第4話 ひきり(間切り)

 それから大祐は道場に出ても鈴太郎を無視しようとした。


 門弟どもがひそひそと話をしていると、自分と鈴太郎の噂をしているように思える。鈴太郎も顔を合わせると慇懃に礼をするだけだが、確かにその後ちらと流し目を送る。

 その目がなんとも妖艶だ。

(い・・・いかん!これでは剣の修行が出来ぬ!)


「お相手下さいませ!」


 突如、鈴太郎の顔が降って来たかのように思えて、大祐はぎくっとした。大祐の相手がいなくなったのを見計らって、稽古を願い出たのだ。

「う・・・うむ。よかろう」

 『燕飛』の組太刀を行う。この組太刀は六つの型を続けて使う。打太刀、使太刀の攻守が連綿と続くのだ。


 殆どの門弟達は物見高く、道場の隅に座り二人の演武を見ていた。

「う・・・わ。見事」

「まるで舞を見ているようじゃ」

 鈴太郎は完璧な使太刀を演じた。その足腰の動きとぴったりと同期した肩と腕の動き。どこまでも安定した鋭い打ち込み。退く時も、あらかじめ決められた形に嵌め込んだようにすすと引く。それに釣られた形で大祐の動きも滑らかだ。

 まるで息の合った『兄弟』のようだ。


 稽古の最後に、師の辻から数人の高弟達が直心影流の居合を習う。鈴太郎もそれに加わっていた。既に誰もそれを不可思議とは思わなかった。



 明るい性格の鈴太郎には、誰もが道場で声を掛けたくなる。稽古の合間に、道場で笑い声が鈴太郎の周りに絶えなくなった。

(・・・慢心しているのではないか)

 道場では剣の事しか考えまいと決めている大祐には不興だ。

 さらに父の評判に心を痛めている大祐は、少しばかり腹が立っていた。常に将来の不安を感じているので、明るく笑っていられるということが妬ましい。

 しかも、あの時に鈴太郎の顔が無意識に頭に浮かぶという自分が許せない。



「大祐様、お相手をお願い致します」

 また鈴太郎が請うて来た。

「今日は『間(ひ)きり』をやる。良いか?」

 鈴太郎は一瞬躊躇したようだ。だが、すぐに、

「はい。喜んで!」


 『間きり』稽古とは組太刀ではない。

 打太刀が使太刀に稽古を付ける形ではあるが試合に近い練習法で、打太刀は、多種ある組太刀の攻めの形から、その時の判断で使太刀を攻める。使太刀はそれを教え通りに受け、攻撃に転じなければならない。問題は、打太刀が止めるまで延々と続く。使太刀は疲れふらふらになって、最後は打太刀に打ちのめされることが多い。門弟の中では恐怖の稽古だった。


 大祐は右八相、左八相から鈴太郎の首、肩、肘、拳、臑を狙って凄まじい打ち込みを開始した。

 鈴太郎は、左肩に打ち下ろされた撓を弾くとその反動を利用して、左肩の上に自分の撓を掲げ、左足を踏み込んで大祐のこめかみ当たりに『返す』。大祐はそれを撓で受ける。

 真剣を持った時と同じ攻撃をしなければ稽古の意味は無い。この場合、『返す』時は手首を使ってはいけない。体全体を使って、振り上げて斬り下げる時と同じ弧を描き、刀の『もの打ち』(真剣の切っ先から三寸ほどの最も斬るに重要な部位)から打太刀に当てなければならない。


 二、三回、撓で鈴太郎の返し打ちを受けていた大祐は何を思ったのか、自分の振り上げた手首で直に受け始めた。

「もっと強く打て!」

 鈴太郎の打ち込みが弱いと言っているのだ。

 眺めていた門弟達はびっくりした。鈴太郎本人も恥ずかしさを感じたのか、うぬと言ってそれまで以上に激しく打ち込み始めた。


 袋撓は、皮で出来た袋の中に縦に先を細かく割った竹が入っており、それで叩かれてもそれほど痛くはない。しかし剣を極めた者が振れば、その肩、腕、肘、手首が袋撓と一体となり、彼の全体重が乗ったまま当たるために、かなりの衝撃がある。

 だが十数回、続けていると鈴太郎の顔が歪んできた。息が激しくなり、額から汗が流れる。乱れた前髪が頬に張り付き、幾筋かが口に入る。その真剣になった顔は興福寺の阿修羅像のように妖艶だ。


 鈴太郎は大祐の右手を打つと、逆青眼(左半身になって刀を斜(はす)に寝かした構え)に構えを取り直し次の攻撃を待つ。息が上がっている。大祐は鈴太郎の前に出た左足に、撓を打ち下ろした。

「う!」

 撓を横下に落とすように左臑の側に付けて防がねばならなかったが、受けるよりも先に大祐の鋭い打ち込みが入った。門弟達の幾人かは過去これを喰らって足が腫れ、歩けなくなった者もいる。

 鈴太郎は歯を食いしばって耐えた。撓を振るい上げ、右上から大祐が引き上げた左腕に返した。だが足の動きが止まり肩が廻っていない。初心者の様な打ち込みだ。

「馬鹿者!」

 大祐の怒りは、重い逆の袈裟切り(左肩上からの斬り下げ)となって鈴太郎の右肩に落ちた!

「あっ!」

 鈴太郎は大祐の打ち込みの激しさに足を滑らせると、右肩を下にして床に倒れてしまった。

 おおとどよめく声がしてその直後、静寂が訪れた。


 鈴太郎は、右肩を庇って、倒れたまま大祐から離れようとした。恐怖に駆られていた。

 熊之介は丁度その場に居合わせた。最初、うまくやっているなと思いながら、大祐にもやっと春が来たよと見ていたが。

(・・・大祐の奴!全く風情の無い奴よ!)

 大祐は、仁王の様に立ちつくして鈴太郎を睨んでいる。その横に走り出て鈴太郎を庇った。


「大祐!今日はこれで許してやれ!・・・鈴殿、大丈夫か?」

 大祐も我に返っていた。

 自分のしたことが恥ずかしくなった。鈴太郎はまだ幼いのだ。二十を超えた自分達とは体力が違う。

 だが、謝ることも出来なかった。

 自分は正しく教えていたはずだった。鈴太郎がこんなにも脆いとは。


 鈴太郎が左手で右肩を押さえながら、大祐の前に跪(ひざまず)き、必死に言った。

「大祐様!・・・申し訳ありません!鈴は慢心しておりました。まだ未熟でした・・・」

 高弟達も集まってきて鈴太郎を囲み、労って立たせた。

「鈴殿、今日は上がりませい。調子が悪いのではないか?」

 鈴太郎は、訴える様な潤んだ目で大祐を見ながら、門弟達に支えられてよろよろと休養所に歩いていった。皆もしらけたように大祐を見た。


 大祐は道場の一番隅に行くと、そこに正座し稽古が終わるまで瞑想に耽った。


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