錆びたギターを鳴らすには
恒石涼平
プロローグ
Track.01 運命の歯車
午前六時半。充電ケーブルが挿したまま枕元に置かれているスマートフォンから、目覚ましのアラームに設定した音楽が部屋に鳴り響く。俺の地元である神戸で活動しているとあるバンドの楽曲。激しさを含めながらもトリッキーなバンドサウンドと何度も繰り返して頭に刻み込まれるフレーズたちが、眠っている俺の頭を覚ましていく。何も変わらない、いつもの朝が始まる。
「いただきます」
目玉焼きを乗せたトーストという猿でも出来そうな簡単な朝食を、スマートフォンでニュースを眺めながらとっていく。政治、世界情勢、経済、芸能界、そしてゲームやアニメの記事。高校時代の友人に勧められたことでゲームをプレイしたり、アニメを録画して観ることは今でも継続している。会社の疲れを取る方法の一つとして、現実逃避は実に素晴らしいものだった。それに部下の中にも所謂オタクがいるので、話題が尽きないことも嬉しいポイントだ。
「ごちそうさま」
朝食のあと歯磨きをして、三年もすれば嫌でも着慣れてきたスーツに着替えていく。今は七月、スマートフォンで確認した最高気温は三十一度。クールビズという制度に心底感謝をしながらエアコンを切った後、鞄を持って玄関へと向かう。扉を開ければそこは、道路上の景色が歪むような暑さ。待ってましたと言わんばかりに額から鼻へと伝ってくる汗をハンドタオルで拭いて、しっかりと戸締りをする。そのままドアノブを動かして施錠を確認した後、俺は駅へと歩き出した。
「次は、東池袋。東池袋」
住んでいるマンションから歩いて二十分の練馬駅から西武秩父線に乗って、六駅もすれば勤め先のある東池袋駅に着く。これだけいい立地の賃貸を見つけられたこともあり、家賃も東京都内では安い六万五千円のワンルーム。給料もリーダーに昇格してからアップして、節制した生活を送ったことで今では貯金も五十万くらい。趣味もゲームくらいでアニメグッズは偶に買うだけだったので、あまり意識しなくとも出費は少なかった。今日で俺の班が行っているプロジェクトも一段落するので、偶には部下たちを連れて飲みにでも行こう。
「――勿論、俺の奢りでだ」
「さすがリーダー!」
「リーダー、ごちになります!」
「猪名川リーダーありがとうございます」
「さすが颯太さん!太っ腹ですね!」
出社してきた部下が揃ったとき、士気を上げるためにも今日飲みに行くことを宣言しておいた。俺の思った通りに全員がやる気に満ちているが、既に何人か飲みの方に意識がいっているので注意しておく。
「まだ仕事は始まってすらないからな。とりあえず決めてる目標の所まで頑張ろうか」
「はい!」
「分かりましたリーダー!」
「承知しました、猪名川リーダー」
「分かりました颯太さん!」
相変わらず扱い易い部下で助かるな。その代わり大きいミス等が発覚したときは落ち込みようが半端じゃないが、連帯感もあるのでその際は助け合いの精神で何とかなっている。部下の入社時はまだ余所余所しかったが、大学生のときにバンドで行った方法が役に立った。これが簡単な方法で、休日の日に全員で何度か遊びに行ったのだ。ショッピングモールから遊園地まで、様々な場所に俺の実費で連れて行って交流したため、お互いのことをよく知って仲間意識が生まれている。少し自分の財布が薄くなってしまったが、元々あまり使っていなかったので社会への還元と思うことにしている。そうして今日も何事もなく終業時間を迎える前に仕事を終え、部下を引き連れて行きつけの居酒屋で飲むのだった。
「リィダァ、もう一軒行きましょうよぉ~」
「いいからタクシー乗れって、すまんこいつの後は頼むわ」
「はい、猪名川リーダー」
「颯太さん駅まで一緒に行きましょ~」
「リーダー、お供します」
「ああ、おい朝来。しっかり立てよ」
「颯太さぁん。名前で呼んでくださいよぉ~」
「あほか。ほら肩支えてやるから、セクハラで訴えんなよ」
「えへへ~」
「じゃあリーダー、朝来はお願いしますね」
「お前も手伝ってくれよ」
「いやぁ、僕力強くないので」
「体鍛えようぜ、お前の好きなアニメの主人公みたいに」
「アニメはアニメですから」
「そうかい」
一番慕ってくれている部下の
サラリーマンとキャッチの波を潜り抜け、駅前へとやってきたときにふと耳へと綺麗な女の人の歌声が入ってきた。伴奏には下手くそなアコースティックギター、簡単に言えばボディの中の空洞で音を共鳴させるギターを支えるように、カホンというペルー発祥の木箱のようなものに座って箱を叩く打楽器のリズムが刻まれている。ギターは微妙だが歌は上手いなと思っていると、いつの間にか俺の足はその音の元へと向いていた。
見た感じ大学生か高校生辺りだろうか。そんな女の子の二人組が駅の壁を背にして演奏していた。幸いにも定時で会社を出てから飲んでいたので、時刻はまだ九時であり補導の対象にはならないだろう。しかし、全体の完成度はそう高くはないものの、この二人には惹かれるものがあった。
恐らく電池式で、音を大きくして観客に聴こえやすくするアンプという機材に繋がっているアコースティックギター、通称エレアコを手にマイクを通さない生声で歌っている女の子。少し小さい身長にロングの黒髪で丸っこい目をしていて、アイドルのような顔立ちをしている。その容姿から繰り出される声は意外にも張りがあって、何かを訴えるような力強さを持っている。
そしてその子の隣りでカホンを叩いているのは短い茶髪で、まるで寝癖のようにあちらこちらへ髪が跳ねている女の子。ギターの子はそこまで膨らみが無いが、こちらの子は随分と大きなものをお持ちのようで。何がとは言わないが。その大きな膨らみを豊かに揺らしながらカホンを叩いているが、リズムはとてもしっかりとしていて曲としての土台を担えている。ギターの子が少し走り気味になっても、まるで諭すようにリズムでテンポを落とすように誘導する。かなり有能なパーカッションだと感じた。
そんな二人の弾き語りは四曲で終わりを迎えた。どれもテレビで聴いたことのあるような有名な邦楽だったので、中々聴き応えがあり夢中になって聴いてしまっていた。それを証明するように、二人の周りにはかなりの人数が集まっている。だが女の子が多いのを見て、友達を呼んでいるのかもしれないなと邪推してしまう。まぁサクラは大事だからな。何はともあれ、また聴きたいなと思えるような演奏だった。
「よかったよ。素晴らしかった、ありがとう」
どうやら弾き語りは全部で四曲だったようで、俺が来たときが丁度始めた瞬間だったらしい。なので必然的に最前に立っていた俺は、二人へと感謝の言葉を投げかけていた。
「あ、ありがとうございます!」
「ありがとう」
ギターの女の子は丁寧に、カホンの女の子は寡黙ながらもとっつき易いような返事を笑顔でしてくれた。今日はプロジェクトも一段落したし、いい歌は聴けたし、いいこと尽くめだな。二人の笑顔を見て、きっとこれからも楽しくライブをしてくれることだろうと思った俺は、寝息を立て始めた朝来を起こして改札へと歩いていった。
「……ねぇ、やーちゃん。あの人」
「どうしたの?
「ほら、あの時の」
「えっ!?嘘、もう行っちゃった!?」
「うん、でも飲んだ帰りみたい、また会えるよ」
「そう、だよね!よし、じゃあまた明日も弾き語りしよう!」
「明日は無理、昨日言った」
「あはは、ごめんごめん。忘れてたよ」
「じゃあ帰ろ」
「うん。……また、会えるよね?」
そうして眠らない街、東京の夜は過ぎていく。雑踏と電車が生み出す轟音の中に、回りだした歯車。
彼と彼女たちが紡ぐ音は、今日この時間この場所から鳴りだしたのだった。
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