絵月とパンケーキ

水谷なっぱ

絵月とパンケーキ

 絵月は今ビックリしている。どのくらいかといえば、目の前で黒焦げになっているパンケーキになるはずだったものを眺めて首をかしげるほどには。

 「絵月ってそんなに料理下手だったっけ?」

 同じように隣で首をかしげているのは絵月の彼氏である八重だ。八重は料理はできないが、絵月はある程度の料理はできる。できるはずだった。ところが目の前にあるのはどう見ても黒く焦げた炭である。一体何がどうしてこうなったのか。

 「そこまで下手じゃないはずなんだけどね」

 「にしてもこれは……」

 「うん」

 「炭」

 「う、うん」

 「食べたらガンになる」

 「なる……だろうね」

 炭の前で途方に暮れる絵月と八重だったが、それをそのまま放置するわけにもいかない。何故ならコンロの隣にはパンケーキの素が大量に積んであった。仕方がないので絵月はレシピの再確認、八重は炭の処理と役割を分担して次のパンケーキに備えることにした。


 そもそもを言えば、絵月と八重が近所のスーパーに食材の買い出しに行ったところから話が始まる。

 二人がスーパーの中をうろうろしている際に製菓コーナーを通った。そこで八重が「パンケーキが食べたい」と言い出したのである。その意見について絵月は同意し「パンケーキくらいなら簡単に焼けるでしょ」と軽率な発言をしたことが今回の問題の発端だった。その結果パンケーキは簡単には焼けずに炭となり絵月と八重は残念な気持ちになった。

 「つ、次こそは……」

 絵月はスマートフォンでパンケーキの適切な焼き方を調べる。すると初心者にありがちな失敗例がいくつか出てきた。

 曰く、卵がきちんと溶かれていない、粉がだまになっている、粉を入れてから混ぜすぎる、フライパンの温度が低い、蓋をして焼かなかった、などである。大体の項目が当てはまっていて、絵月は落胆した。

 絵月はチャレンジャーであり、失敗から学ぶ質ではあるものの、そそっかしくもある。その性格で多くの成功と失敗を繰り返しているが、成長する分野としない分野があるのだ。成長しない分野で今問題になっているのがまさしく料理だった。

 「まあいいや、次は気をつけよう」

 相変わらずの楽観を持って台所に行くと、ちょうど八重が炭を処理してフライパンをきれいにしたところだった。

 「次行くよー」

 「失敗の原因は?」

 「いろいろ」

 「改善の余地は」

 「いっぱいある」

 「そっか」

 絵月は雑な回答を返しつつも、八重に初心者向けパンケーキの焼き方のインターネットサイトを見せた。八重はうんうんと頷いて顔を上げる。

 「じゃあ次はおれが焼く」

 「できるの?」

 「わからない」

 そう言いつつ八重はボウルに卵を溶き、パンケーキの素や牛乳などをたどたどしく混ぜていく。いかんせん料理慣れしていないので手つきが怪しいが、絵月は黙って見守ることにした。最初は黙っていて、なにか問題があればフォローすれば良いのだと彼女は思っている。口を出すのが面倒なだけでもある。

 ゆっくりと八重はパンケーキを焼き上げた。それはやはり黒焦げだった。一応中を見てみると火は通っているらしい。

 「黒くなった」

 「まあ、火が強かったから」

 「生が怖かったんだけど」

 「八重の気持ちはわからなくはないんだけど、パンケーキを強火で焼き続けたら駄目だと思うよ」

 「そうみたい」

 とはいえ絵月の炭より、八重の炭もどきは多少マシであった。五十歩百歩というやつだが。

 八重は全くと言っていいほど料理をしたことがないし、火加減のことなど念頭にないのだからある程度は仕方がないと絵月は気にしないことにした。比較的料理をする絵月も火加減が怪しいことについては本人は無回答を貫いている。

 そういうわけで、次こそ絵月がリトライすることにした。今度は大丈夫だろうと相変わらず楽観的な感覚でパンケーキの種を用意する。丁寧に卵を溶き、きちんと粉を混ぜ合わせる。もちろん混ぜすぎないように注意しながら。そして適度に温めたフライパンに種を落とす。少し高い位置から落とすと生地が均一になると聞いてその通りにする。すぐに蓋をして表面がふつふつするをの待った。縁がきつね色になったら手早くひっくり返す。もう一度蓋をして数分待てば完成である。

 「黒くない」

 「そうでしょう、そうでしょう。わたしとてやればできるんですよ」

 「さすが絵月。どこをとってもきれいなきつね色だ」

 「ちょっと食べてみよう」

 見かけは完璧なパンケーキに絵月はナイフを入れる。

 「……」

 「……」

 二人は無言になった。

 それもそのはず、中身は見事に生だったのである。

 「残念」

 「残念だ」

 「焼き時間が短かったのかなあ」

 「火が強かったのかも」

 「難しい」

 「たかがパンケーキ、されどパンケーキ」

 絵月と八重は再び首を傾げる。しかし首を傾げたところで生なものは生である。どうしようもないので、そのパンケーキはあとで電子レンジにかけることにして、二人は違うレシピを探すことにした。


 「卵白に酢を入れてメレンゲを作ってから他のものを混ぜるとふっくらするらしいよ」

 引き続きチャレンジャーな絵月が新たなレシピを見つけてきた。酢とパンケーキの素に含まれるベーキングパウダーが反応してふっくらするらしい。重曹と酢酸で二酸化炭素が出てくるんだろうなと二人は考えた。絵月も八重も仕事柄、思考回路が理系なためそのくらいであれば予測ができる。

 だが、いつまでもチャレンジ精神あふれるレシピばかりに挑戦し続けて良いのだろうかと八重は不安になる。ここは一度冷静になるべきではないのだろうか。

 冷静なレシピとは。

 パンケーキの素の箱の裏に書かれているレシピである。そもそもそういう基本的なことをきちんと確認すべきだったのだ。

 それを絵月に伝えると彼女は「それもそうだ」とあっさり同意した。素直であると同時に、以前も同じような間違いを犯したなと内心反省する絵月だった。

 パンケーキの素の箱に書かれているレシピは分かりやすかった。二人の弱点である火加減についてもきちんと書かれている。それだけ火加減がわからない人が多いのだろうと絵月も八重も思った。

 その結果完成したのがきれいなパンケーキだった。

 360度、どこから見ても美味しそうなパンケーキである。中身を確認すると、ふっくらふかふかできちんと火が通っている。

 「よし、食べてみよう」

 絵月がパンケーキの欠片を口に放り込んだ。

 「……」

 「どう?」

 「おいしい」

 「よかった」

 絵月の様子を確認してから八重もパンケーキを食べてみる。間違いのない味であった。しっとりとした舌触りに穏やかな甘さ、ふかふかの食感。家庭で作るにあたって適切な味のするパンケーキである。

 絵月と八重はほっとした表情で成功したパンケーキを完食する。そして残りの素をすべて焼いたのであった。


 「さて絵月さん」

 「なんですか八重さん」

 「我々は少し反省したほうがいいと思うのですが」

 「なにをでしょう」

 「パンケーキを甘く見ていたことをです」

 お腹いっぱいパンケーキを食べたあと、八重が切り出した。八重の言いたいことを重々承知している絵月は神妙な顔で頷く。

 「パンケーキはれっきとしたお菓子なんです。そしてお菓子作りは科学である。ここまではわかってると思う」

 「うん」

 「科学は適当にやると惨事になる。それもわかっている」

 「うん」

 「だというのに我々は適当にパンケーキに挑んで惨敗した。ここから言えることは?」

 「我々は科学を舐めていた」

 「そのとおりだ」

 理系のわりに雑な二人の会話は続く。

 「これはパンケーキに対する侮辱ではなかろうか」

 「そうかもしれない」

 「そんな態度ではパンケーキの神様に怒られる」

 「八百万の神というやつだね」

 「そういうわけで今後はきちんと事前調査をしてから調理に当たりましょう」

 八重はざっくりとまとめた。それ以上でもそれ以下でもない答えであるし、途中から神仏観念が出て来るあたりだいぶ適当なのだが絵月は特に否定しない。絵月は日本人にありがちな無宗教の派閥だが、どちらかと言えば考え方は神道に寄っている。

 絵月の思考回路はさておき、八重は頷きながら彼の思考を巡らせる。事前にきちんと調査に当たる。ある程度の確証を得てから事に当たる。そういう当たり前だけど大切なことを忘れていたからこその、此度の失敗なのだ。今後同じような失敗を繰り返していてはいかにもまぬけであると八重は考えていた。

 一方の絵月も八重ほど深刻ではなくても、だいたい同じように考えている。今回のように何度も失敗を繰り返しては食材がもったいなくて仕方がない。アバウトでチャレンジャーながらももったいない精神はある絵月である。パンケーキの神様についてはさておいても、食べ物を粗末にしてはいけないことくらいわかっていた。

 「パンケーキの本買う?」

 一応、絵月は提案する。

 「ネットで調べればいいでしょ」

 八重はにべもない答えを返した。絵月としてはその返事で十分だ。実際日本を買う気はないけれど、気をつけているよという姿勢を示せればよい。今度一人でパンケーキの素を買ってきて、酢を混ぜるレシピも試そうと思っている。気になることはやっておいたほうが良いのだ。


 後日、絵月は一人でパンケーキの素を買ってきた。酢を入れるレシピを試すためである。

 「面倒臭いな」

 そのレシピではパンケーキの素を混ぜる前にメレンゲを作らなくてはいけない。メレンゲ作りというのはホイッパーがないと結構な重労働であることを絵月は失念していた。

 腕が痛い。肩が痛い。手も痛い。

 口をへの字に曲げつつも、なんとかメレンゲを作り上げて、後の工程に入る。

 結果として出来上がったパンケーキは確かにふわふわもこもこであり、満足の行く出来栄えだった。

 一つ問題があったとすれば先日八重とともに作ったパンケーキが残っていて、絵月の家の冷凍庫がパンケーキだらけになったくらいである。

 「……しばらくパンケーキはいいや」

 飽きっぽい絵月はげんなりしつつも、美味しいパンケーキにはちみつをたんまりかけて舌鼓を打った。

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