第八章「気づいた答え」

第1話「定まらない」

「お兄がデート⁉」

「……あ、うん」


 いくらでも言葉を濁すことは出来たはずだ。まあ、茜にはいずればれていただろうが、こういうことを妹に話すのは兄としてどうなのだろうと、そんなふうに考えていたのだ。


 それでも、日曜の朝。ゆったりと時間の流れる朝食時に、珍しくまともにオシャレをしている僕を目の前にすれば、茜が疑問に思うことぐらい予想が出来たはずだ。


 食卓に並ぶ朝食に目もくれず、座るがはやいか茜の質問攻めは始まったのだ。


「後輩の、小鳥遊奈央って女の子に告白されたんだよ」

「え! あの、奈央先輩がお兄に? それはまた変わった趣味で」


 やっぱり小鳥遊さんは有名だったんだな。まあ、あのスタイルとあの顔で性格がいいんだから、噂にならないほうが不思議なくらいだけど。


「失礼だな、僕にも小鳥遊さんにも」

「ごめんごめん。それで、お兄は勿論オッケイしたんだよね?」

「いや、してない」


 目を輝かせながら聞いてくる茜に、サンドウィッチを口へ運びながら適当に返す。


「なんで? お兄にはもったいないくらい可愛いのに」

「いや、返事は今日するんだよ」

「なるほどね。ふ~ん」


 それだけで、状況は察したらしい。さすが茜。ただし、その意味ありげで厭味ったらしい笑顔はやめていただきたい。


 一向にとどまるところを知らない茜の質問を適当に受け流しながら、朝食を終え、手荷物の確認を済ませると、自宅を後にした。別に、わくわくしたりしているわけではないのだが、浮足立っていたのかもしれない。さすがに、僕も年頃の男子だ。可愛い女の子とでかけることには興味があったりもする。


 まあ、贅沢を言えば、遊んでさようならってだけだったら申し分なかったんだ。でも、僕は答えを出さなければならない。


 品定めをすると言うと聞こえは悪いかもしれないが、正直そんな気持ちが含まれていたことも否めなかった。


 徒歩で駅までは十分ほどの距離だ。住宅街をぬけると商店街の向かいに少し開けた場所がある。その少し先に趣きのある木製の入り口が目につく駅があるのだ。


「あ、桐原せんぱーい! おはようございまーすっ!」

「おはよう」


 まだ、9時半を少し回った時間。早く着き過ぎたと思ったのだが、どうやら小鳥遊さんは更に早く来ていたらしい。白いワンピースが黒髪によくあっていて、肩掛けの茶色のショルダーバックと白いヒールの付いたサンダルは背伸びをしているようにも見えた。そんな姿に、何だか微笑ましさすら感じてしまう。


「ごめん。またせちゃった?」

「いえいえ。私も今来たばかりですのでっ! それに、その……私がお願いしたんですし、もしかしたら来てくれないかも、とか考えてしまって」


 随分と感情の起伏が激しい子なんだな。でも、それだけ心配していたってことなのかもしれない。ほおを赤らめる小鳥遊さんの姿は、茜の言う通り僕には勿体ないくらいの美少女だった。


「あの、桐原先輩」

「何?」

「私、電車の時間とか考えずに十時って言いましたけど、あの、丁度もう少しで電車が来るみたいなんですよ」

「それは丁度よかったね」

「はいっ!」


 早めに来て正解だったらしい。駅で二人きり、ただひたすらに一時間後の電車を待つことになっていたら、僕は気まずくてそこから逃げ出したくなっていただろうし。


 五分と経たずに到着した電車に乗り込む。行き先を何も教えられていなかったのだが、どうやら山を越えた先の街まで出るらしい。電車の行き先から、そのぐらいの想像はついた。


 まばらにしか乗客はおらず、易々と席に座ることが出来たものの、小鳥遊さんは堂々と僕の隣に座ってきて、この状態で無言が続くのはさすがに気まずいと覚悟を決めた時だった。


「あの、桐原先輩」

「何?」

「あの、基先輩って呼んでもいいですか?」

「え?」


 何でそんなことがしたいのだろう。


「え、あの! きょ、今日だけでいいんです! はいっ!」

「別にいいよ」

「本当ですか!」


 目を輝かせながら嬉しそうに聞いてくる彼女に、頷いて返す。でも、そうか。好きな人を名前で呼びたいっていうのは、別に不思議な感情じゃないよな。


「僕も、奈央って呼んでも?」

「はいっ! もちろんですっ!」


 必至に何度も首を縦に振る奈央。呼ばれるのも嬉しいのか。そういえば、僕は彼女の名前を咲良と呼んだことは一度もなかったな。


「ねえ、奈央」

「は、はいですっ!」

「参考までに、今日どこに行くのか聞きたいんだけど」

「あっすいません! 言ってませんでしたね、私」


 そんな些細なことで申し訳なさそうにうつむく奈央。何でこの娘の周りに人が集まるのか、何となくわかる気がした。


「ショッピングとかしようかな~と」


 どうでしょうか。とでもいうように首を傾げながら聞いてくる。断られたらどうしようって顔に書いてあるよ。


「別に何でもいいよ。僕は特に希望がある訳でもないし」

「本当ですか⁉ よかったです」


 ほっとしたように胸をなでおろす奈央を見ながら思う。確かに可愛いなと。でも、それは小動物的な可愛さという意味で。いや、違うかな。佳奈や茜と話す時と変わらない。友達としての好きという気持ちが芽生えたとしても、それが恋愛感情に発展するとは思えなかった。


「あ、もう少しで着きますよ」


 車内にアナウンスが入る。遠くに見える建物はまるで別世界に来てしまったかのような錯覚をおぼえる物ばかりで、少し気圧されてしまった。


「行きましょう」

「うん」


 ホームから改札まで続くエスカレーターを上り、改札を出た先にある階段を下りて駅を出る。やっぱり街の駅は大きいと改めて実感させられた。


「あ、噴水」


 駅を出ると、そこには噴水があった。もう、何年も街まで来てなかったけど、随分と雰囲気が変わったものだ。


「基先輩はあんまり街へは来ないんですか?」

「うん。用もないからね」

「そうなんですか」

「それじゃあ、行こうか。案内してくれる?」

「はいっ!」


 奈央の笑顔は本当に濁りがなくて、つい、桜のような彼女の笑顔を思い出してしまう。もし、今日僕が奈央の告白に対して断りの返答をしたとしたら。この純粋な笑顔を壊してしまうのだろうか。どうにか、それは避けたいと、そんなことを考えていた。


 もう既に、つきあうことなんて考えていなかったんだ。



***



「ごめんね。こんなに歩いたの久しぶりで」

「いえいえ。すいません、いろいろと連れまわしちゃって」


 大きなショッピングモール等が立ち並ぶ大通りを一つ挿んだ道の向こうに自然公園はある。なかなか広大な土地面積に驚きながらも、近くにあったベンチに二人並んで腰を下ろしていた。


「それにしても、意外でした。基先輩が女性物の服に詳しいなんて」

「いや、詳しい訳じゃないよ」


 最初のうちは、食べ歩きをしながら色々な店を冷かして回っていたのだが、ある婦人服店で奈央が足を止めたのだ。本人は興味がないと言い張ったのだが、奈央の顔は正直だった。


 そんな訳で、それからは奈央のファッションショーが始まった。僕は見ている内に楽しくなってしまい、気付いたら口を出してしまっていた。値段と物の良さを比べつつ僕が見繕ったセットを、奈央が嬉しそうに購入していたのを思い出すと、つい告白の話題を振ることができなかった。


「すいません、基先輩。これ以上引き延ばすのはよくないと思うんです。区切りもいいですし、答えを聞かせてくださいっ!」


 楽しさ醒め止まぬうちに、奈央の言葉が僕を現実へと引き戻す。何が正解なのか解らないまま。


 奈央の必死な表情を見ていると、どうしても答えを切り出せない。やっぱり僕の逃げ癖は一向に改善されていなかった。そういうことなのかもしれない。


「奈央は、誰かを好きになったことってある? 僕より前に」

「それは……あります」


 その質問に何の意味があるのか、僕自身も分からないまま話をつづけた。


「僕は奈央のこと、嫌いじゃないよ。むしろ好きな部類に入る」

「え……じゃあ」

「でも、もっとしっかり考えてほしいんだ」


 何を言っているんだろう。きっぱり断ればいいだけなのに、僕は何を彼女に求めようとしているのだろう。期待させるようなことを言っておいて、手のひら返しもいい所じゃないか。


「君にはまだ将来がある。この先だってある。なのに、僕みたいな人間を選ぶのはきっと損しかないよ」

「そんなこと……」


 そんなこと関係ないだろ。彼女は僕が好きだと言った。僕がこの恋愛を無駄だと思うことがあったとしても、奈央の気持ちは同じじゃないはずだ。


「僕たちはまだ高校生だ。だから、僕みたいな人間と一緒にいても時間の無駄だよ。だから、考え直した方がいい。僕は、奈央が思っている程、できた人間じゃないから」


 なのに、言葉は止まらない。僕の気持ちがそうさせる。


 奈央には他にいくらでも選択肢がある。なら、僕を選ばせるべきじゃない。それは、奈央自身の為に。


「ごめんなさい。私、用事があるので帰りますね。失礼します」


 僕と目も合わせずに奈央は最後の言葉を残し、走り去った。沈み込んだ顔と、そこに流れる涙が僕の目に焼き付いた。


 これは、奈央の為なんだ。いや、そんなの偽善だ。自己満足に過ぎないじゃないか。彼女の気持ちを断る勇気がなかっただけだろう。でも、こういうべきだったんじゃないのか。奈央は純粋だ。きっと、何色にでも染まってしまう。僕のバカな言動にこんなに左右されたんだ。ここで、僕のような汚い人間がいることを実感させなきゃいけなかったんだ。でも……



「どうすりゃよかったんだよ……くそっ」



 言い訳しか出てこない。それでも、やっぱり答えが出ることはなくて。

 一人ベンチから立ち上がったのは、日も落ち始めた夕暮れ時だった。

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