Sidestory:沙織episode4
また朝練を休んでしまった。こんなことでは後輩にも、基にさえ示しがつかない。
そう思いつつも基の存在が気にかかりながら登校していると、思わぬ声が後ろからかかった。
「沙織っ!」
「……基?」
佳奈ちゃんが言っていたことが嘘のように基は私に声をかけてきた。でも、よくよく考えてみれば、話しかけてくることのほうがよほど異常事態なのではないか。
私に対してだってあんなにも拒絶の意思を示してきていたのに、基から話しかけてくるなんて、やっぱりおかしい。
「おはよう。沙織」
「……基。お、おはよう」
まずい。動揺が顔に出てしまっているだろうか。
なぜ、基の様子がこんなにも変わったのか。おそらく茜ちゃんの件に関することなんだろうけど、ふさぎ込まず逆に積極的に話しかけてくるなんて思わなかった。
基に合わせて通学路を進む。今までの基とは違う。何かを決意したような目をしていた。それが怖かった。
基が何かを決めたとして。決心したとして。行動に移したとして。
成功するとは限らない。
失敗する可能性のほうが高い。
けど、止めてはいけない。止めたところで基は止まらないだろうし、それに……。
止めてはいけない気がする。
「それじゃ」
「……うん」
基に言葉を返し、自分のクラスへ向かう道すがら佳奈ちゃんを思い出す。
大丈夫。基のことを考えてくれている人はほかにもいる。私だけじゃない。
だからこそ、基をしっかり見なきゃいけない。ここに、学校にいるのは私だから。基を学校で支えられるのは私だけだから。
そう、意気込んだはいいものの、基の様子はいつもと変わりなかった。思い過ごしであったのなら、それに越したことはないのかもしれない。いや、そうしたら、基は現実逃避をさらに悪化させたということもあり得る。
でも、あの基の顔は……。昔よく見た。私のために何かをしてくれる時の、強い信念を持った顔。だったらきっと、基は……。茜ちゃんのために動こうとしているんだ。
その答えが正しかったと知ったのは放課後のことだった。
いいかげん直接聞いてみるしかないかと思い、基の教室へ向かうと、丁度、基が隣の空き教室へと入っていくところだった。自分のクラスの隣の部屋に用があるとは思えない。不思議に思い様子をうかがうと、自分の教室内の様子を聞き耳立てて窺っている基がいた。
理由は聞かなくてもわかる。おそらく、これからいじめが始まるんだろう。基は現場を押さえるつもりなのだ。でも、どうするつもりなのだろう。また盗撮をしたところで結果は変わらない。一回、告発してしまった以上、いじめが陰湿なものになっている可能性が高いし、他の証拠を上げるのも容易じゃないと思う。
そんなことを考えているうちにいじめは始まった。基のクラス内で始まるいじめ。いじめられている娘のことよりも基のことを気にしてしまう私は、すでに心が濁ってしまっているのかもしれない。
「……っ」
基が息をのんだように私には見えた。そして、そんな基を見ていたからわかってしまった。
基がいじめを止めるために教室内へ乗り込もうとしていることが。
「……もう、やめよう?」
気づけば私は基の腕をつかんでいた。
「……沙織」
私がいたことに気づいていなかった基は驚いた様子を見せるが、すぐに冷静な表情へと戻る。私が何を心配しているのか悟ったように私の瞳を見つめてきた。何があっても退く気はないと、基はそういっているような気がする。
「ごめん、沙織。でも、僕は兄だから。たった二年先に生まれただけなんだけど、
それでも僕はやらなきゃならないと思うから」
やっぱり。茜ちゃんのためなんだ。茜ちゃんが傷ついているのを目の当たりにして、このままじゃだめだと自分を責めたんだ。でも、ここでいじめに割って入ってもいじめの対象が変わるくらいがいいところで……。その対象は、
「だめだよ。やめたほうがいいよ、基」
「……いじめの対象が僕になるとしても、僕は絶対にあれを止める」
そんなの、止めるって言わないよ。基がいじめられる結果なんて誰も望んでいないんだよ。
「こうしないと、納得できないんだよ」
だめ。もし、基が納得できたとしても、少なくとも私はなっとくなんてできない。
「一時的な気持ちに左右されちゃダメ。お願い。ねぇ基。見なかったことにしようよ?」
先のことを考えれば、基のこれからを考えれば、こんなことをさせてはダメだ。心が不安定なのは茜ちゃんだけじゃない。基の心だってぐらついていて、土台はまだ未完成だから。これ以上は、基が自滅してしまうだけだよ。だから、
「ありがとう。沙織」
「あっ……」
でも、ダメだった。心の声は、私の手は基の手を放してしまった。もう、後戻りはできない。
いやだ。このままなんて嫌だ。何もできないなんて嫌だ。もう、傷つく基はみたくないって、そう思ったはずなのに、なんで、何もできなんだろう。
……だめ。冷静にならなきゃ。
考えろ。この状況を打開する方法を。何かあるはずだ。何か、打てる手が……。
「……盗聴器」
ふと、声が漏れる。佳奈ちゃんに預けられた盗聴機があったはずだ。もし、会話がヒートアップすれば向こうがぼろを出すかもしれない。基の発言は都合の悪いところだけ佳奈ちゃんに修正してもらえば大丈夫なはずだ。
そう思うが早いか私は盗聴を開始する。すべてのやり取りを録音し、いじめをしていた集団が教室を出て行ったところで、私は小島電気店へと駆け出した。いつでも手が打てるようにしなければ、もう、二度と基の手を離すことがないように。
私が小島電気店につくと、待っていましたと言わんばかりに佳奈ちゃんに手招きされた。
「沙織先輩。これを見てください」
佳奈ちゃんのPCに映るのは学校裏サイトの画面。黒い掲示板というだけで、なにか危ないにおいがする。
「こんなもの、あったんだ……」
存在すら知らなかった。
「問題はこれです」
佳奈ちゃんが指さした先。そこには、基のことが書かれていた。
「なにこれ……」
「基先輩が盗撮をしていたという噂が広がりつつあります。要約すると、女子更衣室や女子トイレを盗撮していたら偶然いじめが映ったんじゃないか、って感じです」
「そんな……」
もう手を打ってくるなんて、早すぎる。
「この噂はほかの媒体でも広がっているはずです。これは、その一部に過ぎません……。早く手を打たなければ、取り返しのつかないことになりますよ」
佳奈ちゃんは私が小島電気店にやってくる前にこの掲示板の書き込みを見たんだ。だから、基が何かやらかしたことも分かったし、私が来るであろうことも予測していたんだ。
でも、知っているのなら話は早い。
「佳奈ちゃん。これ……」
私は盗聴器を取り出して見せると、佳奈ちゃんはニヤッと口角を上げた。
「証拠、ですか?」
「うん。ばっちり」
私が渡されていた盗聴器はUSBで直接PCに接続できるらしい。佳奈ちゃんはすぐに録音されているものを確認すると、面倒くさそうに肩をすくめた。
「これは、いじらなければならないですね。万全は尽くした方がいいでしょう」
「うん。ありがとう」
「沙織先輩にお礼を言われる意味はよく分かりませんが、まあ……。乗り掛かった舟なので、仕方なくですからね」
少し頬を赤く染めながら佳奈ちゃんはそっぽをむく。意外なことにお礼を言われるのが恥ずかしかったようだ。
「あ、そうでした。電話をしましょう」
「電話?」
いきなり思いだしたように佳奈ちゃんはスマートフォンを手に取る。
「基先輩にも少し、現状を伝えておく必要があります。万が一の時に心構えができているかどうかは大きいですからね」
確かにそうだ。私が間にはいって止めることができるとは限らない。当事者である基に知らせない理由はないだろう。
「先輩の恩知らずーっ!」
基と電話が繋がったと同時、佳奈ちゃんはいきなりそう叫ぶと通話終了のボタンをおした。
「……佳奈ちゃん?」
正直、何がしたいのかわからない。
「明日のことを考えて気が気でないであろう基先輩の気持に余裕を作ってさしあげようという粋な計らいですよ」
絶対に違うと思う。
「まあまあ、沙織先輩。そんなに心配しなくても大丈夫ですって。後は私に任せて少しお待ちください」
そう言って基にもう一度かけなおす佳奈ちゃん。まあ、あまり気にしていても仕方がない。佳奈ちゃんのこういった性格は今に始まったことではないのだから。
「うげっ。名乗ってもいないのに誰だかわかるなんて、さすが先輩です。合法でもロリの息遣いなら判別できるんですね。少し待っていてください、通報してあげます」
「……」
こんな時でもそんなことが言える佳奈ちゃんがある意味すごいと素直に思った。
こうなりたいとは決して思わないけれども。
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