第20話 ピンクのブラの消息

 無事に着いた家の前でチャリを降りるなり奴は言った。


「あんたってマウスパットみたいなにおいするわよね」


 マウスパット……ってどんなにおいだっけ? 咄嗟に俺は思い出せない。だって敢えて嗅いだりしないし。んな事より、驚いた。


「嗅いだ……のか? 俺を? お前が?」

「…………あ、あんたがブレーキ強くかけ過ぎて顔面強打しちゃった時にね」


 今若干の動揺と間があったのはどうしてだろう。まあいいが、奴の鼻の頭もそう言われれば少し赤い。


「悪かった。俺のせいで、もう少しでリアルで名前を言ってはいけない鼻のないあの人になる所だったんだな」

「は? ……ま、まあ汗臭いのはいつもだし、別に責めてるわけじゃないわよ。マウスパットくらいなら我慢できなくもないし」

「そうか、なら良……くないわーっ! いつも汗臭いとか我慢できるとかさらっとディスんな!」

「ディスッてないわよ」

「え、マジで? でもお前今日の放課後MAX機嫌悪かっただろ。あの時から何か俺に怒ってるんじゃねえのかよ」

「それは……」


 こいつときたら掃除中一組の教室にズカズカ乗り込んで来て、問答無用で俺を壁際に追い詰めたんだよ。当番だった俺は奴の形相に怯え壁ドンされるがままになって、居合わせたクラスのやつらは皆押し黙り教室内はシンと静まり返ったっけな。

 俺は恐怖の余り思わず手にあった箒を離しちまった。カラン、と教室の床に木製の柄が音を立てて倒れ、その音にさえ誰もが固唾を呑んだ。

 ――帰り、迎えに行くわ。

 奴はそう言った。

 来る場所は言うまでもなく美術室だ。鬼気迫る一方的な通告と男女逆転な状況に、クラスメイトたちは揃って頬を赤らめていたよ。ワイルド……とか誰かが呟いてたっけなー……。


「ま、どうせ俺が無意識に何か気に障る事でも言ったパターンだろ?」

「……そうね」


 奴は一瞬酷く悔しげに口を歪めてから視線を逸らした。

 やっぱりな。でも俺まだ背中がほわほわ~ってしてドキドキもしてるから、今ならこいつからどんな怒りの虐げを受けても耐えられる。


 エロの力は偉大なり!


「怒らせたなら、悪かったよ」

「……もういいわよ」

「いいのかよ、まあいいならいいけどな。ところでお前さ、何で今日はしがみ付いて来たんだ? そんなに俺スピード出してたか?」


 思いついたままに訊ねれば、ゆめりはじっと俺の顔を見つめたまま口を動かした。


「あたし、さんま食べる時、剥き出しになった背骨をぽっきり折るのが何か好きなのよね。その方が生ゴミに出す時もコンパクトになるでしょ」

「…………へぇ」


 脈絡もない発言だったが故に、かえって俺は戦慄した。

 それはあれか? 花垣くんの背骨折っれるっかな~ってホールドして来てたってことか?

 何っっ故っっっっ!?

 お姉様そこまでご立腹でしたの!? ホントに何に怒ってたんだよ?

 だが最早エロ力を与えてくれる我が背中は先の尊い熱を失い完全に冷え切り、無力同然かつ藪蛇が怖い俺は真実の追究を断念した。


 ただ、この出来事では率直に言ってやっぱりどんなに凶暴でも、ゆめりは女の子なんだなって思った。


 本人には言わんがな。

 はあ、彼女欲しい。いたらさぞかし楽しいだろう。

 佐藤を例に挙げるとその幸福感が推し量れるってもんだ。あいつはとてもわかり易い奴で、中学時代彼女ができた時は二センチいや五センチくらい宙に浮いてた。

 だから軟式野球の試合でも、ピッチャーの球がしょっちゅう下からすっぽ抜けてエラいことになってた。因みにあいつのポジションはキャッチャーだ。

 いつも速くてノリノリなロックなのを聴いてたのに「しょうもこれ聴いてみろよ」とか言って切ない恋愛ソングのCDを手渡してきた時は唖然としたね。

 ――嵩張るから嫌だって、データ派じゃなかったっけお前?

 ――え? 彼女がCDで持ってたいから敢えて買っただと?

 佐藤が実は女で左右されるタイプだったのをあの時知った。

 ちょうど俺の姉貴も同じ曲を家でガンガン掛けてたから正直これかよってうんざりしたし。


「とにかく、じゃあ明日ね」

「ん、おう」


 もういいのか、洒落た家の門を手で押して入って行くゆめり。

 俺もチャリを引っぱって、どこにでもあるような自分の門を入る。


「あ、そうだ花垣くん」


 何か言い忘れでもあったのか、奴がこっちを向いて片耳に髪を掛け微笑んだ。


「――ピンクのブラ、まだしてるわよ」

「ブーーーーーーーーッ!!」


 俺は想定外すぎる驚愕に噴き出してしまった。


「お前な! お前こそ路上っつか家の真ん前で何言ってんだよ!? 家族に聞かれたら気まずいだろ!」

「あんたこそ声大きいわよ。今日はピンクじゃなくて黄色い花柄だけど、見えないからって想像しないでよ」

「……す、するかよ」

「それとあたしに訊くよりネットで調べた方が色々出てくるわよ。岡田くんにはそう言えば? ああ……あんたは調べたら、吊るすから」

「……」


 どこに、とは愚問だろう。

 ここからでも隣家の栗の木はよ~く見える。何でも、緑川家を新築する以前からそこにあった木らしいから、幹が逞しーい! あはははは!


「た、確かに最初からそうすりゃいいんだよな。岡田のやつ喧嘩のショックでんな簡単な方法も思いつかなかったのか」


 ……ん? それなら、どうして奴は今自らの国家最高機密を俺に暴露してきたというのだ!?


 ――モルダー、このゆめりファイルはXにも匹敵する重要な機密ファイルのようだわ。

 ――そ、それは本当なのか、スカリー! よし、早く中を開いてみよう。

 ――ああっそんな、駄目みたい。パスワードがわからないわ!


 某捜査官たちよ、俺はYファイルを既に知っている。

 だがそれこそが不可解なんだ。


「な、なあ今のブラの話敢えて俺に言う必要なくね?」

「あんたのためよ」

「俺の?」

「そ。あんたの背中に押し付けられて、あたしの白くて形いい胸がむにゅってなってたでしょ? その時に付けてたブラがわかれば、余計な妄想しなくて済むと思って。だから妄想しないでよ」


 くそおおおっ、むにゅっとか言うな!

 しかも数ある擬態語の中でも妄想に効果的な言葉を的確に選んできているってとこがもうヤダ! 余計にあの尊い時間を思い出して辛い!

 俺の中ではミニオレズが「もうこれ短期記憶じゃなく長期記憶!(ABCDE総意)」と結論を出していた。

 こいつは、んとに、俺を何だと……っ。


「はあ!? ちょっと何鼻血噴いてんのよこのエロ男ーーーーッ!!」


 俺の顔に再びドッスンがやってきた。こんちは~!

 しかも命中率百%のやつが。

 学生鞄はどんな暗器にも勝る飛び道具だったと知って、俺はまた一つ賢くなったと思う。

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