第5章その1 乙女ゲーのキャラかよ

「落ち着いて、もう一度最初からやってみましょうか」


「はい……」


 マノン先生に促され、私は一旦構えを解いた。


 今はグリエルマ先生の実践魔法の授業中。私は1人教室の片隅で、マノン先生からのマンツーマン指導を受けていた。水泳の授業について行けず、プールサイドの片隅で洗面器特訓をさせられている、あのポジションだ。


「はい、一度深呼吸しましょうか。吸って、吐いて……」


「すぅ……はぁ……」


「では、いきますよ。まずは自分の中に光が宿っている様子を心に浮かべて」


(自分の中に、光が……光が……)


 アニメや漫画の主人公が能力に目覚める、お馴染みのワンシーンを思い出す。そして今、自分がその立場にあること、この世界ではきっと私にも出来るのだと自身に言い聞かせた。


 が。


(なんかこれ、オカルト雑誌で見た超能力の開発方法と同じ? 大いなる宇宙よ、我に力を~、的な)


 邪念が入り、ついブフッと吹いてしまった。


「……睦実」


 マノン先生が厳しい眼差しで私を見ている。


「集中」


「すみません」


 葉擦れのような微かな笑い声が聞こえてくる。そちらに目を向けると、幾対かの嘲る瞳とぶつかり、さっと逸らされた。


(まぁ、無理もないのよね……)


 目の前で微動だにせず佇み続ける、将棋の駒のような小さな木片に目を落とす。軽く息を吹きかければ容易くひっくり返るこの物体を、私は魔力で起こした風でもって倒さねばならない。


 周囲の人々の話から推測するに、今、私のしていることは、小学校入学時レベルのものらしい。ひらがなや足し算でつまってしまっている状態だ。


「本当にどうしちゃったのかしら……」


 マノン先生が困惑した顔つきで溜息をつく。


「優等生とは言えないまでも、少し前まで平均レベルの魔法は使えていたのに……」


(おぅふ……)


 ソフィアの設定は「平凡な少女」だ。つまりこの世界の中で、彼女は容姿も勉強も運動も平均レベルだったと言うことになる。

 今、魔法が全く使えない私は、この世界における「平均的な少女」には程遠く、と言うことは……、


(取り立てて目立つところのない平凡な少女という設定から、17歳にして小学校1年生の問題も解けないダメっ子主人公にクラスチェンジ!?)


 更に言えば、ソフィアのあの容姿がこの世界の平凡だとすれば、今の私は一体どんなポジションなのだろう。


(神絵師の生み出した麗しき世界において、唯一範疇から外れた哀しき女。それが私、平子睦実……!)


 いや、かっこよく言っても誤魔化せない。


(オーク扱いされていないことを祈るよ。いや、心の底から本気で!!)


 あと1つ、気付いたことがある。


 少し前まで「私」は普通に魔法が使えていたと、マノン先生やクラスメイトから認識されている。つまり、私がこの世界で目覚める前、魔法を平均的に使える少女ソフィアはここに存在していたのだ。なぜ、入れ替わったソフィアと私が同一視されているかについては分からないけれど。


(私がここにいるってことは、逆にソフィアが私の世界にいるのよね……)


 この世界で当たり前とされる魔法を私が全く使えないのと同様、向こうではファンタジーの中でしかありえない魔法を、ソフィアは使ってしまっているのかもしれない。


 その上、彼女は神絵師・聖洞みんと氏の手によって生み出された、超絶美少女で……。


(やばいやばいやばい、私がいない間に、元の世界ではどんなことになってるんだろう)


目立たないヲタ子がある日突然、魔法の使えるコミュ力おばけな美少女に変貌してる、とか?


(元のポジションに戻った時に、私、どんな扱いを受けるようになってるのよ。一日も早く、帰る方法を見つけなくちゃ……)


「睦実」


「はいっ!」


 マノン先生の淡々とした声に、私は現実に引き戻される。


「先ほどから上の空ですよ。私の説明を聞いていましたか?」


「すみません」


「…………」


 マノン先生が腕組みをして、細く息を吐いた時だった。


「睦実―、何やってんだよ!」


(えっ!?)


 どこからともなく、甘くはじける元気な声が飛んできた。


(こ、これはC.V.かなたみたま!? ってことは……)


 窓の外の樹が揺れる。教室の床に、少年らしいスリムなシルエットが映し出された。


「ら……」


「睦実―、気合入れろよ! 集中集中!」


(ライリー!?)


 窓のすぐ傍の樹の枝に腰かけ、メガホンの形にした両手を口に当てて叫んでいた。

 きゃあっ、と黄色い歓声が上がり、クラス中の女子が窓際へと駆け寄る。


「あの方、離れにいらっしゃる方よね?」

「そうそう、導魂士のお一人、ライリー様!」

「この間、外で訓練をされてるのを見かけたわ」

「あの、天使のようなお姿、素敵……」


(お……おぉう……)


 あっという間にはじき出され、私は呆然とその光景を見つめた。


 ライリーを讃えるうっとりとした声。

 ライリーを見つめる夢見がちな眼差し。

 ライリーのためにこぼれる切ない吐息。


(お……、乙女ゲーのキャラかよ!? いや、乙女ゲーのキャラだよ!!)


 高速でツッコミにツッコミを重ねる。

 ゲームや漫画でこういうシーンを何度も見たが、リアルで見るの初めてだ。


「皆さん」


 グリエルマ先生の厳しい声が、彼女らの生み出した甘い熱にぴしゃりと水を差した。


「なんですか、はしたない。今は授業中ですよ。席に戻りなさい」


 はぁい、と不満げな声を上げながら、クラスメイトは席に戻る。グリエルマ先生は次に、窓の外のライリーに目を向けた。ライリーが、ぎくりとしながら愛想笑いを浮かべる。


「そこで何をなさっているのですか、導魂士様。ここは女子校です」


「うっ……」


(だったら、そもそも女子校の寮の離れに彼らを住まわせるなよ)


 全力でツッコみたいが、それは心の中に留めることにする。創作世界のご都合設定にあれこれ言うのは野暮と言うものだ。

 グリエルマ先生は眼鏡の位置を直し、ライリーへ更にきつい視線を向けた。


「いくら国から命を受けた導魂士様と言えども、不埒な真似をするようでは見過ごしにするわけには参りません。全く、覗きとは情けない」


「の、覗き!? オレはただ……」


「即刻そこから降り、立ち去りなさい!」


「は、はいぃっ!」


 グリエルマ先生に気圧され、ライリーが慌てて樹から滑り降りようとした時だった。


「わ! わ!? わわっ!?」


「っ!?」


 ライリーの手が枝を掴み損ね、虚しく空を掻く。


「わ……っ、わぁあああ!!!」


 ライリーの姿が、視界から消えた。


(ちょ、ここ、3階!!)


 教室に少女らの悲鳴が響き渡った。


「ライリー!?」


 私はロッドを放り出し、窓際へと駆け寄る。責任を感じたのだろう、グリエルマ先生も青い顔をして早足で窓に近づき、下に目を向けた。

 続けてクラス中の女子たちが、一斉に窓辺へ押し寄せる。私の背に数人分の重みが加わり、肺が押しつぶされた。


「ライリー様!」


「導魂士様ぁ!!」


(ぐ……、ライリーは……)


 窓の桟に体を押し付けられながら、私はライリーの姿を探す。


(この場所から落ちたなら、あの辺りに姿が見える筈なんだけど)


「ら……ライリー?」


 姿が見えないことを奇妙に思いつつ、彼の名を呼んだ時だった。


「ここだよ」


「ふぉぎょわぁあああっ!!?」


 すぐ側から聞こえたキャラメルボイスにぞわりと肌が粟立つ。振り返った私の目に映る長い睫毛、エメラルドの瞳、滑らかな肌、桜色の唇。


(近っ!)


外壁に張り付くような姿勢で、ライリーは窓の外の狭い足場に立っていた。


「ど、どう……なん、そこ、えっ!? さっき落ち……なんで!?」


「うん、落ちたんだけど……」


 ライリーがバランスを取りながら、下方に目をやる。樹の陰から姿を現したのは、ロッドを携えたシェマルだった。


「シェマルの浮遊の魔法に助けられて、ここに」


(なるほど)


 風がシェマルの長い髪をたなびかせる。陽光を受けて輝くプラチナピンク。精霊王の登場のような幻想的な光景に、教室からひときわ高い歓声が上がった。



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