第5話 ニコさんの………正体
それから2日後のことである。文章入力の苦手な先輩の手伝いをしていた関に、編集長の太田は申し訳なさそうに声をかけてきた。
「お〜い関ちゃ〜ん、すまないけど、もう一度S町に行ってくんない?」
「どうかしたんですか?」
「いや、他の特集記事が遅れてて、どうしてもページが余っちゃうんだ」
「また『ニコさん』ですか?」
「うん、悪いけども改めて取材してきて」
「うあ〜………………」
あからさまにイヤそうな顔で言うが、実は彼自身、何故かずっと、ニコさんのことが気になっていた。しかし、
「あ、でも無駄かもしれませんよ。先日、ニコさんと知り合いかもしれない、って人に会いましてね。連れ帰らさせられたかもしれませんよ」
「マジでっ? 参ったなぁ。まあでもダメ元だ。一応行って来てよ」
「分かりました。早速午後から行ってきます」
「すまないねぇ〜」
ホントにそう思っているのか、無気力に言って太田は、自分のデスクに戻って行った。
不思議なもので、一度行った場所に再び行くと、前に来たときより距離が近く感じる。前回と同じ時間の電車に乗ったのに、今回は早く到着できたような気がした。それは歩いていても同じのようで、前は登るのに苦労した公園の丘も、わりと楽に登頂できたことに、もしかしたら体力がついたのではと、変な自信をつけてしまう。
それはただの勘違いだと分かっているのに、何故か気分はよかった。
「に、しても、今日もこっちにはいなかったな。じゃあ病院の方か? それとも…………」
太田には申し訳ないが、もうニコさんは家に連れ帰らされ、もういませんでした、と報告すれば楽なのだが、
「とりあえず行ってみよう、ってまたあの階段登んなきゃいけないんだよな…………」
体力がついた気でいたが、廃病院の階段の多さを思い出し、ため息をついた。それと同時に、急に足が重くなった気がした。
「オレ、記者向いてないわ」
歩いているうちに気づいたが、今回は前のように、近所の子供達の姿が見当たらない。
「そっか。前は聞き込みしてたからな。まだ下校時間じゃないな」
腕時計で時間を確認しつつ、「まあいいか」と、少し急ぎ足で廃病院へ向かった。行くと、場所が場所だからか、時間的なせいだからか、前には気づかなかったが、辺りにあまり人影は見当たらない。
なるほど、子供達がこんな危険な場所に、簡単に入り込めるわけだ。
PTAとか自治体とか何やってんだ?
立入り禁止の張り紙など、子供が守るわけないだろう。
「さて、ニコさん、まだいるかな?」
ちょっと恥ずかしくて気が引けたが、玄関に入って上の方に声をかけようと、屋上を見上ると、抜けた天井から小さく青空が見えた。たかが8階の高さだが、そこまで登ると思うと、とても高い場所に思えてくる。
「さて……………」
一呼吸いれてから、声をかけようとすると同時、さっきの屋上の穴から何かが落ちてきた。パサッ、と軽い音をたてて関の足下に落ちたのは、確かニコさんが持っていたポシェットだった。妙に子供っぽい花飾りがついていたのを、よく覚えているが、そんなことより、
「………………………血か、コレ?」
そのポシェットに、ベットリと紅い血のようなモノがこびりついていた。
「え、え……………、まさかっ??? ニ、ニコさんっ!」
疲れのことも、階段の長さも忘れ、関は上階を目指して駆け出した。
前に来ていて、上階に登る階段を知っていたハズなのに、慌てて崩れている表の西階段を上りかけてしまいそうになり、慌てて裏側の階段で屋上を目指す。
息を切らせ、やっとの思いで上りきると、
「あ、あんた何を……………?」
そこには、先日2次会で会ったグラサン男が、ニコさんに馬乗りになり、抗う彼女にナイフを振り上げていた。
「ちっ!」
男は残念そうに舌打ちをし、一旦ニコさんから離れるや、ナイフを持ち直して関を威嚇した。関も慌てて鞄で防御の姿勢で構えると、
「うあああああっ!」
男はナイフを無茶苦茶に振り回し、関の鞄にいくつかの傷をつけると、
「くそっ、こんなハズじゃっ……………!」
不利と判断したのか、ナイフを捨てて階段を駆け下りて逃げて行った。
関はそれを追いかけようとしたが、襲われたニコさんは虫の息だ。
彼女をこのままにしてはおけない。
「くそっ! ニコさん、ニコさんっ!」
「………………………」
今まで笑顔しか見せなかった彼女が、苦悶の表情を浮かべている。
いや、それでも何故か無理に笑顔を作ろうとしているように見えた。
(い、いったい何故? 何故こんな状態でも???)
腹と胸を刺されているようで、今も血がドクドクと流れ出し、横たわる彼女のいる場所に血溜まりができていた。
関は男を追うのを諦め、携帯電話で救急車と警察を呼んだ。
彼が警察に電話したと察し、逃げて行った男は、慌てて途中から広い西階段の方へ走った。
西日が崩れた壁から射して、眩しくて足下がよく見えない状態で、崩れ落ちた西階段を駆け下りた男は、そのまま……………………………。
間もなくして、警察車両と救急車が到着した。階段から落ちた男は重傷を負ったが命には別状なしと、警官に連れられ、搬送されて行ったが、一方、ニコさんは出血も多く、一刻を争う状態である。
彼女の身内が分からないので、関は唯一の関係者であるという立場上、救急車に同乗して向かった先は、偶然にも同窓会で再会した内倉の病院だった。
急患のニコさんが運び込まれた手術室に、見知った秀才が、同窓会で見たのとは別人のような顔で入って行くのが見えた関は、彼女の容態が気になり、声をかけようとしたが、そこへ2人の刑事がやって来て彼を呼び止めた。50歳ほどの白髪の目立つ細身の男と、30歳前後くらいの無精髭が目立つ小太りの男である。
加藤と名乗った白髪の刑事が、訝しげな顔で関に聞いてきた。
被害者が若い女ホームレスだからか、少し戸惑っているようだ。
「失礼ですが、被害者の身内の方で?」
「いえ、私は…………………」
ニコさんの容態が気になるが、関はこれまでの経緯を刑事に話した。
「そうですか。では彼女の身元は何も?」
「いえ、ちょっと待ってください。襲われたとき、コレを拾いました」
と、あの血のついたポシェットを見せた。
もしかしたら、彼女の素性が分かる何かが入っているかもしれない。
個人の持ち物を勝手に開けるわけにもいかないが、今はそうも言ってられなかった。刑事達立ち会いでポシェットを開けると、中にあったのは本人のものと思われる貯金通帳と、ティッシュにハンカチ、それと、
「学生手帳……………?」
刑事達と顔を見合わせ、その手帳を開いてみると、学生証に1人の女学生の顔写真が貼られている。雰囲気はだいぶ違うが、間違いなくニコさん本人である。名前は…………、
「矢島アキ。これがニコさんの本名か。それで………………えっ?」
「どうかしました?」
「い、いや、これ現役の学生証ですよ。年代は今年になってる。ということはまだ16〜17歳ぃ?。痩せてやつれていたから、もう少し年上だと思ってた」
「まさか、高校生でホームレス? 住所はどこに?」
「M町です。彼女がいたS町から西に50㎞ほど行った………………そうか、だからいつも公園の丘やビルの屋上から西を、家があるM町の方を見てたんだ」
「とにかく学校の方に電話してみましょう。家族の方にも連絡ないと」
「そ、そうですね」
関はまだ驚きを隠せない顔で、学生証に記された、学校の電話番号を刑事に言った。
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