Beauty The Entertainer

空白透明

-ANNESSA-

黒き来客

1-1 夏の始まり

 忙しなく鳴り続ける蝉声が耳を突く夏、世間では海や山や娯楽施設に足を運ぶ連中がいる中、ここ『大神だいじん商店街』は爽やかな風の通り道になっていた。立ち並ぶ店の殆どが埃の溜まった無機質なシャッターを降ろしており、真夏にも関わらず寒い光景となっている。


 しかしこの寂れた商店街にもひっそりと経営している店があった。

 よく見なければ通り過ぎてしまいそうなほど小さく、それでいて厳格な風貌を見せるその店は、表に古いポスターの張られた木枠のガラス戸、軒下には金魚の風鈴が尻尾を振っていた。


 入口は開けており、戸と戸の間に虫が閉じ込められてバタついているのが見える。『大歓楽書店だいかんらくしょてん』と表札が打ちつけられているその店は、昭和の景色を彷彿とさせていた。


 店内は大人が五人もいれば埋もれてしまう程狭く、しかし本だけは所狭しと棚に並べられていた。マンガや小説はもちろん図鑑や辞書、雑誌などが陳列されていて、レジカウンター脇には古ぼけたスーパーボールのクジがかけられていた。


「……ほんっと誰も来ねぇのな」


 そのレジカウンターで頬杖をついて欠伸をする人物がいた。『大歓楽書店』とロゴがプリントされたエプロンには『手々島ててじま』のネームプレートが付けられ、角に『しのぶ』と手書きで名前が付け足されている。

 緑色のドーナツパイプイスに座って斜めにバランスを取りながら、前へ後ろへ、また前へと暇を持て余していた。


 ふわりと風があたり、毅の前髪を揺らした。壁に備え付けられた扇風機がガタガタと老いの見える身体で風を送っていた。強い日差しを浴びてレンガ色の通りに陽炎をのぼらせる商店街。噎せ返る気温の中、店内はその扇風機と外から入る風によって何とか涼しいと思える環境だった。


 店内にはもう一つ、風鈴や扇風機の他に音の鳴る物が鎮座していた。レジスターの隣りに存在感を出すそれ、古びた蓄音器である。ゆったりとしたラグタイムが、独特のレコード音と共に黄金のドレスから静かに流れている。


「じーちゃん、楽しんでるかなぁ……」


 毅は耳に囁いてくる音を聞きながら、つい数時間前の事を思い出していた。


   ◇  


 夏休みだというのに朝の六時に目が覚めてしまった毅が、この古本屋兼父親の実家で祖父と朝食を取っていた時の事。


「毅、おめぇ今日は何か用事あるんかぁ?」


 くちゃくちゃと行儀の悪いその祖父は、米粒を飛ばしながら言った。


「じーちゃん、行儀悪いよ……」


 呆れた目線を送り、飛ばした米をティッシュで拭きとった後「おぉ、すまん」と悪びれる様子の無い祖父に応える。


「今日は別に、何で?」


 毅は行儀よく白米を口に運んだ。


「ちぃと頼みがあんだけどよ、俺ぁ今日な、善さんとこで将棋指す約束してんだぁ」


 米粒がテーブルの上やアサリの味噌汁の中に入るのをまた呆れた目線で見つめる毅、そんな孫に「おぉ、すまん」と返す祖父。漫才でもやっているのかという体に、毅は半ばあきらめた様でため息をついた。さっき使ったティッシュでさっと拭く。


「んじゃあ俺店番やるよ、どうせ客なんて来ないんだし、宿題やってる」

「おめぇはほんっとに利口なやつだよなぁ」


 子供を褒めるような口調に少しむっとしつつ、毅は残りの味噌汁を飲みほし、食器をシンクへ片づけた。「ほら早く食べな」と祖父へ食事を促し、食べ終えた自分の食器を洗いながら何時に約束しているのかとか、こないだ買った携帯を忘れないようにとか、杖を無くさないようにとか色々と注意をした。


「誰に似たのか、しっかりしよるよ」


 祖父も大いに感心しながら食事を進める。


 そうして今日は祖父の気が済むまで店番をすることとなった。小さい頃から世話になっている祖父の頼みだ、なんでも聞いてあげるつもりだった。とりあえず店を開けつつ洗濯を片づけ、和室と居間、二階の掃除を済ました毅は祖父を送りだした後、エプロンをかけてカウンターで宿題をしていた。


 日が天辺を登りきる頃には休憩がてら昼食を取り、ある程度片づけた宿題をしまってただ店でぼーっとしていた。


   ◇  


 そんなこんなで暇である。


「宿題ばっかしてらんねぇし、けど外は日差しが暑そうだし」


 なおもつまらなそうに一人ごちした。いつのまにかカウンターに顎を乗せて両腕を脱力させながら、外の様子を眺めていた。空に響く飛行機のエンジン音が地上に降りてくる。あの飛行機は旅行者を乗せてどこか知らない土地へ行くのだろうか、飛行機から見える雲はさぞかし綺麗だろうな。そんな事を考えながら隣りの蓄音器に耳を傾けた。


 元々骨董好きの祖父がどっかから買い漁って来たもので、この家で二番目に歳をとっている。祖父とは違い重厚なオーラを身に纏っていてシックな印象が大変美しい。

 曲をしばらく聞いて、毅は思った。


「これ、なんだっけ?」


 ゆっくり、自分の時間を嗜むように奏でる蓄音器に寄って耳をそばだてた。小さい頃、こんな感じのピアノの曲が店で流れていたのを思い出す。ピアノの連弾が特徴的で軽快で笑える曲だったり、抑揚が寂しかったりする曲だったり。曲が変わるたびに祖父に「これは?」と曲名を教えてもらっていたが、何一つとして思いだせない。


「レコードはあるんだから、スリーブあるよな……」


 毅はよしと立ち上がると、右手側にある店の陳列棚で隠れている雑多した棚に手を伸ばした。

 棚には昔の帳簿や何年前からあるのかわからない色褪せた紙なんかが詰め込まれ、何故か毅の中学の卒業アルバムもあった。その中の一角、やけに整理されスッキリしているスペースに数十枚のレコードはしまわれていた。

 毅は指でスリーブの角を滑らせていき、中ほどのスリーブを引く。


「えーっと、たぶんこれだ。solace。ソラース……かな」


 毅はスリーブを元の場所に戻してカウンターに戻り、宿題で使っていた電子辞書を広げた。英和辞典の項目を選択し、スペルを入れる。


「ソラース、名詞『慰め、慰安、安堵』。動詞『慰める、元気づける』」


 何度か読み上げ機能を使って流暢な発音を辞書から出した後、すっと視線を蓄音器のホーンに向ける。ドレスの表面、いやその例えだと裏になるのか、曲面に映った自分の顔が伸びていて可笑しい。手のひらを近づけたり遠ざけたり……黄金の景色は何となく優雅だった。世間のけたたましく回る政治や労働なんて微塵も感じさせない重厚な色彩。夢の世界が見えた。


「なかなか粋な極彩色ですな。一体俺の何を慰めているんだい?」


 妙な顔つきでホーンを眺める毅に、ガタリと動いた扇風機だけが応えた。


「……」


 本当にこの街には人が住んでいないのだろうかと思えるくらい、表には人気がない。たまに高校生が自転車を走らせながら騒ぐ声が聞こえる。夏期講習の生徒だろう、このクソ暑い中ノートやプリントを汗でふやかしながら勉学に励むとは、御苦労なことであった。

 毅はそんな悪態をつきつつ電子辞書を傍のバッグに放り、カウンターを回って店内をうろついた。


「改めてみると、古本屋だよなぁ」


 改めるも何も古本屋である本棚を目で撫でて行く。背表紙はとうに色褪せ、元の色がわからなくなるほど痛んでいる本もある。どれもカビた芳香を漂わせていた。こんな古過ぎる本を誰が買うのだろうかと思うが、たまに白髪のお爺さんなんかが聞いたこともないような作家の小説を買っていってくれたりする。需要のある限り、いつでもここは開けておく必要がある。毅はそう思っていた。


 店先を回りハードカバーの本が並ぶ棚を眺める。


 そうしてひと際目立つ、一冊の本を見つけた。

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