第9話

 この仕事を始めるきっかけは、これと言った決心も覚悟もなかった法道。

 さらにこの仕事への姿勢に、そんなに前向きな気持ちがなかったのではなかろうかという疑念も持ち始める。


 それでも人の死を前にして悲しみに暮れる様子を、否が応でも目の当たりにする。そんな経験が少しずつ積み重なる。


 住職からは、余計なことはしなくていいし言わなくていいと釘を刺されている。

 だがこのままでいいはずがない とは思う。

 小さい頃から遊んでもらった人が亡くなる。あるいは悲しんでいる。読経しただけで、お経をあげてくれてありがとうね と言われる。けれどもそれだけではなく、何かの力になってあげたいと思うことも多くなる。しかし、こんな自分に何ができるだろうか? 自分が何かしてあげてもいいのだろうか?


 そんな疑問も積み重なっていく。




 誰かにとって悲しみに暮れる日も、誰かに取っては日常の日々。日常の仕事も時々入る。


 住職と二人で、年回忌法要の檀家の家に行く。若くして、婿とはいえ一家の大黒柱の夫を失って十六年の奥さんからの依頼。十七回忌である。その間、自身の父と母も見送った。

 その三人の葬儀はすべて、住職が一人で執り行った。



 法要を終わった後のお斎の席で、その奥さんが長々と思い出話を聞かせてくれた。


 住職には大変お世話になったとのこと。



 婿取りのため、なかなか相手が見つからず、ようやく来てくれる人と出会い、女の子二人を生んだ。子供が十才になるかならないかのあたりに夫を亡くした。

 自分の家とはいえ、分家がたくさんある本家。しばらくは年老いた父親が家長を務めていたが、亡くなってからは実の娘であるこの奥さんが、母親と一緒に子育てをしながら一族の長として務めてきた。だが年が明けてすぐに母親も見送ることになり、一人でどうしようと気も狂わんばかりだったけど、住職からいろいろ話を聞き、何とか辛い思いを乗り越えて今日まできたという。


そんな話をしてくれた。

当の本人は法道の隣に座って、ほかの人とお話に夢中。


 そんな過去があるなんて思えないほど朗らかな人。その性格を子供二人がそのまま引き継いでるように思えた。

 


 十六年も前のことに、いまだに感謝している檀家。どんなことをして、どんな話をしてあげたんだろう と法道は不思議に思う。


 話に聞けば戦前はその家の名前、成長谷(なばせ)といえば付近では大農家として有名で、田んぼや畑で作物を大量に作り、使用人にも配り養っていた。やがて使用人も減り、広い田畑をその家だけで管理するには大変なようで、半分以上売ったという。どれくらいの面積かはわからないが、食うには困らなかったそう。それでも両親を亡くした後は女手一つ。よく子供二人も育てたものだ。


 その子供二人は姉妹で、法道と同世代。まるで我が子にいろいろ世話をやくかのように住職そっちのけで、いろんな話を聞かせてくれた。


 その当人とお話ししないのかな? と思いながらも法道は彼女の話に耳を傾ける。

「お父ちゃん亡くして、どうしたらいいの? これからどうしようって、住職が法要にきてくれる度にすがってねぇ。気が狂ってたのかしらねぇ」


 根が明るい人だからだろうか、からっとした笑顔で自分のことをそう表現する彼女。過去のこととは言え、その表現に法道は少し腰が引けた。


「ホントだよお母さん。あのときどうしようかって妹と相談してたくらいだもん」

「この若い和尚さんのお父さんとどんな話してたかわからなかったけどねー」


 と初めて見る姉妹が横から参戦。



 その後この成長谷家へは、舅や姑の年回忌の法要でも一人で行かせられることになるのだが、その度に何度も同じ話を繰り返したり法道の話を興味深く聞いて来たりして、法道が気を遣い始めるよりも前に母親の方から親近感を強く持たれた。


 しかし、いきなり僧や寺に親近感を持つことなど珍しいことだ。

 意図せず住職がそのようなお膳立てをしてきた結果ではないだろうか。

 住職もきっと、この檀家にもいろいろ語ってあげたのだろう。住職がこの成長谷家の心強い味方になったという結果が、この家が法道にもそんな縁をつくってくれたきっかけになった。


 いつ芽が出るかわからない種を植えたのだ。

 その芽が出たところを自分に見せてくれたのだ。

 その芽を種にして、また新たな芽が出るように法道もまた。


 しかし、具体的に何をすればいいかわからない。


 取りあえず何度も繰り返す同じ話を、その度ごとに違う質問をしてみたり違う方面から聞き入ったりする法道。

 しかし住職から具体的にどんな話をされたかを聞いても、助かった、ありがたかったの言葉しか出てこない。


 やがて娘二人をはじめとする周囲から「またおんなじ話してるね」と言われるが、まったく気にしない様子。


「だってホントに助けてもらったんだから」


 

 悲しみを乗り越える力を、住職はおそらく与えることができたのだ。

 自分にも何かができそうな答えがそばにある。けれどもそれがどんなことであるのかがさっぱり見えてこない。


 

 当時、この母親がどんな様子だったのか、住職はどんな話をしていたのか、いろいろ妄想してみる。

 母親の取り乱しようは何となく想像できるが、住職の対応はさっぱりわからない。


 住職に何度か聞いても、具体的にどんな話をしたのか忘れたとのこと。

 

 具体的にどうしたらいいか、答えが見えてこない日々。

 何をどうしたいのかもわからなくなる。


 この仕事に不向きだったんだろうか。しかし今更新たに何ができる?

 何かをする理由が今の仕事から逃げるためなら、新たに見つけた仕事だってまともにできやしない。


 そんな自問自答の堂々巡りの毎日も、やがて終わりそうな気配を見せる。




 枕経の依頼を受けた住職と法道は、出かけた先でいつも通りの役割。遺族や親族が住職に話を聞きに来る。

 後ろに控えるは、周りからはそう見えないように努力をし続けている無気力な法道。住職からの指示をただ待つだけ。




 いつもと違ったのはここからだった。


 いつの間にか俺の横に小さい子供たちが寄ってきていた。 

「おにーちゃんも、おしょうさん?」


 住職と一緒に出る法要では余計なことは言うな と住職から言われている上、悩んでる最中。だからといってこんな小さい子を足蹴にするようなマネはできない。

 住職たちの話の邪魔にならないように、小声で返事をする。


「そうだよ。和尚さんだけど、おにーちゃんよりもえらーい和尚さんがいるから、お話し終わるまでここで待ってるの」

「おしょうさんって、そうりょだよね?」

「そうだよ。僧侶だよ。僧侶ってね、和尚さんのことなんだよ」

「しってるよ。じゃあね」

「うん」


「「ふっかつのじゅもん、できる?」」


 目をキラキラさせながら聞いてくる。



 ちょっと待て。ゲームと現実を一緒にするな。



 小学校中学年辺りならばそうツッコミを入れたら笑ってくれるだろう。だがどう見ても小学生低学年。もうすでにその年齢で、現実と一緒にするまでゲームにハマってるのか。


「ごめんね。拝むしかできないんだよ。ちなみにホイミもできないから」


 子供たちはケラケラ笑っている。無邪気っていいよな とその二人を見て法道はポツリと思う。我が身にトラブルが起こっても、周りの人たちにすべて守ってもらえる年代。


 俺にもそんな時代があったんだがなぁ。もうあの時代には戻れないんだよなぁ。

 今ではこんな小難しい問題抱えてドツボにハマってるんだから。

 そうぼんやりして、住職の用事を終わるまでの時間を待っていると子供たちの後ろから声がかかる。


「あらまあ、この若い和尚さんに遊んでもらってるの?」


 といきなり大人の声。子供たちと俺だけの世界の中、頭の中で沈み切っていた法道はその声にちょっと驚く。

「あ、いえ。ちょっと話が合っただけですので」


 振り向いた住職と目が合う。彼は何となく、そのまま相手してやれというメッセージを投げかけられた気がした。


 結果、学校でどんなことが流行っているだの、何にハマっているだのの話を延々と聞かされ、かと思えばまたゲームの話。

 法道の沈んだ脳内は園児二人に散らかされる。


「そんなにそのゲーム好きか」

「うん!」

「たのしいーよっ!おにーちゃんは?」


「……ごめん、そいつはやったことないんだ。メガテンなら好きだけど」

「なにそれー」

「しらなーい」


 子供の相手になるには、こっちがちょっとマニアック過ぎたか。

 遊んだり話をしたりするのは好きな方だが、この頭の中、この時間、何よりこの格好とここに呼ばれた理由が子供相手の行動を制限させる。


 悲しんでいる人ばかりの中で、笑っているのはこの子供二人と俺の三人だけ。


 笑っちゃまずいだろうが。あの日、あの鏡に映っていた俺は、悲しんでいる周りを考えずに自分だけ楽しんでたじゃないか。


 かといって、目の前で笑っている子供を何とかするでもなし、子どもの好きなように振り回される一方だった。子供に合わせて俺も笑ってはいたが、何もしてあげられてないよな。僧侶として、何にもできてないよな。そんな自分への失望感が新たに力強く湧いてくる。


「根槍さんのいろいろなお話を伺うことができまして、ありがとうございました」


 そう言う住職の声に我に戻る。


 なんてこった。どんなことを遺族に話をしていたか全く聞いていなかった。時間をただ浪費しただけだった。

 どんな話をしたかを聞けば、住職は答えてくれるだろう。

 

 だが知りたいことはそこじゃない。

 あの雰囲気を消さず壊さず、そのまま存在させながら続けられてた話の流れを見たかったのだ。


 かといってその原因となった子供たちを叱り飛ばすわけにもいかず、責任を追及するわけにもいかず。何ともしがたい気持ちをこらえることで、自分に平静を装うことが精一杯。


「夜遅くにお呼び立てしてすいませんでした」

「いえ、檀家のための役目ですから、お気になさらず」

「そちらの若い……息子さんですか? 和尚さんもありがとうございました」

「へ?」


 自分の気持ちを落ち着かせることで精一杯の俺の姿は、周りから見たら上の空のように見えたに違いない。


「うちの子供たちの相手してもらって、とても大喜びでした。いつもは落ち着かず騒いでばかりなので、こういう場で暴れられても困るんですが、若い和尚さんのおかげで助かりました」

「あ、あぁ、そうでしたか……」


「こいつはうちのせがれです。戻ってきたばかりなので経験を積ませてるところでして。今までも寺参りなどで見たこともあったでしょうが、このような場では応対がいろいろ不慣れで。当面は、まずは仕事を覚えてもらわないとということで。余計な者を連れてきて失礼いたしました」


「いーえ、本当にありがたかったです。親子で供養していただいたおじいちゃんも喜んでるでしょうし、迷惑ばかりかけてた孫は若い和尚さんに相手してもらって喜んで……まぁあんなはしゃぎすぎはいつものことですけどね」

 苦笑しながら、枕経の部屋に残っている子供たちの様子を伺いつつ、挨拶を続ける子供たちの母親。

「は、いえ、まだ何の力もなれませんで」


 自信無げに否定した俺の短い返事に重ねる母親。

「また相手にしていただけたらありがたいんですけどね。今夜はありがとうございました」

 うつむきがちの俺は視線だけを上げ、ちらっと母親の顔を見る。

 笑っている。亡くなられた方と子供たちが喜んでいる。そう言ったこの人の顔も、どう見てもこれは喜んでいる表情だ。


 今の俺は、真顔でいいのか、一緒に喜んでいいのか、笑っていいのか……。


「では失礼します。お力落としのないよう……。じゃ、行くぞ」

「は、はい。失礼しました」

「明日の出棺の時もよろしく」


 送迎の車に乗る。

「よかったじゃないか」

「何が?」


「……喜んでくれてたぞ」

「あぁ……うん」


「あれでいい」


「自分だけって言うのもな……」

 頭の中の思考と一緒にして返事をしてしまった。住職には何のことやらわかるまい。だが会話は続く。


「顔見たか?」

「うん、喜んでたっぽい」


「お前だけか?」

「いや、子供も、母親も……」


「うん、それでいい」



 変わり映えのない一日が続いていた。課題も答えの方向も全く手掛かりがない。なのに目の前の悩みが常に存在していた。


 しかし変化は探そうと思えば必ず見つかる。変化に気づこうとしない法道にとっては突然のかすかな明かり。しかしきっと、明かりは常にそこにあった。傍から見れば、法道もその明るさの恩恵を受けていた。彼がそれに気付こうとしなかっただけの話だったかもしれない。

 

 だがその夜に上がった月明りほどには、自分の周りは明るく見通せる気がした。



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