第21話
「もしもし、相談したいことがありまして……。あ、檀家の夢倉です。いつもお世話に……。実は親戚が東京で一人暮らししてまして……」
枕経の依頼の電話はいつも突然である。
予約があったらある意味怖い話であり、この仕事もかなり経験を積んできた法道はそんなことを心の片隅で感じたりする。
開き直られても困るのだが、檀家が菩提寺を頼るのは当然。
菩提寺が檀家に頼られるのは当然。
余計な恐縮はする必要はないのにとも思う。
その電話は、簡単に言うと、一人の独居老人が亡くなった、ということである。
その一言は間違いではない。
我々の頭は、いつからこんなに堅くなってしまったのか。
法道は、檀家からの電話を受けてそんなことをぼんやりと思った。
そう、ぼんやりと、である。
普通ならぼんやりしている暇はない。
急いで枕経のための準備をしなければならない。
だが今回は、そんなに急いで何をする、という話。
東京で一人で生活してる親類が亡くなった、という檀家からの連絡である。
その年七十才。
老人と言えば老人だろうか。
すでに火葬を済ませたという。
死後何日か経ってのことだろうな、と考えていた法道は、意外な話を聞かされた。
仕事をして帰宅直後に亡くなったのだとか。
翌日の出勤時間になっても職場を顔を出さない彼を心配して、オーナーが様子を見に行ったところ、既に事切れていたとのこと。
死因は病死と判明した。
一人寂しく亡くなったというわけではなく、遠く離れた実家のお墓に入ることを本人も実家も了承していたという。
死んだらどうなるだろう? どんな扱いされるんだろう?
そのような心配は、本人はしていなかったのだそうだ。
「へぇ。ご本人がそうお話しされてたんですか?」
「本人も口にしてたけど、そのオーナーともそんな話をしてたらしくて」
東京は、人との繋がりが薄い場所。
そんな偏見を持っていた法道は意表を突かれた。
オーナーはとても忙しくて、菩提寺に伺うことが出来なくて残念がっていた。
そんな話も聞かされた。
新幹線直通の地域ではない。
乗り継ぎの必要があるこの地域は、片道五時間ほどかかる。
「無理もないですよ。そんな大都会からこんなに時間がかかる場所ですからねぇ。ところでその方どんなお仕事されてたんです?」
「六本木で寿司職人してたんですよ。私も東京に出張したときは叔父さんにはお世話になりました」
今はその界隈はどうだろうか。
景気がいい時期には、その地域でのそんな店というと、高ステータスの象徴のようなイメージを持たれることもあった。
法道は日程の相談を受け、この地域の風習と照らし合わせたときに省略されたと思われる、枕経、納棺、出棺、荼毘式と併せた形の葬儀を執り行う予定を立てた。
住職に伝えたあと、法道は彼なりに考える。
「ギロッポンでシースー、が流行り言葉になったこともあったよな……」
どんな客を相手にしてきたんだろう。
その店はどんな風に利用されてきたんだろう。
その人の人生を追う。
それもまた弔う気持ちを強くするために必要な事。
しかし都会にほとんど縁のない法道には全く想像がつかない世界。
やはり縁のある人から直接話を聞くのが手っ取り早い。
その夢倉という檀家が来るのを待つしかない。
そしてその日がやってきた。
「ごめんくださーい。夢倉ですけどー。東京の叔父のお骨持ってきましたー」
「どうぞ座敷へ。住職も呼んできますので中にお入りください」
そしてその叔父の話を聞くことになった。
「集団就職?」
「中学卒業してすぐに都会に出て就職先を探すんですね。あるいは仕事が決まってから上京ですよね」
彼の祖父、つまりお骨になられた方の父親は、叔父が若い頃に他界。
女手一つで七人の子供を育てるのも大変だったそうだ。
唯一の男の子。夢倉家の跡取りになるはずが、その母親を幼心なりに見るに見かねて、中学卒業してから働きに出ると宣言したのだそうだ。
「姉……伯母達や母は引き留めたらしいですが、親孝行するんだと」
「で、向こうで仕事を探した……」
「いえ、叔父の伯父? がそっちで宿の仕事をしててそれが成功して、今でいうテナント? で、そこに入ってるお寿司屋さんが人手ほしいってんで、話を通したらしいんですよ」
とにかく金を稼ぎたい。とにかく人手が欲しい。
しかしこの両者の思いが一致しても、人間関係で破綻することもある。
「で間を取り持ったのが伯父。自分の子供の様に可愛がられながら、寿司屋で修業したと」
厳しい修行を乗り越えられたのは、伯父の家族のおかげだと。
さらに自分よりも小さい子供もいれば、自分の偉さを見せつけようと修業に励みが出たらしい。
「で、結構な腕前になって寿司屋も叔父に譲られて、そのオーナーも伯父からそのお嬢さんに代が変わる」
「お嬢さんだったんですか。じゃあこの方はその人にとって頼れるお兄ちゃんってとこですかね」
法道は冗談のつもりで口にしたが、実際そうであったようで、彼女の人間関係でもその店は繁盛したそうである。
寿司職人一筋の彼は生涯独身。
片やそのお嬢さんは婿をとる。
頼れる存在から頼りにされるようになったオーナー。
小さい頃から頼りになる存在が、立場は逆転してもやはり頼りになるお兄ちゃん。
五十年以上も続いたそんな関係が、お兄ちゃんの病気によって突然終わった。
独居老人の生活スタイルも様々である。
孤独死、というにはやや賑やかさを感じされられた。
死に顔も、病に苦しむ表情ではなく、穏やかな顔つきだったのだそうだ。
「自分の人生に満足してなきゃあんな顔は出来ないって言ってましたよ」
そして人生の最後の場所は自分の故郷。
姉の一人が実家の跡継ぎになり、孫の奥さんのお腹には小さな命が宿っている。 何事もなければ存続が約束された。
彼にとっておそらく、唯一の心配事はそれだったかもしれない。
が、その心配ももう過去のことだろう。
「何卒よろしく、とオーナーはそう言ってました」
もし、オーナーがいなかったらどうなっていただろう。
実家がなかったらどうなっていただろう。
この国の経済成長期に、その土台となる人間関係を支える場として利用されていた店だったかもしれない。
食文化の発展に貢献していた店だったかもしれない。
飲食業の成長に一役買っていた店だったかもしれない。
その店を支えていた店長。
その店を利用したことのある客は、その店長のことを覚えているだろうか?
その客が利用する店はそこだけとは思えない。
客の記憶に残るのは、せいぜいその店のことだけだろう。
店長はどんな顔だったか、どんな姿だったか。
そこまで覚えている客は稀だろう。
ひょっとして、彼の検死を行った警察や検察の職員達の中で、その店を利用したことがある者がいたかもしれない。
けれど、身元が明かされる前に気付く者はどれだけいるだろう?
日本の景気を、人知れず支えてきた者の人生が一つ、ここに終わる。
その人の人生がどんなものであったか、想像することがやっとの法道。
何せ、そんな世界とはほとんど縁がない。
儀式なら出来る。
しかし本当の供養が出来るのは、自分ではなく、そのオーナーと実家の檀家がいてこそ。
ある意味無力である。
法道はそんなことを思う。しかしそれは自虐ではなく事実であり現実。
法道はそう自分に言い聞かせる。
そしてお骨が入った骨箱を見てこう思う。
良かったですね。あなたのことをよくご存じの方が健在のうちに人生の幕を下ろすことが出来て。
この方のおかげで独居老人の一人の価値を理解することが出来ました。
そんな思いで骨箱を見つめていた。
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