第7話 童女殺害

 稽古のはじめと終わりに、楽しそうに話しながら歩く大祐と鈴太郎の姿があった。

 やっと鞘に収まったかという者があれば、失恋に肩を落とす者もいた。


 ある日、稽古の後に大祐は鈴太郎の部屋を訪れ茶を飲んでいた。

 そこにばたばたと離れに駆け込む者が。部屋に息せき切って来た者は大祐の下人の次郎兵衛だった。

 次郎兵衛は倒れ込むように大祐の前に座ると、一息突いて、

「若!た、大変です。お父上様が!」

「何!襲われたか!」

「いえ・・・」

 鈴太郎は急いで下人の次郎兵衛に白湯を与えた。


「伐採した木材を視察するために、月夜野村の真庭政所に行かれ・・・」

「それでどうした!」

「そこであまりの作業の遅さに逆上され、お馬の前を横切った童女を・・・ぶ、無礼討ちにお斬りになりました!」

「なんだって!」


「・・・お殿様はすぐお戻りになりましたが、界隈の百姓が呼応して集まりはじめ・・・このままでは」

 大祐は刀を取るとすくと立ち上がった。鈴太郎を見て、

「鈴殿・・・儂は行かねばならぬ」

 その目には並々ならぬ決意があった。

「兄様!鈴も行きます!お側を離れません!」

 ぺたと座る次郎兵衛に、

「お前はここに居ろ!死にたくあるまい」

 二人はどかどかと出て行った。残された次郎兵衛は鈴太郎が飲み残した茶碗を取ると、その飲み口をわざわざ手前に回して美味そうに飲んだ。ふうと息を突くと、

「やれやれ・・・とんだ災難だわい。帰ってかかあと別れを惜しんでくるか・・・」


 大祐と鈴太郎は塚本家に走った。鈴太郎は横を走りながら、

「兄様・・・どうされるおつもりですか?武力では・・・」

「儂の命をくれてやりに行く」

「えっ?」

 塚本邸はものものしく警備されていた。奉公人が夜というのに召し出され、門前の警護人は襷(たすき)を掛け袴の股立ちを取り、大小を差して槍を持っている。

 式台を登ると家老の堀部善太夫が声を掛けた。


「若様!」

「父上は」

「今、お休みになられました。帰られた時は大層な御興奮で、屋敷を固めよと大声を上げられて・・・」

「月夜野村の者達は?」

「物見の話では、大勢の百姓が庄屋の家に集まっているそうです」

 みるからにおろおろしている。


 百姓が集まって、その次ぎに何が起こるかを考えたくないらしい。当事者の当主は寝てしまっている。実際は、恐怖の為に、夜具という身近なものの中で現実を逃れようとしているのではないか。

 下手に狼狽えても今の藩主の信利など当てになるわけがない。蒙昧な指導者というものはここまで国を傾けるものか!


「馬を二頭持て」

 善太夫は仰天した。

「ど、どこへ行こうと・・・?」

「三頭じゃ」

 その声に見ると、中庭に腰に大小、背中に大槌をしょった次郎兵衛がいた。背が低いががっちりした体格で蟹の様な顔をしている。

「お前は!下人のくせに!」

「善太夫殿、儂とて武士の端くれ。死にに行く者に少しは良い格好をさせろや」

 次郎兵衛はがははと笑った。大祐は呆れた顔をしたが相好を崩した。鈴太郎は二人の表情に思わずくすと笑った。



 三騎は風に乗って駆けた。蒸し暑い夏だがこうして駆けると気持ちが良い。


 政所の庄屋の家に近づくと、大勢の竹槍を持った百姓が出てきた。竹槍を一斉に三人に向ける。月の光に、先ほど割った竹の切り口が不気味に光った。植物でありながらその威力は凄まじい。鋼の槍と違ってその太さの竹が難なく体を突き通し孔をあける。


 次郎兵衛は大刀の鞘と柄を握り絞め、がたがたと震えている。

「儂は塚本舎人の息子、大祐じゃ。父が手を掛けにし童(わらべ)の弔いをしに参った」

 百姓達の憎しみの声が襲いかかった。鈴太郎も死の覚悟をしていた。

 大祐は馬をゆっくりと進ませた。手綱を右手で胸の前に握り、左手は刀の鞘の下、太股に付けている。戦意が無い事を示していた。その目は悲しげに、庄屋の玄関口に佇む初老の男に向けていた。


「庄屋の松井市兵衛で御座います」

 大祐達が馬を降りると市兵衛はぺこりと頭を下げた。そして中に導いた。

 広い土間を上がるとすぐ居間になっている。そこには大きな布団に小さな骸が、顔に白い布を掛けられて寝ていた。

 その後ろにいた女がすくと立った。そして鬼の様な顔で大祐に言った。

「何をしに来た!人殺しめ!こんな小さな女の子を・・・お前等は悪鬼じゃ!地獄へ行け!」

 亭主らしい男が慌てて女を止めに来た。しかし母はそれを振り切って亭主を叩き出した。

「お前は・・・!悔しくないのか!犬畜生みたいに娘を殺されて!」

 その目からはぽろぽろと涙が転げ落ちる。


 大祐は刀を右に持ってその場に正座した。女はびっくりして睨み付けた。大祐は母に向かって手を突いて深々と頭を下げた。

 侍が頭を下げるなど、思っても居なかった百姓達は互いに顔を見合わせる。


 大祐が腰から脇差しを鞘ごと抜いた。そしてそれを母親に差し出した。

「・・・これで私を好きなようにされよ。父の罪は補う事が出来ないのは分かっている。私がそなたに差し上げられるのはこの命だけだ」


 母親は、震える手で脇差しを受け取ると抜いた!


 百姓達がどよめく。


 女は両手で切っ先を大祐に向けた。ぶるぶると手が震えている。

 大祐は喉を晒すように顔を上げて目を瞑った。後ろの鈴太郎は思った。

(兄様・・・私もお供します)


「ああ・・・ああ・・・!」

 女は幾度も大祐を刺そうとしたのだろう。

 足を大祐に向かって一歩踏み出すが、またよろと後戻りする。それを繰り返した。そして遂にぺたんと崩れると、脇差しを放りだして号泣し始めた。亭主が駆け寄り一緒に泣いた。

 大祐は再び頭を下げると、童女の骸の前に行き、布を取ってその顔を見た。眠っているようだった。

 父がなした所行を自分のことのように悔いた。この先、生きて帰ったとしてどうすれば良いのだ。



 朝もやの中を大祐達は庄屋の家を出た。市兵衛に語った。

「・・・儂の父の時代ももう長くはあるまい。失脚するは目に見えている。儂に何が残るか分からぬが、それをあの夫婦に全てやる。これは金丁じゃ」

「貴方様の様なお武家様が、まだいらしたということをはじめて知りました。この沼田は真田昌幸様のご善政を忘れてはおりませぬが、同じ一族のお殿様が何故、ここまで領民を苦しめるのかと不思議でなりませぬ。米の一升を測るにも多めに計上なされ、田を検地するも畦まで入れて、それに税が課せられる」

「言葉が過ぎるぞ!市兵衛」

 市兵衛は頭をすと下げた。


「・・・百姓は土に居着くもの。その生活を守ってくれる領主様に収穫を貢ぎます。どなたが支配されようとも、お天道様が毎日輝いてくれて、全うに測って残ったお米が食べられればそれで良いのです」

 大祐は市兵衛の顔を見た。しかし、市兵衛は顔をお辞儀をするように下げたままで話している。

 その体からは岩よりも硬い意志が感じられた。


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