第3話 再会、日常

 また、夢の中にいた。

 ミヤコのいなくなってしまった日常をいつも通りに過ごして、いつも通りに眠ったらまたここに立っていた。

 何故だかわからない。これは、俺とミヤコの夢の中だけの世界ではなかったのか? 俺一人でも来れる夢なのか?


「お兄ちゃん」


 振り向いた。ミヤコの声だ。ミヤコがいるのか?


「やっほー」

「ミヤコ…?」


 ミヤコだった。ミヤコがいた。でも信じられなかった。何故ここにいるんだ?


「ミヤコ、あの女の子はどうなったんだ? お前は無事なのか?」


 俺は興奮して、ミヤコに詰め寄った。


「まぁまぁ、落ち着きなよお兄ちゃん」

「……?」


 ミヤコはどこか雰囲気が違っていた。何と言うか、妙に落ち着いる。


「うん、そうだね。まず最初に言うと、私は死んでいます」


 呆気からんという風にミヤコは言った。わかっていた事だが、知らされるとやはり気が重くなる。


「でも、昨日と一昨日お兄ちゃんと過ごした私は生きています」

「え?」


 何を言っているんだ? 死んでいると言ったり、生きていると言ったり。どっちなんだ?


「私はね、死んだほうのミヤコ。お兄ちゃんと同じ様に過ごして、女の子を庇って死んだほうのミヤコ」

「……死んだほうの…ミヤコ?」

「そそ。んで、この夢の中でお兄ちゃんと過ごしてきたほうの私は、お兄ちゃんの忠告を聞いて、女の子が横断歩道に出ないようにしたの。それで信号無視のトラックは、女の子も私も撥ねないで通り過ぎていったの」

「そうか…。良かった…」


 生きていた。ミヤコは、生きていてくれた。どうしようもなく嬉しくなって、涙が出そうになった。


「うん。よかったよかった。これで未練も何もなくなっちゃたよ」

「…未練?」


 そういえば、ミヤコが生きていてくれたのが嬉しくて思考から外れていたが、目の前にいるミヤコは、自分が死んでいると言った。死んでいる? どういうことだ、そんなのおかしいじゃないか。死んでいるのなら、どうして目の前にミヤコがいるんだ?


「お兄ちゃんさ、こんな事って普通に考えたら、ありえないよね。夢の中で過去の私と繋がってるなんて、そんな馬鹿みたいなこと、起こるわけないよね」

「…まぁ、そうだな」


 奇跡だと、昨日のミヤコは言った。こんな事が起こる事自体が、すごい奇跡なのだと。


「なぁに? その煮え切らない答え。もうちょっとメルヘンチックなこと考えたり、言ったりできないの?」


 小さく笑いながらミヤコは言った。こんな時に、メルヘンチックな事なんて考えられない。


「…これはね、この夢はね、私が造ったんだよ。私が、どうしてもお兄ちゃんといたいって、ずっと一緒にいたいって思ってたら、いつの間にかお兄ちゃんを引き込んでた…。自分でこんなことしといてなんだけどさ、私自身、こんなこと信じられなかった。過去の私も入ってきて、お兄ちゃんと楽しそうに話してたし。ビックリしたよ。お兄ちゃん、いきなり抱きついてるんだもん。ついでに見つめ合っちゃったりしてさ。おかしな話だけど、自分相手に嫉妬してたよ。ずるいって」

「………………」


 何も言えなかった。自分の思考が上手く着いていかなかった。

 淡々と、俺の反応など待たずに話を進めていっていた。

 ミヤコは……何を言っているんだ?


「昨日と一昨日、紅茶入れた後振り向いてたよね。私、ちゃんと隠れてたかな?」

「………………」


 紅茶を入れた後…。そうか、あれはやっぱりミヤコだったのか…。


「私の事、好きだって言ってくれた事、すごく嬉しかった。これ以外なにもいらないって思った。でも…でもね、聞けば聞くほど悲しくなっちゃった。もう、私は聞けないんだって…。聞く事ができなくなるんだって……」


 都は顔を伏せていた。たぶん、悲しそうな顔をしているんだろう。胸の奥が痛んで、その顔を見る事は出来ない。


「ねぇ、お兄ちゃん。私は…死んじゃった私は、もう行かないといけない…。お兄ちゃんの側にはいられない…。どんどん悲しいくなっちゃうから、…どんどん離れたくなくなるから……」

「………………」


 何も…言えない。

 何も…言ってやれない。


「こんなこと、お兄ちゃんに言っても仕方ないよね…。でも、最後だから…。ホントに私は最後だから…。…抱き締めて」

「……あぁ」


 手を広げ、ミヤコを包み込んだ。昨日と同じ感触が腕の中にあった。


「…あったかい」

「………………」


 ギュッと、力強く抱き締めた。

 そして、ミヤコは言う。


「ねぇ、お兄ちゃん。この夢の中の記憶は全部消えちゃうんだ。もちろん、昨日までいた私もね。それに、それだけじゃなくて、私は死んでないことになってるから、私が死んでからの日常もやり直し。お兄ちゃんが目覚めた時には、ホントにいつも通りの日常があるんだよ」


 記憶が消える。全て元通りになる。ミヤコはそう言った。でもそれは、今ここにいるミヤコがいなくなるという事だ。


「嫌だ。忘れたくなんかない。俺は、今ここにいるミヤコを…忘れたくなんかない……!」

「わかってほしいなんて言わないよ。でも、お兄ちゃんが死んでしまった私の事を、ずっと抱えて生きていてほしくない。夢から覚めたとき、そこにいる私に遠慮してほしくない」

「………………」

「だから、私は…ここまででいい。私は消える。お兄ちゃんが目覚めたとき、私に何の迷いもなく接してほしい。私は…これで満足だから」


 落ち着いた声で、満足げにミヤコは言った。


「……ミヤコ」

「なに?」

「直接おまえには言ってなかったな」


 昨日のミヤコには言った。でも、今日のミヤコにはまだ言っていない。


「俺は、ミヤコが大好きだ」

「……っ……っ…」


 ミヤコは声を上げずに俺の胸の中で泣いた。小さく肩を震わせて、鼻を啜って。


「…お兄ちゃんの…、紅茶…飲みた…い……な」


 喉をしゃくり上げ、つっかえながらミヤコは言った。


「…何が飲みたい?」


 俺の問いに、涙で濡れた顔を上げて、不器用に笑って答えた。


「ダー…ジリン……」


   ◆◇◆


 目覚ましのベルがけたたましく鳴り響き、朝を告げる。時計の針を見ると午前七時を少し回ったところだった。

 何故かわからないが、目覚ましを止めてもなかなか起き上がれる気になれなかった。

 昨日は早目に寝たのに、体がだるくて仕方がない。寝すぎた所為だろうか?


「お兄ちゃーん。いつまで寝てんのぉ? 早く紅茶入れてくれないといつもの調子出ないんだから、早く入れてよぉ」


 ミヤコが部屋のドアを開け、入ってきた。いつも入るなといっているのに、この調子だ。お前は母さんかっての。


「………………」

「ちょっと、聞いてるの?」

「ん、あぁ」


 どうしてだろう。ミヤコを見ていると、胸が痛んだ。


「ミヤコ」

「なに?」

「ちょっとこっち来い」


 手招きをして部屋に入れる。


「どうしたの? いつもなら入ってくるなって文句言うのに…って、うわっ!?」


 抱き締めた。ギュッと力強く。


「ちょ…く、苦しいって…。て、ていうか何してんのよ…恥ずかしいじゃない…」


 胸の中にすっぽりと入るミヤコは、温かかった。


「変だな。最近お前を抱きしめる事なんてなかったのに、妙に慣れた感じがする…」

「…うん。なんでかわかんないけど、私もそんな感じがする。」


 ミヤコは大人しく俺の胸の中にいた。なんだかどこかに行ってしまいそうな気がして、なかなか手を離せない。


「…あれ?」


 気がつけば、涙が出ていた。何故かわからない。止めようとしても止まらない。絶えず、溢れてきた。


「お兄ちゃん、泣いてるの…?」

「そう言うお前だって、泣いてるんじゃないのか?」


 抱いている感触でわかる。ミヤコも、俺と同じように泣いていた。


「なんでかな? 悲しい事なんてないのに…。いつも通りの日なのに…」

「あぁ、そうだな」


 いつも通り。それが今は愛おしく思えた。どうしようもなく、嬉しかった。



「えらく長い事、時間がかかってたな。何してたんだ?」


 一階へ下りてくるなり、親父が言った。


「別に。ちょっと体がだるかっただけだよ。紅茶入れないと父さんも一日が始まらないって口かい?」

「む、ミヤコが言ったのか?」


 親父がミヤコを睨む。


「い、言ってない言ってない。朝から睨んでこないでよ。お父さん、顔怖いんだから」

「こ、怖いって…」


 落ち込む親父。こう見えて、親父はガラスのハートなのだ。


「それよりさ、お兄ちゃん紅茶早く入れてよ。もう待ちくたびれちゃったよ」

「あぁ、わかったわかった」


 ヤカンで湯を沸かし、戸棚からティーセットを取り出す。


「どの種類がいい?」


 紅茶を入れる時、種類を家族に聞く事はあまりなかったが、何故か今日は聞いていた。


「え~っと、ダージリン」


 ミヤコが一番にそう言った。


「おう」


 返事をして、ダージリンのリーフが入っている缶を開いた。


「ん?」


 ダージリンの葉は、この前見たときより少し減っているように見えた。

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ダージリン~上手な紅茶の入れ方~ 睦月むいか @muika_mutuki

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