第6話 念者

 大祐は鈴太郎に彼の部屋に導かれた。


 断ろうとしたが、鈴太郎の目はそれを許さなかった。

 部屋はこぎれいに片づけられ、書台には沢山の漢籍(漢文の書)が積み重ねられている。ほのかに香の匂いがした。


「・・・許せ。まだお主の体が癒えておられないのに儂は馬鹿な事をした・・・」

 鈴太郎は大祐の前に手を突き、身を低くし見上げて言う。

「いえ!大祐様。決してお恨みなど致しませぬ。皆にちやほやされ、気が大きくなっておりました・・・真剣に修行なされている大祐様にご無礼を致しました・・・」

「傷をお労りなされ・・・これで失礼する」

 鈴太郎は必死にすがった。

「お待ち下さい!大祐様にお近づきになれたのが嬉しゅう御座います!なにとぞ拙い茶を入れますのでどうか・・・」


 鈴太郎は大祐の前で茶釜に火を熾し、裏千家の作法通り茶を点てた。どうしようかと迷っていたが、その端座する愛らしい姿を今は心から賞味しようと大祐は思った。茶筅を振るその手と指は華奢で、とても撓を握る手とは思えない。


 茶を啜る大祐に鈴太郎は言った。

「大祐様・・・この傷のことをお話ししたいと思います」

「傷の・・・?」

「はい・・・誰よりも大祐様に聞いて欲しゅう御座います・・・」

 大祐は椀を下げて驚いた顔をした。

「私は江戸にいる頃、『義兄(あに)』を持っておりました」

「兄を・・・」

 大祐は兄(義兄)とは衆道の年上の念者のことであると悟った。



 鈴太郎は徳川家の旗本の五男であった。

 容姿に優れ利発であった故に、小さな時から年上の男に誘われたが、文武に優れた人でなければと断り続けた。六歳で新陰流を習うようになると、天賦の才であろうか、若年ながら鈴太郎に打ち勝つ者は居なかった。

 だが一年前に長州藩の江戸詰家臣の次男である三宅三十朗という若い武士と惚れ合い、契りを結んだ。

 三十朗は、柳生石舟斎の弟子だった柳生松右衛門が残した長州藩に伝わる新陰流分派の使い手だった。江戸詰になったことで本家である江戸柳生の道場に乞うて入門したのだ。新陰流は将軍家指南役の流儀である。本来ならば入門は許されないが、長州藩の家老の伝手で特別に許された。


 二人はお互いに研鑽しあい高めあい、そして愛し合った。鈴太郎にとって至福の時であった。

 だが、鈴太郎に横恋慕する輩があった。同じ幕府旗本の鬼芦陣内(おによしじんない)であった。強引な陣内と三十朗は争った。


 ある夜、三十朗が鈴太郎の家から帰るところを陣内は襲った。だが三十朗は剛の者、陣内を一刀のもとに斬ってしまった。そして三十朗はそのまま江戸を逐電し、故郷の萩に向かった。

 長州藩の江戸屋敷は幕府におもねるため、三十朗を藩籍から除いてしまった。牢人となった三十朗には萩に帰っても、もう落ち着くところは無い。

 鈴太郎は老中の大久保忠朝の屋敷に駆け入り、自分の手で三十朗を引き戻し、幕府に自首させる旨を願い出た。陣内の家族に仇討ちをさせるよりは合理的な解決法だった。上意が下った。


 だが、鈴太郎は三十朗を誰の手にも掛けさせる気はなかった。慶安元年(1648)に衆道は幕府に禁じられていたが、それは風俗の若衆狂いを禁じたもので、さむらい同士の契りは未(いま)だ重さを保っていたのだ。

 江戸柳生道場でその若さと剣技を評価されていた鈴太郎は、『義兄』の三十朗を説得出来るだろうと誰もが考えた。こんな可愛い『義弟』の言う事ならばむげに出来まいと。

 かくして鈴太郎は三十朗を追った。そして明石の安宿で三十朗を見つけた。


「やはりお前か・・・」

 無精髭を生やし、埃だらけの旅姿の三十朗は鈴太郎を見て懐かしそうに微笑んだ。

「よく来てくれた」

「兄上!」


 二人は連れ立って街道の道を逸れ山野開けた草原に踏み入った。そして刀を抜き、しばし見つめ合った。

 二人はお互いに八相の型を以て斬り結んだ。

 稽古では拳を斬るが、それよりは半歩踏み込んで、お互いの肩口を斬ったのだ。しかし稽古ではない。

 二人は同時にその修行した妙技を振るった。

 相手の刀に打ち乗り勝つのではなく、防ぐこともなく、二人であの世に行くためにその愛する者を斬ったのだ。

 三十朗は雁金に首根を断たれ、鈴太郎は右鎖骨を断たれて倒れた。

 だが運命の神は冷たかった。鈴太郎は付いてきた家の者の手厚い看護で命を拾ったのだ。



「・・・私は江戸にはいたたまれなくなり叔父を頼って沼田まで逃げて参りました」

「・・・三十朗殿は会心であったであろう。他の誰でもない御身に討たれたのだから」

「・・・私は死にきれず、ここに醜態を晒しております」

 鈴太郎の目から大粒の涙が落ちた。そして体が崩れ落ちそうになった。大祐は思わず鈴太郎を懐いてしまった。

「大祐様・・・」

 鈴太郎は怯えた目を下から向ける。

「鈴殿・・・儂を御身の『兄』にして貰えるだろうか?」

「え・・・私の兄に・・・?」

「・・・別に契ろうと言うのではない。ただ、御身の心の支えに少しでもなれたらと」

 鈴太郎はぽかんと口を開けて大祐を見た。そしてまた涙を流し、

「嬉しい!」

 大祐に抱きついた。そして二人はおずおずとその唇を合わせていった。


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