素王

はと

第一章「学園戦争篇」

第1話「出会いの始まりは最悪でした」

 夜のうす暗い住宅街。異常な光景を見てしまった。男の人が、住宅の屋根から屋根へと飛び移りながら移動しているのを目撃した。だけど私は、屋根を飛び移るような行為そのものについて特に驚きはしなかった。こんな国では、ほとんどの人間が出来るような行為だったから。さらに言ってしまえば、その男の姿をしっかりと確認することが出来るくらいに私の眼は良い。そういう風に成ってしまっているから。この国のとある制度によって。

 じゃあ何が異常なのかというと、その男の風貌が異常に思えてしまったから。肩周りの筋肉が異常に発達しており、開いた口から覗く歯は鋭く尖った牙のように。そして、特に変だと思ったのが、額から生えていた二本の角。人間というより、化物に近い存在に思えてならなかった。

「なんなのよ、あれ?」

 憧れていた桐生高等学校に入学したばかりの私、榛名結衣はるなゆいは何かと物入りだったこともあってか、文具店でついつい長居してしまったこと、その帰りに本屋で長時間立ち読みをしてしまったことを後悔した。

 目で見ても理解出来ない、頭で考えても理解出来ない。やがてそれは私のなかで気味の悪いものに変わっていった。見たことのないものに抱く恐怖心とか。夜ということもあって一層気味の悪さが増していく。夢に出てきたらどうしよう。

「さっさと帰って忘れよう。そうしよう」

 そう言った矢先、私の目にもう一つの人影が映った。その人も同じように屋根から屋根へと飛ぶようにして、まるでさっきの人?を追うようにして眼前に姿を現した。

 よかった。今度はちゃんとした人間だ。夜空に靡く黒の長髪。女の人かと思ったけど、体つきとか顔の輪郭から男の人だと理解出来た。それに、同じ年くらいの高校生かな。制服着ているし。

 高校生の男の子は左手になにやら棒状の袋を携えながら、目線はしっかりと前を見据えながら屋根に立っていた。

 ふと、その男の子がこちらに目線を移した。見間違いじゃない。この良すぎる眼が、それを否定させる。確かに、その男はこちらを睨むようにして見ている。身構えてみたものの、男はすぐにその屋根から飛び移っていった。

「なんだったの、一体……」

 ふいに、耳をつんざくような叫び声が聞こえてきた。それも、二人が飛び去った方向から。

「ひぃっ」

 瞬間的にうずくまってしまった。叫び声は人間の悲鳴と言うよりは動物のそれに近いものだった。ただし、動物に近くても今まで聞いたことのないような、悪い意味で腹の奥底まで響くような、聞くに堪えない叫び声。

「なんなのよ……本当にもう……」

 私は今、もの凄く怖くなっている。家に帰りたいというのは本心。だけど「怖いもの見たさ」という厄介なものが本心を押し殺そうとしている。

 昔から私の悪い癖。駄目だと思っていても、どうしても気になってきている自分がいる。あんな異常な叫び声を聞いてしまったら。それが無かったらさっさと家に帰って関わろうと思わなかったはず。

 私の悪いところ。関わってはいけないものに、何でも関わってしまう。無関係でも気になってしまえば関わってしまう。

 いや、自分から関わりたいと思ってしまう。

「見に行くだけ。見に行くだけなら……」

 いつのまにか、見に行くための言い訳を言葉にしながら。これまでもそれで失敗したことあるでしょ?と、本心が優しく教えてくれているのに。



 辿り着いたのは、街のどこにでもあるような空き地。一直線に飛んでいったと仮定していたけど、それが見事に的中したみたい。どうでもいいときの勘は良く当たるね、まったく。

 覗き込むようにして見た空き地に、一人は立っていて、もう一人は仰向けに倒れている。

 制服姿の男が立っていて、角の生えた化け物みたいな男が倒れている。

 男の右手には身長と同じくらいの長剣が握られている。

 化物だと思っていたのは、やっぱり化け物で。人の顔ではない、なんて表現していいのか分からない顔をしている。

 夜空に照らし出された長剣の切っ先から、何らかの液体が滴り落ちている。

 赤い液体。倒れている化け物の周りにも同じ赤い液体。それが血だと分かるまで時間はかからなかった。

 それがこの場面を誠実に物語っていた。

 化け物を、男が殺した。

 また、目が合った。今度もはっきりと言える。

 逃げなくちゃ。こんな、殺人現場、人じゃないみたいだけど、そういう現場に居合わせていたのが、見ていたのがバレたとか、とにかく、危ない予感しかしない。

 だけど、足が動かなかった。

 男子生徒の瞳に宿っていた色が、あまりにも神秘的に思えて。見惚れてしまって。

 人の眼に宿ることのない朱色の綺麗な瞳に魅了されていた。






 いつものように、目覚まし時計のけたたましい機械音で目が覚める。日課のように上半身を起こし目覚まし時計を止め、ベッドの上で軽く伸びをする。半分、寝ぼけ眼で朝日の差し込んでいる窓からの景色を見ながら昨日のことをゆっくり思いだしてみる。

 昨日の今日だからいろいろと覚えているけど、特に朱色の瞳。

 どれくらいの間、見惚れてしまったのかはよく覚えていない。我に返って、思い出したかのように私はその後、全力でその場から離れるために、追われることも考えずにひたすら走りだした。

「なんだったんだろ、あれ……。でも……」

 暗くてよく見えなかったけど、男の子の着ていた制服。あれ、うちの高校と同じ制服だったな。

 うう、同じ制服ってことを思うと、急に現実味が増してきた。私はあんな男子見たこと無いけど、あっちが知っていて学校に行ったら口封じのために殺されたりするのかな?

 そんなことはとても現実離れしているけど、実際に現実離れした景色を見たわけだし、なんだか今更ながらとんでもないことに首を突っ込んじゃったかもしれない。

 着替えて、朝食を取りながらいつもは真剣に見ていない朝のニュースをじっくり見てみる。けれども、第三区関連のニュースには化け物のことも男子生徒のことも取り上げられていなくて、平凡なニュースが流れているだけだった。

「変だなぁ、あんなのニュースになってもおかしくないのに」

 登校中も結局、ずーっと同じことを考えていたけど、結局は全部夢だったんじゃないのかとか、自分に都合のいいように解釈して落ち着いてしまう。いっそのこと、こっちから探し出してみるのもありかもしれない。男子であんなに髪の長い生徒なんてそうそういないだろうし。いなかったらすべてが夢だって分かるから。

「よっ、どうした? 朝っぱらから深刻な顔して、珍しく考えごとか?」

「なによ、私が考え事していたら悪いの?」

 頭を叩きながら親友の赤城雄二あかぎゆうじが悪戯っぽく話しかけてきた。いつもなら適当にあしらっているけど、雄二なら何か知っているかな。顔だけはけっこう広いみたいなこと前に自慢していたし。 

「ねぇ、雄二?」

「ん?」

「髪の毛が腰くらいまで長い男子生徒ってこの学校にいるの?」

 なるべく、昨日のことには触れない範疇で質問してみた。

「んー、どれくらい長いかにもよるけど、少なくとも女よりも長い髪の男なんて、この学校にはいないぞ」

「そっか」

 安心した、かな。入学式初日から在校生のほとんどの生徒のことを調べていた雄二に聞いておけば間違いはないと思う。雄二の記憶力は尋常じゃないし、ひと安心した。

 やっぱり夢だったんだろうね。そうだよね、あんなのがニュースにもなっていなかったし、取り越し苦労だね。よかった。

「なんだ? 気になる男子でも見つけちゃったのか? お前みたいなのが?」

「うるさい、そんなのじゃない」

 雄二の言動はいつも思うけど、ちょっと失礼だ。小学校からの知り合いだけど、そういうところは前と変わらない。

 自分のクラスに着いて、席に座る。で、朝礼を待つ。いつもと変わらない日常。クラスの様子もいつも通り。うん、これが現実だ。やっぱり夢だったんだ。もう変に考えたりするのはやめよう。

 朝礼の時間になっても、担任の伊古田いこだ先生は現れなかった。まぁ、ちょっと遅刻するくらいはあるよね。そういえば、昨日のことですっかり忘れていたけど、もうすぐ身体検査の時期だ。

「ねぇ、雄二。身体検査ってさ、いつか知っている?」

 後ろの席にいる雄二に問いかけると、机に突っ伏したまま、顔だけこちらに向けて質問に答えてくれる。

「んー? 確か、今月の二十日だったはずだけど。どうした? 不安か?」

「そりゃあねぇ。高校に入って初めてだし、中学と違って色々あるしさ……」

 ふと、何気ない会話を後ろの席の雄二としていると、視界の端に空いている席が目に入った。欠席かな?誰かは覚えてないや。

「おーし、全員席についているな」

 前の扉が開いて伊古田先生が教室に入ってくる。それに合わせて身体を前に向ける。

「えーとな、朝礼を始める前に、みんなにお知らせがある」

 お知らせって……。なんか歯切れが悪そうに先生が呟いたけど。

「まだ馴染みが無いかも知れんが、このクラスの古舘学がな、家庭の事情で引っ越すことになったんだ。で、急にだけど転校生を紹介する」

 クラスにどよめきが広まる。まだ一カ月も経っていないのに転校生って、確かに急だな。引っ越したほうも引っ越してくるほうも。

「じゃあ、入ってもらおうか。おい伊織」

 その言葉の後に、再び扉が開く。入ってきたのは男子生徒。

 男子にしては珍しい、黒い長髪を靡かせて。

 なかなかの美形だ、女子のざわめく声があちこちから聞こえてくる。

 私も女子だけど、全然、歓喜の声なんて出ない。むしろ、嫌な汗をかいているのが分かる。心臓の音も次第に早くなっていく。

 だって、ねぇ。昨日の夜に見た男子にそっくりだもん。

「改めて、自己紹介してもらえるか、伊織」

 伊織という男子が黒板に自分の名前を書いていく。

伊織総一郎いおりそういちろうです。よろしくお願いします」

 ハリのあるいい声、目は昨日みたいに紅くはないけど、やっぱり同一人物だと思う。だって、左手に持っているやけに長い袋も昨日見たものと同じ形だから。

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