黒猫、暦、竿
暦の上では今日から秋になるというものの、どこが秋なんだと突っ込みたくなるほどに暑い。
私は団扇で自信をパタパタと扇ぎながら溶けかけたスイカバーを食べた。スイカバーはいい、だって種も食べられるのだもの。本物のスイカも種が食べられたらいいのに。
日が暮れかけているというのに真夏の太陽はしつこくこちらを照り付けてきて、蝉も張り合うようにしつこく鳴いている。私は庭にある物干し竿に止まっている蝉を取ろうとジャンプを繰り返す黒猫――全く届いていないが――を呼んだ。黒猫はちらっとこちらを見て、また蝉を見て、最後に諦めたかのようにこちらを見て私の方へとやってくる。
「お祭り、行こうか」
猫の頭をくしゃりと撫でる。猫は嬉しそうに鳴いた。
**
お祭り、といっても都会で行われているあんな大規模のものではなく、近所の神社の境内で行われる小規模のものだ。花火などが上がるわけでもなく、その代わりに獅子舞を見ることができる。小規模とはいえ、この田舎町では大きい部類には入るので地元の人が割と来るのだが。
陽が暮れかけて涼しくなった風、祭りの浮かれた雰囲気、屋台を出している人々の威勢のいい声、通り過ぎる人の浴衣姿。これらの要素が私の気分を否応なしに盛り上げてくる。
私は黒猫を抱きながら、軽く見ていけば十分くらいで全て見終わるであろう屋台の数々を、毎年三十分以上かけて、じっくりと見回る。お小遣いの少ない私はこうやって一度全ての屋台を見てから、あとでじっくりと買うものと諦めるものを考えるのだ。
ようやく全ての屋台を見回り、鳥居の近くでさぁ何を買おうかと悩んでいる時、隅の方にあるこじんまりとした屋台が目に入った。
あんな屋台、あったっけ。好奇心で、「金魚屋」と書かれたその屋台へと足を運んでみる。たまに落ちているクレープやかき氷を勿体ないと顔を
その屋台の周りにだけは全く人がおらず、商品も屋台の
私は意を決してその屋台の暖簾をくぐった。
「こんばんは」
「お、お嬢ちゃん。いらっしゃい」
屋台の奥に座っていたおっちゃんが、読んでいた本から顔を上げて声をかけてくる。甚平を着ているおっちゃんは、しかし祭りの浮かれた雰囲気を纏っていない。
屋台の中には硝子玉が幾つも、幾つも吊り下げられていた。私の視線に気づいたおっちゃんがその硝子玉について説明してくれる。
「そいつァ、金魚玉って言うのヨ」
「金魚玉?」
硝子玉には水が満たされていて、小さな模型、そして弾けるように赤い金魚がそれぞれに入っている。私の腕の中の黒猫は金魚が気になるのか、前足で金魚玉をつつこうとする。私は慌ててそれを止めた。
おっちゃんはそんな私達の様子をみて苦笑し、そして言う。
「まァ、普通の金魚玉は上ンとこが開いてて、そこから水やら金魚やらを入れるンだが……。俺ンとこのは特別製だから開ける必要が無いのサ」
おっちゃんの言葉通り、それらの金魚玉には水や金魚、小さな模型を出し入れする箇所は無く、完全な球体だった。金魚玉を眺めているとふと、あることに気付く。
「この模型、一つ一つ形が違うんだね」
「お、いいとこに気付いた。これはね、夢なのサ。例えばこれは小学校の夢が詰まっていて、これには読書の夢が詰まっている。……で、これは祭りの夢が」
おっちゃんが小学校の小さな模型が入っている金魚玉、本の小さな模型が入っているもの、そして最後に屋台の小さな模型が入っているものを指さした。それぞれの模型のすぐ傍で金魚がゆらりと泳いでいる。
「この金魚玉に入っているものはぜーんぶ夢だから、金魚玉に穴が無くても別にいいんだヨ」
分かるような分からないような。私は首を傾げる。
「ちなみに幾らなの?」
「お代は取らねェよ? お嬢ちゃんの好きなものを選びな」
私はその言葉に頷いて、吊り下がっている金魚玉を眺める。金魚の紅がゆらゆら揺れる。
「じゃあ……これがいいな」
私が指さしたのは中に小さな屋台と金魚が入っている金魚玉。
「じゃあ、その金魚玉をじーっと見つめてみな」
私は言われた通りにその金魚玉をじっと見る。腕の中の黒猫もそれをじっと見ている。
金魚玉の中、小さな屋台の模型の前に客が居る。女の子だ。ゆらり、と金魚が揺れて泡を吐いた。女の子は黒い猫を抱きかかえている。向こうをむいていた女の子がゆっくりゆっくり、こちらを振り返る。……女の子の顔が見える。
刹那、金魚の吐いた泡がパチンと弾けた。
**
目を覚ます。夢を見ていた気がする。
私が体を起こすと、庭で物干し竿に止まっている蝉を取ろうと一生懸命に跳ぶ猫の姿が見えた。
手にスイカバーの棒を持ったまま寝ていたらしい。カバのイラストが印刷されている棒を私はゴミ箱に放り投げた。外す。私は棒を拾おうと立ち上がって、そこで呟いた。
「何の夢を見てたんだっけ」
覚えていない。目を閉じると紅色が揺らめいたが、それも目を開けると消えてしまっていた。
「まあいいか」
スイカバーの棒を拾って、至近距離から投げてみる。
カラン、と気持ちいい音が響いた。
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