その4

但野康平は、現在十五歳の高校一年生である。

 吸血鬼の父と狼女の母を持つ康平は、吸血鬼と狼女の混血の影響か、狼としての意識がほかの一族よりも強かった。

 ゆえに人型でいるよりも、狼の姿でいることを好んだ。

 姉はこんな康平が野生化しないように、両親からきつく言いつけられているらしい。

 康平としても、狼の姿で森に放置されても、やっていけるという自信がある。

 一方康平も、姉が吸血鬼としてやっていけるように助けてやれと、両親から言われている。

 姉は狼女である母の影響か、人間の血の臭いが気になるらしいのだ。

 父親はなんともない相手の血が、姉には臭くて仕方がないらしい。

 そのせいで、姉は人間の血を飲むのが苦手だ。

 吸血鬼のくせに、人間の血を直接飲んだことは、実に一度しかない。

 その一度で強烈なトラウマになって、直飲みしたがらなくなったのだ。

 ではどうしているのかといえば、父親が用意した血を水で薄めて飲むのだ。

 しかし、あれはほぼ水である。

 血が入っているなんて、狼の嗅覚を持っていないと気付かない。

 逆に言えば、それくらいにうすめなければ臭いらしい。実に難儀な姉である。

 そんな姉にコーヒーを買ってきてくれるように頼んでいた康平は、姉が大学の構内で行き倒れたという話を聞いて呆れた。

 ――やっぱり父さんについて行けばよかったんじゃね?

 父は吸血鬼ながらも日本企業の会社員をしており、この春から海外出張中なのだ。

 当初両親は姉が日本に残ることを心配したし、康平を放っておいて野生に返ることも不安視された。

 だが姉が海外に行って他の吸血鬼の一族から、「血を飲めない出来損ない」と馬鹿にされるのを嫌がった。

 断固として日本在住を主張したのだ。

 そのお守りとして、康平の日本滞在も認められたのだが。

 やはり姉は父の保護無しでは無理ではなかろうか、と康平は早くも思い始めていた。

 ――せめて、アネキが飲める血があればいいんだがなぁ

 高望みだとわかっていても、康平としてはそう愚痴らずにはいられない。

 とても面倒くさい姉だが、康平にとっては大切な家族だ。

 ちゃんと立派にとはいかずとも、それなりの吸血鬼に成長してほしい。


 なにはともあれ、今日こそは姉がコーヒーを買ってきてくれるはずである。

 それをじっと待っているのも時間がもったいない。

 学校から帰ってのんびりとくつろぐ時間も惜しんでさっさと制服を脱ぎ、夕方の日差しの注ぐリビングで狼の姿になる。

「さて、散歩行くか」

そう思い立った康平は外出準備をしていると、家の前に車が止まった音がした。

「あん? 誰だよ、ったく」

もし客であれば、急いで服を着なければならない。

 康平がフンフンと鼻を利かせると、よく知る姉の臭いがした。

「アネキの奴、またぶっ倒れてタクシーかよ」

血が飲めない姉は、吸血鬼として半端な成長しかできておらず、身体が丈夫ではないどころか、成長が止まっている。

 ゆえに姉がいつも持ち歩く緊急用の住所カードを頼りに、タクシーで運ばれてくるのは珍しいことではない。

 仕方なく康平は人型になってもそもそととりあえずズボンだけをはいて、玄関を開けた。

「あの、すんません姉が……」

てっきりタクシーの運転手がいると思っていた家の前に、若い男性がいた。

 もさい髪型が年齢不詳にさせているが、康平の鼻が嗅ぎ取る彼の臭いはまだ二十代の男性であると告げていた。

 彼は車の助手席から、姉を軽々と抱き上げてこちらにやってきた。

「……誰? アンタ」

康平は彼を警戒しながら、姉の身柄を確認する。

 顔色が悪いどころか、なにやら顔色が赤い。

 いつも青白いのがデフォルトの姉に、一体何が起こったというのか。

 一方姉を抱き上げる彼は、康平を見て一瞬立ち止まった。

 玄関から上半身裸の男が出てくれば、ちょっと疑う気持ちは康平だってわかる。

 客だとわかっているならば、シャツでもひっかけてくるものを。

「姉を連れてきてくれたんですか?」

康平が声をかけると、彼はあんぐりと口を開けた。

 前髪が邪魔で表情が見えないが、おそらく驚いているのだろう。

 但野姉弟きょうだいを知った人間の、正しい反応だ。だが彼はすぐに立ち直った。

「お前はこの家の奴か。届け物だ、倒れたまま起きないんで勝手にカードを見て連れてきた。ここはこいつの自宅で合ってるか?」

「そうです、アネキ起きろ」

彼から姉の身柄を受け取って起こそうとすると、なにやら寝言をほざいている。

「のみたい~……」

飲みたいってなにをだ、血か。ろくに飲めない偏食のくせに。

「さっきから起こそうとしたんだが、そればかり繰り返すんだ。はっきり言って気持ち悪い」

「あの、なんかすんません」

一体なにがあったのか、彼は鳥肌を立てていた。

 姉が悪いことは明らかであるので、康平はとりあえず謝っておく。

「わざわざ送ってもらって、ありがとうございます」

康平の腕の中でムニャムニャ言っている姉の代わりに、康平は頭を下げた。

 それに彼はフン、と鼻を鳴らす。

「さすがに目の前で二度も倒れられると、こちらは悪くなくとも放っておくのも後味が悪い」

彼の言葉に、康平はひらめいた。

「もしかして、昨日姉がお世話になった方ですか」

その世話になった相手にお礼をしに言ったはずの相手に、また倒れた挙句に送られてくる。被害が拡大している気がする。

 ――なにしてんだよ、アネキ!

康平が姉を床に落としたくなっていると、彼は買い物の袋を康平に差し出した。

 その中を覗けばコーヒー豆の袋が入っていた。

「そいつに、ちゃんと飯を食わせろよ。軽すぎるぞ」

用は済んだとばかりに、彼は去って行った。

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