第二章 魔石と代償_1

第二章 魔石と代償




 翌朝、おりかぎが開く音で目が覚めた。とびらを開けたのはルクレーシャスだった。

「これを身に着ければ出してやる」

 そう言うルクレーシャスにわたされたのは黒い鉄のチョーカーだった。

 ルクレーシャスもつけている。このチョーカーは私が魔石からあくえいきようを受けないようにする為のものだから、大人しくチョーカーをつけ、檻から出てびをした。

「ルビーちゃんたちに会いに行ってもいい?」

「その前に朝食会に出て欲しい。じゆつたちにおまえの顔を覚えさせたい。それに……妖精たちは昨晩おどり明かしてしまったらしい。歓迎会の準備が進まなかったとなげいていたから、行くのは後にしておけ。ひるごろには準備も終えるだろう」

 どうして魔術師たちに顔を見せなければならないのかはわからないけれど、朝食をもらえるのならありがたい。その後、歓迎会に参加してから、一度家に戻って頭の中を整理したい。

(トピのこと……それに、私の中にある魔石のこと)

 地下室から階段を上がりつつ、かみの毛を整える。ろうを歩きながら服のしわのチェックをしていると、ルクレーシャスが不意に言った。

「顔見せを済ませたらしばらく自由時間をやる」

「え? しばらくって──」

「さあ、中へ入れ」

 ルクレーシャスがを言わさず中へ入るよううながす。開いた扉の向こうには、長いテーブルがあり、その左右には四人の黒いローブ姿の男たちが座っていた。大きな眼鏡めがねをかけている細い男、頭をったいかつい男、立派な金色のくちひげたくわえたそうねんの男──昨日見た目つきの悪い赤髪の男、アーロンの姿もある。

「妖精に特に気に入られている特別な魔術師のみがここにいる。ここにいる者たちが魔術協会を運営している」

「どうしてみんな真っ黒なの?……ここのドレスコード?」

「魔術師は黒い服を着用することを義務付けられているんだ」

「え!? 私もずっとそんなかつこうをしなきゃいけないの!?」

「マグネス王国にかんされた魔術師に師事するか、あるいはマグネス王国の魔術関連蔵書の貸し出し手続きでも取らない限り、マグネス王国はおまえの存在を感知はしない。だから気にするな。有事に戦争にり出されたくなければ、魔術が使えるなどと、決して口にするなよ」

「わ、わかったわ」

 何を言われているかよくわからなかったけれど、余計なことを何もしなければいいことはわかった。魔術師は戦争では役に立たないとされたはずなのに、管理されているのが不思議な話だと思った。しかも、管理者はマグネス王国のようだった。

 ルクレーシャスが引いてくれたに座る。ルクレーシャスは上座に座った。

 私、魔術師たちにすごく見られてる気がする。

 何か疑われているのかもしれない。それとも、檻の中に一晩閉じ込められていたのを気の毒だと同情しているのだろうか。もしかすると、髪の毛が思い切りはねてる?

 彼らはルクレーシャスの言葉を待っていた。私もそわそわしつつ、言葉を待った。ルクレーシャスはやがて口火を切った。

「報告がある。ここにいるリンジー・マキンを一時我ら魔術協会の保護下に置くことにした」

「え!? どうして?」

 当の私がさけぶと、魔術師たちにじろりとにらまれた。きゆうをしてくれていた妖精がくすくす笑いながら私のお皿に多めにプディングを盛り付けてくれる。

 ルクレーシャスが横目で私をえながら言った。

「ここを出て異常を起こした時にどうするつもりだ? 対処法など知らないだろう。チョーカーはあくまで応急的な処置にすぎない」

「……そうよね。それで歓迎会なのね」

 妖精たちは、私がこれからこの魔術協会で世話になることを知っていたのだろう。

 ルクレーシャスにぴしゃりと言われて考えなしの自分に落ち込んでいると、果物の皿を持ってきた妖精が私の皿にいろんな種類の果物を盛り付け、なぐさめるように私のまえがみをそっとでた。

 魔術師たちとルクレーシャスは話を再開した。まず、魔術師の一人がねんを口にした。

「──機密ろうえいの危険があるのではありませんか?」

「危険はある。だが現在、彼女が俺にとって機密そのものだ。必ず研究しなければならない」

「き、機密? 研究?」

「……いはしないと約束する。おまえの為の研究でもある。体内から魔石を取り出すための研究なのだから」

 研究と言われてトピの言葉を思い出した。物のようにあつかわれ、利用されるとけいかいしていた。

 けれど、ルビーちゃんはルクレーシャスならだいじようだと言っていた。いやなら協力ようせいを断ることもできるらしい。

 ただ、現時点で、人間では体内にある魔石を取り出すことができないという。

 それを可能にする為の研究だというのなら、それは今私が必要としている研究だった。何か協力できることがあるのならしたいし、研究を進めて欲しい。

「研究、か」

 ルクレーシャスの言葉を聞いて、アーロンはほおづえきつつ難しげに顔をゆがめた。

「昨晩彼女をしきめたのはきんきゆうてきとして仕方ないと思う。泊めた場所も檻だしな。だけどよ、原則としてこの屋敷ではお客人のたいざいきよするって話になってたはずだろう? 魔術協会のほつそく早々、この原則を破ることになるじゃないか」

「アーロンさんの言う通りだ」

 眼鏡の男がそう言うと、みんな一様にうなずいた。

「なあ、ルクレーシャス。何もかもこれから始まるんだ。これが先例になったら、何かといんねんを付けられて、やつかいなやつらに居座られることになるんじゃないか?」

「アーロンは反対というわけか」

 ルクレーシャスに言われると、アーロンは少しどうようした様子で首をった。

「オレがルクレーシャスに反対するなんてそんなことがあるわけないだろ? だけどオレはおまえのことを心配していて、おまえの為にどれだけちっぽけな可能性だろうと危険の芽はんでおきたいと思ってるんだよ」

「ああ……わかったわかった」

「本当にわかってるか?」

 おざなりな口調で言うルクレーシャスを、アーロンは目つきの悪い目でぎろりと睨んで立ち上がった。机の上にダンッと手をついて、身を乗り出す。

 横にいた立派な口髭を蓄えている男が「これは長くなるぞ……」とボソッとつぶやいた。

「オレは言ったよな? 今回のそうどうにはおまえはいつさいかかわらないようにって。何か起きたらすぐに屋敷にもどってもって出てくるなって。それなのにおまえ出歩いていたよな? ようせいの買い付けしてたよな? 報告を受けた時オレがどんな気持ちだったかおまえにわかるか? え?」

 ルクレーシャスが親指でけんをぐっと押してこらえるような顔をしている。

 ほかの三人も台風が過ぎるのを待つみたいにしんみような顔をしてじっとしている。

 アーロンは、目つきは悪いけれど、まるでルクレーシャスを心配する母親のようだった。その想像がおかしくて、思わず「ぷ」とき出してしまった。そうしたら私までアーロンに睨まれた。本当に目つきが悪い母親だ。

「オレはルクレーシャスが望むなら、いくらでもその女を研究すればいいと思ってる。だが……やり方を考えろ」

 フンッと鼻を鳴らすと、アーロンは椅子に座った。ややあって、ルクレーシャスは改めて口を開いた。

「……それでは、彼女を魔術師とするなら? 魔術師のしようごうを受ける条件を、リンジー・マキンは満たしている」

「妖精から魔石をもらうって条件は、確かに満たしてる。だがそれこそしき先例になるぞ。魔術協会に加入し、魔術師として認められた人間の権利は優先して守られるってじようこうに反することになる。この先、マグネス王国がしゃしゃり出てきて、じゆつ協会がかんしようをはねつけられなくなった時、魔術師である女を研究したという先例はオレたちを苦しめることになるぞ。オレたち魔術師から権利をうばい、妖精と同じように実験動物扱いするだろう。ちがいなくマグネス王国の研究者どもはそうする!」

「やつらは確かに、そう考えるだろうな」

「あまりやりたくないが、特例を作るか……あるいは初めからいなかったことにするか」

「よせ、アーロン」

 ルクレーシャスが私をづかうように見やりながら言うから、初めてアーロンが存在を消すという意味で言っていると気がついた。アーロンという男の過激な言葉に私はぜんとした。

「私が聞いてるって、わかっていて言ってるの?」

「わかっているさ。かくれてかげで言われるよりはすっきりするだろ?」

 にやりと嫌なみをかべてみせたアーロンが、次のしゆんかん「いてっ」と言って耳を押さえた。

 小さなてのひらサイズの妖精がアーロンの耳を引っ張ったらしい。ピースサインを出してくる妖精に、私も感謝を込めてサインを返した。

 アーロンが耳を押さえながら、妖精を睨みつつ言った。

「妖精と仲がいいんなら、妖精に準じる扱いっていうのはどうだ?」

 耳を押さえながら言うアーロンの言葉に、特に反論はあがらなかった。

「それってどういう扱いなの?」

 私がアーロンに問いかけると、彼はすんなりと教えてくれた。

「……かくするがこうそくはせず、げられた場合にはあきらめる、だな」

「それっていいの? 悪いの?」

「危害は加えないさ。逃げたければ逃げるがいい。だが何の発言権もない。権利もない」

「えーと、発言権と権利っていうのは」

「組織の運営には関われないってことだ。人権は尊重するさ。オレたちにゆうがある限りは」

 不安なことを言われたけれど、見えるところにいる妖精はみんな私を安心させるかのように頷いてみせた。妖精である彼らが頷くのなら、大丈夫なのかもしれない。

「──それでは、リンジー・マキンは妖精に準じる扱いとする」

 ルクレーシャスの宣言で、私はこの魔術協会の屋敷に滞在することが決まったらしい。

 その瞬間、食堂にいる妖精たちが私をかんげいするように飛んできたり、駆け寄ってきたりして、私はもみくちゃにされてしまった。

「じゃ、ゆうかいされた例の妖精については──午後の昼食会で話すか」

 私はきついてくる子供姿の妖精や、トンボぐらいの大きさの妖精に押しつぶされないように必死だった。だから、アーロンの言葉はとても気になったけれど、どういう意味を持つのか、聞き返すことができなかった。



 私はこの屋敷の二階にあるしんしつの一つに滞在することになった。階段を上がってすぐ左手にある寝室だ。その奥には左右にいくつかのとびらがあり、一番奥の左手の部屋がルクレーシャスの私室で、それ以外の部屋は物置や研究室になっているらしい。

 ルクレーシャスは魔術師たちと場所を移して会議をするということで、私を二階の部屋に案内すると「他の部屋には決して入るな」と言いおいて一階に戻ってしまった。

 二階は基本的に他の魔術師たちは立ち入り禁止だそうだけれど、妖精は好き勝手にろうやバルコニーに出入りしていた。けれど、妖精たちもルクレーシャスたちが入るなと言う部屋には入ろうとはしない。私がちょっと奥の廊下をのぞこうとしただけで、「あっちは暗くて嫌なふん」と嫌そうな顔で止めようとしてきたから、私はすぐに自分の部屋に入った。

 私にあたえられた部屋は女性が使うために整えられていて、明るい雰囲気だった。おりはないから、私はもし体調がおかしくなったら地下室にある檻がある部屋に自ら移らなくてはならない。

 ルビーちゃんに「まだ歓迎会の準備ができてないから庭に来ちゃダメ!」と言われた私は、こっそり私の部屋のバルコニーから庭のだんを見下ろした。妖精たちがいそがしそうに動き回っている。ここからながめているのを見られたら、ルビーちゃんにおこられてしまうかもしれない。

「……ん?」

 自分がコソコソしていたからか、私と同じようにコソコソしている人たちを見つけた。

 庭のはしの方からしげみに隠れて──ゆっくりとルビーちゃんたちに近づこうとしている。

 二人いる。どちらも黒いローブ姿だけれど、魔術師ならコソコソせず、堂々としたらいい。

「まさか……妖精どろぼう?」

 そういう人たちがいるらしい。私はまさにそれで疑われた。

 どうしたらいいのか、私が考えている内に、向こうも私の存在に気づいた。

 茂みの陰から二人の男が出てきて、近くにいた妖精たちがおどろいたように逃げて行った。

 男の内の一人が私を指さしながら声を張り上げた。

「おまえ! そこで何をしている? 二階はルクレーシャス様の私的な空間だ! 立ち入りは禁じられている!」

「しーっ! 静かに!」

「女、一体何者だ!」

 さけんだのはきんぱつの青年だった。彼の後ろでおどおどしているのは三十代ぐらいの男だった。私がルビーちゃんに見つかるとヒヤヒヤしているのを、男たちは誤解したみたいだった。

「コソコソと、あやしいやつ! おまえ、妖精泥棒か!」

「そ、それは私のセリフだわ! あなたたちだってコソコソしてたじゃない!」

「──あの女を引きずりおろせ、アドニス!」

 金髪の青年が問答無用で命じると、その後ろにいた三十代ぐらいの男が進み出てきて手を振った。すると、バルコニーのらんかんに置いていた手に、風を感じた。

「え──?」

 手がすべった。身体からだが勢いよく前のめりにぐらっとかたむく。男に言い返す為に身を乗り出していたせいだ。つま先立ちしていた足ではん張れない。

 頭から落ちそうになった私は、どうやら私が手を滑らせる原因を作った三十代ぐらいの男と目が合った。あわてた顔で私の落下地点まで走り寄ろうとしている。ひょろりとしていてとても私の身体を受け止められそうにない。

(──もうダメ、ぶつかる!)

 ぎゅっと目を閉じた。けれどその瞬間、さきほどバルコニーで感じたのとは比べものにならないほど強い風を感じた。身体の内側からふわりと温かさが広がり、花弁のように軽くなるようなゆうかんもあった。

「……わあ」

 目を開いたら、下からき上がる風にい上がった、赤や白のなめらかな花びらがあった。無数の花びらは一度天に向かってから、やわらかく雨のように地面へ降っていく。

 私はその花びらの一つのように、ゼリーになった空気の中をもぐるようにゆっくりと降下していった。ふくらんだスカートはかさのようになっていた。めくりあがらないのはこの現象を起こしている妖精のはいりよかもしれない。

 天地も関係なくなるような夢のような感覚。あまりに現実ばなれした光景が楽しすぎて目がくらんだ。幸福感に包まれながら、私は茂みに目をやった。

 そこにはルビーちゃんが立っていた。ルビーちゃんが私に向けた手をにぎると、私はゆっくりと着地することができた。

「危なかったわ……ありがとうルビーちゃん」

「──な、何がありがとうだ! そこの妖精、さっさと逃げるんだ!」

 ルビーちゃんは潜っていた茂みからい出して、逃げるよううながす男をいやそうに見ると、私の後ろにきてそっと隠れた。

「……あなたこそ、どっかに行っちゃえばいいのに」

「なんだと!?」

「何度ここに来たって、わたしはあなたに魔石はあげない。あなたきらい」

「この間は人間に興味がないと!」

「今、嫌いになったわ。リンジーを傷つけようとした」

 そう言ってルビーちゃんは私を見てにっこりと笑った。

「おはよ、リンジー!……ちょうど準備ができたところなの。いつしよに歌っておどろう!」

 ルビーちゃんが私の手を取ると、金髪の男は青い目を見開きどうようを見せた。

 落ち着いて見ると、少しやつれているけれど整った顔立ちの育ちのよさそうな青年だった。

何故なぜようせいがおまえのような女を──ありえない! おまえが妖精をたぶらかしたと、ルクレーシャス様にお伝えする!」

 そう言うと、金髪の男はローブをひるがえして立ち去った。

 後に残されたのは、私を落としておいて私を受け止めるためにけ寄って──勝手にこしかした三十代ぐらいの男だった。

 置いていかれた男は、灰色の目を見開いて私たちを見ていた。

「あの……だいじよう? さっきからしりもちをついたままだけど、もしかして立てない?」

「さっさとどっか行ってよ!」

 ルビーちゃんが叫ぶと、男は座り込んだまま頭を下げた。

「も、申し訳ありません……妖精泥棒ではなかったのですね」

 すまなそうに見上げられて、私は少しりゆういんが下がった。

 ひとまず、私は彼に手を貸して立ち上がらせてあげた。

「妖精泥棒ではないわ。でも、疑われるのに慣れてきたわよ。昨日から二回目だもの」

「……妖精はねらわれる存在なので、いくらけいかいしても足りるということはないのでしょう」

 そう言って、男は私の腰にしがみついているルビーちゃんを見た。

 ルビーちゃんは嫌そうな顔をして身を引いた。

「やめて、そんな暗い目でわたしを見ないで!」

「ああ、それは、申し訳ありません。……ええと、妖精は人間の感情をきようれつに受け取ってしまうので、暗い感情を向けられるのをひどく嫌うらしいのですよ」

 私がよくわかっていない顔をしていたのかもしれない。私を見て、男が説明してくれた。

「妖精はむき出しの心そのままのような生き物。その心のかけらを借りてじゆつを用いるのが私たち魔術師で──あなたも魔術師なのでしょうか?」

「ううん、そういうわけじゃないんだけど。色々あってここにいるのよ」

 魔石をもらったからといって、それだけで魔術師になれるわけではないだろう。

 その資格のいつたんは持っているのかもしれない。けれど、魔術師がどういうものなのかもよくわからない私には、あいまいに答えることしかできなかった。

「そうですか。……あなたは妖精にしたわれているようだ。明るい方なんですね」

 男がおだやかな顔をしてそんなことを言うから、私は照れてしまった。

「あ、ありがとう……私はリンジー・マキンって言うの。あなたは?」

「私はアドニス・ラブキンと申します。先ほどは申し訳ありません。彼──ナリサス様に命じられては断れなくて」

 叫んでいた金髪の男のことだろう。この男より若いのに、たけだかに命じていた。

「アドニスさんよりずっと年下みたいなのに、とてもえらそうに命令していたわね」

「出自をかくしていらっしゃるのではっきりとお教えできないのですが、あの方は高貴な血筋の方なのです」

 そう言って、アドニスさんは目をせた。

「本当に、心から申し訳なく思っております。はしていませんか? 私は医者でもありますので、痛むところがあればさせていただきます」

 罪悪感に打ちふるえているアドニスさんを見て、私は驚いて言った。

「あの、大丈夫よ! 気にしないで。おもしろい体験ができたし……ねえ、ルビーちゃん」

 私が助け船を求めてルビーちゃんの名前を呼ぶと、アドニスさんは目を丸くした。

「ルビー? その妖精には名前はないと聞きましたが……」

「リンジーがつけてくれたの! いい名前でしょ?」

 うれしそうに宙でくるりと回ってみせるルビーちゃんに、アドニスさんはたんそくした。

「それは……すごいですね。妖精が名前を付けさせるなんて。ルクレーシャス様ですら成しげたことのないことですよ」

 そういえば、ルビーちゃんは長生きしているという話だった。けれどこれまで名前はなかったという。思わずルビーちゃんを見やると、ルビーちゃんは舌打ちしかねない顔をして言った。

「だってあの男、暗いんだもん。暗い考えがいっぱいまってる頭で名前を考えられたくない」

「それでも、彼はとても妖精に好かれているのですから、すごい方です」

「全然好きじゃないわ」

 アドニスさんの言葉をルビーちゃんはきっぱりと否定した。

 アドニスさんはそんなルビーちゃんの言葉にしようした。二人が反対のことを言っているから、私は首をかしげて聞いた。

「どっちなの?」

「リンジーさん、昔あの方が好かれていたのは事実だと思いますよ。当時の彼がどんな性格だったのかはわかりませんが──十年前には、妖精たちがこぞって命をなげうってでも助けたいと思うほど、彼は愛されていたんですよ」

「命を……?」

 十年前というと、マグネス王国との戦争が起きた時だろう。

 私は当時六歳。ルクレーシャスは見た目のねんれいからして、当時、十代前半ぐらいだと思う。

 戦争に巻き込まれたのかわからないけれど、命を擲つほど助けたいと思われるだなんて、確かにものすごく好かれていたとしか思えない。

 ルビーちゃんはくちびるとがらせて言った。

「そもそも、どうしてだいな妖精たちが彼を好きになったのかがわからないわ。妖精界最大のなぞのひとつね! だけど、妖精たちが命をついやすほどの人間なんだもん! どうして命をかけたのかは知らないけど、わたしだって従わなくちゃって思っちゃうの! 本当は嫌よ!」

「命を費やす? 本当に命をかけたの? じゃなくて?」

「そうよ。彼のために大勢の妖精が死んじゃった」

 私は息をんだ。ルクレーシャスが妖精を助けるために活動している理由の一端を知った気がする。そして、ルビーちゃんがルクレーシャスを嫌ってしまう理由も。

 アドニスさんは穏やかな顔つきのまま、ささやくように言った。

「十年前のあの戦争が、彼を変えてしまったのでしょうね」

「どうでもいい。リンジー! それじゃさっそく、楽しいパーティを始めましょ!」

 ルビーちゃんにうでを引かれて、アドニスさんの言葉の意味を聞きたかったけれど、追えなかった。にこにこしているルビーちゃんの手をはらうことなんてできない。花畑の真ん中に連れて行かれ、小さい妖精たちが四ひきがかりで持ってきた白いサンザシのはなかんむりかぶせられる。

「ようこそリンジー! あなたのおかげでこれだけたくさんの妖精が自由になれたの! しゃべれる妖精は自分でお礼を言うだろうから、まだしゃべれない妖精の代わりにわたしが言うね。本当にありがとう!」

「うん──どういたしまして、ルビーちゃん。それにありがとう、みんな!」

 気になることはたくさんあったけれど、今は私をかんげいしてくれる妖精たちの気持ちをちゃんと受け止めることにした。

 花畑の真ん中で踊っていた妖精たちが、バグパイプの演奏が一段落したところで私とルビーちゃんにたいゆずってくれた。私はサークルの真ん中で、楽しげな音楽に耳をかたむけ、ルビーちゃんといつしよおどり出した。

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