第71話 幻のハードボイルド

「よ~花垣くーん」

「実行委員なんてやっちゃって元気そうだな」

「……どうも」


 かかと部分をだらしなく潰した上履きを引き摺って、二人が口々に挨拶じゃない挨拶をしてくる。

 いつから見張られてたのかは知らないが、藤宮同様明らかに俺の居場所を把握した上で屋上に来たんだろう。

 俺よりも身長のある二人は何故か片方が……坊主頭で、もう片方が……リーゼントだった。

 夏休みの時はフツーに一人はマッシュ、もう一人も色は派手だったが普通の髪型だったと記憶している。

 一体会わない間に何があった?


「何か用ですか? 因みにここは立ち入り禁止なんで出てって下さい」

「委員の花垣君がいたから許可してもらったって言うぜ」

「そうそう。藤宮ちゃんも許可もらってるからここにいるんだろ?」


 一応委員としての義務からそっけなく言ってやると、ヤンキー二人は退路を阻まれこっちが下手に動けないのを見て取ってにやにやした。

 ズリズリと靴底で音を立てて徐々に距離を詰めてくる。靴が泣いてんぞその履き方。

 こっちに来る分だけ入口との距離も開くから、隙を突ければ十分逃げる事も可能だ。

 彼らの視線の先には俺の姿しかなく、標的は俺なんだと改めて実感できた。

 良かった。これなら藤宮を逃がせる。


「私は行かないよ花ガッキー」


 微かな安堵が胸に湧いた矢先、その藤宮が俺の機先を制した。


「藤宮」

「行かないったら行かない。助けならそれこそ、ここから叫べば誰かが気付くよ」

「仮にそうでも上って来るまで時間かかるだろ。危ねえから首突っ込むな!」

「忘れたの? ――最初に巻き込んだのは私だよ」

「それはまた別の話だ」

「勝手に別物にしないでよ。私は梃子てこでも動かないから!」

「怪我とか、大事なカメラがブッ壊れたらどうすんだよ! 行けって!」

「行かない!」

「いいから!」

「ここに居る!」

「藤宮!」

「――今度はッ!」

「……っ」


 言葉に詰まった。


「ヤーッハハハ藤宮ちゃん健気~」

「腹立つくらい羨ましいぜ」


 今度は。

 気付けばヤンキーたちが五、六歩くらいの距離に迫っていた。

 冷やかしは最早雑音で、俺の咽からはこれ以上促す言葉が続かなかった。

 言葉の裏の藤宮の後悔が、透けて見えたから。

 表面上はいつも空気読まないゆるキャラ同然の藤宮でも、あの時場を離れた間に俺が流血して、責任を感じないわけがなかった。

 きっとそれもあって美術室の件では不良たちを見張っていたに違いない。

 だが俺は波風を立てたくない一心から今まで気にもしなかった。

 オネヤンと佐藤はいないが、ほぼ当事者たちが揃ったこの屋上は、藤宮に何を抱かせただろう。


 ――ここで怪我はできない。


 こいつの不必要な負い目を拭い去り、これ以上の罪悪感を抱かせないためにも、痛烈にそう思う。


「藤宮」

「一人じゃ逃げないってば」

「わかった。今度は二人で切り抜けるぞ相棒! とくと見よ、ハードボイルド花垣の誕生だぜ!」


 藤宮がポカンとした。


「何で予想外って顔すんだよ」

「えっといやだって一人で立ち向かう気満々なのかなって」

「なわけあるか。言っとくが俺は弱い! だから先輩方出来れば話し合いましょう!!」


 フッ五秒でハードボイルド花垣物語は終了だ。

 人類にはれっきとした言葉があるんだ。それを活用しないなんて愚か者だ。

 それに、暴君と言われていた古代ローマ皇帝ネロが、近年の調査で実は人気者だったかもしれないなんて説が出て来たように、話してみればこの暴漢ズも本当は気のいい奴らだったりするかもだろ。


「弱いって……そういうの堂々と宣言できるとこがさすがは花ガッキーだよね」

「それは称賛なのか? ディスりなのか?」


 答えず「ひひっ」と藤宮が笑ったところで、敵役の定めなのか律儀にも待っていた二人が、


「てめえら状況わかってんのか?」

「おらおらもっと謙虚になれや」


 俺に体当たりしようと突っ込んできた。

 へへっやっぱ敵はこうでなくちゃ……なわけあるかあああッッ!

 くそっ暴漢ズはどこまでいっても暴漢ズ。金太郎飴のようにどこから切っても変わらないってか。


「藤宮っ二手に!」


 咄嗟に横に動いてそのまま走り出す。

 俺に近いリーゼントヤンキーの指先が袖の部分を掴んできたが、腕を強く振り切って外した。

 よし、いくら俺の足がそれほど速くなくても、屋上を出てこのまま下階の人のいる場所まで行く事くらいはできるはずだ。


「ああっちょっと放してよー!」

「!?」


 思わず声に振り返れば、坊主ヤンキーに藤宮が足止めを食らっていた。

 しかも一眼レフを強引に取られようとしている。

 カメラ本体を抱えて死守する藤宮と、そのベルト紐を引っ張って無理やり取り上げようとする坊主頭。


「今度はお前の大事なフィルムを台無しにしてやんよ」

「やーめーてーよーッ!」


 男女の腕力差は歴然で、このままじゃベルトか留め具がイカレるのも時間の問題だ。でなけりゃ無理にでも本体を取りに行くだろう相手に、藤宮が力負けするのは目に見えている。


「な……っにやってんだよ!」


 自分の目論見の甘さに苛立ちと焦りが重なって感情に駆られるまま方向転換。

 リーゼントの方はそんな俺を捕まえようと腕を伸ばし、今度こそ俺はたたらを踏まされた。力任せに引き留められ伸ばされたもう片方の手で胸倉を掴まれる。

 咽元の締めつけが不快で余計にカッと頭に血が上った。


「俺に腹立ってんなら藤宮は関係ねえだろっ!」


 離せと言わんばかりに叫んだ時だった。


「うわっ」


 坊主ヤンキーから戸惑ったような声が上がった。

 急いで視線を向ければ、藤宮が押してダメなら引いてみろ作戦か、カメラから手を離していた。

 全力の引っ張り合いからの急激な力の解放に、必然的にヤンキーの方が放り出される形になる。

 後ろに転びそうになって、防御のためにだろう咄嗟にカメラから手を離しやがった。

 その反動で勢いよく飛んだカメラが宙に放物線を描く。


「あッ!」


 という声は誰のものだったか。

 予想外の展開にその場の誰もに隙ができていた。

 きっとあのカメラには藤宮の色んなもんが詰まってる。

 火事場の馬鹿力というよりは相手の隙のおかげで俺は難なく不良を突き飛ばし、名犬ラッシーになった。


 ――ラッシーは甘くて美味しいわ。白桃を入れたのが一番好み。


 とは母さんの言だ。

 ……犬を食ったわけじゃない。飲むヨーグルト系ラッシーの方な。

 俺はカメラだけを一心に見つめ、駆ける、駆ける、駆ける。

 幸運にも高い放物線を描いていたから水平距離はそれほど出ず、落ちて来たカメラに間に合いそうで精一杯腕を伸ばした。

 邪魔をするようにドンと手摺りが胸に当たって顔をしかめる。普通ならもっと感じるはずの痛みは、キャッチに夢中になる意識が認識を阻害していた。


「ぐっ……!」


 あと少しの距離さえあれば届く、と身を乗り出し指先までを極限に伸ばして――……無情にも目の前を本体が過ぎていった。

 ああくそ……!

 だが、奇跡的にベルト紐が中指と人差し指に引っ掛かり、俺は喜びを噛みしめようとして、視界がぐらりと反転した。


「あ……?」

「花ガッキイイイイー!!」


 後ろで藤宮の悲鳴染みた声が聞こえた。

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