神の詩編

第81話 生と死の境界線

「寒みぃーー。白夜で1日中太陽が出ていても、丸1日曇って雪が降ってりゃ意味がねえぜ……」


 フルートが台所で夕飯を作っていると、家の玄関が開いてアークが震えながら帰って来た。


「おかえり」

「ただいま」


 アークは厚着のミリタリージャケットを、玄関横のハンガーラックに掛けてから、暖炉の前に陣取って暖を取る。

 雪が積もって狩りができない冬の間、アークはワイルドスワンの改造を手伝い、フルートは毎日出かける彼の代わりに、家事全般を任されていた。


「今日の飯も芋か?」

「半分正解。今日はレッド君のお母さんから教わった、郷土料理のニョッキをオニオンスープで煮込む予定」


 アークが暖炉の前で体を温めながら質問をすると、彼女はチラリと彼を見てから、再び手元の鍋に視線を戻した。


「ニョッキ? あの小麦粉と芋を混ぜて作った人肉みたいな食感の?」

「人間の肉を食べた事がないから答えようがないけど、アークは人肉を食べた事があるの?」

「いや、美人を見ると時々そいつの体を食べたくなる時はあるが、肉まで食べたいとは思わねえな。こんど空獣に人間が美味いか尋ねてみようぜ」

「その時、味見で食べられるのは私達だと思う。それと、ニョッキが嫌ならアークだけ具を変更しても良い。ジャガイモなら大量にあるから消費したい」

「いや、ニョッキで良い。芋は食い飽きた」

「私も食べ飽きてるけど、お金があっても物流が死んでて、小麦が売ってないから諦めて」


 彼女の言う通り、コンティリーブでは雪で滑走路が使えず、輸送機の離着陸ができないため、冬の間の食糧は村でわずかに生産されているジャガイモと、秋の間に輸入していた食料で食い繋いでいた。


「他の連中が南に出稼ぎに行く理由が、身に染みて分かったぜ……」


 倉庫に眠る大量のジャガイモを思い出して、アークとフルートが同時に溜息を吐いた。




 夕食を済ませた後、フルートは食器を洗い、アークは暖炉の前のソファーに座って、ウィスキーをチビチビ飲みながら何かを考えている様子だった。

 そして、アークはフルートが仕事を終えるのを見ると、彼女を呼んだ。


「フルート。今後の予定で話がある」


 フルートがソファーに座ると、ウィスキー片手にアークが話し始める。


「何?」

「雪解けを待ってワイルドスワンの飛行テストを行うが、もしそれで問題がなければ、直ぐにでもヨトゥンの谷へ向かうつもりだ」

「ずいぶんと急だね」


 急なスケジュールに、フルートが眉を顰める。


「今日、トパーズに呼ばれてギルドに行ったんだけど、どうもこの国の中央がきな臭い動きをしているらしい」

「きな臭い?」

「収穫祭の事を覚えているか?」

「ロイドさんが告白して振られた件?」


 フルートの問いに、アークが「クククッ」と笑う。


「……いや、まあ、確かにそっちの方が印象あるな。そうじゃなくて、お前が拉致されて、燃えるようなストックホルム症候群になりかけた件だ」


 ストックホルム症候群とは、誘拐された被害者が犯人と長時間過ごすことで、犯人に対して同情や好意を抱く事。


「ああ、そっちね。拉致られるという貴重な体験をしたけど、二度と体験はしたくない」

「拉致られるってのは、それだけ自分に価値があるって事だ。自慢しても良いと思うぜ」


 アークの冗談にフルートが顔を顰める。


「嫌な自慢……それに、私が拉致されたのはワイルドスワンが目的でしょ」

「まあな。それで、その拉致だが……ダイアンR社ってのは覚えているか?」

「ワイルドスワンのライバル機を作った会社。ダイロットさんが乗っているレイブンが、その会社で作られた戦闘機」

「さすが、記憶力抜群のフルート君だ」

「ありがとう」

「サヴァン症候群かもしれないから、1度病院に行った方がいいぞ」


 サヴァン症候群とは、ごく特定の分野に限って優れた能力を発揮する、知的障害者、発達障害者の事。


「今言ったお礼を取り消したい」


 フルートの溜息にアークが笑う。


「ただの冗談だ」

「相手をイラつかせる冗談は、冗談とは言わず、ただ喧嘩を売っているだけだと思う」

「ああ、俺もそう思う」

「…………」

「それで話を戻すと、ダイアンR社はどうやらワイルドスワンが欲しいらしい。しかもタダでだ」

「という事は、私を拉致した犯人はダイアンR社って事?」

「半分正解だな。ダイアンR社はダヴェリールの半国営企業のメーカーでね。実行犯はこの国の犬らしい」

「国が犯罪を犯すってのも、どうなのかしら?」


 フルートが首を傾げる。


「それが権力ってヤツなんじゃねえの?」

「酷い話……」

「ダヴェリールはアルセムの時に馬鹿をやらかして国益が減っているし、ダイアンR社もせっかく得た戦闘機を売りつけるチャンスを、ウルドがワイルドスワンと絡んでいたって理由だけで値下げしなかった結果、海外メーカーにシェアを奪われて、ケツに火がついてるらしい」

「それって自業自得でしょ」


 フルートの一言に、アークが両肩を竦める。


「辛辣だねぇ。まあ、実際そうだけどな。それで汚名挽回にワイルドスワンを奪おうとして、さらに汚名を増やすという見事なドツボにハマるんだから、この国も面白い事をやらかしてるよな」

「傍から見ると確かに面白いけど、それで拉致された当事者としては、この国に賠償を求めたい……」

「一応、シェインさんに手紙で知らせたから、スヴァルトアルフ経由で抗議は行くんじゃね? だけど、スヴァルトアルフはニブルと戦争中だし、戦闘機1機のためにダヴェリールと揉めるのも嫌だろうから、強くは言わねえと思うけどな」

「そうだね。それに、この国は空獣と人類の国境線だから、他の国も好き好んで侵略してこない事もあって、かなりの我が儘って聞いている」

「その我が儘な性格がアルセムとの戦いで表面化したって事だろ。って事で、ダヴェリールとダイアンR社は、まだワイルドスワンの事を諦めていないってのが、トパーズから聞いた話だ」


 そこまで言うと、アークはフルートの様子を伺う。


「そう……つまり、ワイルドスワンを取られる前に、ヨトゥンの谷に向かうって事?」

「正解。面倒くせえ事からは、逃げて相手が悔しがるのを、遠くから眺めるのが一番の理想だからな。向こうも冬の間は滑走路が使えない事もあって手は出せないと思うが、春になったらどう出てくるか分からねえ。奴等が来る前に、とっととズラかる予定だから、フルートも覚悟しといてくれ」

「分かった」


 フルートが頷くのを見て、アークがグラスに残っていたウィスキーを一気に飲み干す。

 そして、立ち上がって、流しで空になったグラスを洗った。


「んじゃ、体も温まったしそろそろ寝るわ」

「おやすみ」


 階段を上がるアークを見届けたフルートは、紅茶を入れると、読みかけの少女漫画を取り出して、暖炉の前で続きを読み始めた。




 年が明けて4月。

 長かった冬もようやく終わりが見えて、大地の雪も少しづつ解け始めてきた頃、可変翼に改造されたワイルドスワンの飛行テストが始まった。

 改造後初の飛行テストは、データを取りたいというフランシスカの要望で、彼女自ら後部座席に乗り込んだ。


「なあ、本当に行くのか? 既に乗っちまってるから、今更降りろとは言わねえけどさ……」


 後部座席で心持ち興奮しているフランシスカにアークが話し掛けると、彼女は笑みを浮かべて頷いた。


「もちろんだ。私も実際に可変翼を弄ったのは初めてだから、どんな飛び方をするのか体験したい。それに、こういう機会がないと、私がワイルドスワンに乗る事なんてないからな」

「まるで発情したメスの顔だな。戦闘機に恋心を抱く前に、ロイドに欲情しろ」


 アークが冗談を言うと、その冗談にフランシスカが顔を顰めた。


「私をからかうネタにアイツを使うな。さすがに飽きてきたぞ」

「別にからかっちゃいねえよ。この場に俺とお前しか居ないから真面目に言うけどよ。お前、別にロイドの事を嫌ってる訳じゃねえだろ」

「……別に一言も嫌いとは言ってない」

「そこは素直に好きだって言えよ」

「お前には関係ない!」

「そうカリカリするな、性格ブス」

「なっ!?」


 面と向かって「ブス」と言われて、フランシスカが驚く。


「何ビビってんだよ、お前らしくもない。もしかして、まだロイドの兄を殺したのは自分だとか勘違いしているのか?」

「…………」

「お前、馬鹿か? 俺も祭の時に話を聞いていたけど、アイツの兄が死んだ原因は、自分に負けただけだぞ」

「……どういう意味だ?」


 話を聞いていたフランシスカが眉を顰める。


「単純な話だ。空獣狩り、護衛、運送屋、戦争屋、空賊……どんなパイロットでも、生きて帰るって考えを、どこか心の片隅に置いておく必要があるんだ」

「……それで?」

「アイツの兄は野望か欲望か性欲なのかは知らねえが、目の前の空獣をぶっ殺す事を優先して、生存本能ってのを見失ったんじゃねえのかって、俺は思ってる」

「…………」

「俺だってたまには無茶をするさ。金のためには森の中に突っ込むし、敵わねえような空獣相手でも戦いを挑むときだってある。だけど、どんな時だって引き際ってのは、心得ているつもりだぜ」

「とてもそうは見えないけどな」


 アークの話にフランシスカが肩を竦める。


「……まあ、去年はスタンピードが発生するからって理由で、戦いたくもねえのに巨大なクソの塊や、光り輝く早漏と戦ったけどな……」


 アークの言う、巨大なクソの塊はワイバーンの事で、光り輝く早漏はアルセムの事。


「確かにあの時は、自分の命よりも戦う事を選択したし、生き残ったのはただ運が良かっただけかもしれねえ。そう考えると、ロイドの兄貴は運が悪かったとも言える。それでも、俺は常に生と死の境界線をギリギリのところで踏ん張っているつもりだぜ。何故だと思う?」

「……何故だ?」

「少しは考えて欲しいが、今回は特別に教えてやる。1つ目は親父の遺言を守って、神の詩ってのを聴きに行くため。お前と違って、俺って意外と義理堅い孝行息子だろ?」

「……悪かったな」


 フランシスカが不貞腐れて、顔を背ける。


「いや、俺もマイキーが親父だったら、親不孝を糧に生きたと思うから、悪くない。それで、2つ目はフルートが後ろに居るからだな。アイツを乗せるようになってから、俺もヤンチャな行動はあまりしなくなったのは確かだ」

「……そういえば、お前がルークヘブンに来た最初の狩りで、オーガの亜種を仕留めていたな」

「ははっ。まだ1年も経ってないけど懐かしいな」

「あの時はとんでもないヤツが来たと思ったな」

「そう、褒めるなよ」

「何1つ褒めてないから安心しろ」


 フランシスカの言い返しに、アークが肩を竦める。


「そいつはどうも。そして、最後の3つ目はマリーと、生まれてくる俺の子供に会いたいからだな」


 それを聞いたフランシスカが驚いて、ガラスに映るアークを見つめた。


「……意外だな。お前はマリーや子供の事なんて考えていないと思っていた」

「そうか? 白鳥も翼を休める場所を求めて旅をするんだ、俺だって休める場所ぐらい求めるぜ。休めるかは別だけど……それに、俺だけじゃない、ダイロットだって同じだ。あのおっさんもギリギリのところで踏ん張って、ルイーダの元へ帰るために飛んでいる」

「……そうだな」

「だったらロイドの帰る場所は何所にある?」


 その質問に、フランシスカがたじろぐ。


「…………」

「ロイドはアルセムとの戦いで、最初にワイルドスワンを控えに回してくれたから、俺とフルートも生き残れたかも知れないんでね。俺もアイツには多少の恩がある。出来ればアイツにも帰る場所ってヤツを、作ってやりてえんだ」

「本当に、義理堅いんだな」

「だろ」


 フランシスカが笑みを浮かべると、アークがニヤリと笑い返した。


「そうだな……私もウジウジと考えるのは性に合わないのは分かってる。帰ったらアイツに私の気持ちを伝えるとしよう」

「そうか……まあ、あまり激しい声は出すなよ」

「クソ野郎。珍しく良い事を言ってたのに、最後の一言で台無しだ」


 2人が笑っていると、管制塔から無線が入ってきた。


『コ・チ・ラ・カ・ン・セ・イ・ト・ウ・ワ・イ・ル・ド・ス・ワ・ン・リ・リ・ク・キョ・カ・ス・ル・ト・コ・ロ・デ・ア・ー・ク・ア・ノ・ヨ・コ・チ・チ・サ・マ・ハ・ド・ウ・ナッ・タ・?・ホ・ウ・コ・ク・ヲ・マ・ツ(こちら管制塔。ワイルドスワン離陸許可する。ところでアーク、あの横乳様はどうなった? 報告を待つ)』


 無線文を見たアークが額に手を添えて「アチャー」と天を仰ぎ、フランシスカのこめかみに青筋が浮かぶ。


「あーーあ。こんな時に限ってあいつ等……先に言っとくが俺は関わってねえからな」

「……くくくくくっ。アイツ等、良い根性をしているじゃないか」


 青筋を浮かべながら笑うフランシスカが、管制塔へと無線を送信。


『コ・チ・ラ・ワ・イ・ル・ド・ス・ワ・ン・キ・ジョ・ウ・ノ・フ・ラ・ン・シ・ス・カ・カ・ラ・ラ・ビッ・ト・ヘ・オ・マ・エ・ア・ト・デ・ブッ・ト・バ・ス・カ・ラ・カ・ク・ゴ・シ・ト・ケ(こちらワイルドスワン機上のフランシスカからラビットへ。お前、後でぶっ飛ばすから覚悟しとけ)』


 その返信後、必死に謝罪文を送る管制塔からの無線を無視して、ワイルドスワンはコンティリーブの滑走路を走ると、空へ羽ばたいていった。

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