最終章 燃ゆる魂、消えぬ意志。
第41話 着火(Braze)
清宗院邸・最上階。
ついに到達したその扉の前で、三人は呼吸を整える。
いよいよ突入の時。標的はもう目の前だ。
(よし、開けるぞ。準備はいいか?)
マルヴォが扉に手を掛けた。
(ああ。いつでもいいぜ)
100円ライターを構える紫村。
(あたしも準備オーケーよ)
消臭スプレーを構えるアイコ。
「OK , Let's Party」
二人の顔を確認したマルヴォは、ゆっくりと扉を開ける。
――ギイイイイ……
扉を開けると、そこは小さな書斎だった。
薄い明りが付いているが、ほこりのひとつも舞っていない。
背景を覆う本棚と、質素な机が置いてあるだけの部屋。
「――――」
その机の椅子に、その男は座っていた。
青々としたスーツを纏い、三人と向き合って悠然と両手を組んでいる。
「待っていたぞ。反逆者たちよ」
清宗院和正。58歳。
職業:総理大臣。
現代社会の頂点であり、禁煙社会の生みの親。
その風貌は、それらを体現したかのような豪傑な顔面と清潔な髪型。
身長170センチ、体重68キロ――日本国民平均のそれである。
(※2017年調べ)
「アイコ、今だっ! やれっ!」
「ええ! まかせて!」
アイコはその身体に、消臭スプレーを吹き付けた。
「くらえっー!」
――シュッ、シュッ、シュッ!
「…………」
清宗院の衣服はたちまち液にまみれたが、当の本人は落ち着いている。
「なんだそれは。消臭剤か?」
悠長に質問を投げかけた。
「ええ、そうよ!」
律儀に答えるアイコ。
もはや偽りなど必要ない――次の瞬間に、貴方は燃えてしまうのだから――
「
紫村はライターを点火した。
(総理大臣は、100円で倒せる――)
ライターを剣のように振り下ろし、目の前の机に着火する。
――ボワアアアアッ!
質素な木造机は、ライターの火を受けて大きな炎を生み出した。
炎は清宗院の身体を巻き込み、勢いよく燃え上がっている。
「よし! やったぞ!」
マルヴォは勝利を確信した。
衣服と机は早くも火だるまになっている――もはや脱出は不可能だ。
あとは標的が焼け焦げるそのさまを、淡々と見届けていればいい。
――計画は成功だ。
「…………」
しかし相手は、炎に包まれながらも落ち着きの表情を見せていた。
「成程……消臭剤をガソリン代わりにしたわけか。やはり喫煙者の考えることは底が知れないな」
机に座ったまま微動だにせず、淡々と口を開いている。
「あ、あなた……なんでそんなに落ち着いているの!?」
後ずさりしたアイコが訊いた。
炎上しつつも喋り続けるそのさまは、不気味としか言いようがない。
清宗院は笑って答えた。
「クックック……私を燃やしたところで、君たちの立場は何も変わらんよ」
「なんだと? どういうことだ?」
一歩も引かずに紫村が訊いた。
対する相手は、炎に焼かれながらも演説を始める。
「たとえ私が燃え尽きようとも、国民が抱いた嫌煙の意志は消えない。私は既に仕事を終えているのだよ。この国を『禁煙社会』に創り変えるという大きな仕事をな」
一呼吸置いて話を続ける。
「私が反逆者に襲われて死ぬことなど『禁煙法』を提唱したその日から想定の範囲内だ。後任の手続きは全て済ませてある。私が消えても人々の日常は何一つ変わらない。無論、君たち喫煙者の立場もな」
袖が焼け、ネクタイが焼け、襟元までも燃えているが、三人から目を逸らす仕草は一向に見られない。
「強がりを言うな。見苦しいぞ」
マルヴォが言った。
「そうだ。俺たちは必ず居場所を取り戻す」
紫村が続く。
「無駄口を叩けるのもあと数秒だ。勝手にほざいてろ」
「あなた総理大臣でしょ? あなたが消えれば、確実にこの国は変わるわ」
アイコも同調する。
「外交関係とかどうするの?」
いちおう行く末を心配した。
喉元を燃やしながら、清宗院は答える。
「それはこの国の課題であり、私自身の課題ではない。私の課題はこの社会に『禁煙の火』を灯すこと、その一点のみだ。私が成した改革を契機に、これからも禁煙にまつわる新たな法律が生まれていくだろう。それを見届けられないのがやや残念ではあるが、人間などいつか必ず死ぬ。私は使命を終えたのだ」
轟々と燃え上がる炎は、その口元にまで燃え移った。
喋れなくなるのも時間の問題だ。
「最後にひとつだけ質問してやる」
それを見越した紫村が訊いた。
「お前の煙草に対する異常な憎しみは、一体どこから来ているんだ?」
自分たちが陥れられたその理由――訊かずにはいられない。
「クックック……そうだな、最期にそれだけは吐き出しておくとしよう」
瞳を燃やしながら、清宗院は答え始めた。
「煙草は『百害あって一利なし』――にもかかわらず、君たち喫煙者は何かしらの理由を付けて決して煙草をやめようとしない。非常に滑稽で愚かしい人種だ」
「…………」
清聴する紫村。
「しかし、人間とは元来愚かな動物だ。そのことは大した問題ではない」
「なに?」
反応するマルヴォ。
「私が本当に嫌いなのは、煙草でもなく、喫煙者でもないのだよ」
「どういうこと?」
困惑したアイコが訊いた。
「私が真に気に食わなかったのは、この国そのものだ」
髪をパンチパーマ状態にさせながら、清宗院は言った。
「煙草が害であると明言しているにもかかわらず、この国は税収の大半を煙草に頼ってきた。私はその悪しき習慣を断ち切るために『禁煙法』を発案したのだ。幼き頃に抱いた矛盾点を解消したのだよ」
その声色は、どこか清々しさを帯びていた。
「君たちが反逆者であるように、私もまた、反逆者であるのかもしれないな」
三人は言葉を失った。
死に際に、清宗院が口にする。
「一本恵んでくれないか? 持っているんだろう」
「…………」
紫村は黙って煙草を取り出し、一本を放り投げた。
清宗院は、火だるまの右手でそれを受け取る。
「本当は葉巻が良かったが、まあ仕方あるまい」
文句を付けながらも、そのまま口に運んだ。
「ふむ……やはり不味いな。私のしてきたことに間違いはなかったようだ」
清宗院はむせている。
「安心したよ」
やがて清宗院の身体は、黒い煙を上げ始めた。
火は本棚にまで燃え移り、部屋が炎に包まれ始める。
「シムラ、オレたちも逃げないと炎に巻き込まれる」
部屋に背を向けたマルヴォが言った。
「引き際よ。そろそろ撤退しましょう」
髪を払ってアイコも振り返る。
「ああ。そうだな」
「クックック……そうやって延々と逃げ続けるがいい。哀れな喫煙者たちよ」
清宗院の顔は火だるまになっている。
その表情は窺い知ることができない。
「真にその身を焼かれているのは自分たちだといつ気付く? 煙草にすがりいている限り、どこへ行っても地獄が続くだろう――永遠にな」
去り際に紫村が告げる。
「俺たちは必ず居場所を取り戻す。お前は指を咥えてあの世で見ていろ」
その表情は、相も変わらず社会に歯向かう虎の目だ。
「ほう……そいつは楽しみだな……」
やがて清宗院は、爆発した。
断末魔の雄叫びを上げる。
「では見せてもらうとしよう! 君たちの永遠に続く戦いを!」
その言葉を背に、三人は部屋を抜け出した。
次第に炎は燃え広がり、背景が煙を巻いていく――――。
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