第32話 過去の足音4

 誰だって、不吉なものとかそれを招くような行為に進んで近付きたいとは思わない。

 怖いモノなんてママくらいなジャイアンさんだってそうなんだと、中一の秋のあの美術室で俺は知った。


 ――あれは紛れもなく恐怖の感情が顕在化した表情ものだったと、そう思う。


 俺自身、ゆめりからあんな顔で見られるまでは、もうほとんど立ち直って忘れかけていたってのに。

 高一の今だって馬鹿臭い偶然だったと理解している。

 だって自分の絵一枚で人や動物が死ぬわけない、何処の三流ホラーだよってな。

 だから中一のあの日、ふざけて「お前を描いてやろうか?」なんて言わなかったら、俺はまだ人物や動物を描いていたに違いない。

 おいおい気にしないんだろ、なら描けばいいじゃん……って思うだろ。


 だが俺が描かないのは、――描けないからだ。


 あの美術室で味わったトラウマが邪魔をして、描こうとすると手足が、全身が震えて目眩が起きる。

 要するに、心が拒絶している。

 無意識が、潜在意識が、俺に許さない。

 このことはゆめりにも親にも誰にも言ってない。

 だって通院ものだろ。

 俺の描いた被写体が立て続けに死んだのを知っていたあいつは、きっと口では関連なんてないと言いつつ、無様な俺を心配し慰めつつ、本音の部分では不吉に思っていたんだろう。

 でなけりゃあんな泣きそうに慄いた表情は出て来ない。

 だけどな、俺は疑っていなかった。

 言葉にうそはないって思ってた。

 絶対的に信じてたんだ。


 緑川ゆめりは俺の味方だって。


 そりゃ俺があいつの立場だったら同じ感情を持っただろう。

 描かれれば死ぬかもしれないんだ。生物として恐れを抱かない方がどうかしている。

 生ける者として当然だって、頭ではわかってる。

 全ては、俺のための方便だったんだって、理屈ではわかってるんだ。

 だが、あれは紛れもなくあいつへの不信を植え付けられた瞬間だった。


 だから俺は緑川ゆめりを、彼女の言葉を素直に受け入れられない。





「はいこれ、デジカメお返ししま~す」


 藤宮は三人へ近付いて、マッシュの不良の手にポンとデジカメを置いた。


「て、てめえら……!」


 最初に我に返ったそのマッシュがデータを確認し「ああマジで全部ねえよ!」と嘆いて天を仰ぎ、怒りの目で俺を睨んで真ん前までドカドカと寄って来た。

 腹いせなのか有無を言わさず俺からスケッチブックを取り上げる。


「けッ美術部か」

「そうですけど」

「ちょっと先輩、花ガッキーは関係ないですよっ」


 慌てた藤宮が俺と先輩マッシュの間に入った。


「そっちがせっかくのデータ消したから悪いんだろ」

「売って小遣い稼ごうと思ってたのによ。あーあこいつらのせいで台無し~!」


 金髪にピンクメッシュのやつとオレンジ髪のやつもそう口にしながら寄ってきて、結局俺と藤宮は三人から囲まれた。

 俺は緊張を胸に小さな溜息を吐き出した。


「先輩、盗撮見つかったら停学か退学もんですよ? 消そうとしてくれた藤宮に感謝こそすれ、胸倉掴んで殴ろうとするなんて恩を仇で返してるって気付きませんか?」

「花ガッキーわざわざ挑発してどうすんの!」

「んなもんバレなきゃいいんだよ。てめえらチクんじゃねえぞ!」

「生憎データは俺が消しちゃったので証拠は消えましたし、報告なんてしませんよ。もうこの辺で解放してくれるなら」


 我ながら、俺はいつになく機嫌が悪く、いつになく無謀だった。

 藤宮が体を張って女子のために動いてくれたんだ。岡田のことは考えない。

 だったら俺はそんな勇敢なクラスメイトをこの卑劣漢たちから護るべきだろう。

 俺の方に怒りの矛先が向けば藤宮を見逃すかもしれない。


「んとにいきなり人の邪魔して来て、てめえは何だ?」


 キレかけのマッシュは俺のスケッチブックから何枚かをビリリと破り取ると、その紙片を地面へと落とし泥の付いた靴底でぐりぐりと踏み付けにした。


「ちょっと何するのさ! 花ガッキーの大事なやつなんだよ!?」


 怒る藤宮の横で無言の俺がショックで声も出ないと思ったのか、そいつは愉悦に満ちた顔付きで今度はまた別の絵を破り捨てると、本体までを地面に落として強く踵を落とした。


「データ消去してくれたお礼~」

「ちょっと!」


 藤宮がスケッチブックを拾おうとすると、近くにいたオレンジのが「吠えんなよ」と鬱陶しそうに藤宮を突き飛ばした。

 尻餅をつく藤宮を見下ろしてそいつは鼻で嗤う。


「――あと何冊持って来ましょうか?」


 一瞬、三人は何を言われたのかわからないといった顔をした。


「スケッチブックですよ。こんなものでよければ何冊でも破って踏みつけてもらって構いません。それで先輩たちの気が済むんなら」


 俺は藤宮を助け起こしながら淡々とした表情を不良たちに向けた。


「ちょっと花ガッキー!? 何言ってんの大事な絵じゃん!」

「藤宮。絵はまた描けばいい。無論破られたくはないが、俺は絵よりも藤宮が無事ならその方がずっといいんだよ」

「花ガッキー……」

「ありがとな。データ消去のために頑張ってくれて。ゆめりのもあったから余計に見過ごせなかった」

「お礼なんていらないし。私も花ガッキーと一緒だよ。見過ごせなかっただけ」


 やっぱイイ奴だな。

 不良のお先輩方はまだお怒りで「小馬鹿にしやがって」とちょっと青春っぽい俺たちを睨みつけている。

 ま、こりゃ殴られるだろうな。

 俺はそう覚悟して藤宮を背中に追いやった。


「もう行けって。それで誰か呼んで来てくれると助かる」

「一人になっちゃうじゃん!」

「大丈夫。少し殴られたって死にゃあしないって」


 悲しいかな、奴からの日々の攻撃で俺の対痛みレベルはきっと常人よりも高い……はず!


「けどなるべく早く誰か呼んで来てくれ、頼む」


 俺は小声で言って藤宮を送り出す。

 藤宮は躊躇いながらも少しずつ俺たちから距離を取り、


「すぐに呼んでくるからー!」


 最後にそう叫んで駆け出した。

 三人は止めようとしたようだが、予想外に藤宮の足が速く断念した。


「チッ、お前がしゃしゃってくるからだぞ!」


 苦々しそうに言った金髪ピンクメッシュのやつが、一歩踏み込んで俺の胸ぐらを掴んだ。

 ん? 確かこいつは隠れオネエ……。

 よしここはあの手を試してみるか。


「俺、岡田のダチなんで色々と写真とか持ってるんですよねー」


 悪魔花垣の囁きにピクリと、胸ぐらを掴む手が震えた。

 しめた……!

 内心ほくそ笑む。

 さてどんな取引をしてやろうかと思案していると、相手は勢いよく腕を振り上げた。


「それはそれで妬けるのよオオオ!」


 体育倉庫脇に、バチーンといい音が響いた。

 頬に、ビンタ、された……。

 グーじゃなくてパーなのは良かったが、男のビンタは、効く……。

 オネエへの突然の豹変に他の二人は目を点にしたが、俺は不意の衝撃に勢いよく吹っ飛ばされていた。

 そしてその先には、固いコンクリの倉庫外壁が。


 ゴッ、と鈍い音と衝撃が俺の脳髄を揺さぶった。


「あっ」


 とは誰の声だったのか。

 たぶん隠れオネエのやつかな。

 でも何だこれ。

 咄嗟に壁に手を付くのに急激にくらくらして、バランスを保てない。

 タイムラグがあってようやく冷静に痛いと認識した。

 熱を持ちじんじんする額に手をやれば、ぬるりとした。

 朦朧とし始める中、不思議に思って掌を見ると、あらまあきれいに真っ赤だった。


 ――――何じゃこりゃあああああああ!!


 そこで俺の意識はふつりと途切れた。

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