2話 はやしたて、まくをあげ 中
付いて来いと言った男の背中を追って、私は錆びた鉄階段を登っていた。覚悟を決めて答えを催促した私に「見た方が早い」なんていう一言だけを押し付けて男は踵を返すから、私はその背中に付いていくしかなかったんだ。よれた下駄を履いた足が段をひとつ登るたびにきしきし痛んで、立ち止まって一休みしたくてしょうがない。でも、のっぽな男の背中はまるで壁みたいで、弱音なんて聞いてくれそうになかった。だから私は黙っていることにしたんだ。男はまるで何かに苛立っているみたいに乱暴な音を立てて階段を登っていく。その背中をぼんやり見ていたら、後ろ髪がくちゃくちゃだけど一つに束ねてあるのが目に留まった。切ればいいのに。男の足音に消されないように、私は少し大きな声を出してみる。
「ねえ、私、あんたのことなんて呼んだらいい?」
「ああ?」
それでも男にはちゃんと聞き取れなかったらしい。そこで私は辛抱強くまた声をかける。
「あんたの! 名前よ! 教えてもらわないと気持ち悪いの!」
今度は聞こえている様子なのに、男は私の呼びかけには答えない。だんまりを決め込んで黙々と階段を上っていく。なによ、仲良くしてやろうと思ったのに。その男の背中は、心細くて寂しい私が縋るようについてきたものだった。けれど、今度はまた腹が立ってくる。何なのこいつ。
「……わかった! あんた、聞くなら先にそっちが名乗れっていうのね、私は、」
その時、男がすごい剣幕で振り返って私の口を顎ごと引っ掴んで塞いでしまい、私の言葉はむぐっと消える。びっくりした後すぐにかっとなって男の手首を掴んだ私を、男はまっすぐ睨んだ。
「よそ者がやすやすと名を名乗るな」
きょとんとした私を見て男はゆっくりと手を離した。
「……なんでよ」
私があんまり勢い良く引っ掴まれて痛む頬をさすりながら言うと、男はさらに続ける。
「お前が世の中の勝手を何にも知らない赤ん坊だとしてもな、自分より通の人間の言うことは、一旦そのまま飲み込んでおくもんだぜ。俺は親切で言っているんだ。とにかく、万一これから名を聞かれることがあってもそのままお前の本当の名を言ってはいけない。……絶対に名乗ってはいけない相手というのがこの街にはいるんだ。……いいな」
そう口にする男の顔は深刻そうで、男が私をからかってるんじゃないのはよくわかった。でも、私は一度頭に浮かんだことを飲み込んでいられる性格じゃない。
「私、気になった事には納得できないと……。悪いけど」
男はうんざりした表情を隠しもせずにため息を吐くと、次に目線を左の方に移した。言葉を選んでいるような顔。それからやっと口を開く。
「名前は……お前が思っているよりもずっと大切なものだから……だ……」
はぁ? の形に口を開いた私を見て、男はばつが悪そうな顔をする。
「無駄な詮索はやめてさっさと歩け」
男は踵を返してまた乱暴に階段を登り出す。
「じゃあ、ひとつだけ教えて」
「これ以上は教えられない」
「答えられなきゃだんまりでいいわ。私が勝手に聞くから」
振り返らず黙って階段を登りながら、でも男は律儀に私の次の言葉を待っているようだった。一緒にいる私にはこの男がそうしているのがわかるんだ。なんで、って言われたらうまく説明できないけど。
「もしその、『名乗ってはいけない相手に』名前を名乗ったら、どうなるの、あ」
私が男にそう問うたとき、ちょうど視界が開けて、私たちがビルの屋上に出るのがわかった。真っ暗な空が目の前だ。私が続いて屋上に出るのを待ってから、男はそっぽを向いたままぼそりと言った。
「……名を名乗ったら……俺のようになるぞ」
え、と口から零れた私の声は、嘘みたいに強い風にさらわれていった。そっか、空に近いから風が強いんだ。目を細めて立っていた私は、男が迷わず屋上の縁に向かって進んで行くのを見た。慌てて小走りに追いかける。下ではうるさいくらいのネオンの光が、ここには届きもしない。立ち止まった男に続いて足を止め、その背中の半歩後ろから恐る恐る下を覗くと、鉄柵の隙間から覗くそこは、さっきの広場だった。ゆるりゆるりと音楽に誘われてやって来たひとたちで、円形の広場はいっぱいになっていた。ここは五階分くらいの高さだろうか。足がすくむ。そんなことを考えるぼんやりとした私の視界の中に、広場の中央にある『ギロチン』が入り込んだ。なんだか気分が悪くなって半歩下がると、『ギロチン』は私の視界からビルの縁に消えた。
「ねえ」
声をかけてみるが、男は広場を見下ろしたまま私の方に見向きもしない。そして、そのまま口を開く。
「お前の両親、恐らく『あれ』に一枚噛んでるな。俺の予想だと、最悪の形でだ」
「はぁ?」
縁にもう一度近づいて男の目線の先を追ってみると、やっぱり男が言っているのは『ギロチン』以外にありえないのだけど、
「『あれ』って、『あれ』?」
と確認する私を無視して、男はぐいと自分の上着の右袖をめくる。そこに腕時計があるらしい。暗くてよく見えないけど。
「もうすぐ九時になる。今日は『十時から』なんだったな?」
男はそこでやっと私の目を見た。
「ええ、制服を着ている男がそう言っていたもの」
「じゃあ、そろそろかもしれない。あの連中は時間を守りたがるからな。大体のことを、気持ちの悪いくらい用意周到にやりたがるんだ」
男の言っていることは、初対面のときからそうだったけれど、あんまりよくわからなくて。でも、聞いたってどうせ教えてくれないんだし、もう黙っておこう……と思いつつ、私は、あ、と声を上げる。
「そうよ、『最悪の形』って何のはなし、」
「向こうの通りを見ろ」
「ねえ質問よ」
「見ろ」
男は私の頭の後ろを掴んで乱暴にぐいと前を向かせる。痛い。苛々しつつ言われる通り広場を挟んで私たちのいるところから真反対の通りを見てあげる。すると、私がさっき広場で見た仏頂面の男が歩いてくるところだった。
「あいつ、さっき、」
見たわと言おうとした私の口はそのまま固まってしまった。男はそんな私の顔を見てため息をつく。
「やっぱりな」
遠くからでもはっきりとわかるそれは、制服の男の後ろを手錠をされて歩いている、私の両親だった。
ひとびとの遠いざわめきが私の耳を通り過ぎていく。どうして、と私の口から声が漏れるまで少し間があった。父さんと母さんは仏頂面と若い女のふたりの制服に前後を挟まれて、道をあけた群衆の間を広場の中央へと歩いていく。
「さて、どういうことだろうな。こっちが聞きてえぐらいだが、生憎お前は『なんにも知らない』んだろう?」
「何かの間違い、」
「間違いかどうかもお前は『知らない』。そうだな?」
そう言われた私は何も言い返せない。俯いて手錠をかけられたままの私の父さんと母さんが、急き立てられ、広場の真ん中にある石段に登らされている。知らないうちにその様子に釘付けになっていた私は、はっと我に返って横にいる男の袖を掴んだ。
「助けに行かなきゃ、私⋯⋯あんた、ねえ!」
無茶苦茶に言葉を並べ立てた私を一度見やると、男はさっと私の手を振り払った。
「お前は両親の仕事を本当に『何も』知らないのか」
さっきと同じ質問と、振り払われたっていうことそれ自体に私がきょとんとし、悲しくさえなっていると、男はもう一度、なんにも、だぞ、と繰り返す。男のゆっくりとした口調につられるようにして私の口から言葉が引き出される。
「……ふたりとも帝国に勤めている公人なの……仕事の内容は、知らないけれど……」
消え入るような私の声に男はそうか、そうかと独り言のように繰り返した。そのまま考えるように黙り込んでしまう。
「だったら、だったら、何……」
私の催促に動じることなく、男は落ち着いた口調のまま返す。
「それを知りたければあそこに降りていくことだ。お前はまだ、ほんとうに、知りたいか?」
私がその言葉に何も答えられずにいると、男は今度は体ごと真っ直ぐ私に向き直る。
「お前が今すぐこの街を出て行くというなら、真っ直ぐ出口まで案内してやる。あそこに降りて行くというならそれも止めない」
男のまなざしは薄暗い夜の空気の中でもはっきり、私に注がれているのがわかった。男は真っ直ぐ私に向かって腕を伸ばす。指先が、私の心を貫こうとしてるみたいだ。さっき私に、「聞きたいか」と問うたときのように。
「お前が決めるんだ、お前の行く先を」
男のゆっくりとした物言いの裏側にある重々しさに、私は思わず自分の体をかばうように胸の前で手を握る。
「どちらにしても俺はお前の身の安全を保証できない。この街から出られてもお前は追っ手に捕まってお縄かもしれないし、出て行っても両親と一緒に死ぬか、それよりもっとひどい事になるかもしれない」
男の言っていることをなんとか飲み干そうとして苦しいのに、私は男の言うことの中身をうまく想像できなかった。でも、私が置かれている状況がどうしようもないのを、男の言葉は私の頭の中にゆっくりと染み込ませてくれる。
「あまり時間はない。動くなら早いほうがいい。目を閉じ耳を塞いだままここにうずくまっていても、必ずお前は破滅するぞ。それだけは確かだ」
男の言葉は脅しじゃない。男が思った通りを話していることはほんとうで、私にはもう、このひとが決して私を騙そうとする悪人でないことは分かっていたんだ。このひとは、先生のような使命感みたいなものをきっと持っていて、それだけで子供みたいな私を導いているんだ。そうじゃなきゃ、こんなことしないはず。
男の真っ直ぐなまなざしに、ただただ焦っていた気持ちが不思議とだんだん落ち着いてきて、頭がゆっくりと回り出す。今、私がとる一番の道はなんだろう。私に逃げ場がないのはほんとうなんだ。どうしようもないんだ。どっちに進んでもいばら道で、きっとこれって、ばかみたいに困った状況なんだ。どうしたらいい? 父さんと母さんならどうしろって言う?
「わたし、わたし、は……」
声が震えてる。怖い。怖くないわけない。私、自分の足で立ってるのがやっとだ。声だけじゃなく、体の全部が震えていて、自分で自分を抱きしめないと立っていられない。私、情けないな。父さんと母さんが、待ってるのに……。
そのとき、制服に追い立てられる父さんと母さんの遠い影が私の頭の中にありありと浮かび上がった。
「行く、私、行くわ」
言葉は頭の中の愛おしい影を追って、思うまま口に出た。そして、その言葉の足りないところを探す私を、男は父さんと同じような瞳をして、辛抱強く待っていた。
「父さんと母さんを、助けに」
男は、何も言わない。だって、私が決めることだからだ。当たり前だ。このひとが決めることじゃないんだもの。
「だって、だって私の父さんと母さんなのよ」
私自身のその言葉が私の背中を押すようだった。声がだんだんとはっきりと、そして強く、なっていく。
「行かなきゃ嘘よ」
私が大きく息を吸い込んでみせるのも、男はじっと黙って見守っていた。大丈夫だ、もう、自分を抱きしめなくても立っていられる。
「ありがと」
私はそう言って非常階段へと身を翻す、が、男は私の肩を掴んだ。振り返ると、男は顎で屋上の縁の先にある真っ暗闇を指してみせる。
「こっちから行った方が早いぞ」
何言ってんの、という顔をしている私とあっという間に距離を詰めた男は、私を一瞬で肩に担ぎ上げた。それから、きょとんとしたままの私を尻目に慣れた様子で屋上の縁まで歩いて、ついには鉄柵に足をかける。
「ちょっと、ちょっと! まって! ちょっと!」
男の腕の中で暴れると、
「安心しろ。下まで送ってやるだけだ」
と、男は飄々とした声で言う。
「下から行ったんじゃ集まった連中を避けて広場に入るのが面倒になる」
「やめて! いや! やだああ」
これから殺されるに違いない私は金切り声を上げる。
「親を想う子の鑑に二言はない」
それは私が言うべき台詞でしょと頭の片隅で思った時には、私は、というか私と男の体はもう空中にあった。男の肩以外寄る辺のない空間に投げ出され、私の喉から出た声は悲鳴になった。景色がぐるぐる回されて、広場いっぱいの通行人たちが一瞬だけ、見えた。
ぎゅっと目をつむった私は、気づいたときには、地面に引っ張られる衝撃で体を軋ませていた、けど、私は生きていた。私は足から地面に降ろされて、地面がそこにあることを確かめるようにへたりこむ。やっとのことで男の方を見上げると、男はけろっとした顔をしていた。
「あんた……」
かすれた私の声に続いて、広場のどこからか小さく呟くような声が聞こえる。
「『ひとでなし』……」
その声を聞いてか聞かずか、男は私の目を見て、笑うように目を細める。
「俺はもう、人間じゃない」
わけがわからなくて、おいてけぼりの私がまだ立ち上がれずにいると、男は突然首を回して遠くをきっと睨んだ。
「おや、あの女のところの猟犬じゃないか。……いや、そうか今は野良犬だったかな。『イチイ』くん」
どこからともなくやけに通る涼やかな声がして、私があたりを見回すと、自分が群衆の視線を一身に受けていることにやっと気づく。その群衆の一部がざわめき二つに割れたかと思うと、その間から黒い制服の人影が現れる。仰々しいマントを揺らして歩くその影は、文句のつけようのない美男子だった。見とれてしまうくらいの。女のひとにも見えるくらい、そのひとは綺麗なのである。
「き、」
「イチイ」と呼ばれて、男は歯を食いしばった顔で声を漏らしてから、はっとした様子で私を見て、ぐっと唇を噛んだ。
「おや、君、威勢良く飛び込んできたと思ったら、不自由だね。まだ『よそ者に深く関わらない』なんて変なポリシーを守り続けているのかい? 私の名前なんてすぐに知れてしまうのに」
「お前、今日に限って、」
「イチイ」が睨みつけると、美男子は微笑んで、それから、ふう、とため息を吐いた。その微笑みっていうのはなぜだか全然嫌味っぽくないんだ。それから、その美男子は背を少し伸ばして他の制服たちを見やる。
「で、何を黙って見てるんだ。君たち」
美男子のその言葉が合図になって、制服の女が真っ直ぐ私に向かって走ってくる。それを見たイチイは瞬時に私の方へ手を伸ばす、けれどその時、私とイチイの間に割り込むように突然一つの黒い影が現れた。見開かれたイチイの金の目を、淡々と見返す紅の瞳。私の目の前に現れた制服は黒い短髪の、さっき父さんと母さんを先導していた男だった。どこから来たの、と戸惑うばかりの私を尻目に、男の持つ右手のナイフが煌めき、イチイの喉めがけて空を割くのが、光の筋になって見える。そのナイフがイチイの喉に届いた、と思った瞬間、黒髪の制服の男の腹には、イチイの拳が入っていた。
「舐めんなよ」
私は目を見張った。それは、なんだかちぐはぐな光景だったから。まるで私の視界が誰かほかのひとに無理矢理閉じられたかのように、一瞬の連続した世界がぶつんと切られて、もう一度無理やり繋がれたみたいに感じた。見間違い? 私はまばたきなんてしなかったのに。
イチイの拳をまともに受けた男は、開けた口から唾を吐き出して、二、三歩吹き飛ばされ、でも腹を押さえて踏み止まる。そして表情を変えないあの顔のままイチイの顔を見て返す。
「ヨシノもいい加減こいつの異能を覚えろよ」
という声に私とイチイが振り返ったときには、もう一つ別の影がイチイの背後にあった。ホルンを吹いていた優男だ。男の指先が、そっと、イチイの腹部に触れている。
「うっせ」
という「ヨシノ」と呼ばれた男の声がして、イチイがなんとか身をかわそうと歯を食いしばっているのが見えた。優男の口元が、笑う。
「『舐めんなよ』だっけ?」
何かが弾けるような音がして、男の手が触れたところから赤いどろどろしたものがそこらじゅうに飛び散った。私の顔にまでべったり跳ね返ったのは、血だ。イチイはうずくまって、私は気づいたら悲鳴を上げていて、でもそれは広場に集まったひとたちも一緒だった。ざわめきが広場中を満たしていく。そんな凍えそうに張り詰めた空気の中で私が恐ろしくて口を覆っていると、背後からそっと私の首元に手を回された。
「立ってちょうだい」
というどこかで聞いた声は、制服の女だった。それでも足を動かせない私に、今度は彼女の握る刀が向けられる。
「立って」
同じ命令をもう一度繰り返され、私はばくばくとした心臓を抱えて、女に半ば引き上げられるようにしてなんとか立った。膝が笑う。
「それで、お嬢さん、君は何者なんだい?」
こちらを向いた美男子は私に語りかけていたけれど、美しいその肩越しに見えた愛おしい人影に、私は夢中で叫んでいた。
「父さん、母さん!」
ふたりはきっと、さっきからずうっと私の名前を呼んでいたんだ。ギロチンの下の石段に立たされたふたり。口に布を咬まされているから聞こえなかったけれど、ふたりはこちらを向いて目をありったけ見開いて、必死で訴えかけるようにくぐもった声を出している。私の言葉に群衆がざわめくのがわかる。
「君、このふたりの娘なのか」
というよく通る声が、私の視線を手前の人影へと引き戻した。目をきょとんと見開いていてもその美男子の顔は凛としたままだ。開かれたままのその唇が、また言葉をこぼす。
「それは……それはいい! 傑作だ! アカシ、彼女をもっと近くに連れてくるんだ、いいぞ、いいことを思いついた。実に、実に『いいこと』だよ」
女に連れてこられた私を前にして、美男子は興奮した様子で口元に手をやる。まるで子供みたいにわくわくしている顔。でも、彼の視線が横に飛ぶと、その喜びの表情はふっと消えてしまった。美男子の視線の先を追うと、イチイが脇腹を押さえながらもしっかりと立ってこちらを睨んでいる。
「イチイくん。これから我々は少々面白い事をやるんだ。だから、どうか静かにしておいてくれよ。君と彼女が一体どんな関係なのかは知らないけれど、決して、このお嬢さんに怪我をさせるような真似は、したくはないからさ。目の前の彼らに誓って」
美男子の冷たいまなざしを受けながら、イチイは眉根をぎゅっと寄せる。そのイチイの肩越しに、いつの間にか父さんと母さんに刃を向ける仏頂面の「ヨシノ」の姿が見える。さっきの冷たい視線が嘘みたいに、美男子の纏う空気が柔らかくなった。
「信じてもらえるか分からないけどね、」
と美男子はまた楽しそうな顔で私の顔を見る。
「私は暴力よりも言論でもって物事を解決するほうがずっと好きなんだ。穏便なのがいいとかそんな馬鹿らしいのではなくて⋯⋯だってそのほうが『人間的』だろう?」
彼のはやる気持ちがそのまま現れるように、その口調は急き立てられて早口になっている。ね、と愛想よく私に相槌を促してから、美男子は広場全体を見回してみせる。緩やかな弧を描くその目元は、まるで群衆のひとりひとりを射抜いていくようだった。ざわめく群衆は開いていた口をつぐみ、彼を見つめ返す。彼と群衆の視線の交差が円形の広場を一周したところで、彼は小さく息を吸った。
「それで君は、両親を救うためにわざわざあの屋上から降りてきたと、そういうことでいいかな」
美男子の作り出したその空気に呑まれた私が固まったまま何も言えずにいると、美男子は小首を傾げてみせる。
「話すのは苦手かな? でも、君自身の言葉を聞かせて欲しいんだ。そうでないと、話にならないよ。『はい』か『いいえ』。まず、そのどちらかでいいから言ってごらん」
ゆっくりと語りかけるその優しい言葉遣いに反して、美男子のその声音はぞっとするほど冷たかった。そのとき、
「そいつはまだ子供なんだ。わかってるな」
という声が私と美男子だけの世界に割って入る。声を発したのはイチイだった。落ち着いた顔の裏にある確かな重々しさに、女の持つ刀がかすかに震えながらぐっと私の首元に近づけられる。
「なら、大人にならなければいけないね」
と美男子は微笑みをたたえた美しい目元で、イチイを見つめ返す。
「同じことを何度もごめんね、君は、」
という美男子の言葉の全てを聞き終わるよりも前に、私の声は広場に響いていた。
「そうです、私は、両親を助けに来ました」
私の言葉に美男子は小さく目を見開いてから、次の瞬間には心の底から愉快そうに微笑んだ。
「そうか、そうなんだね。皆様には聞こえましたでしょうか、今、彼女のこの言葉が」
美男子の声は驚くほどよく通るのだ。全ての群衆が、今、彼を、そして私を見ている。
「この罪人ふたりの娘が、その罪人たる、他ならぬ自分の親を助けるためだけにここに飛び出してきたということですよ。なんて、なんて健気なことでしょうか」
彼の一挙一動はその全てが美しい。まるで舞台役者みたいに、彼は指の先まで彼自身なんだ。
「この街の外で、政治というものが一体どんな形をとっているかということについては、この場所に縛り付けられた私には、どうあがいても想像を語るに過ぎませんが」
美男子は俯いたまま語っていたのをそこで一度止め、今度はまた顔を上げて群衆を眺める。
「私はせめて、この街の中では、民主主義というものを実現したいと、恐れながらも、思っているのです」
悲しげにも見える、憂いを帯びた、でも意志を捨てない瞳。
「罪人をただ『罪人』と呼んで権力が無慈悲に殺すことは、民主主義の目指すところでしょうか? いえ、そんなことはないはずなのです、ですから」
美男子は私の前から離れて、石段を登り、父さんと母さんの後ろに立った。誰もがその美男子の姿を見ていた。
「これから私のお話しすることを、そしてこの娘の訴えを、その両方をどうかお聞きになって、そして、このふたりをどう裁くべきか、それを皆様に決めていただきたいのです」
おい、と声を上げたイチイを、優男が押しとどめる。そのときにはもう、美男子の言葉に群衆がざわめいていた。でも、そのざわめきはイチイの血を見たあのときのものとは違うのだ。きらきらと輝く、速くなる息遣いをもった対をなす数え切れないほどの目が、彼のことをじっとみつめている。
「この罪人たちの犯したことのあらましの全てを、私から皆さまに、誠実に、全て、お話しします。そして、この娘の訴えにもしっかりと耳を傾け、ご自分で判断なさってください。皆様の正義でもって、このふたりを生かすか否か決めていただきたいのですよ」
緩やかなその語り口が、そばだてられる耳の群に受け取られる。
「あるはずの民主主義のために、私に、そしてこの娘に、皆様のお力を貸してはいただけないでしょうか」
その美男子が美しい目元でもって群衆に視線を投げかけると、どこからともなく拍手が巻き起こった。賛同、肯定、承諾⋯⋯そんな暴力的な音の波が彼へ、そして私へと一気になだれ込む。イチイが遠くで、噛んだ唇から硬い音を漏らす。拍手の海の中で美男子は、ただひとりの私へと手を差しのべ、微笑んだ。
「君が、愛する両親を、君自身の言葉で救ってごらん」
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