第一章 魔術師と妖精_2

 解放された私はつかれて重くなった足を引きずり、大通りから二本ほど奥の細いわきみちを歩いていた。そこからさらに住宅の間にある細い路地に入ると、辺りを見回した。

 誰もいないのをかくにんして、私はポケットにかくしたてのひらだいの石──トピの命のかけらである魔石の状態を確認しようとした。むちゃくちゃに走り回ったから、落としたり、欠けたりしているんじゃないかと思ったのだ。

 ポケットの上から石の存在は確認できた。欠けていないか──見ようとしてポケットに手をっ込んだ私は絶句した。

「え、きゃっ」

 ポケットの中の石──魔石が、温かくなっていたのだ。慌てて手を引いたけれど、掌に感じる温かさは変わらなかった。見れば、掌に魔石がくっついていた。

「え? 何? え?」

 魔石が光りながらとろりととろけている。温められたキャラメルのようにやわらかく、水よりも軽い。手をにぎりしめたら指の間から逃げたけれど、私の手からはなれない。

 どんどん私のはだに吸い込まれている。手をったけどどうにもならなかった。

「な、なくなっちゃった……」

 指先から血管を通って手首、そして腕やひじを伝い、温かい何かが流れ込んでくるのがわかった。欠けていた心臓の一部が戻ってきたような不思議な感覚。胸に心地よい熱さを感じた。心臓でしんせんで温かな血液が作られて、新たに張りめぐらされた身体からだじゆうの血管に流れていくような気がした──その不思議な感覚は一瞬であいまいになってしまった。

 目をぱちぱちとまたたいている内に私の身体はいつも通りで、変わったところはない。

「あ、預かってって言われたのに……魔石はどこに行ったの?」

「リンジー、今、何してたの?」

 がくぜんとして独り言を言っていた私のもとに、またルビーのようせい──ルビーちゃんが現れた。

 その背のとうめいかがやはねをピンとばして、羽ばたかせもせずかろやかに宙にいている。

「ルビーちゃん! 今──」

「と、ゆうちように話してる場合じゃないんだった! もう少し走ってくれない? お願い、リンジー。飛べない妖精がまだ何人かいるのよ」

 もう流石さすがに無理、と答えようとしたけれど、全然無理じゃないことにすぐ気づいた。

「あ、あれ? 疲れてない……?」

「じゃ、走って!」

「えーと、ルビーちゃんたちって英雄魔術師の屋敷に向かっているのよね」

「そう、オークランド王国に帰ってきた魔術師たちのリーダー、ルクレーシャス・ブルーイットが買った屋敷よ」

「あの……くろかみの、きれいな人?」

「きれい? とかはわからないけれど、黒髪で暗い顔をしているやつがいたら、そいつ!」

「たぶん、さっき会ったわ。……私のことを妖精だと思って、買おうとしてた」

「そうね。細工でおりを壊した混乱に乗じて、できるだけ妖精をがしつつ、逃がしきれなかったら金で解決するとか言っていたわ。わたしも妖精の利になるから協力を──って、あ、これは言っちゃいけないんだった!」

 パシッと口を小さい手で押さえるルビーちゃん。

 もしかして、すべてはじゆつたちが仕組んだことなのかもしれない。マグネス王国の研究者の仲間というわけではないらしい。

 それにしても、やっぱり、彼は妖精を助けるために売買を持ちかけていたのだ……。

 そんな彼を、非難するようなで見てしまった気がする。

「えーと、えーと……リンジー、秘密ね!」

 マグネス王国に逆らう人がいるだなんて、とんでもない秘密を知ってしまった。けれど、きっと私はだれにも言わずにだまっていると思う。妖精たちを可哀想に思うし、ルクレーシャスという、あの人にも申し訳ないことをしてしまったから……。

 私がうなずくと、ルビーちゃんはスカートの裾を翻した。

「それじゃ、リンジーも落ち着いたら屋敷へきてよ。わたし、今そこで暮らしてるの! 戦争の後からそこで暮らしてたんだけど、去年の夏ぐらいから魔術協会のきよてんにされちゃって、魔術師たちが出入りしててうるさいけど、わたしたちが作った薔薇ばら園があっててきなんだから。遊びに来てね、リンジー! 絶対に!」

「うん、わかったわ」

 今日、私には妖精の友達までできてしまったらしい。

 さびしい一日が一変してしまった。厄介事に巻き込まれた気はするけれど、たぶん、あのまま家にいるよりは、今日はいい日だったと思う。



 とてもづかれする一日だったけれど、不思議と気分はよかった。

 いくら走っても疲れなくて、目の輝きが消えるまで、ついに警官につかまらずにやり過ごせてしまった。その後はルビーちゃんが暮らしているというおかの上のしきに向かった。

「ルクレーシャスって人もいるのかな……」

 ルビーちゃんの言うように、確かに明るそうではないけれど、やさしそうな人だった。

 彼にまた会って、できればおびの言葉を伝えたかった。

「リーンージー!」

「ルビーちゃん!」

 屋敷の近くまで行くと、ルビーちゃんがむかえてくれた。

 空から降りてきたルビーちゃんの姿を見つけたたかが近づいてきたけれど、ルビーちゃんが掌を向けると鷹はビビッと何かにたれたかのようにけいれんして、逃げていった。

「……すごい、今のルビーちゃんがやったの?」

「まあね。ただ今のはおそわれそうになったからげいげきしたけど、基本的にやっちゃいけないの」

 ルビーちゃんは深いためいきいた。

「そのほかにも、魔術協会の魔術師たちとマグネス王国との間で、なんか複雑な取り決めがあってね。妖精をぬすんだりするのはダメだけど、妖精にまんまと逃げられたらその妖精に対する所有権はなくなって、誰でもその妖精を捕まえてよくなるとか、意味わかんない決まりがいっぱい」

「なんでそんな決まりが?」

「ま、もし一度捕まえた妖精はずうっとその組織のものってことになると、大体全部の妖精がオークランド王国の魔術師のものになっちゃうから? 元々オークランド王国は魔術師のしゆぎよう場がたくさんあるからね。正直、ものって考え方がふざけんなって感じだけど、それをくつがえせるほどの力がわたしたちにないし、仕方なく従ってるの」

「……色々大変なのね? それで、私をたよってくれたのね」

「うん。正直助かったわ。妖精は大きくなるとみんな好きな形に変化しようとして、大半が翅を無くしちゃうんだけど、今回はそれがあだになった感じ。でも、飛べる能力を残そうとすると他の力がその分弱くなるからよしあしなの」

「ルビーちゃんは強そうだけど」

「それは長いこと生きているから」

「え? 今何歳?」

「五十──なんでもない」

 なんでもなくはない。七歳児みたいな顔をしているくせにもしかして私の親の年代?

「なんでもないったらなんでもなーい! リンジーのバカ! リンジーなんか、えーい!」

「きゃ!?」

 ルビーちゃんに掌を向けられたしゆんかん、私はふわりと浮かび上がっていた。地面がぐんぐん離れていく。

「あはははは!」

 混乱する私を指をさして笑いながら、ルビーちゃんは私の身体を不思議な力で持ち上げて、ルクレーシャス・ブルーイットていの高いへいの向こう側へと運び込んだ。

 その時、胸が熱くなり、くらりとするほど楽しい気持ちがあふれて、不思議とそれをなつかしく感じた。



「もう一回! もう一回やって!」

「リンジー、ちょっと、落ち着いて。ね?」

 小さな七歳ぐらいの女の子にしか見えないルビーちゃんにさとされる私は十六歳。

 はたには一体どんな風に見えるだろうと思ったら、一瞬気持ちが落ち込んだ。

 けれど、やっぱりもう一度空を飛んでみたかった。

 まるで童心に返ったみたい。くらくらするほどの喜びを、もう一度感じてみたかった。

「お願いルビーちゃん! お願い!」

「うーん、リンジーなんだかおかしくない? すごく元気。走り続けたのにつかれてないの?」

「全然疲れてないわよ」

「それ、おかしいでしょ。わたしがたくさん走らせたせいかな? たぶん疲れすぎてるんじゃない? ごめんね、今お茶をれてくるから、ここで休んでて」

 づかわしげに私をり返りながら、ルビーちゃんが大きな屋敷の方へ行く。

 確かに、疲れていないなんてありえない。つまり、私の身体がおかしいということ?

「すごく気分がいいから、そういうことはないと思うけど……」

 ルビーちゃんがもどってくるまでひまだから、私は近くを散策することにした。とてもじっとしていられる気分ではなかった。幸い、見るものはたくさんあった。すぐ近くに、しゆあふれる花の庭園があって、私はかんたんした。

「すごい、なんで温室でもないのにこんなにたくさん花があるの?」

 今は十一月。ものすごく寒い……はずなのに、そういえば今の私は寒くもない。

 少し疑問を感じたけれど、それより季節に関係なく花がき乱れる庭の散策が楽しかった。

 色とりどりの薔薇や、私が一番好きなサンザシの白い花。

「きれい」

 まさかこんな季節に見られるとは思わなかった。五月ごろに咲く花だったはずだ。

 はなかんむりを作りたくて、ろうと手をばした。けれど、そういえばここは人の家の庭だ。勝手にんだらおこられてしまうかもしれない。

「折っても構わないが、その花を好む他のようせいを怒らせることになるぞ」

 手を引っ込めようとした時、後ろから声をかけられて飛び上がった。

 振り返ると、そこにはえいゆう魔術師と呼ばれていたルクレーシャスという男がいた。

おどろかせて悪かった。──自力で逃げ出せたんだな」

 私を見て彼はほほんだ。私のことを覚えているみたい。

 さきほど、責めるような眼で見てしまったことが申し訳なくて、私はうつむいてしまった。

 そんな私にも彼は優しく声をかけてくれる。

「マグネス王国の手の者に捕まる前に逃げられたか? ならば、めんどうな手続きは必要ない。これからは何も心配しなくていい。身体からだだいじようか? それほど人間に似た身体を作っているのであれば、部屋を用意した方がいいか? それとも薔薇のしげみの下でねむりたいか?」

「え、ええと」

 優しく気遣われている──妖精だと思われているからだ。私は追われていた気の毒な妖精たちとはちがう。部屋なんていらないのだ。

「あの、私は──」

「サンザシが欲しいのか? 他の妖精がこわいなら、俺が折っても──」

 たんせいな顔にやわらかなみをかべて近づいてきたルクレーシャスは──はたと立ち止まり、顔をあげた私をえてその黒い目を丸く見開いた。

「……おまえ、まさか、人間か?」

 私は目を押さえた。そういえば、目の中の光は消えているから、誤解は簡単に解けるだろう──と喜んだ私を見て、ルクレーシャスから笑顔が消えた。

 彼は目じりをり上げ、険しい表情を浮かべた。

じゆつか……妖精にたいしてこの屋敷にもぐり込んだか!」

 つかつかと歩み寄ってきたルクレーシャスにうでつかまれ、私は悲鳴をあげた。

「え、え? 痛い!」

「目的はなんだ? 妖精を盗みに来たか!」

「ち、違う……!」

「マグネス王国の人間か? 取り戻しに来たなどとごとは言うなよ! 妖精は捕まえた者勝ち。がした者は妖精を管理する力のない弱者だ。盗まれたならともかく、逃がした以上はのがれた妖精がどこにいようと文句を言うな!」

 先ほどまでとは別人のようだった。りつけられて、私は言葉が出て来なかった。弁解することもできない内に、気づいたら腕をひねりあげられていた。

「きゃっ」

だれか! こちらへ来い!」

「ルクレーシャス! 一体何があった!」

 しきの中から、ぞろぞろと人が出てきた。ここはルクレーシャスという魔術師のリーダーがこうにゆうした屋敷で、魔術協会とやらのきよてんになったとか、ルビーちゃんが言っていた気がする。

 男ばかりで、みんな黒いローブ姿だった。集団に囲まれ、にらまれた私は泣きそうになった。

 ルクレーシャスは私を押さえつけながら指示を飛ばした。

「アーロン、警察を呼べ。この女はしんにゆうしやだ。……誰かなわを持ってこい!」

「どこの差し金かかせなくていいのかよ?」

 アーロンと呼ばれたのは、背の高い男だった。短くり込んだあかがみ、額にほうしよくをあしらったひもを巻いていて、目つきが悪い。

 アーロンの言葉に、ルクレーシャスは吐き捨てるように答えた。

「マグネスの差し金ならどうせ吐かないだろう。妖精のふりをしていて警察につかまるようなおろか者だ。大した裏があるとは思えない」

「え、捕まっていたのか? バカじゃないか?」

 アーロンと呼ばれている赤毛の男を睨んだら、れいこくといっていい表情で睨み返された。

「……やっぱり、じんもんした方がいいんじゃないか? マグネス王国だって、時には信じられないうっかりをするかもしれない」

「アーロン……おまえがそう言うのであれば、この女はおまえに預けよう」

「え、ちょっと待って、話を聞いて」

 弁解しようとした。けれど、そんな私の言葉にかぶせるようにアーロンが指をきつけて言う。

こうりよくでここにいただなんて言うなよ? この屋敷は高い塀で囲われ、入り口には見張りを置いている。出入りは完全に管理されているんだ。迷い込んだなんて言い訳は通用しない」

「でも、私──」

「余計な事をしゃべるな。ルクレーシャスのげんが悪くなる」

 アーロンの手が伸びてきて、口をふさがれそうになった時──かんだかい悲鳴があがった。

「リンジー!? あんたたちリンジーに何してるの? ねえ!?」

 ティーポットとカップに、おちやまでつけておぼんせて持ってきたルビーちゃんが、そのお盆をほうり出してさけんだ。

「リンジーを放せ!」

 ルビーちゃんが腕を振るうと、とつぷういた。私の?ほおれるのは柔らかい風だけだったけれど、周りにいた男たちは吹き飛ばされた。

 風の勢いに押されつつも、地に足をつけてえたのはルクレーシャスとアーロンだけで、ほかの人たちは転がっていた。それを気にもせず、ルビーちゃんは私のところに飛んできた。

「リンジー、大丈夫!?」

 私は起き上がると、ルビーちゃんといつしよに急いで男たちからきよを取った。

「る、ルビーちゃん! 私がしたのって不法侵入じゃないわよね!?」

「もっちろん! わたしが招待したのよ!」

 ルビーちゃんが堂々とそう宣言してくれたから、私はゆっくりと立ち上がってこちらの動向をうかがっていたルクレーシャスたちに向かって胸を張れた。

 けれど、アーロンはげんそうに言う。

「だが、おまえのような女の入館記録はない」

「リンジーはわたしと一緒に空を飛んで入ったのよ」

「そう! ルビーちゃんの力で……あ、そういえば!」

 思い出した。私はもう一度空を飛ばしてもらいたかったのだ。

「ね、お願いルビーちゃん! もう一度、もう一度飛ばせて!」

「今このタイミングでそれを言うの!?」

「だってらしい体験だったわ、ルビーちゃん。ふわりと浮いて宙にうの。身体の中から温かさが広がって──」

「リンジー、ホントに大丈夫? 大丈夫じゃなさそう。ねえ! リンジーをてあげてよ。わたしが無理をさせたからかもしれない。なんだかすごくおかしいの!」

 ルビーちゃんが私のかたを押して、ルクレーシャスに向き直らせる。

 彼はしぶい顔をしつつも「……無理とは?」とルビーちゃんのらいこたえた。

「走らせたの。リンジーの目を光らせて、妖精みたいにみせて、おとりになってもらったの!」

 それを聞いたルクレーシャスは苦い顔をした。

 ルビーちゃんの言う通り、私は別に悪気があって妖精のふりをしていたわけではないのだ。

「その時に何をした?」

「ただ目を光らせただけ! それ以上は何も──わたしは何もしていないけど、リンジーが変なことをしてたの」

「変なこと?」

「魔石を取り込んでいたみたいだった……とてつもなく大きな魔石! こんなに、わたしじゃ両手じゃないと持てないぐらい大きかった! そばに妖精はいなかったから、何かのちがいだろうと思ったのに──」

「それが見間違いでなければ由々しき事態だ」

 由々しき事態? と小首をかしげていたら、ルクレーシャスは私を見下ろしきつもんした。

「おまえ、今どんな気分だ? 具合は? 身体につらいところは?」

「気分はいいわ。飛ばせてくれたら最高だと思うの! 私は高いところが好きみたい」

 後ろの方から「バカとけむりは高いところが好き……」と赤髪の男、アーロンがつぶやく声が聞こえたけれど無視をした。無視できた。だって私は今とてつもなく幸せな気分だから──。

「……さっきの今でいい気分、か。異常だな」

 異常、だろうか?

 だけど、これはいい状態じゃないかと思うのだ。心からわくわくしていて、今なら何でも成功しそうな気がする。冬なのに全然寒くなくて、むしろ頬がっているくらいだ。すぐにでも動きだしたくて、いくら動いてもつかれないだろう。

「私、これまでで一番素晴らしい気分だわ……」

「そうか。それではもっと楽しい気分になれる場所へ連れていこう」

 ルクレーシャスは静かに答えた。

「ホントに!? いいの? どこにあるの?」

「こちらだ。……ようせい、連れていってやれ」

 ルビーちゃんが複雑そうな顔をして、指を折り曲げた。私の足が地面から離れた。

 身体中が軽くなったような不思議な感覚に喜びしか感じない。宙でくるりと回転してみせるだけでもおもしろい。はしゃいでいたら、ルビーちゃんが苦しそうに呟いた。

「リンジー、ごめんね……」

「うん? 別に、ルビーちゃんに飛ばせてもらうのは今じゃなくてもいいのよ」

 ルビーちゃんが何かを言おうとしたけれど、それをさえぎるようにルクレーシャスが言った。

「ところで、ルビーというのはなんだ?」

「わたしの名前……リンジーにつけてもらったの」

ずいぶんなついたもんだな」

 後ろにいたアーロンがおどろいたように言う。

 懐くだなんて、いぬねこじゃないんだからとアーロンを睨み付けようとしたけれど、バルコニーから屋敷の中に入れられてしまって、彼の姿は見えなくなった。

「妖精ルビー……気にするな。この女のためにすることだ」

 ルクレーシャスが落ち込んでいる様子のルビーちゃんをなぐさめるように言った。

 庭からバルコニーを通り、部屋をけてろうへ出ると、そのまま廊下を進んだ。前を行くルビーちゃんの背を見つめながら、私は首を傾げた。

「何? 私のために何をするの?……どこに向かってるの?」

「……おまえの名は?」

「え? 私? 私はリンジー・マキン」

 ルクレーシャスに名前を聞かれて、横にいる彼を見ながら答えると、彼は痛みをこらえるような顔をして言った。

「マキンじよう。おまえのがらの安全は保障するし、無体なはしないとちかおう」

「一体なんのことを言っているの?」

「……この下に行けばわかる」

 宙にいた私は、いやおうなしに地下へと続くうすぐらい階段を下ろされていった。

 うすくらがりに、じゆつをかけられた私の身体からだとルビーちゃんの目があわく光りかがやいていた。

 私はずっとわくわくしていたけれど、階段の奥にあったとびらをルクレーシャスが開け、その奥にあるものを見た時にはさすがにめんらった。

「……おり?」

 部屋いっぱいの大きな檻がそこにあった。上から布がかけられていて、中はよく見えない。

 私は檻の前にゆっくりと下ろされた。り返るとルビーちゃんの姿はなく、ルクレーシャスがすぐ後ろに立っていた。

「ああ、鉄製の檻だ。鉄製品には魔を打ち消す力がある。妖精は鉄のかぎをあけられず、鉄の棒を曲げられない。だから妖精を閉じ込めておくことができる──」

「え──きゃっ!」

 ルクレーシャスに背を押され、開いていた檻の扉から中に放り込まれ、私は中にあったクッションにたおれ込んだ。

 ガシャンとすぐに檻の扉は閉じられて、急激に楽しい気分がしぼんでいくのを感じた。

「一体何をするの!?」

「冷静に聞け、リンジー・マキン。おまえは妖精に魔石をあたえられた。それは間違いないな?」

 ルクレーシャスが檻の外側から私にじんもんする。

 私はとつぜん檻の中に入れられたことで混乱しながらも、今日の出来事を思い出した。

 トピに預かってと言われて、魔石をわたされたのは間違いない。妖精にもらったということは伝えてもいいとトピも言っていた。私がまどいながらもうなずくと、ルクレーシャスは続けた。

「魔術をあつかうには、魔力を周囲から取り込んで体内にめ込み、身体中にめぐらせる器官である魔石を有する必要がある。魔力を血液にたとえるとすると、血液を全身に行きわたらせる心臓のような役割を果たすのが魔石だ。……しかし、人間の身体には本来魔石は存在しない。だが、妖精に魔石を与えられることで魔術を使えるようになる。これが人間が魔術師になる仕組みだ」

「私は、魔石をもらったから……魔術師になったの?」

「そうとも言える」

「それでどうして、檻の中に閉じ込められなくちゃいけないの?」

「……本来、魔石は人間の身体に存在しない器官だと言ったな? ゆえにこれはじようせつしゆすると人間にとって毒となる」

「つまり……体に悪いの?」

「体質が合わない人間はほんのりようの、つめの先ほどの大きさの魔石を与えられただけで死ぬこともある」

「……私の中に入っちゃったのは、こう、結構大きかったわ」

 けてしまったから正確な大きさはわからないけれど、ポケットがパンパンになるぐらいに大きかったのは間違いない。確か、トピのてのひらぐらいの大きさはあった。

「魔石の純度によるが……その大きさは危険だ。鉄には魔力をふうじる力がある。故におまえを鉄の檻の中に入れている。じようきようは理解できたか?」

「う、うん。だけど、それなら、檻の中に入るんじゃなくて、魔石を身体から出してしまいたいんだけど?」

「……残念ながら、人間には取り込んでしまった魔石を体内から取り出す事はできない」

「え、ええ? そんなわけないわ! だって、妖精は預かってって言って魔石を私に渡したんだから」

「魔石は妖精の命。与えた妖精なら取り出すことができる」

「なんだ……え、そうなの?」

 トピはつかまった。必ずげ出すと言っていたけれど、それはどれぐらいかかるのだろう。

 それまで檻の中にいなくちゃいけないの? 血の気が引いた私はおそる恐る聞いた。

「ほ、ほかに方法は……?」

「研究しているが、現時点では見つかっていない」

 ルクレーシャスは暗い顔をして言った。たぶん、私のために私を檻の中に入れたのだろう。それなのに、私はまた責めるようなで見てしまったかもしれない。けれど檻の中に入れてくれてありがとうというのも変な気がする。努めて明るい声で聞いた。

「それじゃ私は、魔石をくれた妖精とまた会わないといけないのね」

「その妖精は生きているのか?」

えんでもないこと言わないで! 生きてるわよ!」

「……そうか。それはよかった」

 ルクレーシャスは心の底からほっとしたように顔をほころばせた。暗い表情をしていた顔ががおになると、少しどきりとする。

 でも、彼はすぐに暗い目つきになった。

「おまえに魔石を与えたのは、トピという妖精か?」

「さ、さあ……どうだったかしら」

 どうしてルクレーシャスがトピの事を知っているのか、すごく気になったけれど、聞くのはまんした。

 トピは、トピに魔石をもらったと口にしてはいけないと言っていた。

 だけど上手うまうそも見つからなかった。そうとする私を、ルクレーシャスはするどい目つきでつらぬいた。

「マグネス王国の研究機関かられんらくがあった。妖精いつぴきいちじるしく魔力をそんもうしていると。その責任がだれに──どの国のどの組織にあるのかついきゆうし、相応のだいしようはらわせたいという」

「わ、私に……そんな事言われても……」

 檻の扉を押し開けようとしていた手を逆に引いて、気持ち扉に体重をかけて簡単には開けられないようにする。

 ルクレーシャスは険しかった表情をわずかにゆるめた。

「……安心しろ。おまえが手に入れた魔石が本当にようせいの意志によってじようされたというのなら、俺はおまえがその魔石を保持できるように助けよう。俺たち魔術協会のかいしやくでは、妖精が自ら魔石を譲渡したのであればぬすんだ内には入らないからな」

 私は余計なことを言わないよう、口をぎゅっと閉じてみた。

「先ほど、妖精に預かるように言われたと口にしたな? トピという妖精に預かるように言われたのだろう?……だが、預かった魔石がトピのものだとマグネスの研究者どもに知られると、魔石は所有権を主張されうばわれるだろう。トピはマグネス王国の所有物となっていたからな。だから、トピのものではないと言っているのだろう?」

「そういうことなんだ──いや、別に、ちがうわよ!」

 感心しかけて私はあわてて首を横に振った。

 ルクレーシャスは聞いていなかったみたいに続けた。

「どちらにせよ妖精とうぼうの混乱の最中に所持していた魔石は、見つかれば相手が何者にせよ、奪われる危険がある……と考え、トピはおまえの中に魔石をひそませることを思いついたのか。そうだとすれば、おまえはよほど気に入られた上で、しかし危険にさらされている事になる」

 魔石は人間の身体にとってあまりよくないものだという。

 何でトピは私にそんな危ないものを預けたんだろう?

 たださわるだけで溶けて吸収してしまうような、そんなものを──。

「妖精トピはな力の持ち主だった……おまえがその妖精と出会った時、あれは成人した人間の姿を取っていただろう? 人間とまがう形を取れるのは成熟した妖精で、その力はそこらの妖精の何百倍、何千倍にもひつてきする」

「わ、すごい」

「そうだ。だからこそ求める人間が多い。故に彼らは人間を容易に信用はせず、魔石を与えるということはない。前々からの知り合いか?」

「ううん。今日会ったばかり──あっ」

 ゆうどう尋問でしゃべらされた私はぎくりとしたけれど、ルクレーシャスはやっぱり気にする様子もなく話し続けた。

「それはめずらしいことだ。前例はあまりないが、通常あれほどの力を持った妖精が、その姿を少年形にまで縮小するほど力をけずったのであれば──おまえが取り込んだ魔石は量をおおはばえているはず」

 致死量? 言われたことがすぐに理解できなかった。心臓がいやな鳴り方をし始めて、じわりと冷やあせにじんでから──おくればせながら、理解する。

「お、おりの中にいれば平気……よね?」

しようれいが少なくなんとも言えない。それに、いつまでも檻の中にいるわけにもいかないだろう」

「そ、そうね。それに私、わりと健康だもの、だいじようよね」

 大丈夫じゃないわけがない、とかわいた口の中でつぶやいた。

 けれど、ルクレーシャスは重々しく宣告する。

「だが、異常は出ていた。今は理解できるか? 尋常ではない興奮状態にあった、先ほどの自分の有り様を」

 そう言われて思い返してみる。確かに何かが違ったかもしれない。おかしかったかもしれない。でも、不思議ときようは感じなかった。

「……幸せだったわ。とても、とてもね」

「副作用が多幸感を得ることとは、まったくうらやましい限りだな」

 ルクレーシャスはそう言いながらも痛ましげに顔をしかめた。

「……何故なぜおまえはそれほどのせきを体内に入れられてしまったのか。今は幸運にも何ら不調は出ていないようだが、何かのひように暴走する危険があることぐらい、妖精ならば知っているだろうに」

 背筋が冷たくなって、はんすうしていた幸せな気分はいともたやすくさんした。

 気がついたら、てつさくにぎりしめる手がふるえていた。

「そんな、それじゃ、間違って魔石に触っちゃった人はどうしたらいいの?」

れただけでは特に問題はない。まれにアレルギーもあるが」

「ええ? でも、私はもらった魔石を触っちゃって、そしたらそのまま手の中に入っちゃったの。こういう場合はどうしたらいいの? もしかして、あれは魔石じゃなかったの?」

「──待て、そんな話は聞いたことがない」

 ルクレーシャスが長いまつきようがくまたたかせた。

「妖精自身の許可を得ず、とくしゆな魔術を使ったわけでもなく、おまえは魔石を取り込んだのか?」

「よくわからないけど……魔石が手の中に溶けちゃった時、そばにトピはいなかったわ。警察に連れて行かれちゃった後だったの」

「何が起きたのかはくわしく調べないとはっきりとはわからないが──ならば、トピはおまえの中に魔石を潜ませるつもりはなかったのかもしれない……おまえをしんらいして魔石を預けたということになる。何故だ? 今日会ったばかりなのだろう? どうやってそれだけの信頼を得た?」

「えっと、妖精が逃げるのを手伝ってあげたから……?」

「それしきのことで信頼が得られるのなら苦労はしない」

 スッと鋭く細められるルクレーシャスの目。油断なく、けいかいしんに満ちていて、私を見定めようとさぐっている。それを見ていると背筋がざわざわして落ち着かなくなった。それに、先ほどまでかけらも感じなかったつかれがどっと押し寄せてきていた。

「私……いつまでここにいればいいの?」

 早くここから出たかった。ここは暗いし、鉄柵は冷たいし、静かすぎる。

「一晩ここにいろ。魔石を取り出すことはできないが、対策を講じてやる」

「……そう」

 出してとさけびたい気持ちもあったけれど、我慢した。

 本当に、とんでもない一日になってしまった。

 いいことも悪いこともありすぎて、とにかく疲れて身体からだが重くてたまらなかった。

「安静にしていろ。必ず、──必ず」

 ルクレーシャスは最後まで言わずに、痛みをこらえるような顔をしてだまり込んだ。

 まるで私の痛みをかたわりするような顔をしている。ルクレーシャスだって、好きで私を檻に閉じ込めているわけではないだろう。それなのに、私はがいしやのような顔をして、責めるような目つきで彼を見てしまった。

 暗くさせてしまったルクレーシャスの表情をなんとかしたくて、私は明るく声を張り上げた。

「えーっと、ベッドはない? 今になって疲れが出てきて……ひとねむりしたいの!」

「は?……檻の中に入れられるか」

「それなら毛布が欲しいわ! あ、のどかわいたわ! おなかも減ったわ!」

「……ああ、わかった。望むものはなんでも用意しよう」

「なんでも? それじゃおとか、甘いものも欲しいわ。いい? ケーキとか……!」

「……おまえは魔石のえいきようがなくとも幸せそうだな」

 そう言ってルクレーシャスがかべたのはしようだけれど、いまだに感じたこともない私の痛みを肩代わりしたかのようなつらい顔よりはマシな顔をしていた。

 それを見てほっとしている内に、ルクレーシャスは火のついたろうそくを一本置き、部屋から出て行った。私は一人檻の中に取り残された。けれど、檻の中にいること自体には、あまり恐怖を感じなかった。立っても頭をぶつけることのない高さの広々とした檻の中は、どこかと似ていてすぐにでもめそうだった。

(アパートと同じ。暗いのも、とても静かで──一人なのも)

 どちらにせよ、今夜はどくに震えながら眠ることになる。朝からわかっていたことだ。

 じゆうたんかれているゆかころがって、転がっていたクッションをき寄せた。

「……あら? 音楽?」


 耳をましていると、どこかから楽しげな音楽が聞こえてきた。

 ルクレーシャスが私への差し入れを持ってもどってくると、私はすぐに聞いてみた。

「この音楽は何? 好きなふんだわ。とても楽しそう」

ようせいたちが……」

 ルクレーシャスは苦笑を浮かべ、檻の中でクッションを抱きしめる私を見下ろした。

「おまえのかんげいかいの準備をしているらしい。あれは練習だな」

「……私の?」

「おまえには、妖精に好かれる才能があるらしい」

 私のために演奏の練習をしているという妖精たちのにぎわいに耳を澄ました。

 私が走った事で助かった妖精たちが感謝してくれているのかもしれない。

 そんな妖精たちの歌や演奏をきながら眠れるのだから、今夜は少しはいい夢が見られるにちがいないと思い直した。

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