デジタルハーツ

スナネコ

第1話 プロローグ

「『唄乃 嬉々』です。」


 完結した挨拶で、名前に反して楽しげもなく転入生は自己紹介をした。


 唄乃 嬉々。


 彼女は僕と同じ小学生とは思えない感情の抜け落ちた表情でクラスを一瞥していた。

 大人びた綺麗な娘だった。今時珍しく背中に届くほどの長髪で、毛先まで艶やな栗色していた。身体の線は細く、肌は一切の汚れもない純白で、それは病的にすら見えた。そして、極め付けが、彼女が首にかけている重厚で機械的なヘッドホンだった。


 儚く可憐。そんな外観の彼女は、名前だけを告げて、充てがわれた席へと無表情で着席する。美人で近寄りがたい彼女に新たに『無愛想』という壁が出来上がった瞬間だった。


「え、えーと、皆さん。嬉々さんと仲良くしてくださいね」


 先生は取りなしつつ、朝の会を始めるも、転入生を迎える雰囲気は飛散していた。


 結論から言えば、唄乃 嬉々はクラスから孤立した。


 半眼で世界をぼかして眺める彼女は、僕らには大人のように錯覚させたのだ。なんてことはない。勝手な思い込みで、彼女と僕とは接点などありはしないのに、そう結論付けたのだ。第一印象はかくも恐ろしく、僕らは以降、唄乃 嬉々をクラスメイトと見れずに、異物のように扱った。

 クラスの誰もがそのように接したのだ。初めこそ話しかける女子はいたが、本来持ち込み禁止のヘッドホンを常備している彼女は、全ての声を拒絶していた。誰が話しかけようとも、聞こえていないようにふるまうのだ。後日、唄乃 嬉々が『持病により』ヘッドホンの持ち込みが許可されていることを担任から聞かされる。僕らはこれまでの彼女の反応から、耳が聞こえないのだと判断した。


 そして、唄乃 嬉々はクラスから孤立した。


 音の壁を超えるほど僕らの精神は熟成していなかったのだ。腫物のように接する術しか持たなかったに過ぎない。こうして唄乃 嬉々はただただ放置され、2ヶ月が過ぎた。


 猛暑が襲った日だった。


 蝉や蜩が騒ぎ立て、県内最強気温を観測したその日、僕は生徒会役委員の仕事を終えて、荷物を取りに教室へと足を運び、唄乃 嬉々と鉢合わせた。彼女は相変わらず重たそうなヘッドホンを耳にあて、窓の景色を頬杖をついて眺めていた。


「……うるさい……」


 忙しく鳴き散らす蝉に向けた言葉なのか、僕には判断できなかった。彼女はただ憎たらしげに空を睨みあげ、耳を塞ぐように、ヘッドホンを固く握りしめ続けていた。


 全くの偶然であるのだが、ちょうど彼女が見上げる先に、いつもの『幻覚』が空を羽ばたいていた。幼少よりチラつくそれらは、様々な形で現れた。


 二足歩行する巨大な爬虫類。


 大人の数倍も大きい羽虫。


 出来損ないの人の形をした土偶のような植物。



 そして、今現在、空を悠然と飛ぶ怪鳥と種類は豊富にある。この幻覚たちは姿こそはっきり見えるが、一切の音を持たなかった。足音、羽音、咆哮、幻覚がどんなに暴れようとも音を出さない。故に目視するまで気づかず、ばったり鉢合わせて驚くことがほとんどだった。


 僕は首にかけたゴーグルを装着し、固く目を閉じる。


 あれは幻覚……あれは幻覚……あれは幻覚。


 いつも通り三回唱えて、薄く目を開く。ゴーグルごしに再び見上げた空は変わらず青く、そして、もちろん怪鳥などどこにもいなかった。


 当然だ。なにせあれは幻覚なのだから。


 僕と唄乃 嬉々はこの日、この瞬間、確かに共有していたのだ。誰にも理解されない『幻』を、二人は同時に観測していた。


 僕にとっての『幻覚』が、彼女にとっての『幻聴』が、重なっていたことに僕たちは気づくことなかった。僕は何事もなく、ランドセルを担いで教室を後にし、日常へ向かって帰宅する。


 その翌朝、自宅のベッドに卵が現れた。



 

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