレスを着た女性が立っているのが見える。
豊かに広がった金の髪は太陽を反射し輝いていた。
視界に入るととても眩しくて、目を離せないと感じるのに、何故か存在感はとても薄く、意識を外せば景色に隠れて消えてしまうように感じられた。
そこにいるのに、いない。
またはいないのに、いる。
印象はぼやけているのに、何かが引っかかってそれから目を離すことができない。
少なくとも、とても美人なのだということは、遠目でもわかった。
女性は遙か遠くから見るわたしの方へ、碧の瞳を向けて――わずかに唇を歪めた。
――目が合った。
一瞬で確信し、軽い驚きと共にわたしは湧き上がる歓喜に包まれる。
すぐに視線は消えた。
同時に女性も人の波に埋もれて見えなくなる。
けれども確信していた。
そうか、来てたのか。来てたんだっ!
戦場の中心にある碧の女性。
ぼんやりと見えたその様子は儚げで可憐で、遠目にはとても戦いの場には似つかわしくないように思えた。
現に何の気配も感じなかったし、その視線からも力は感じられない。
だが、確かにその視線は、わたしの存在を捉えていた。
わたしを見ていた。
そんなの、思い当たる名はひとつしかない。
〝聖王国レジーナ〟の〝聖女〟。
魔女が大地の奥深く〝影の国〟へ意識を飛ばすように、遙か天上〝
――〝
彼女ならばきっと魔女を止めることができる。
間違いなくその方法を編み出すことができる。
ああ、彼女がこれほど気配を隠すことが上手いとは知らなかった。
間違いなく彼女は切り札だ。
この軍だけの話じゃなく、この世界そのものにとっての切り札だ。
なぜなら、これまで世界を混乱に陥れて来た魔女は近代でも何人もいるが、聖女は長いこの世界の歴史の中でもたった三名しか記録されていないのだ。
この世の住人は、彼女と同じ時代に生まれたことを感謝すると良い。
これでこの世界は救われる。
わたしも彼らと同様、その事実に深く感謝しよう。
彼女ならば魔女を――〝堕ちた泉の魔女〟ユーフォリア・アーデンスルーエを止めることができる。
――殺すことができる!
歓喜の余り精神の平常を乱したわたしの術が、急速に崩壊していくことに気づく。
だがもう良い。もう大丈夫だ。
もう彼らの目を盗んで、わたしが五大国の軍を見守る必要はない。
彼らはきっと負けることはない。
被害はゼロではないだろうが、多くの者はきっと無事に故郷へ戻ることができるだろう。
意識は急速に体へと引き戻される。
風よりも早くリゴラの丘を下り、荒野を駆ける。
【緩衝領域】を横切り、西の海岸線へと向かう。
海岸線へ近づくにつれ、眼下には魔物や亡者の群れがあふれ出してくる。
海岸線に立つ、古い崩れかかった砦。
砦の中。
王者が座るような巨大な椅子にゆったりと身を沈める黒髪黒瞳の少女がいる。
十代前半の、美しい少女だった。
黒曜石のような艶やかな髪に陶磁器のような白い肌。夜の闇を切り取ったかのような両眼には深い意志が宿っている。
幼いと呼べる容姿には似つかわしくないほどの色香を纏い、少女――否、魔女は今、嗤っていた。
溢れ出る歓喜に身を委ね、砦を震わせるほどに大きく声を上げていた。
「あははははははははははははははははははははっ!」
わたしはそれを見て――――
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