第15話
百合浦家のお店に週に一度通うようになった法道。
ママ一人で切り盛りしているその店の席はカウンター十席のみ。狭いし少ないとは思われるが、満席になっても一人で上手く立ち回り、どんな客にも退屈させない話術で相手をする。
これが実に法道にとって勉強になる。誰かと話に夢中になると、反応する人にしか目に入らない。だが視野を広げながら、話題も上手く広げて動かし、誰にでも対応できるようにしている。
学生時代からハマっているものの一つでアメリカンジョークがある。
ただのダジャレよりも、笑わせながらも機転を利かせて話の切り返しに興味が沸く。そんな話を多く盛り込んだ小説などを愛読していた法道は、そんなママとの会話にその応用を利かす。
今まで体験したことがなかった楽しい会話と、そんなママが取り仕切る店の雰囲気がすっかり気に入ってしまった。
その会話の応用を、法要の場でも活かせることが多くなる。
自分の話を、聞いてる人が理解できないうちに進めてしまうことがある。
参列している人の表情を見ながら、分かりづらそうな部分はたとえ話を入れたりかみ砕く表現に変えてみたりできるようになった。
法道にとって必要なことを持っている人はどんな人であっても、それを自分に教えてくれる先生のように思える。それは知識でも技術でもそう。
だからといって、みんながみんな自分に教えてくれるかどうかと言えば、そうとは限らないこともある。
この出来事から三か月ほど経った、その月の最初の枕経。
法道が戻ってから十年以上経ち、初めて生まれて間もない子供の枕経を勤めたときのことである。
出産を終え、新たな命の誕生の喜びの最中に、この世での別れを告げねばならない母親の気持ちを考えると、どう寄り添っていいのかわからない。何せ独身の身なのだ。
「生まれてすぐに、心臓に悪いところがあるって言われて」
と、枕経を終えた法道に母親が告げてくる。
子供と心臓の言葉を聞き、いつぞやのニュースを思い浮かべる。
この子は、移殖しなかったんだ。できなかったんだ。
移植のための募金って、誰でもできるもんじゃなかったんだ。
移植手術受けられて、元気に育っていく子供たちって、ごく一部だったのか。
なんでこの子は亡くなって、なんであの子らは元気に育っていけるんだろう?
自分にはこの葬儀は無理だ。何を言っていいのかわからない。
この母親に、父親に、遺族にどう寄り添っていいのかわからない。
読経以外の口にする言葉に、思い浮かんだ言葉を言っていいのか悪いのか、法道は迷いに迷う。
一通り終わり帰途につく。
住職にいつものように伝える。
「この仕事は俺一人でやるからお前は留守番だ」
住職が一人で葬儀を勤めるときにはそのようなことを毎回言う。
法道は今回も同じことを言われたが、住職に自分の気持ちを見透かされたような気がした。
いや、今までずっと見透かされ続けてたのかもしれない。
自分では真剣に葬儀に取り組んでいるときもあったが、それでも留守番の時もあった。
振り返ってみると自分はそのつもりになっていただけで、住職から見ると葬儀を勤める者としてふさわしくないと判断されてたのかもしれない。
だが今は自分の過去のことより、答えを探すほうが先と考える。
檀家から「どうしてうちの子は助からなかったのか?」と聞かれてどう答えたら、檀家は悲しみを乗り越えられるだろう。自分にその手伝いができるだろう。
葬儀すべては何の変哲もなく終わった。
しかしそんな思いをさらに強くすることが起こる。
近所の檀家での枕経。つくづく続くものだなぁと感じながら今回は一人でその家に出向く法道。いい意味で慣れてきた。住職から聞き忘れのミスなどが少なくなってきたのである。
今回も無事に終わり、故人についての話を聞く。
「この度は何と申しましょうか、仲染ゆいのさん ですね。まだお若いようで、いろいろと大変でしたでしょう」
喪主はその母親。亡くなったのは長女。父親は彼女の二人目の妹が生まれた翌年に亡くなった。
ここの家も女手一つで、しかも三人の子供を育てた。二人の妹はすでに他家に嫁いだらしく、さほど体が丈夫でなさそうだった長女と二人暮らし。しょっちゅう遊びに来る妹家族の来訪が楽しみだったという。
「でも結乃は和尚さんと同い年ですよ。高校は同じでしたね。同級になったことはないですが」
え? と法道は耳を疑う。
高校時代は色恋沙汰には縁がなかった法道には、彼女の情報も記憶もない。聞けばやはり別のクラスとのこと。一学年に十クラスもあれば知らない同期がいても不思議ではないだろうが。
お盆の時には毎年伺う家の一軒だが、いつもいるのはこの母親だけだしゆっくり話をする時間もない。
同じ年の人、しかも同期生が亡くなった。生まれてしばらく経った赤ちゃんだって亡くなるのだ。年下、年上、そして同期の人間だって、いつ亡くなるなんてことは誰にもわからない。
頭の中では、人は誰でも死ぬことは理解している。けれども身近な人間が亡くなることを目の当たりにしたとき、これほどの衝撃を受けたことはなかった。法道は高校時代に祖父母を亡くしている。ショックを受けたが、年老いて体力もなくなっていく祖父母を看病しながら見てきた。
その様子を見続けていくうちに、このようにして人は亡くなるのか と、人生の終焉を心に強く刻みつけられていった。
けれどもそれがすべての人に当てはまりはしない。檀家の枕経の場に呼ばれるたびにそうは思っていたのだがこの時はさらに悩みを強くした。難病を患って亡くなる同じ年の人と自分との違いを感じると同時に、なぜ自分はまだ元気でこの人は亡くなったのか。その親はまだ元気で、枕経に呼ばれたものとしてどう声をかけたらいいのか。以前感じた疑問がまたよみがえる。
同じ疑問が沸き上がると言うことは、何の進歩もしていないということだ。
努力していたつもりであったが、その結果は別方面でしか現れない、自己満足でしかない精進であったことに気づかされる。
火葬場では高校時代に見知った人も数多くいた。
法道はそのことは予想していた。そしておそらくは辛うじて形式的な案内しかできないであろうことも。
住職も同じように思っていたようだ。この葬儀も住職一人で行われた。
あの夜に感じた、月明りよりも明るく見えた法道の周囲が、また暗く沈み始める。
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