第14話
まるでうっかり割ってしまった体温計からこぼれた水銀みたいに、丸く……まあるく……それは一抱えほどの大きさの銀色の球体を形成していった。
心臓がバクバク言っている。
ゴールディロックス階層世界にはオークとかゴブリンとかオーガとか、人型に形状が近い狩猟対象も存在する。そういうモノの狩りとか解体でグロ耐性は結構鍛えてたつもりだったけど、それとは微妙に別ジャンルのグロを不意打ちでぶつけられて平気なほどは図太くない自分を知った。
こういうのも己を知るってことなのか……こんなの知る必要なかったと思う……と言うか、ふつう知る機会なんてない。
「なんなのよ、コレ……」
ノア君の銀色の風船。
金色の王様……
それが液体っぽい材質で出来てたんだーとか、別にそれはどうでも良くて、なんでソレが
ってか、
実はこの
とりあえずプカプカと空中に浮かんだ銀色に触らないように、そっと足を伸ばして
もしかして、
「死んでる?」
……とか。
そんな、まさか。
腹立ちと羞恥と驚愕その他諸々に限界突破で真っ赤に染まっていた顔面から、血の気が一気に引いて行った。心臓はずっごくバクバク言ってるのに手足が冷たい。
この二人きりの密室で王様が死ぬ。それも、どう見ても不審死。目撃者無しとか……どう考えてもピンチの予感しかしない。
『死んでおらぬ』
「……っ!?」
銀色の丸いのからノア君もどき王の声と口調でそう答えられ、私は後ろにとびすさろうとしてお尻を壁にぶつけた。痛い。
銀色の球はさらに言う。
『
生体人形とか、聞いたことのない言葉は出て来たけど、どうやらやっぱりこの
なんか、言ってる内容とか雰囲気的な物とか考えると、どうやら本体は
「これが、人形……? あなたが、身体を乗っ取ってた人間じゃなくて?」
確かに丸いヤツの言う通り、倒れてる
でも、ホラー漫画とかSFホラー映画とかだと、だいたい中に入り込んだヤツは宿主を殺したり人格を乗っ取ったりするから、つい疑わしい目で銀色の丸いのを見てしまう。
『お前……一体どんな印象を私に……。もともとその身体は私が動かすことを前提に作成しているのでな。お前の『金色の王様』と言うリクエストに沿うよう、金色の髪と目という配色にしてある。それに、顔と身体はマスター・ノアをコピーしてあるのだ。これ以上なくお前の好みに合っていたであろう』
確かに、まったく言う通りこれ以上ないくらい、好みの見た目だったよ。
でも───
「……う、うるさいっ」
今この瞬間までに十分私は恥ずかしい思いをしていると言うのに、追い討ちをかけるようにそんな事を言い出す銀色の丸いのに腹が立ち、つい、手が出た。
猫パンチだ。
この世界に生まれ変わってからやたらと身体能力の上がった私の繰り出す猫パンチは超高速で、『
現世で向上してた身体能力には、動体視力も当然含まれている。だから、ノーモーションで繰り出された私の猫パンチが躱された瞬間は、しっかりとこの左右色の違う目で捉えられていた。
ふつう叩こうとして避けられるって、右とか左とか上とか下にサッとずれたりするの想像するだろうけど、こいつ……私の猫パンチの軌跡分、べこっと表面が凹んでるんだけど……。
「うわ、キモイ……」
『キモイとは何だ。お前の攻撃ていどで私を形成するナノマシンに何が起きるでも無いが、精密機器なのだから丁寧に扱うが良い。……記憶を取り戻したのは重畳ではあるが、身を挺してマスター・ノアを護った時とは随分差をつけるではないか、乱暴者め』
口調自体はたぶんさっきまでと変わらない。でも、オレサマで王様だと思えたのはこの丸いのがノア君の顔をしたキレイな王様として振る舞っていたからなんだと今知った。
ただイケ無罪。でもこの
私は銀色の丸いのをじっと見た。正直どこが顔か分からないし、どの部分と目を合わせるべきか分からないけど、そんな小さいコトに気を取られてる場合ではない。
「色々知りたいことがあるの。……教えてちょうだい」
あまりにも訳が分からないことが多すぎてどこから口に出すべきか分からなくなりそうだけど、ただ一つ、今この丸いのが言った言葉、さっきこの丸いのが言った言葉の中に絶対に聞き流せない言葉があった。
『プライオリティーに準じた
プライオリティーとかわかんない横文字使うの止めろとか一瞬思ったけど、今はそんなの些細なことで引っかかってる場合じゃない。
ここに来てからずっとドキドキしっぱなしの心臓がまたバクバク感を新たにしてる。
冷たい汗が手の平に湧いた。
干上がった口中、無い唾を無理やり飲んで、私は震える唇で目の前の
「さっき言ってたマスター・ノアって……『ノア君』のこと?」
森林、草原、凍土、砂漠、岩礁、それぞれ特徴ある階層が高層ビルのように重なり、巨大な昇降機がそれらを貫くこの世界。
猫耳に犬耳、
日本上空に浮島なんて浮いてなかったし、ドラゴンとか魔導士とか、フィクションの世界にしかいなかったモノが当たり前のようにここにはいる。
だから私はここは前世で生きてた世界とは全く別の世界だと思っていたし、別世界に生まれ変わってしまったんなら、ノア君とはもう会えないんだと思ってた。
でも、もしこのゴールディロックス階層世界が前世の世界と繋がっているのなら……。
『……名を確認出来た後ではあるが、本当に記憶を取り戻しているのだなマスター・明花』
「そんなこと、どうでもいいから……!」
『ふ……この流れで別人などと言いだしては、恐らく『長編で夢オチ』レベルのクソネタ認定を受けよう』
「いいから馬鹿なコトのらくら言ってないで、ハッキリ答えなさいよ!」
『命令承った。答えよう。マスター・ノアとは、鈴岡明花が幼少時より知る
ちょっとこのキャラ立ち過ぎの
「答えて! さっきあんた、ノア君は休眠中って言ってたけど、どういうこと?」
過去世での私の最後の最期の記憶はどことも解らない街のはずれ、鉄塔から滑り落ちて来る鋼材を頭上に、なんとかノア君だけでもその落下点から逃れさせたくて、残る力の全てを振り絞って彼の身体を押しやったところで終わっている。
「ノア君は、無事なの? 生きているの!? どこにいるの!?」
もう会えないのなら、いっそ彼の記憶なんて無くなってしまえばいいのにと思ってた。だって、理屈もへったくれもなくノア君が好きで、大好き過ぎる前世の私の気持ちは、過去のことだって割り切ることなんて出来ないくらい、いまも生々しいものだったから。
ダンっ……と一歩踏み出した私の目の前で、ツルリとした銀色が落ち着き払った口調で言った。
『質問が多いな。回答すべき順序を述べろ』
とっさに出た猫パンチが再び空を切る。
この丸いの、金色の王様ボディよりあからさまに動きが早くてイラっとする。
「順番はいいから、全部!」
『……マスター・ノアは現在、身体の細胞全般の経年劣化……殊に、酷使した脳細胞の状態を回復させる為、
ノア君はここにいる。
「……ノア君……生きてる……嬉しい」
同じ世界に、ノア君がちゃんと存在していてくれてる。そして、彼に生命の危険は無いってこの丸いのは言ってた。
それにしても経年劣化ってどういうことだろう?
言葉のまんま考えれば時間が経って弱ってるって意味だと思うんだけど……。
ふと、私はあの過去世での最期の瞬間から、今までどれだけの時間が経っているのか考えたことがないことに気がついた。
このゴールディロックス階層世界で成人と認められるのが17歳で、自分は成人と同時に身を寄せてた孤児院を出て冒険者になってだいたい2年で、今はたぶん19歳。
前世では17歳になる前に死んでしまったはずだから、もし死んですぐに生まれ変わったのだとしても、もう19年は最低でも経過してるってことになる。
え……ホントに最低でも20年近くも……?
冗談じゃなく本当に、そんなに経ってる……? のかな……???
孤児院に入り、成人して冒険者になってから今の今までの時間の経過は自覚出来るけど、どうにもそれ以前、この世界で両親と死に別れるまでの記憶は、ちょっとぼんやりしてると言うのか……いまいちのっぺりしてて鮮明さに欠けるような気がする。
なんていうか、過去世での子供時代とかの方がむしろ鮮やかと言うか、音とか匂いとか目に見えてたもの以外の記憶もあって、生々しいっていうのか、リアリティがあって……。
まあ、思い出した手の新しい記憶のせいかもしれないけど、なんか変な感じ。最後の時からまだ2、3年しか経ってないような感じがするのに。
でも、本当に2、3年しか経ってないとしても、そんなに会えなかったってだけで死にそう……無理。
「……ノア君に、逢いたい」
経年劣化ってのがもし私が思うように時間が経ち過ぎて弱ってるって意味なら、もしかして今はあの時からすごく長い年月が経っている可能性があるってことで、ノア君はいま、よぼよぼのおじいさんになってるのかもしれない。
それでも───
「ノア君に、逢わせて」
ノア君がノア君であるんなら、シワシワのしおしおでも、別にいい。
ウチのおじいちゃんみたいに老人斑が出来てても、入れ歯がカクカクしてても構わない。必要なら、介護させて貰いたいくらい。
「私を、ノア君に逢わせなさい」
私のことをマスター登録してプライオリティがなんたらって言ってたんだから、きっと命令っぽいのは四の五の言わずに聞いてくれるんじゃないかと、ちょっと強い言葉を意識した。
『それは、命令か?』
「そ、そう! だから、ノア君に逢わせて!」
『……了承した。お前をマスター・ノアのもとに連れて行ってやろう』
マスターって主従で言うなら主の方だと思うんだけど、この
『……にしても、先刻からの私の話にはツッコミを入れたくなるだろう部分が大いにあった筈だが、色々知りたいことがあると言いながらそれらを完全無視してマスター・ノアのことばかりとは……相変わらずと感心するべきか……それとも』
それとも、の次に何を言う気なんだこの
主従に関してだけじゃなく、ちょっとオレサマ系と思ってたこの
「そ……そう言うのは、ノア君のとこに行く道中に聞こうと思ってたからっ」
三度目の猫パンチを躱されながら、私は憮然としてそう言った。
一応私だってお利口ではないなりにたくさん疑問に思ってることだってあるんだから。
ただ自分の中の優先順位的にこうなっただけだもん。
なんかホントにこの
ともあれ、私はもう二度と会えないと思っていた相手に逢うことが出来るらしかった。
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