セカイにきせつを咲かせよう。

𠮷田 樹

プロローグ

プロローグ

 人生なんてものはただ不公平なだけだ。

 親は子に正義を教える。だから僕は正しいことは良いことだと思った。正しくあろうと思った。

 

 社会は僕に教えてくれた。正しさとは空気をよむことだと。

 僕の知っている正義とはきっと違うものだ。

 

 間違いを指摘してはいけない。長い物には巻かれなければならない。顔色を窺って一緒に笑わなければならない。文句を言ってはいけない。

 

 世の中に神が存在するのだとすれば、それは空気なのだと僕は悟った。

 友人とはなんだろう。機嫌を損ねないように愛想笑いをする相手だろうか。

 苦しくてもつらくても現実が変わることはない。ちっぽけな自分のちっぽけな力は存在していないことと同じくらいに希薄で小さい。

 

 それでも僕は友人と言う肩書に目がくらんだのかもしれない。

 

 ある日、友人であると思っていた人間を庇った。

 クラスのみんなから守った。そんな気になっていた。でも、僕はバトンを譲り受けただけだった。クラス内のうざい奴と言う称号の付いたバトンを。

 

 でも、それは当たり前で。理由なんてわからないけどそれは当たり前で。

 

 一番に必要ないことは自分という存在を肯定する行為で。

 誰かを守ることは自分を傷つける行為だということを知った。

 

 積もり積もったものは心を満たした。機械的な毎日に疑似的な喜怒哀楽を見出し安心しようとしていた。そんな僕の気持ちを見えない何かが満たして。

 

 苦しかった。

 

 だから僕は特別になった。誰にも関わらず、誰にも触れられぬように。そうやって生きた。でも、それが当たり前だったのかもしれない。僕は周りとは違うから。こうなることは必然だったのだ。

 

 それからは、桜の木だけが僕の友達だった。

 

 ある日の放課後、偶然見つけた山の中腹。少し開けたそこに一本だけたたずむ桜の木。

 僕が知る限り〝彼女〟は五年以上花を咲かせていない。

 咲くことのない彼女の姿は、僕と重なって見えた。

 僕にとって大切な存在で、そこは特別な場所になった。

 

 だから……。

 彼女が花をつけたとき、それがきっと変化のはじめ。

 

 時に流されて自然に変わるということをどこかで望んでいて、そうなることが当たり前だとも思っていたんだ。

 きっと、この春の日に変化は始まっていたのだろう。彼女の咲かせた満開の花より、僕は異質な少女の存在に目を奪われていた。

真っ白なワンピース、腰まで伸びた桜色の髪、幼さを残す顔にこぼれんばかりの大きな澄んだ朱の瞳は僕を見つめていて。


「こんにちは」


 桜の下にたたずむ彼女は微笑んだ。それは華奢な体から紡ぎ出す、透き通るような声。


「こんにちは」


 僕は素っ気なく返す。先客がいるなんて思ってなくて虚を突かれたからだろうか。それもあったかも知れないけれど一番の理由はそこじゃなかった。

思わず息を飲んでしまうほどに少女は美しかったのだ。


「こっち、おいでよ」


 招かれるまま、桜へと吸い寄せられるように僕は歩み寄る。


 

――何故だろう、まるで大切な人と再会したかのような不思議な思いが全身を包み込んだ。



 その日は確か彼女の名前すら聞くことができなかった気がする。

 嬉しそうに咲く桜を見つめたまま、僕たちは立ち尽くしていたのだから。

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