(3)魚鱗細工

 岸辺の街は『レ・ラーゴ』といった。そして街への道中、シルフィスに訊いて曰く、やはり果ての見えない広大な水面は湖で合っていたらしい。

 レ・ラーゴにつく頃には、日はとっぷりとくれていて、ルーリエは再び馬車の荷台の人となっていた。


「シルフィスさんは漁師なんですね」

「そ。あたしは銛突き専門でね、あんな風に湖に潜って、魚を獲ってくるの」


 ルーリエは荷台に相乗りしているシルフィスから話を聞いていた。その目線の先にはシルフィスの今日の獲物が網袋の中に並んでいた。彼女は羽織っている一枚布を敷いて、その上に網袋を置くことで荷台が汚れることを極力防いでくれているのだった。

 ルーリエは彼女の話を聞いていて驚いていた。なんとシルフィスはまもなく十五の歳だという。身長も同じくらいであったし、物おじしない話ぶりや日焼けした顔や腕にたくましさを感じて、ルーリエはなんとなく自分と同じくらいの年のころと感じていたのだ。だが、たいそうな見当違いをしていたといえる。

 それでは、とルーリエは先ほど見た情景を思い出す。気恥ずかしさのあまり、はっきりとは記憶していないが、三歳ほど年下なのに自分よりも女性らしい体つきのシルフィス。ルーリエは何か釈然としないものを感じていた。

 そうこうしているうちに、やがて一行は街へと入った。街を取り囲む柵のぞんざいさといい、門番の穏やかな態度といい、どうやら長いこと平和を謳歌している街であることが知れた。そのこともまた、ルーリエにとってはちょっとした驚きではあった。

 街の中は、木造の家々の間を、踏み固められた土道が縫うように走る造りであった。その複雑に入り組んだ道のりを、一行はシルフィスの案内で進んでいた。

 一行は好奇の目で見られながらも、住民ら一部は荷台のシルフィスに気が付くと、親しげな表情で手を振っていいた。シルフィスもそれに手を振り返す。どうやら、彼女の顔見知りらしい。

 途中、「あ、おじさん、ここで止めて」とシルフィスが言った。

 それは一軒の大きめな店のような建物の前だった。


「私の獲物はここに置いていくんだ。だから、ここまででいいよ。送ってくれてありがとうね。駅亭はこの通りをまっすぐ道なりに行けば左に見えてくるから」

「いや、こちらこそ恩に着る。貴嬢の案内がなければ迷路のようなこの街、たちまち迷っていたところだ。……ところで、ここは何なのだ」

「魚の加工場っていったところかな。入ってみる?」

「良いのか」

「うん。旅人さんなら興味あるだろうから」


 シルフィスはルーリエの手を引いて荷台から降りる。

 そして店先に顔見知りらしき若い男を見つけると、声をかけて何やら話をつけていた。


「この人が馬車を見ていてくれるから、一緒に入りましょ」


 どうやら馬車の見張り番の世話を頼んでいたらしい。ずいぶん要領がいいと思いながら、二人は見張り番を買って出てくれた男に会釈して、煌々と明るい店の中へと入った。

 店の中に入ると、むっとした熱気と、魚由来の生臭さが鼻を突いた。

 そこいは十数もの調理台が並び、それに向かって何人もの男たちが一心不乱に魚をさばいていた。包丁一本で魚のうろこをそぎ落とし、皮を剥ぎ、身をおろす。その鮮やかな手つきに、ハゼムもルーリエもしばしの間目を奪われていた。


「タシュク! タシュクはいる?」


 そんな二人を置いていきかねない勢いで、シルフィスは目の合った男たちにあいさつしながらも、ずんずんと調理台の間を突き進んでいく。

 やがて、一人の若い青年が手招きしているのが見えて、シルフィスは小走りで彼のもとへ駆けて行った。それに遅れまいと、ハゼムとルーリエも続く。


「シルフィス、この方たちは?」と訊いたのは、その若い青年である。

「旅人さんよ。ハゼムさんに、ルーリエさん。漁の帰りに会ったの。ここまで荷馬車で送ってもらっちゃった」


 すると、青年は魚の血で汚れた手を傍らの桶の清水で洗ってから、丁寧にお辞儀した。


「自分はタシュクといいます。このシルフィスの従兄です。先ほどはシルフィスがお世話になったようで」

「いえ、そんなことは。私たちもシルフィスさんに道案内してもらって」

「いかにも、こちらこそ世話になった」


 色白であることもあるが、シルフィスとは血のつながりがあるとは思えないほどの似ても似つかない丁寧さを見せるタシュクに、ハゼムとルーリエの二人は少々面食らった。そんなタシュクに、シルフィスは親しげにせがんで言った。


「タシュク、アレを見せてあげれば? 旅人さんたちだから、きっと喜ばれるよ」

「アレを、か? まだ最後の磨き上げが残っているんだが」


 タシュクは少し逡巡する様子を見せた。だが、続けてシルフィスからせがまれると観念したように、「皆さんのお気に召せばいいのですが」と言った。彼に促され、先走るシルフィスの先導で大きな調理場から隣の部屋に移る。すると、こちらではまた独特の匂いが漂っていた。


「この匂い、膠か」鼻をひくつかせたハゼムは、その正体をすぐに言い当てた。

「ハゼムさんは鋭いですね。その通りです」

「しかし、どうして魚の加工場で膠など」

「あれですよ」


 その部屋には先ほどとは打って変わって人は数えるほどしかいなかった。代わりに作業台が壁に沿って数台並び、中央には大きな机が一つきり置いてあった。その一角に何かが整然と並べてある。タシュクが指さしたのはそれだった。

 ハゼムとルーリエが机に近づいて見てみると、それは幾何学模様のモザイクが美しく施された髪飾りや首飾りといった服飾品、あるいは壁掛けなどの装飾品といった工芸品の数々だった。

 そして、さらによくよく見てみると、そのモザイクの全てが陶片やガラスなどではなく、魚の鱗によってなされていることが知れて、二人は驚愕した。


「この街では魚の鱗を使った工芸品造りが盛んなのです。特に荷背の方などは、物珍しいからか、良く仕入れていかれます」


 タシュクは手に持った灯りで、二人に机に並んだ品々を見せながら話した。


「この街では魚は余すことなく使います。身はもちろん食糧ですし、皮空は膠をとったり、なめして革製品に、骨はものによりますが日用や工芸の材料に。そして鱗は色や大きさごとに分けてから、あのように鱗細工とするのです」

「タシュクもね、本来はこっちの鱗細工の職人なんだよ。まだ若いけど、腕は一流なんだ」と、横合いからシルフィスが口を出す。

「コラ、余計なことを言うな、シルフィス」

「でも親方さんたちだって、タシュクは若いのによくやるっていつも言ってるじゃない」

「いや、あれはからかい文句みたいなもので……」


 余計な口出しをたしなめようとしたタシュクであったが、従妹の反撃にあい、彼は恥ずかしそうに顔を赤らめた。

 ハゼムはそんな従兄妹の様子をほほえましく見ていた、


「なるほど。シルフィス嬢が推すほどだ。なかなかの上手と見える」

「そんなことはありませんよ。もし、お気に召していただけるものがあればこちらとしても幸いですが」


 ハゼムはタシュクの許可を得て、一つの腕飾りを手にとった。

 木製の下地材に魚鱗で幾何学図形が組み合わされた装飾が施されたそれは、タシュクが手に持った灯りを照り返して、宝石のように輝いた。遠目で見れば、それが魚鱗でできているとは誰も思えない出来である。


「見事なものものであるな、ルーリエ」ハゼムは隣からのぞき込んでくるルーリエにも見せながら言った。

「はい、とってもきれいです。これらはみんなタシュクさんが?」

「ええ、自分が作ったもので、明日市場へ出そうと思っています」

「タシュクの作ったものは出来がいいからすぐ売り切れるんだ。ルーリエさんやおじさんも、仕入れるんだったら早めにね」

「そうか。ならば明朝は早く出て、是非仕入れさせてもらおう」

「本当?」シルフィスがはしゃいで訊ねる。

「ああ、約束しよう」と、ハゼムは頷いて見せた。


 そうこうしているうちに、いつの間にか夜の闇は深くなっていた。

 ハゼムとルーリエは従兄妹二人に別れを告げて、駅亭へと向かうのであった。




 駅亭とは、狭界ごとに設けられた荷背たちの共同市場兼宿場のことである。

 たいていの場合、駅亭の管理者たる駅長は元荷背である。彼らは何かの事情で特定の狭界に居つき、荷背と地元住民との間を仲立ちする場として駅亭を開く。

 そもそも自明のこととして、狭界ごとに文明の水準は異なっている。そうなれば当然、通用する貨幣なども大きく異なる。ゆえに荷背はある狭界から別の世界に行くとき、手持ちの現地貨幣をすべて物品に替える。この物品を多くの場合、背荷(ぜに)という(もちろん、物品ではなく芸能・工芸などの技術をもとに生業とする者も少数はいるが)。

 とはいえ、狭界ごとに商習慣なども異なる場合が多いから、自前で行商をすると現地住民との紛争につながることが多い、そこで、駅亭の登場である。駅亭は荷背から背荷を預かり、代理人として現地市場で背荷をさばく。そうして得た現地の金銭から一定の手数料を差し引いて、荷主の荷背に還元するのである。

 また、宿場をやっているのは、狭界ごとの言語の問題もあるし(たいてい迷宮に近い地域では迷宮共通語が通じるが)、文化習慣の違いによる対立を回避するためでもある。

 ともあれ、荷背たちにとって迷宮世界を渡り歩く上での止まり木的役割を持つのが、この駅亭なのである。


 道中、そんな説明を駅亭初心者のルーリエにしつつ、ハゼム達は駅亭にたどり着いた。

 厩舎前で荷馬車と背荷(ただし一部の貴重品は抜いて)を駅員に預け、帳場で一番安い男女別の共同部屋を頼んだところで、ハゼムは下ろした背嚢から一冊の分厚い帳簿を取り出した。


「ハゼムさん、それは何ですか」ルーリエが不思議そうにその帳簿を覗き込んだ。

「これは、荷背伝言帳というものだ」

「荷背伝言?」

「例えば、ある狭界にいる者が、別の狭界にいる誰かに何事かを伝えたいとしよう」

「はい」

「すると前者が、後者に向けての伝言をしたため、それを荷背に託すのだ。これをどうか次に行く狭界へ送ってほしいと。頼まれた荷背は、次の狭界で伝言を駅亭の者に託す。そして駅亭の者は、別の荷背に伝言を託す。あとはそれの繰り返しである」

「そんなもの、相手に届くんですか」

「届かない時もあれば、届くときもある。しかも、すぐに届く場合もあれば、百年たっても届かない場合すらある」

「そんなのって。――いえ、それでも届けたい言葉があると、そういうことですか」

「そうだ。だからこそ、無駄かもしれないと思っても人は伝言を荷背に託す」


 ハゼムは伝言帳をパラパラとめくってみせる。

 はっきりと印字された活字があれば、かすれて読み取るのも困難なほどの走り書きがある。ちぎり取った雑紙があれば、きれいな便箋もある。文字も、迷宮共通語がほとんどだったが、何と読むのかわからない狭界語もあった。

 ハゼムは一通り中身をルーリエに見せると、帳簿を帳場の駅員に預けた。


「――ルーリエ、荷背の間ではこのような言葉がある」


 ハゼムは、駅員に案内された食堂へと赴く途中、口を開いた。


「『ふさわしき者に、ふさわしき地を』と。導きの女神様は常に冷徹だが、決して冷酷ではない。我輩たちと我輩たちの積み荷を、真にふさわしき場所へと導いてくれる」

「『ふさわしき者に、ふさわしき地を』ですか?」

「先ほどの荷背伝言も、きっとしかるべき時に、しかるべき場所に至るのだ。しかも、それは伝言だけではない。我輩達、荷背自身にも言えることだ。このレ・ラーゴにも、我輩達は何か意味があって導かれたのだ。導きの女神様はそういうことをなさる」


 ルーリエには、ハゼムの言うことの意味が、まだよくわからなかった。

 ただ、自分自身が今や荷背になった経緯を思うと、もしそうであるならば良いとは思えた。

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