第一章 魔術師と妖精_2
解放された私は
誰もいないのを
ポケットの上から石の存在は確認できた。欠けていないか──見ようとしてポケットに手を
「え、きゃっ」
ポケットの中の石──魔石が、温かくなっていたのだ。慌てて手を引いたけれど、掌に感じる温かさは変わらなかった。見れば、掌に魔石がくっついていた。
「え? 何? え?」
魔石が光りながらとろりと
どんどん私の
「な、なくなっちゃった……」
指先から血管を通って手首、そして腕や
目をぱちぱちと
「あ、預かってって言われたのに……魔石はどこに行ったの?」
「リンジー、今、何してたの?」
その背の
「ルビーちゃん! 今──」
「と、
もう
「あ、あれ? 疲れてない……?」
「じゃ、走って!」
「えーと、ルビーちゃんたちって英雄魔術師の屋敷に向かっているのよね」
「そう、オークランド王国に帰ってきた魔術師たちのリーダー、ルクレーシャス・ブルーイットが買った屋敷よ」
「あの……
「きれい? とかはわからないけれど、黒髪で暗い顔をしているやつがいたら、そいつ!」
「たぶん、さっき会ったわ。……私のことを妖精だと思って、買おうとしてた」
「そうね。細工で
パシッと口を小さい手で押さえるルビーちゃん。
もしかして、すべては
それにしても、やっぱり、彼は妖精を助けるために売買を持ちかけていたのだ……。
そんな彼を、非難するような
「えーと、えーと……リンジー、秘密ね!」
マグネス王国に逆らう人がいるだなんて、とんでもない秘密を知ってしまった。けれど、きっと私は
私が
「それじゃ、リンジーも落ち着いたら屋敷へきてよ。わたし、今そこで暮らしてるの! 戦争の後からそこで暮らしてたんだけど、去年の夏ぐらいから魔術協会の
「うん、わかったわ」
今日、私には妖精の友達までできてしまったらしい。
とても
いくら走っても疲れなくて、目の輝きが消えるまで、ついに警官に
「ルクレーシャスって人もいるのかな……」
ルビーちゃんの言うように、確かに明るそうではないけれど、
彼にまた会って、できればお
「リーンージー!」
「ルビーちゃん!」
屋敷の近くまで行くと、ルビーちゃんが
空から降りてきたルビーちゃんの姿を見つけた
「……すごい、今のルビーちゃんがやったの?」
「まあね。ただ今のは
ルビーちゃんは深い
「その
「なんでそんな決まりが?」
「ま、もし一度捕まえた妖精はずうっとその組織のものってことになると、大体全部の妖精がオークランド王国の魔術師のものになっちゃうから? 元々オークランド王国は魔術師の
「……色々大変なのね? それで、私を
「うん。正直助かったわ。妖精は大きくなるとみんな好きな形に変化しようとして、大半が翅を無くしちゃうんだけど、今回はそれが
「ルビーちゃんは強そうだけど」
「それは長いこと生きているから」
「え? 今何歳?」
「五十──なんでもない」
なんでもなくはない。七歳児みたいな顔をしているくせにもしかして私の親の年代?
「なんでもないったらなんでもなーい! リンジーのバカ! リンジーなんか、えーい!」
「きゃ!?」
ルビーちゃんに掌を向けられた
「あはははは!」
混乱する私を指をさして笑いながら、ルビーちゃんは私の身体を不思議な力で持ち上げて、ルクレーシャス・ブルーイット
その時、胸が熱くなり、くらりとするほど楽しい気持ちがあふれて、不思議とそれを
「もう一回! もう一回やって!」
「リンジー、ちょっと、落ち着いて。ね?」
小さな七歳ぐらいの女の子にしか見えないルビーちゃんに
けれど、やっぱりもう一度空を飛んでみたかった。
まるで童心に返ったみたい。くらくらするほどの喜びを、もう一度感じてみたかった。
「お願いルビーちゃん! お願い!」
「うーん、リンジーなんだかおかしくない? すごく元気。走り続けたのに
「全然疲れてないわよ」
「それ、おかしいでしょ。わたしがたくさん走らせたせいかな? たぶん疲れすぎてるんじゃない? ごめんね、今お茶を
確かに、疲れていないなんてありえない。つまり、私の身体がおかしいということ?
「すごく気分がいいから、そういうことはないと思うけど……」
ルビーちゃんが
「すごい、なんで温室でもないのにこんなにたくさん花があるの?」
今は十一月。ものすごく寒い……はずなのに、そういえば今の私は寒くもない。
少し疑問を感じたけれど、それより季節に関係なく花が
色とりどりの薔薇や、私が一番好きなサンザシの白い花。
「きれい」
まさかこんな季節に見られるとは思わなかった。五月
「折っても構わないが、その花を好む他の
手を引っ込めようとした時、後ろから声をかけられて飛び上がった。
振り返ると、そこには
「
私を見て彼は
そんな私にも彼は優しく声をかけてくれる。
「マグネス王国の手の者に捕まる前に逃げられたか? ならば、
「え、ええと」
優しく気遣われている──妖精だと思われているからだ。私は追われていた気の毒な妖精たちとは
「あの、私は──」
「サンザシが欲しいのか? 他の妖精が
「……おまえ、まさか、人間か?」
私は目を押さえた。そういえば、目の中の光は消えているから、誤解は簡単に解けるだろう──と喜んだ私を見て、ルクレーシャスから笑顔が消えた。
彼は目じりを
「
つかつかと歩み寄ってきたルクレーシャスに
「え、え? 痛い!」
「目的はなんだ? 妖精を盗みに来たか!」
「ち、違う……!」
「マグネス王国の人間か? 取り戻しに来たなどと
先ほどまでとは別人のようだった。
「きゃっ」
「
「ルクレーシャス! 一体何があった!」
男ばかりで、みんな黒いローブ姿だった。集団に囲まれ、
ルクレーシャスは私を押さえつけながら指示を飛ばした。
「アーロン、警察を呼べ。この女は
「どこの差し金か
アーロンと呼ばれたのは、背の高い男だった。短く
アーロンの言葉に、ルクレーシャスは吐き捨てるように答えた。
「マグネスの差し金ならどうせ吐かないだろう。妖精のふりをしていて警察に
「え、捕まっていたのか? バカじゃないか?」
アーロンと呼ばれている赤毛の男を睨んだら、
「……やっぱり、
「アーロン……おまえがそう言うのであれば、この女はおまえに預けよう」
「え、ちょっと待って、話を聞いて」
弁解しようとした。けれど、そんな私の言葉に
「
「でも、私──」
「余計な事をしゃべるな。ルクレーシャスの
アーロンの手が伸びてきて、口を
「リンジー!? あんたたちリンジーに何してるの? ねえ!?」
ティーポットとカップに、お
「リンジーを放せ!」
ルビーちゃんが腕を振るうと、
風の勢いに押されつつも、地に足をつけて
「リンジー、大丈夫!?」
私は起き上がると、ルビーちゃんと
「る、ルビーちゃん! 私がしたのって不法侵入じゃないわよね!?」
「もっちろん! わたしが招待したのよ!」
ルビーちゃんが堂々とそう宣言してくれたから、私はゆっくりと立ち上がってこちらの動向を
けれど、アーロンは
「だが、おまえのような女の入館記録はない」
「リンジーはわたしと一緒に空を飛んで入ったのよ」
「そう! ルビーちゃんの力で……あ、そういえば!」
思い出した。私はもう一度空を飛ばしてもらいたかったのだ。
「ね、お願いルビーちゃん! もう一度、もう一度飛ばせて!」
「今このタイミングでそれを言うの!?」
「だって
「リンジー、ホントに大丈夫? 大丈夫じゃなさそう。ねえ! リンジーを
ルビーちゃんが私の
彼は
「走らせたの。リンジーの目を光らせて、妖精みたいにみせて、
それを聞いたルクレーシャスは苦い顔をした。
ルビーちゃんの言う通り、私は別に悪気があって妖精のふりをしていたわけではないのだ。
「その時に何をした?」
「ただ目を光らせただけ! それ以上は何も──わたしは何もしていないけど、リンジーが変なことをしてたの」
「変なこと?」
「魔石を取り込んでいたみたいだった……とてつもなく大きな魔石! こんなに、わたしじゃ両手じゃないと持てないぐらい大きかった!
「それが見間違いでなければ由々しき事態だ」
由々しき事態? と小首を
「おまえ、今どんな気分だ? 具合は? 身体に
「気分はいいわ。飛ばせてくれたら最高だと思うの! 私は高いところが好きみたい」
後ろの方から「バカと
「……さっきの今でいい気分、か。異常だな」
異常、だろうか?
だけど、これはいい状態じゃないかと思うのだ。心からわくわくしていて、今なら何でも成功しそうな気がする。冬なのに全然寒くなくて、むしろ頬が
「私、これまでで一番素晴らしい気分だわ……」
「そうか。それではもっと楽しい気分になれる場所へ連れていこう」
ルクレーシャスは静かに答えた。
「ホントに!? いいの? どこにあるの?」
「こちらだ。……
ルビーちゃんが複雑そうな顔をして、指を折り曲げた。私の足が地面から離れた。
身体中が軽くなったような不思議な感覚に喜びしか感じない。宙でくるりと回転してみせるだけでも
「リンジー、ごめんね……」
「うん? 別に、ルビーちゃんに飛ばせてもらうのは今じゃなくてもいいのよ」
ルビーちゃんが何かを言おうとしたけれど、それを
「ところで、ルビーというのはなんだ?」
「わたしの名前……リンジーにつけてもらったの」
「
後ろにいたアーロンが
懐くだなんて、
「妖精ルビー……気にするな。この女のためにすることだ」
ルクレーシャスが落ち込んでいる様子のルビーちゃんを
庭からバルコニーを通り、部屋を
「何? 私のために何をするの?……どこに向かってるの?」
「……おまえの名は?」
「え? 私? 私はリンジー・マキン」
ルクレーシャスに名前を聞かれて、横にいる彼を見ながら答えると、彼は痛みをこらえるような顔をして言った。
「マキン
「一体なんのことを言っているの?」
「……この下に行けばわかる」
宙に
私はずっとわくわくしていたけれど、階段の奥にあった
「……
部屋いっぱいの大きな檻がそこにあった。上から布がかけられていて、中はよく見えない。
私は檻の前にゆっくりと下ろされた。
「ああ、鉄製の檻だ。鉄製品には魔を打ち消す力がある。妖精は鉄の
「え──きゃっ!」
ルクレーシャスに背を押され、開いていた檻の扉から中に放り込まれ、私は中にあったクッションに
ガシャンとすぐに檻の扉は閉じられて、急激に楽しい気分がしぼんでいくのを感じた。
「一体何をするの!?」
「冷静に聞け、リンジー・マキン。おまえは妖精に魔石を
ルクレーシャスが檻の外側から私に
私は
トピに預かってと言われて、魔石を
「魔術を
「私は、魔石をもらったから……魔術師になったの?」
「そうとも言える」
「それでどうして、檻の中に閉じ込められなくちゃいけないの?」
「……本来、魔石は人間の身体に存在しない器官だと言ったな?
「つまり……体に悪いの?」
「体質が合わない人間はほんの
「……私の中に入っちゃったのは、こう、結構大きかったわ」
「魔石の純度によるが……その大きさは危険だ。鉄には魔力を
「う、うん。だけど、それなら、檻の中に入るんじゃなくて、魔石を身体から出してしまいたいんだけど?」
「……残念ながら、人間には取り込んでしまった魔石を体内から取り出す事はできない」
「え、ええ? そんなわけないわ! だって、妖精は預かってって言って魔石を私に渡したんだから」
「魔石は妖精の命。与えた妖精なら取り出すことができる」
「なんだ……え、そうなの?」
トピは
それまで檻の中にいなくちゃいけないの? 血の気が引いた私は
「ほ、
「研究しているが、現時点では見つかっていない」
ルクレーシャスは暗い顔をして言った。たぶん、私の
「それじゃ私は、魔石をくれた妖精とまた会わないといけないのね」
「その妖精は生きているのか?」
「
「……そうか。それはよかった」
ルクレーシャスは心の底からほっとしたように顔を
でも、彼はすぐに暗い目つきになった。
「おまえに魔石を与えたのは、トピという妖精か?」
「さ、さあ……どうだったかしら」
どうしてルクレーシャスがトピの事を知っているのか、すごく気になったけれど、聞くのは
トピは、トピに魔石をもらったと口にしてはいけないと言っていた。
だけど
「マグネス王国の研究機関から
「わ、私に……そんな事言われても……」
檻の扉を押し開けようとしていた手を逆に引いて、気持ち扉に体重をかけて簡単には開けられないようにする。
ルクレーシャスは険しかった表情を
「……安心しろ。おまえが手に入れた魔石が本当に
私は余計なことを言わないよう、口をぎゅっと閉じてみた。
「先ほど、妖精に預かるように言われたと口にしたな? トピという妖精に預かるように言われたのだろう?……だが、預かった魔石がトピのものだとマグネスの研究者どもに知られると、魔石は所有権を主張され
「そういうことなんだ──いや、別に、
感心しかけて私は
ルクレーシャスは聞いていなかったみたいに続けた。
「どちらにせよ妖精
魔石は人間の身体にとってあまりよくないものだという。
何でトピは私にそんな危ないものを預けたんだろう?
ただ
「妖精トピは
「わ、すごい」
「そうだ。だからこそ求める人間が多い。故に彼らは人間を容易に信用はせず、魔石を与えるということはない。前々からの知り合いか?」
「ううん。今日会ったばかり──あっ」
「それは
致死量? 言われたことがすぐに理解できなかった。心臓が
「お、
「
「そ、そうね。それに私、わりと健康だもの、
大丈夫じゃないわけがない、と
けれど、ルクレーシャスは重々しく宣告する。
「だが、異常は出ていた。今は理解できるか? 尋常ではない興奮状態にあった、先ほどの自分の有り様を」
そう言われて思い返してみる。確かに何かが違ったかもしれない。おかしかったかもしれない。でも、不思議と
「……幸せだったわ。とても、とてもね」
「副作用が多幸感を得ることとは、まったく
ルクレーシャスはそう言いながらも痛ましげに顔を
「……
背筋が冷たくなって、
気がついたら、
「そんな、それじゃ、間違って魔石に触っちゃった人はどうしたらいいの?」
「
「ええ? でも、私はもらった魔石を触っちゃって、そしたらそのまま手の中に入っちゃったの。こういう場合はどうしたらいいの? もしかして、あれは魔石じゃなかったの?」
「──待て、そんな話は聞いたことがない」
ルクレーシャスが長い
「妖精自身の許可を得ず、
「よくわからないけど……魔石が手の中に溶けちゃった時、
「何が起きたのかは
「えっと、妖精が逃げるのを手伝ってあげたから……?」
「それしきのことで信頼が得られるのなら苦労はしない」
スッと鋭く細められるルクレーシャスの目。油断なく、
「私……いつまでここにいればいいの?」
早くここから出たかった。ここは暗いし、鉄柵は冷たいし、静かすぎる。
「一晩ここにいろ。魔石を取り出すことはできないが、対策を講じてやる」
「……そう」
出してと
本当に、とんでもない一日になってしまった。
いいことも悪いこともありすぎて、とにかく疲れて
「安静にしていろ。必ず、──必ず」
ルクレーシャスは最後まで言わずに、痛みを
まるで私の痛みを
暗くさせてしまったルクレーシャスの表情をなんとかしたくて、私は明るく声を張り上げた。
「えーっと、ベッドはない? 今になって疲れが出てきて……ひと
「は?……檻の中に入れられるか」
「それなら毛布が欲しいわ! あ、
「……ああ、わかった。望むものはなんでも用意しよう」
「なんでも? それじゃお
「……おまえは魔石の
そう言ってルクレーシャスが
それを見てほっとしている内に、ルクレーシャスは火のついた
(アパートと同じ。暗いのも、とても静かで──一人なのも)
どちらにせよ、今夜は
「……あら? 音楽?」
耳を
ルクレーシャスが私への差し入れを持って
「この音楽は何? 好きな
「
ルクレーシャスは苦笑を浮かべ、檻の中でクッションを抱きしめる私を見下ろした。
「おまえの
「……私の?」
「おまえには、妖精に好かれる才能があるらしい」
私の
私が走った事で助かった妖精たちが感謝してくれているのかもしれない。
そんな妖精たちの歌や演奏を
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