第4章 ペンの魔術師(3)

 翌日の夕方、内田が進捗状況を確認しに来た。


 すでに3分の2まで書き上げている依本は、内心の得意気を隠しながら、プリントアウトした原稿を渡した。


 しかし内田はパラパラとめくっただけで、特に感銘する様子もない。1週間で300枚書いた依本は、内田の淡々とした態度にがっかりした。しかしすぐに気持ちを切り替えた。なにしろ内田は大手出版社の編集者なのだ。こんな枚数、常に書いている人間だって周囲にゴロゴロしていることだろう。むしろたくさん書いたことを褒めてもらおうという気持ちが作家として甘いのだと、自分を叱咤した。


 いくつか細かな部分の打ち合わせをして、どちらが誘うでもなく、軽く呑もうという流れになった。


 大手居酒屋チェーン店の個室に入り、生ビールのジョッキをチンとぶつけ、2人ともひと息に半分ほど飲んだ。


 詠野Zのことについて、依本はいろいろと訊いてみたいことだらけだった。今まで何度か、それとなく尋ねてはみた。しかし内田の口は重い。実在しない作家の仕事という、秘密の事柄なだけに、安易にしゃべれないという感じだった。


 いったいどういう経緯で詠野Zを作り上げたのか。どういう予防線で、今まで秘密を守り通してきたのか。そんな、「影なき人気作家」に関する根本的な事柄を聞きたかった。なにしろ今現在、自身が関わっているからだ。


 今までに、どういった人が書いているのか。書き手の名前を明かせないと最初に内田が言っていたが、せめて作家の背景だけは知りたかった。たとえばどんな分野の作家なのか。大きな賞の受賞歴がある作家、あるいは過去にベストセラーのある作家、そんな者も書いているのだろうか。それも合わせてだが、数ある作家の中からどうして自分が選ばれたのかということも、依本は知りたかった。落ちぶれた作家など、腐るほどいるはずだ。それなのにこれまで付き合いのない自分のところに来た。たまたまなのか、それとも誰かの推しがあったのか。


 しかしこれまでの内田の態度から、とても根掘り葉掘り訊くわけにはいかない。気分を害されでもしたらえらいことだ。復活への道はこの依頼だけというのが現状だ。詮索がすぎてこれっきりの付き合いになってしまえば、それこそ金の卵を産む鶏の腹を裂くようなものだ。ここは一つ、内田が持ち出すまで自分からは触れないようにしようと依本は誓っていた。


 しかし、ただ待っているだけでは芸がない。人間酒が入れば気も口も緩みやすいだろうから、内田と酒の場を持とう、そしてどんどん酒を飲ませてみようと狙っていたのだ。


 依本は生ビールをおかわりしようとする内田に、ビンビールにしようと提案した。


「え、ビンですか。どうして……」


「ビンの方が実は割安なんですよ。なにしろ貧乏が身に付いてますから、そんなところばっかりに気がまわっちゃってね」


 生のジョッキよりビンの方が安く済むのは本当のところだが、依本の狙いは支払いを抑えることでなく、内田を酔わせることにあった。ビンビールなら、さぁさぁと酌で相手のピッチを上げられるからだ。


「大丈夫ですよ。会計はこちらで持ちますから」


 そう言って内田はジョッキをちびちびとやる。サラリーマンの内田にとっては酌の手間が発生するビンビールは煩わしいのだろう。まずビンビール作戦は失敗だ。


 内田は依本のこれまでの作品のことを話題に上げて褒めるが、表情の読めない男なので絶賛している感じかどうかは分からなかった。儀礼的に話題に上げているのだろうとも思えてしまう。四角い顔に眼鏡の奥の切れ長の目。まったく判別できない。


 ただ、知ってもらっているということだけは確かだ。ああいった作品をぜひ弊社に、といった言葉が続けば飛び上がるほどうれしいが、まぁすぐにというのは無理だろうと、これは覚悟している。現在与えられている仕事、それをきっちりこなしてチャンスを待つしかない。

 

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影なき小説家(ペイパーバック・ライター) 勒野 宇流 (ろくの うる) @hiro-kkym

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